年の終わりと始まりの俺
大晦日の晩に山本さんに襲われるという前代未聞の出来事に遭遇したが、それはなんとかやり過ごした。
バールで殴られ骨も何本か折れていたはずなのに《命運の村》から送られてきた薬を飲んだら、あっという間に完治。
そして正気を失ったかのように暴れていた山本さんをノックアウトしたのは、俺が飼っている黄金のトカゲ――ディスティニー。
前々から頭が良くて、普通のトカゲではないと疑ってはいたが……まさか、毒のような霧を吐けて、更に人間の体を石化させる力もあるようだ。
その二つの能力にトカゲの外見。そこから俺はディスティニーがなんなのか、一つの予想を立てた。
あれから俺は自分の部屋に戻り布団を敷いて、その脇でディスティニーと見つめ合っている最中だ。
「なあ、もしかしてバジリスクなのか?」
俺が問いかけると、コクンと一度頷くディスティニー。
やっぱりそうか。
卵から孵化してからトカゲの種類を調べたのだが、その際に念のためトカゲのような外見をしたファンタジー世界の生物も調べていた。
もしかして、ドラゴンとか? という淡い期待を抱いて調べている時に、一つ気になるトカゲのモンスターを発見。
それがバジリスク。元はコカトリスと同一の存在だったようなのだが、バジリスクはトカゲの外見、コカトリスは鶏に蛇の尻尾という認識が定着した、らしい。
特徴は口から毒の息を吐き、相手を石化させる力を持つ。トカゲの王とも呼ばれているそうだ。
「条件にぴったりだよな」
一時間前までなら、それでも自分の考えを認めずに「バカらしい」と鼻で笑ったかもしれない。
でも、常識では信じられない出来事が押し寄せ、とどめにあのお届け物だ。
家に送られてきた巨大な段ボールの中に入っていたのは、一人の少女。
金髪のくせ毛が印象的な十歳にも満たない少女の顔を俺は……知っていた。
毎日PCで見た《命運の村》のキャラの一人、キャロル。彼女が段ボールに入って俺の家に送られてきた。
……俺の頭はたぶん正気……だと思う。
全部夢だという方が説得力はある気もするが、自分の頬を殴ったら痛かったので残念ながら現実らしい。
とりあえずキャロルは、俺の部屋に運んで布団に寝かせている。
「どうしよう、ディスティニー」
混乱中の俺が助けを求めているのに、背を向けて果物を食べている。
その背中は「それぐらいは自分でどうにかしろ」と語っているかのようだった。
ま、まずは現状のおさらいだ。
俺のやっていたゲーム……だと思っていた《命運の村》はどうやら実際に存在していて、そこから送られてくる貢ぎ物は本物だった。
少し前に村が壊滅状態になり、ゲームができなくなったと思ったらキャロルだけが送られてきた。
おそらくだが、何故そうなったのかは想像がつく。
最後の村人のやりとりから考えるに、追い詰められた村人がキャロルを貢ぎ物として運命の神である俺へ贈った。
そう考えれば辻褄は合う。常識を度外視して考えれば、だが。
「自分の頭が正常なのか自信がなくなってきた……」
ゲームの世界、神の存在、村人の安否、ディスティニーとか疑問は尽きないが、まずはキャロルをどうするか。
三十代の男が一人でいる家に幼女を連れ込んでいるという現状。
どう考えても完全にアウトだが、その問題は目をつぶろう。
視界を閉じて深呼吸をすると……頭の中が疑問で埋め尽くされていく。その中から重要なものだけを拾って対処するしかない。
『う、うーん』
かわいらしい少女の声がした。
確認するまでもないが、その声の源を探ると……キャロルがゆっくりと目蓋を開いていく。
上半身を起こして目元をこすり、大きく伸びをする。
そこで違和感に気づいたようで、部屋中に視線を走らせ俺と目が合う。
『えっ⁉ ええええっ、どこ? えっと、誰です、か?』
掛け布団を掴んだまま壁際まで後退り、怯えた目でじっとこっちを見ている。
慌てふためくのは当然だよな。ここで俺まで挙動不審になって不安を感じさせたらダメだ。落ち着け、落ち着け。
大きく息を吸い込んで、動揺を息と共に吐き出す。
「私の名前は良夫。運命の神の……従者をしている者です」
話しながら違和感のない設定を構築していく。
ここで運命の神と伝えても説得力はないと思う。俺に神の威厳なんてないから。
『運命の神様の従者様?』
キャロルは掴んでいた布団を離すと、部屋の絨毯に頭を擦りつけるように頭を下げた。
「私はただの従者ですから、頭を上げてください。元はキャロルさんたちと同じ人間です。良夫と呼んでください」
自分で言っておいてなんだが、気持ち悪い話し方だ。
だけど、今は安心感を与えることが最優先。できるだけ優しく話し掛けるように心がけないと。
『私の名前、知ってるの?』
「ええ、もちろんですよ」
やっぱりキャロルで間違いないよな。
ゲームのOPで叫び声しか聞いたことがなかったが、実際の声はこんなにかわいらしい声だったのか。
『あの、えっと、それじゃあヨシオさん。ここはどこですか? パパとママとみんなは』
この状況下でも泣いたりしないで、ちゃんと対応できるキャロルは偉いな。
さて、ここからの受け答えには細心の注意を払わないと。
「ヨシオと呼び捨てで構いませんよ。私もキャロルと呼ばせてもらいますので。ここはあなたたちの住む世界とは別の、神の世界です」
『神の世界……』
「と言ってもにわかには信じられませんよね。これをご覧ください」
本棚に飾ってあった木彫りの像を手に取り、キャロルに見せる。
『これ、キャロルが彫ったの!』
「はい。運命の神への貢ぎ物ありがとうございます。一旦私が預かっていますが、とってもお喜びになられていましたよ」
『本当に‼ えへへ、嬉しいなー』
花が咲いたような笑顔を見せてくれた。
ちゃんと貢ぎ物を取って置いてよかった。こんな風に役立つ日がくるなんて思いもしなかったけど。
緊張がほぐれたこの場面で伝えるしかないよな。できるだけ、誤魔化してショックを与えないようにするぞ。
「キャロル、落ち着いて聞いてくださいね。あなたが神の世界にいる理由なのですが、村がモンスターに襲われたのは覚えていますか?」
『あ、うん。いつもよりモンスターがいっぱい来て、危ないから洞窟の奥の部屋から出たらダメだって。それで、お母さんがお茶を飲ませてくれて……そこからは、覚えてません』
「そうですか。その後、モンスターの勢いが収まらず、危険を感じた村人たちがあなたを巻き込まないように貢ぎ物として神の世界に贈ったのです」
ほとんどが想像だが、たぶん間違ってない。そうでもなければ説明がつかない。
『みんなは、どうなったの……』
目に溜めた涙が今にも決壊しそうな状態で俺を見つめる、キャロル。
そっと頭に手を添えて優しく撫でる。
「きっと無事に逃げていますよ。キャロルと一緒に聖書が贈られてきたので、向こうの様子を窺い知ることはできませんが、きっと大丈夫です。みんなを助けてくださるように、運命の神へ伝えておきましたからね!」
胸を張って勢いよく叩く。
こういう時は虚勢を張ってでも自信ありげに言い切らないと。
一番不安なのはキャロルなんだ。俺は不安の欠片すら見せてはいけない。
『神様がなんとかしてくれるよね!』
「もちろんですとも。神の世界に来た人はしばらく戻ることができませんが、観光気分でゆっくりしてください」
『そう……なんですか。えっと、よろしくお願いします!』
元気いっぱいに返してくれたキャロル。
なんとか誤魔化せた、かな?
この世界で充実した日々を過ごせば気が紛れるかもしれない。彼女が喜んでくれるおもてなし……あっ、どうしよう。家族にどう説明したらいいんだ⁉
キャロルのことばかり考えて、当たり前のようにここに住まわせようとしていたが……家族になんて言えばいい?
今は父の実家に帰っていて居ないからいいけど、数日後には帰ってくる。
一難去ってまた一難ってこのことだよな。
家族が帰ってくるのは一月の四日。それまではひとまず安心か。
その間に今後どうするか決めて、家族への言い訳も考えておかないと。
『あっ、ヨシオ、ヨシオ。このトカゲってもしかして!』
ディスティニーを発見したキャロルが物怖じもしないで捕まえたようで、目を輝かせて抱きしめている。
「はい。キャロルが運命の神に預かっておいてと頼んだ卵から産まれました。神がディスティニーと名付けましたので、仲良くしてあげてくださいね」
『ディスちゃん、よろしくね』
逃げようともせずに、されるがままになっているディスティニー。
こいつも気を遣ってくれているのかな。
なんとか乗り切ったことで俺も少しだけ心に余裕が生まれた。時計を見ると0時まであとわずか。
今年は波瀾万丈な一年だった。
来年も平凡な日常は……無理だよな。
金色のトカゲと戯れる金髪の少女。この組み合わせだけで平穏とは無縁なのは容易に想像がつく。
そんなことを考えている間に時計の針は十二の文字を越える。
「おっと、新年ですね。明けましておめでとうございます」
『あっ、明けましておめでとうございます!』
キャロルが一旦ディスティニーを離して俺に向き直ると、ぺこりと頭を下げる。
むこうの世界でも同じような挨拶があるのか。
言ってから通じるか不安になったが、大丈夫なようで良かった。
新年か……今年一年の目標は後悔しないこと。これでいこう。
キャロルのこともそうだが、命運の村がどうなったかも心配でたまらない。でも、彼女の手前不安そうな顔は見せられないよな。
村のことを忘れはしないけど、村人が命を懸けて託してくれた幼い命。それを守り切るのが最優先。
何も解決はしていないが、一歩ずつ進展させていこう。
前に進もうとする意思があれば、結構なんとかなる。それを去年学ばせてもらった。
今年は頼りない自分を捨てて、立派な大人としてうろたえることなく、毅然とした態度ですごそう!
そう決意してキャロルとディスティニーを見つめていると、背後で扉の開く音がした。
「ねえ、よっしい。私いつの間に寝てたの? さっき、変な夢を……」
振り返ると、精華がいた。
眠たそうに半分閉じていた目蓋が徐々に開いていく。大きく見開かれた目が見つめる先にいるのは……キャロル。
すっと表情が消えた精華の冷めた視線が俺に向けられた。
ヤバい。本能が何かを感じ取って背中から冷たい汗が一気に噴き出る。
「あ、あの、精華さん。ええと、そのですね」
「良夫さん。あの少女の説明を詳しく」
その声は今まで聞いたことのない、凍り付くような冷たさを秘めていた。




