変わっていく人と変わっていく俺
「あと三日か……」
雑居ビルの廊下を清掃中だというのに、ついつい《邪神の誘惑》のことを考えてしまう。
前回を踏まえて考えると昼頃から開始で夕方に終了という流れ。
どちらにしろ開始時間と終了のタイミングを教えてくれるのがわかっているので、前よりかは気が楽だ。
戦力もガムズ一人から、ムルス、カン、ランが増え、単純計算で四倍。難易度が上がっていたとしても切り抜けられるはず。
「おい、仕事に身が入ってねえぞ!」
社長の怒声で背筋がビシッと伸びる。
しまった、余計なことを考えて仕事が疎かになっていたのか。
「すみま」
「すんません」
謝ろうとした俺より先に山本さんが頭を下げていた。
今のは俺に対してじゃないのか。
社長に怒られている山本さんの足下には雑居ビルの廊下なのに大量の土がある。
近くに植木が転がっているので、清掃中に倒したんだろう。
「ヤマ、どうしたんだ。最近いつも眠そうにしているだろ。体調が悪いなら休んで良いんだぞ?」
「まあ、大丈夫っすよ。ちょっと寝不足なだけで。それに金がいるから……」
心配している社長へ返す言葉に力がない。
社長の指摘はもっともだ。いつも気だるそうなのに休憩時間や移動時間に仮眠することもなく、鬼気迫る表情でずっとスマホでゲームをしている。
今までなら休み時間は俺と話をしてくれていたのに、ゲームに没頭していて話し掛けられる雰囲気じゃない。
ハマっているゲームがうまくいってないのかもしれないが、今まではゲームが仕事に支障をきたすようなことはなかった。それなのに……。
結局、山本さんは今日一日精彩を欠いたまま解散となった。
いつものコンビニで飲み物だけを買って帰る途中、どうしても山本さんのことが頭から離れなかった。
今日だけじゃなく、ここ数日様子がおかしかったのは確かだ。
ゲームにハマっているのは俺も同じなんだが、あそこまでじゃない。ずっとスマホを睨んで必死の形相で操作しているのを何度も目撃している。
そこまでハマっている理由は……数日前に教えてもらったあれだろう。
「絶対に秘密にしてくれ」
と念を押してから話してくれた内容には正直驚かされた。
「俺のやっているゲームって見返りがあるんだよ。拠点を倒したらポイントが入るって話だったが、実はポイントを現金に換えることができるんだ」
「えっ、冗談ですよね。そんなゲーム聞いたことないですよ⁉」
休憩時間にゲームの話をしていたら、山本さんが変なことを言い出した。プレイヤーがお金を得るシステムなんてプロゲーマーぐらいだろ。
「信じられないのはわかる。俺だって眉唾だったんだけどさ、試しに拠点を落として手に入った大量のポイントを換金してみたんだよ。そしたら、ちゃんと銀行に振り込まれていてさ」
マジか。俺のやっているゲームは革新的だと思っていたが、そっちのゲームもとんでもないシステムを採用している。
そんなゲームはあり得ない、と言いたいところだけど、《命運の村》もかなり常識外れだ。それと比べたら山本さんがやっているゲームの方がまだ常識的かもしれない。
「それが小銭じゃねえんだ。このゲームってオンラインだから他のプレイヤーもいるみたいでよ。でっかい村を落としたときは俺以外のプレイヤーもそこを襲っていて、かなり消耗していたところを運良く奪えたんだよ」
昔やっていたネットゲームで攻城戦というシステムがあって、強いギルドの城を弱小ギルドが協力して落城させるなんてことはざらにあった。
漁夫の利で城を得たギルドも少なくないので、それ自体は珍しいことじゃない。
「でまあ、そのポイント換金が少額ならここまで熱中しないんだが……」
そこまで話しておいて怖じ気づいたのか、口を噤んで辺りを気にしている。
えっ、続きは? そんなところで止めるのは無しでしょ。
「どれだけ儲かったんです?」
「ほんと、誰にも言うなよ。換金したら、なんと……五百万になったんだ」
「五百っ⁉」
大声が出そうになったので咄嗟に自分の手で塞いだ。
「かなりの大金だろ? 俺の家ってかなりの貧乏でさ。親父が借金残したまま姿をくらまして、俺は高校を中退して働かないといけなくなったんだよ。で、なんとか親父の借金を返し終えたと思ったら、今度は母親が男作って……借金残して逃げやがった」
さらっと話してくれた身の上話が重い。
俺には想像もつかないような苦労をしてきた山本さんに、働かないでも生きてこられた裕福な家の俺が何を言える。
相づちすら失礼なことじゃないかと思ってしまい、ただただ話を聞くことしかできない。
「親の借金なんて子供が払う義務はないとか、無責任なことを言うやつもいたけどよ。クズであろうが親は親だ。借金だろうが、その金で俺はここまで育った。使ったくせに関係ない払えないってのは卑怯だろ。それによ、十代の青春も二十代の楽しみも何もかも犠牲にして、この年まで払い続けたんだ。今更投げ出すのも悔しいじゃねえか……」
法的には子供が払わないでも済む手段はあったはず。
言い方は悪いかもしれないが、親が勝手に借りた金を子供が払う義理はないと個人的には思う。
それでも、そういう考えは嫌いじゃない。不器用な生き方だとは思うが、立派だとも思う。
「だから、この臨時収入はマジで嬉しかったんだ。これで母親の借金もほとんど返せた。このゲームは才能も学歴もない俺が掴んだ、人生逆転の唯一のチャンスなんだ……」
そう呟く山本さんの強い意志が秘められた目を見て、俺は少し怖いと思ってしまった。
「心配だ……」
詳しいゲーム内容は教えてもらってないが、金を稼げるとなるとそれはもう仕事だ。
ゲームに集中した方が儲かるのだろうけど、博打要素もあるゲームに人生のすべてを賭けるのは怖いよな。
清掃の仕事は明日で終わって、一月は五日から仕事始めらしいので、その間に山本さんの調子が戻るといいのだけど。
人の心配をしている場合ではない気もするけど、一番仲良くしてくれる同僚を心配するのは人として当たり前の感情だ。
村と山本さんのことを考えながら歩いていると、視線の先に我が家の明かりが見えた。
ゆっくり歩きすぎたな。体が芯まで冷えてしまっている。
暖房を求めて家の中に飛び込み、靴を脱ぎ捨ててリビングに行くと家族が揃っていた。
夕飯を食べ終わったタイミングだったようだ。ちょっと遅かったか。
「あら、おかえりなさい。良夫ご飯は?」
「食べてないよ」
「すぐ温めるわね」
母が準備をしてくれているので、その間は電気ストーブの前にかがみ込んで暖を取る。
おおおう、あったけええ。文明の利器万歳。
「ちょっと、暖房占領しないでよ」
冷え性気味の妹が俺を押しのけるようにして横に座る。
場所を譲る気はないので互いに押し合いながらストーブ前を死守した。
「くっ、力じゃ勝てない。……あっ、ねえねえ。年末年始どうするの? 今年もお爺ちゃん家行かないの?」
妹に言われてはっとした。
そうか、年末年始は毎年父さんの実家に帰っていたな。といっても俺は十年前から一度も顔出してないけど。
年末になると家族は俺を除いて実家に帰り四日まで戻ってこないので、引きこもりがのびのび過ごせる貴重な数日だった。
「今年は行ってもいいんじゃないか?」
父がソファーに座ったまま振り返りもせずに言う。
その言葉の真意は理解できた。今までは肩身が狭くて帰れなかったが、今働いているからいけるだろ。と言いたいんだろうな。
祖父も祖母も好きだから久しぶりに顔を見たいとは思う。だけど、年末には《邪神の誘惑》があるし、清掃の仕事も臨時で連絡するかもしれない、と言われている。
山本さんがあんな調子だから、仕事の連絡が来る可能性はあるよな。
「俺も行きたいけど仕事があるんだよ。お爺ちゃんたちには、また今度会いに行くって言っておいて」
「そうか……残念だが仕方あるまい」
「お正月以外にまた行けばいいわよね。その時はちゃんと都合つけなさいよ」
両親は納得してくれたようだが、妹が恨みがましい目でじっとこっちを見ている。
もしかして父の実家に帰るの面倒なのか?
「私も今年は家でのんびり過ごそうかなー」
「あんた、あっちの初詣楽しみにしてたじゃないの。お爺ちゃんとお婆ちゃんにも会いたいって、言ってなかった?」
「えっと、それはそうなんだけど……」
「なら行ってこいよ。お土産期待してるからな」
何を迷っているのか皆目見当もつかないが、もしかして俺に気を遣っているのなら、兄として後押ししてやらないとな。
「はあーっ。じゃあ、行く……」
なんでため息を吐かれたんだ。年の離れた妹の考えることは、おっさんの俺には理解不能だ。
食後二階に上がって眠っている村人を眺めながら、明日からのことを考える。
家族は明日の昼には出発する。俺の今年最後の仕事は明日で終了。
仕事が終わって帰ったら誰もいないのは少し寂しいな。
正月用の食料はある程度確保されている。母は毎年おせちを作って父の実家に持っていくのだが、俺の分は分けて置いてくれている。
それに《命運の村》から送ってきた食料の備蓄もあるし、今回は課金をしてないので給料も結構残っているから、金銭面でもなんの心配もない。
料理だって簡単なのは作れるようになったから、自炊でもいいしな。
そういやゲームで新年のイベントとかないのか?
ネトゲだと新年キャンペーンとか銘打ってお年玉企画とかあるものなんだけど。
オプションや過去ログを調べてみたが、特に何もないみたいだ。
「卵ガチャは前から一ヶ月経ってないから、まだ出来ないのか」
毎月一回できる、と説明には書いてあったがガチャやってから一ヶ月経過しないと無理みたいだ。
前回はディスティニーという大当たりを引いたので、次はあんまり期待しないでおこう。それと、キャロルには「もう送らなくていい」と神託で言い含めておかないとな。
「余計なことを考えないで明日の仕事やって……明後日の《邪神の誘惑》を乗り越えて……ふ、ああああぁぁ。おやすみ、みんな」
ダメだ眠い。村人にも変わりないようだし、今日は寝よう。
布団に入ろうとした瞬間、ガラスケースの向こうのディスティニーと目が合った。
あの目は……。
「その、なんだ、お前には言ってなかったな。お休み」
ディスティニーは満足そうに頭を縦に振っていた。




