追い詰められた村と人と俺
「まさか……山本さんじゃないですよね」
土足で我が家を踏み荒らす黒ずくめの男に再度呼びかける。違ってくれと願いながら。
でも身長体格、そしてちょっとした仕草。それが俺の知っている山本さんに一致してしまう。
「なんだよ、バレてんのか」
聞き慣れた声を発して、目出し帽を脱いだ顔は――山本さんだった。
俺の嫌な予感の的中率はどうなってんだ。
「何してんですか……。そんな物騒な物は下ろしてください。今ならドッキリですみますから」
俺の言葉を無視して、じりじりと迫ってくる。
最近はずっとムスッとした顔をしていた山本さんの口元に笑みが浮かんでいた。
でもそれは、俺が望んでいた笑みではない。
目が血走り、口角が吊り上がって邪悪に歪んでいる。そんな笑顔は見たくなかった。
正気とは思えない表情に身震いが起こる。
「もう、わかってんだろ。俺がどんなゲームをやっていて、今、何を考えているのかも」
後退りながら頭をフル回転させる。
ここにいる目的はたった一つ、だよな。
「……ゲームの妨害をするためです、か」
「ああ、そうだ。良夫がやっていたゲームを覗いたときに、俺のゲームの過去ログに載っていた名前と、同じ名前を見ちまったんだよ」
「単眼赤鬼がいた拠点ですか」
「ビンゴ。さすが大卒だな、偉い偉い」
凶器を突きつけられながら褒められても嬉しくない。
あの拠点を襲った際にガムズたちは互いの名を呼んでいた。それが過去ログとして残っていたのか。
となると、とぼけても無駄っぽいな。
「お前が何もしないなら荒っぽい真似はしねえよ。ただ、大人しく最後の襲撃が終わるのを待てばいい」
「これは犯罪ですよ。バカな真似はやめてください!」
「じゃあ、俺が素直にゲームやめてくれって言ったらやめてくれるか?」
「……無理です」
外に逃げだそうにも扉の前は塞がれている。窓から逃げるか?
でも、スマホもPCも二階にある。俺を無視して両方破壊されたら、村人を助ける手段がなくなってしまう。そうなったら元も子もない。
「お前が何もしなければ何もしねえ。酔っ払って同僚の家に遊びに来て、喧嘩になったで通してやるよ。このバールみたいなのも、玄関の工具箱にあったやつだしな」
父が整理整頓しなかったツケがこんなところに。
「そんな屁理屈が通るとでも」
「ずっと引きこもっていたヤツと俺の言い分と、世間はどっちを信じてくれるだろうな」
……反論できない。
十年間何もしなかった俺の社会的地位は最底辺だ。山本さんは高校中退らしいが、両親の借金を返すために働き続けていた。
人当たりも良く、会社での働きぶりも評価されている。
この情報を知ったら、普通はどっちの言い分を信じるか。世間はどっちの味方につくか。……考えるまでもない。
「俺だってお前を傷つけたくはねえんだよ。前科者にもなりたくないからな。だから大人しく、じっとしていてくれよ。ゲームで負けることにはなるだろうけど、今回の襲撃で手に入る金の半分でどうだ? それならお互いに得だろ」
刃向かわなければ怪我もしないでお金ももらえる。
そもそも、あのゲームだってタダで手に入れた物だ。もう二度と村人と会えなくなるが、ゲームの中のキャラが死んだところで、俺には関係……。
「山本さん。一つ聞かせてください」
「なんだ、言ってみろよ」
「村を襲ったときに罪悪感はありませんでしたか。あんなにもリアルなキャラたちが殺されていくのを見て、何も思いませんでしたか」
それは素朴な疑問だった。
実写と見まごうレベルの映像で人が殺されていく。
命乞いをした者もいただろう。
老人や小さい子供も殺されただろう。
それを見て何も感じなかったのか。
「何言ってんだ。映像はリアルだけど、所詮ゲームだろ。それにもし、あれが本物の人間だったとしても、他人だ。お前は戦争地帯で殺された民間人のニュース映像を見て、毎回胸を痛めるのか? 泣くのか?」
そうか。……そういう感覚なんだな。
「確かにニュースを見ても感情が揺さぶられることはほとんどありません。でも、このゲームのNPCは生身の人間としか思えないぐらい、日々を一生懸命生きているんです! 引きこもりでニートだった俺なんかより立派に! 俺にとっては他人じゃないんですよ!」
俺は立ち止まると、山本を睨む。
ゲームのキャラのために危険に身を晒すなんて馬鹿げていると思われそうだが、彼らはもう身内であり恩人なんだ。
ダメダメな俺を救ってくれた恩人を売れるわけがないだろ!
「バカじゃねえのか。お前とは仲良くやれると思ってたけど、残念だよ」
「山本さん、考え直してくれませんか」
「俺はな、ずっと苦労してきたんだよ。どん底の家庭に生まれたせいで高校も中退、借金を返すためだけに働いてきた十代、二十代だった。お前にわかるか? 恵まれた家庭で苦労なく暮らしてきたお前は金の価値が本当にわかってんのか⁉」
吐き出された現状への不満と怒りを、正面からぶつけられる。
「お前は十年間、働きもせずに生きていたみたいだが、お前を養うのに一年でどれだけの金がいるのか、わかってんのか⁉ 家族がどれだけ苦労して稼いだ金で生かされてきたのか本当に……理解してんのか?」
何も言えない。言えるわけがない。
……自分は不幸だ。
……世間が悪い。
……他人に迷惑を掛けて生きているわけじゃないから別にいいじゃないか。
そんな言い訳を並べて、自分自身を騙して生きてきた俺に……何が言える。
「学歴も特出した才能もない俺が、やっと掴んだチャンスなんだ! 未来はわからないと綺麗事をぬかしてみるか? わかってんだよ……。それなりの大学を卒業して就職しないと、ろくな人生が待ってないのはわかりきってんだよ、この社会は!」
言い返せない。
恵まれた状況の上にあぐらをかいて努力もせずに、チャンスを自ら手放した俺が何を言っても空虚なだけで山本さんの心に響くわけがない。俺の言葉には何の力も……ない。
「おい、なんで良夫が泣いてんだよ。泣きてえのはこっちだっての」
泣いている? 俺は今泣いているのか。
これは山本さんの境遇に同情してなのか、それとも俺の情けなさにたいしてなのか。それすらもわからないが、涙が止まらない。
「山本さんは……立派ですよ。俺なんかより、ずっとずっと」
「たいした苦労もせずに生きてきたお坊ちゃんの嫌みか?」
「違います。俺は恵まれていた事にさえ気づかず、十年間何もしなかったんです。ほんの少し勇気を出せば、なんだってできたんです。それなのに……自分だけが不幸だと思い込んで」
悔しい。もっと早く気づいていれば、もっと違う未来が待っていた。
精華を幸せにしてやれたかもしれない。
家族の心配事を取り除いてあげられたかもしれない。
俺が何もしなかったせいで、多くの人の負担になってしまった。
「はっ、安い同情だな。でもよ、そう思うならそこで黙って見てな。《邪神の誘惑》最後の襲撃開始だ」
山本が見せつけるように突き出したスマホの画面には、
《邪神の誘惑 最後の襲撃‼》
という文字が赤々と点滅していた。
「俺の全財産をつぎ込んだ最後の総攻撃だ! これで拠点を一つも堕とせなかったら俺はゲームオーバー。だから、お前の村さ……滅んでくれよ」
画面には数十、いや百単位のモンスターの群れが一斉に拠点へ向かっていた。
村人があの数に対応できるとは思えない!
見たこともない強そうなモンスターも何体かいる。俺が《ゴーレム召喚》を使えばまだ可能性はあるが、今のままでは全滅は必至。
ガムズが、チェムが、キャロルが、ロディスが、ライラが、ムルスが、カンが、ランが……俺の大事な村人たちが、殺されてしまう!
どうすればいい、どうすれば、村人を助けられる!
何かしなければと、焦りだけが積もっていく中……ガチャリと扉の開く音がした。
「大きな声がしたけど、お友達でも来ているの?」
扉を開いて入ってきた精華と目が合う。
なんでこんな最悪のタイミングで!
「えっ、誰? ど、泥棒⁉」
「騒ぐんじゃねえ!」
山本が精華に向かってバールを振り上げて――
頭が真っ白になり、全身の血が燃え上がったかのように熱くなる。
俺は無意識のうちに飛び出していた。
山本と俺の間にあったソファーを乗り越え、そのまま相手の体にタックルをぶちかます。
相手が小柄だったので、ぶつかった勢いで壁際まで運びそのまま叩きつけた。
このままバールを奪って押さえ込めば、相手の動きを封じられる。
そう思った瞬間、背中に激痛と何かが潜り込んでくる感触が。
「ぐあああああっ!」
背中をバールで殴られた⁉
「バカが刃向かいやがって。お前が悪いんだからな! お前が、貧乏を馬鹿にしたからっ!」
背中に何度も衝撃が走る。
二度、三度と、痛みが続き、更に、何度も背中に重い物がぶつかる。
痛い、痛い、痛い、痛い、痛い‼
あまりの激痛に声も出ない。沸騰するかのようにたぎっていた血が、今は驚くほど冷たく感じる。
たぶん、骨の何本かは折れている。骨折しながら戦うキャラとかいるが、あれが嘘だと今なら断言できる。痛みで気が狂いそうだ。
格好つけて助けようとして、こんな痛い思いをして、何をしているんだ俺は。そんな正義感のある男じゃないだろ。
あまりの痛みに相手を掴んでいる手の感触すらない。
楽になりたい。このまま倒れたい……。
でも、この手は絶対に離さない!
離してしまえば精華が襲われてしまう。もう、二度と後悔しないと決めたんだろっ!
「逃げ……ろ。早く、逃げて、く……れっ!」
「でも、でもっ!」
泣きじゃくる精華に、俺は、
「これ以上は後悔を……させないでくれ! 精華、逃げろおおおっ!」
最後の力を振り絞って怒鳴りつけた。
涙でぐしゃぐしゃになった顔で頷き「助けを呼んでくるから!」と叫び、開きっぱなしの扉から出て行こうとする。
「逃がすかよっ!」
山本が鬼のような形相で手にしたバールを振りかぶり、精華に向けて投げつけようとしている。
振り返った精華の顔が絶望に染まっていく。
止めないと! そうは思うが体がもう動かない。
頼む、一瞬でいいから動いてくれ!
全身の痛みを無視して、懸命に手を伸ばす。
俺の手は――ギリギリで山本の手首を掴めた。
「邪魔するんじゃねええええっ……な、なんだっ⁉ 手が手がっ!」
最悪の瞬間を恐れて思わず目を閉じてしまったが、痛みも精華の悲鳴もなく、代わりに聞こえてきたのは戸惑う山本の声。
恐る恐る目を開けると、山本は腕を見つめて呆然としている。
「腕が動かねえっ‼ ど、どうなってんだよ! 俺の腕はどうしちまったんだよ!」
右腕を抱えているが、その腕がまるで石のような色と質感に変わり果てていた。
「な、なんだ。まさか、お前がやったのか!」
涎をまき散らしながら叫ぶ山本の視線の先にいるのは、ディスティニーだった。
いつの間に……。
こんな状態の俺たちに向かって、平然と歩み寄ってくる。
「ち、近寄るな化け物! なんなんだ、この黄色いトカゲはっ! おい、こっちにく、る、げはっ、ごほっ!」
怯える山本の石のような腕にちょこんと乗ると、至近距離から紫色の煙のようなものを口から吐きかける。
激しく咳き込んでいた山本は、涙と鼻水を流しながらうつ伏せに倒れた。
「えっ、何っ⁉ トカゲが……トカゲが……」
突然の恐怖と驚きで軽く混乱状態の精華は床にぺたりと座り込んだまま、壊れた録音機器のように同じ言葉を繰り返している。
そんな精華の前にとことことディスティニーが歩いて行くと、その顔をペロリと舐めた。
「ひうううぅぅ」
精華が白目をむいて気絶した。
こんな状況に突然放り込まれ、あげくに大の苦手であるトカゲに顔を舐められて精神が耐えきれなくなったのか。
痛みの中で礼を言おうとしたが、もう声も出ない。
そんな俺をじっと見ていたディスティニーが、今度は机に置きっぱなしの財布に近づくと、小銭入れに手を突っ込んで何かを持ってきた。
これは……貢ぎ物として送られてきた、ムルスが調合した薬!
瓶の蓋を咥えて開けると、俺の口元まで持ってくる。飲めと言いたいのか。
俺はなんとか口を開けると、ディスティニーが中身を流し込んでくれた。
ゴクリと飲み込むと即効で痛みが嘘のように消える。
「マジか……声も出る」
手足を動かしてみるが、痛みどころか違和感もない。服をめくって殴られた場所を確認するが、痣どころか打ち身の痕すらない。
薬の効き目に感動している場合じゃない。村だ! 村はどうなった⁉
慌てて二階に上がろうとした俺の目の前に、スマホが突き出された。
ディスティニーが二階から俺のを持ってきてくれていたのか。
スマホの画面の中に映るのは燃え落ちる柵と……血まみれの村人たちだった。




