運命の力と兄としての俺
正面に吉永、斜め後ろに二人の男。俺が逃げられないように取り囲みやがった。
顔の作りは似てもないのに、その表情は共通して醜悪に歪んでいる。
格闘技の経験でもあれば武力で逃げ切る方法もあるのだろうけど、俺の筋肉は筋トレで鍛えただけの見せかけ。
人を殴ったことすらない俺が太刀打ちできるわけがない。
相手の武器はスタンガン、警棒、ナイフ。
どれも危険だが一番気をつけないといけないのはスタンガン。体の自由が奪われたら為す術がなくなってしまう。
俺は見よう見まねで空手っぽい構えを取る。……少し手足が震えているのは仕方ないよな。
「へえ、この人数差で武器を持っている相手にやるつもりなんだ。体鍛えているみたいだけど、勝てると思ってんのか?」
口でそう言いながらも少しは警戒してくれているようだ。ありがとう筋トレ。万歳、見せかけの筋肉。
この時間を利用して、どうやったら切り抜けられるか考えろ。
ガムズたちの時と同じように、ない頭を絞って機転を利かせるしかない!
「こんなことをしでかしたら、タダでは済まないぞ。わかってんのか?」
「おやおやー、今更命乞いですか。格好悪いですよお兄様。心配はご無用。後ろのお友達二人って、ちょっと暴力的なところに所属しているから、後始末はどうとでもなるんだなーこれが」
最悪だ。
それが本当のことかはったりなのか、今の俺に知る術はない。
だが、罪を犯す罪悪感がなければ、ためらいもないことだけは確認できた。
「全員で一斉にいくぞ」
くそっ、一人ずつ襲うのがアクションシーンの基本だろ。やめろよ、そういう効果的な方法は。
全員が腰を少し落として、今すぐにでも飛びかかれる体勢になった。
吉永を見据え、正面から吹き付ける寒風に身を震わせながらも構えは解かない。
……これは無理だ。俺はガムズじゃないんだ。三対一で武器を持っている相手に勝てる技能は、ない。
逃げながら大声で叫んでコンビニに飛び込むか、玉砕覚悟で一人だけでも道連れにするか。
機敏な方とはお世辞にも言えないが、それでも足掻くしかない。
腰を落として駆け出そうとしたタイミングで、
「ごほっ、げはっ、なんだ……呼吸が」
「喉が痛ぇ。目が、目が、涙が止まんねえ。て、てめえ、何しやがった!」
後方の二人が急に目をこすり喉を押さえ喘いでいる。
えっ、何やってんだこいつら。いきなりどうしたんだ?
吉永以外が苦しそうにもがき、その場に倒れた。
「てめえ、何しやがった!」
ナイフを振り回しながら怒鳴られても、俺だって訳がわからない。
二人は口から泡を吐いてピクピクと痙攣している。
尋常ではない事態なのは俺だって理解できるが、なんなんだ⁉
状況は把握できてないが、チャンスであることに変わりはない。それに相手が勝手に誤解してくれている今なら!
フードを深く下ろして相手から表情が見えないようにする。辺りの暗さとこの状態なら、俺の動揺は隠せるはずだ。
「何をしたと思う? 何の準備もなく俺を刺した相手に声を掛けたとでも思ってんのか? こいつらを死なせたくないなら、早く病院に連れて行った方がいいぞ。お前も同じ目に遭いたいなら好きにすればいいけどな」
そして、イメージする悪党っぽい声を作る。
少しでも相手がびびるように、足下に転がっている二人の頭を軽く蹴っておく。
「マジで、何しやがった……。くそっ、覚えてろよ!」
そう言って吉永が再び手を上げると、コンビニ前のワゴンから更に二人が出てきて倒れている二人に駆け寄っていく。
……まだ増援がいたのかよ。コンビニに駆け込むを選んでいたら捕まっていたな。
吉永も俺を警戒しながら、距離を取ったまま円を描くように仲間の方に回り込む。
そして、痙攣している仲間を抱えようとして……パタリと倒れた。
「えっ?」
助けに来たはずの追加の二人も倒れている。
俺の近くで五人の男が倒れ、泡を吹いてぴくぴくしている光景が現実離れしすぎていて、頭が追いつかない。
本当に訳がわからない。
「……はあっ?」
冗談や芝居でやってない、よな。と、ともかく、異常事態なのは確かだ。
このまま見捨てても心はまったく痛まないけど、これで万が一にでも死んで俺が犯人だと疑われてもバカらしい。
深呼吸を繰り返して、少しだけ気持ちを落ち着かせる。
周りを見回して目撃者が誰もいないのを確認してから、俺はコンビニに慌てた振りをして駆け込む。
カウンター近くにいる店員を発見すると、露骨に呼吸を乱しながら接近する。
「す、すみません! 警察と救急車呼んでください! 外で、外で、五人の男が泡吹いて倒れてます!」
「えっ、本当ですか⁉」
「はい、直ぐそこです!」
二人いる店員の内、一人を引っ張って出て行くと、すぐさま異常事態を理解して警察と消防に連絡を入れてくれている。
正直、この場は店員に任せて俺はおさらばしようかと思ったが、コンビニの防犯カメラにも俺の姿は映っているだろうし、もうすぐ妹がバス停に到着するはずだ。
吉永たちが倒れた原因に心当たりもないから、ドンと構えて待っていよう。そして、ついでにさっきの暴言と計画をすべて録音したスマホを警察に提供しよう。
どうして、こうなったのかは未だに不明だけど、ストーカー案件はこれで解決できそうだ。
「すみません、運ぶの手伝ってもらえませんか!」
「はい、わかりました!」
素知らぬ顔をして店員と一緒に男たちをコンビニの窓際まで運ぶ。
こういう時はその場から動かさない方がいい、とかテレビでやっていた気もするが、こいつらがどうなっても構わないので従っておこう。
全員を並べ終わり、警察と救急車を待つだけとなる。
店員からもらったホットのお茶を飲みながら一息ついていると、人が集まり始め出す。
深夜だというのに十名以上いるな。
「あれっ、お兄ちゃん?」
人だかりの中に妹がいた。
ああ、バスの乗客かこの人たちは。
警察が来たら第一発見者として事情聴取とかあるだろうし、妹には先に帰ってもらうか。吉永のことも後で余計な部分はごまかして伝えるとしよう。
「食中毒かなんかで人が倒れてたんだよ。俺は第一発見者として警察に話さないといけないだろうから先に帰ってくれ。父さんに迎えに来るように連絡しておいたから」
「そんなことがあったんだ。ごめんね、迎えを頼んだから巻き込まれちゃったんだよね」
「いいって。俺は明日休みだし。沙雪は明日も早いんだろ。これだけ持って帰ってくれるか」
リュックサックを渡す際に、あることを思いだして腹に手を入れる。
また刺された時の保険として、腹に仕込んでいた雑誌は少し湿っていた。
今になって気づいたが、手と足が小刻みに震えている。
「助かったのか……」
全身の力が抜けて崩れ落ちそうになったが、なんとか踏ん張った。
あれから、十分ぐらいで警察と救急車が到着。
父も同じタイミングでやってきたので、妹を連れて先に帰ってもらった。
俺はコンビニの中で警察に発見した当時の状況を説明。
ついでにあいつが妹を襲おうとしていた元ストーカーだと話し、スマホの録音を聞かせると警察もさすがに動いてくれるという話になった。
幸運にも録音したデータには、俺に対して疑問を投げかける場面とあいつらを脅しているシーンは録音切れで入ってなかったので、このままだと俺はお咎めなしになりそうだ。
とはいえ、妹のストーカー案件と犯罪予告。それに原因不明で倒れた一件もあるので場所を警察署に移して、事情聴取は朝まで続いた。
警察には何故通報しないのかと怒られ、自分がどんなに危険な選択をしたのかと説教された。
ただ一人の警察官に、
「ああいった状況で冷静な判断が出来る人の方がまれなのですよ。現場を知らない人は好き勝手に非難したりしますけどね。自分は冷静だと思っていても軽い興奮状態で頭が働かなくて当然です。客観的に物事を判断するのは誰だって難しいですから」
と言ってもらえて少しだけ救われた気がした。
警察署を出ると天空からまばゆい光が降り注いでいる。
「ふっ、シャバの空気はうまいぜ」
一度言ってみたかった台詞を口にする。
刑務所帰りの方が様になるのだろうけど、これを口にするのに相応しい機会は滅多にないからな。
「何言ってんの。頭、大丈夫?」
「言いたくなる気持ちは、わからんでもない」
側面から声がしたのでそっと振り向くと、そこには妹と父がいた。
今のを聞かれたのか……。
「二人とも今日平日だよ。仕事はサボり?」
「心配だから迎えに来てあげたの。行ったところで、仕事が手につかないだろうし。私が巻き込んだようなもんだし……。ごめんなさい。えっと、ありがとう、お兄ちゃん」
面と向かって礼を言われると気恥ずかしい。
でも妹からの感謝の言葉一つで、今までのことがすべて報われた気がする。
「警察署の前で長話もなんだ、帰るぞ」
父の車の後部座席に乗り込むと、隣に妹が座る。
二人とも何も言わないけど、事件の話を聞きたがっているのが見え見えだ。
さーて、どこまで話せばいいのか。嘘を吐いたところで、あとでストーカーの一件は話がいくだろうし、妹へ事情聴取があるかもしれない。
となると、俺から話しておいた方がショックも少なくて済むか。
意を決して、今回の一件のことを父と妹に伝えることにした。
「あの吉永だったなんて。全く懲りてないどころか、クズに磨きが掛かっているじゃないの!」
怒り心頭な妹が助手席に八つ当たりをして、後ろから蹴っている。
一度自分を狙って少年院に放り込まれたのに、また同じこと……それ以上に酷いことをしようとしていたのだから、怒って当然だ。
「気持ちはわかるが、落ち着きなさい。良夫。私はお前の軽率な行動に対して叱らなければならない」
父が静かに語るが、その声には迫力があった。怒りを堪えているのが伝わってくる。
警察にも散々言われたことなので猛省するしかない。
「だが、妹のために頑張ったな。親として誇らしく思う」
「父、さん」
ああくそ、泣きそうだ。
たった一言なのに、父から褒められた事が本当に嬉しい。
「しかし、そのタイミングで食あたりになって動けなくなるとは。俺は無神論者だが、この幸運には神へ感謝したくなる」
俺もそう思うよ。
ちなみにあの五人が倒れたのは、今のところ食中毒ということになっている。
その日の昼間にあの五人で前祝いとして牡蠣を食べに行ったらしく、それが当たったのではないかと刑事も言っていた。
食中毒の経験がないから正しい判断はできないけど、あれがただの食中毒だってのは無理がないか。
そうは思うが、じゃあ何だ? と問われたら何も言えない。
食中毒で泡を吹くのはまだわかるとしても、喉を押さえたり目を掻いたりするのは違うよな。
まるで……毒を吸った人のような反応に思えた。
実際に毒を吸った人を見たことがないから、ゲームやアニメとかの受け売りだけど。それにこの発想の方が突飛で現実味がない。
「うーん、でもなー。さすがに」
「腕組んで唸ってどうしたの。あっ、そうだ。会ったら言おうと思ってたんだけど、昨日渡されたリュックサックにトカゲちゃん入ってたよ。変温動物なんだから、寒い時期に外へ連れて行ったらダメじゃない」
妹からの思わぬ言葉に思考が止まる。
「リュックの中にディスティニーが入って……いた?」
運命の名を与えた村から送られたトカゲ。
それがあの場に居たということになる。
もしかして、あの謎の現象は――いや、まさか。
「違うよな?」
そう口にしたものの可能性を捨てきれない自分がいた。




