ストーカーと踏み出す俺
相手は俺に背を向けている状態。
まだバスが来ないので隠れる素振りさえ見せていない。
コンビニの前にはワゴン車が一台停まっていて、二人の若者が談笑している。距離がそんなに離れていないので、大声で叫べば確実にその二人には届く。
いざという時は彼らに気づいてもらおう。誰かの目があるとわかれば馬鹿な行動はしないと、思いたい。
一度警察に捕まったことで悔い改めて……いるなら、ストーカー行為を繰り返したりはしないか。だとしても、また警察のお世話になりたくはないよな。
それに今は成人だ。今度また刺したりしたら、俺が軽傷だったとしても確実に刑務所送りになる。
警察に連絡するか……。でも、なんて言えばいい。数年ぶりに元ストーカーを目撃したので、すぐさま捕まえに来て欲しいとでも言うのか?
あの一件で接近禁止命令が出ているが、バス停で偶然会ったと言われたらどうしようもない。
じゃあ、ここは見過ごして相手がストーカー行為をしているのを確認してから警察に連絡する。……ダメだ。妹を危険に晒して、取り返しの付かない事になったら俺は一生後悔する。
警察が確たる証拠もなく、ただ町で見かけただけで動いてくれるとは思えない。もし即座に動いてくれたとしても、本当に偶然だったら相手の神経を逆なですることになってしまう。
そもそも今から連絡して警察が間に合うのか?
それに警察のおかげで退けられたとしても、それは一時的なものだ。
もう二度と妹に近づけなくなるような確証が欲しい。
いきなり暴力や刺したりはしないと思うが、それでも不安だ。冷静を装ってはいるけど、無意識のうちに古傷がある腹を撫でていた。
それでも意を決してゆっくりとゆっくりと近づいて行く途中で、ふと頭によぎる疑問。
……なんて話しかけたらいいんだ?
相手に警戒されないように気軽な感じで、
「よう! 覚えているか、俺だよ俺。ほら、お前に刺された」
これは違うな。煽っているのかと勘違いされそうだ。
偶然ここで会った振りをする方がいいのか?
一度会ったという事実を伝えるだけでも抑止力になる気はする。
心配ばかりが先に来るが、本当にすべてが偶然という可能性だって残されて……いるのか?
未だに歪んだ想いを抱いたままなら、はっきりさせておいた方がいい。
警戒すべき人物かどうか、それがわかればこちらの対応も変わってくる。
……危なくなったら速攻で逃げて助けを求める。情けなくても安全第一で行くぞ。
男は背を向けてスマホに熱中しているので、まだ俺には気づいてない。
あまり近づきすぎるのも危険なので数メートル手前から、今気づいた感じを出しつつ声を掛ける。
「あれ、もしかして吉永君じゃ?」
不意に名前を呼ばれて慌てて振り向いた男の顔は、驚きを隠せていない。
眉根を寄せていぶかしげにこっちを見ている。
至近距離で正面から見て確信したが、間違いなく沙雪の元ストーカー吉永だ。
「すみません、どちら様ですか?」
おっと、刺した相手の顔を忘れたのか。
口調は穏やかで丁寧だが、その目は俺に対する不信感を隠し切れていない。
「ほら、妹の一件で世話になったよね」
その瞬間に表情が一変した。
「もしかして、沙雪さんのお兄さん?」
どうやら思い出してくれたようだ。
俺も赤の他人だったら恥をかくところだったが、第一関門は突破だ。
「ああ、久しぶりだね」
ここで「元気だったかい?」と言うのは危険だ。
少年院に送られたのは俺のせいだと逆恨みしているかもしれない。
裁判を傍聴した時の印象は涙を流して猛省しているようだった。でも、妹への謝罪の言葉は聞けたが、最後まで俺には謝らなかったのを覚えている。
後に手紙で反省している旨を伝えられたが、その文章から感情が一切感じられない定型文だった。
「その節は大変ご迷惑をおかけしました」
吉永は頭を深々と下げて、あっさりと謝罪した。
あれから数年が経過して想うところがあったのか。……と、町で偶然遭遇したなら、そう思うこともできた。しかし、この状況で素直に信じられるほどウブじゃない。
「いや、それはもういいんだ。俺も君に対して言い過ぎたと反省している。もう少し考えて発言するべきだったよ」
大人の対応を見せて様子をうかがう。
この会話、かなりの緊張感がある。対応を少しでも間違えたら取り返しのつかない事態を招きそうな予感があるからだ。
「いえ、私の行為は許されないことです。沙雪さんへのストーカーもそうですし、お兄さんを傷つけたことも」
今のところは反省の様子もあって、更生したかのように思えるが。
「その罪を償ったからここにいるんだよ。もう頭を上げてくれ」
妹への危険性がなければ文句の一つも言いたいところだが、妹の身の安全を最優先してぐっと堪える。
あの時のナイフが腹に潜り込む感触。血が流れ落ちていく感覚。そして、あの恐怖。未だに刺されたシーンの夢を見て飛び起きることも……。
テレビドラマとかで自分を殺そうとした人を心から許して抱き合うシーンを観たことはあるが、俺にはできそうもない。
今こうして対面しているだけなのに、緊張と不安で握りしめた手が汗でびっしょりだ。
「ところで、こんな深夜にこんな場所で会うなんてな」
「田舎町だからコンビニがここしかないので、仕事終わりに立ち寄ったのですよ」
言っていることに無理はない。
都会なら町にコンビニがいくつもあるらしいが、ここには一店舗のみ。
本当に偶然なのか? 妹のストーカーは別人……。
「そうか。頑張っているんだな」
「はい!」
ハキハキとして嫌な感じを与えない話し方。
何も知らなければ好青年としか思えない。引きこもっていた俺と彼が並んだら、大半の人がストーカーは俺の方だと判断しそうだ。
「急に話し掛けて悪かったね。だけど、妹にはもう近づかないで欲しい」
「はい……好きだという感情が暴走してしまって、あのような過ちを……。釈放されてから妹さんに近づいたこともなければ、この目で姿を見たことすらありません」
俺の目をじっと見つめて、視線を逸らすことなく言い切る。
「それを聞いて安心したよ。あっ、最後に一つだけ訊いていいかな?」
「もちろんです。なんでも、どうぞ」
ビシッと背筋を伸ばして、俺の言葉を待つ吉永に俺は――。
「じゃあ、なんで未だにストーカーやってんだ?」
「……えっ?」
すっと顔を近づけると、冷たく低い声で囁く。
「何を仰っているのですか。僕は」
「接近禁止命令が出ているのは承知しているはずだよね。それに吉永君と会うのは二度目だ。あの夜、なんで俺の顔を見て逃げた」
問い掛けるのではなく断言する。
吉永はじっと俺の目を覗き込む。びびって目を逸らすな、妹にも言われただろ。嘘を吐く時に視線を逸らすって。
さっきのあの夜という発言は、妹が助けを求めて電話してきた日だ。
本当は姿を確認できていないが、ここではっきりさせる。彼がストーカーでなければ、それはそれでいい。無実だったら後で土下座でもなんでもしてやる。
はったりを見抜かれないよう、忌々しげに睨む。
吉永は何も言わず、沈黙がこの場を支配している。
「あ、なんだバレてたんですか。じゃあ、くそ真面目な振りはいいか」
……おい、今、なんて言った。
吉永はすっと頭を上げて頭を無造作に掻くと、けろっとしている。
「僕もあんな場所に放り込まれたから、お互い様ですよね」
悪びれることもなくニヤニヤ笑っている。人の神経を逆なでするポイントを理解しているのかと疑ってしまうほど、いらつく表情だ。
こいつ……今までの反省していたかのような姿は。
「反省していたのは嘘だったのか」
「当たり前でしょ? ただ家まで後をつけてゴミあさったぐらいで、偉そうに怒鳴りやがって。お前がナイフを避けていれば、あんなところに放り込まれることもなかったんだよ。運動神経腐ってんじゃねえのか? てめえら兄妹のせいで僕の人生はぐっちゃぐちゃだ。ああっ、どうしてくれんだよ」
頭を両手で豪快に掻き、自分の髪の毛をむしって俺を睨む姿は正気の沙汰とは思えない。
反省どころか責任をすべて俺たちに押しつけて逆恨みしている。
最悪な予想ばかり的中するのはやめてくれ。
「……妹にはもう構うな」
「おー、すごんじゃって怖い怖い。お兄様は妹の自由恋愛に口を挟むんですかー?」
額が触れそうな距離まで顔を近づけて、ニヤけ面を見せつけてきた。
小憎たらしいどころか殺意を覚える。
「そうか、そういう態度を取るんだな。それなら俺にも考えがある」
「警察にでもチクります? 無駄無駄。少年院でずっとそういう連中に、捕まらないギリギリの範囲での犯罪の方法とかも教えてもらってさー。少年院では、お友達もいっぱい増えたんですよ?」
これが全部真実なのか、それとも脅すためのはったりなのか。
どっちにしろ危ないやつなのは確かだ。
「妹にストーカーして何がしたかったんだ?」
「純愛ですよ、純愛。当時は本気で大好きで、でも声を掛ける勇気もなくて、ああなっちゃいましたけどね。でも本当に……愛だったんですよ」
すっと表情が消えて、語る姿はさっきまでのふざけた感じは一切ない。
「でもね、僕は捕まってからずっとずっと考えていたんですよ。再会したらどうしようか。謝って許してもらおう。いや、二度と顔を出さないで遠くから幸せを祈ろう。とかね。でも、会えない日々を過ごしていく内に想いは強まり、考えが変わったんです」
そこで言葉を句切ると、すっと夜空を見上げる。
何を考えているんだ。感情がコロコロと変わって情緒不安定なのか。
沈黙が逆に恐怖となり心を揺さぶる。
正直に言えば、逃げ出したい。その気持ちが強まっていくが、妹のことを考えて踏み留まった。
就職からも家族からも精華からも逃げ続けた十年。もう、逃げるのは止めたんだ!
「今では沙雪さん……沙雪の想像をするだけでヤバいんですよ。あの顔を泣かせたい、俺の前に跪かせて助けてって懇願されたい。そんなことばかり考えてしまう」
……ダメだ。こいつは野放しにしていい存在じゃない。
想いが歪みに歪んで、どす黒い何かに変化してしまっている。
闇夜にこんなやつと二人きり。正直に言えば今すぐにでも尻尾を巻いて逃げ出したい。でも、もう二度と後悔したくないんだ。
過去から目を背けて生きていきたく……ない!
俺が一歩踏み出すと、警戒したのか大きく一歩後ろに跳んだ。
「おー、怖い怖い。あれですか、僕を挑発でもして殴られたら、暴行で警察が動くとか思っちゃってます?」
考えが読まれたか。だが、それだけじゃない。
犯罪経験がある相手とこの状況。
俺だってバカじゃない。実は密かにスマホを使って、会話を初めから録音している。これだけ揃えば警察は確実に動く。
「やだやだ、罪を着せようなんて。はあー、ダメですよ更生した善良な市民にそんなことをしたら。でもまあ、これも運命なんですかね。まさか、決行の日に来るなんて。ついでにお兄さんもさらっちゃいますか」
「何……」
吉永がすっと手を上げると、背後から近づいてくる足音。
振り向くと、コンビニ前にいた男二人がこっちに近づいてくる。
まさか、助けを求めようとしていた奴らがこいつの仲間なのか⁉ ヤバい、事態が加速度的に悪化しやがった!
「彼らがさっき話した、少年院で知り合ったお友達でーす。お兄さんへの復讐は、沙雪とのいちゃいちゃ動画プレゼントで我慢してやろうと思っていたけど、生視聴させてあげますよ」
最低最悪なゲス野郎だ。
コンビニは民家から離れた道路沿い。
こいつら以外に人の気配はない。叫んだところで店員に届くかどうか。
人の目が届かないのを理解しているのか。吉永はナイフ、後ろの二人は警棒とスタンガンを取り出した。
ピンチなんてもんじゃない。三対一で相手は武装済み。
足が震え、心臓がうるさいぐらいに鼓動を響かせている。
怖い、怖いけど、ガムズたちはもっと恐ろしいモンスターと命懸けで戦ってきた。それと比べたら……人間ぐらいっ!
拳を握りしめ大きく息を吸う。
みんな少しだけでいいから、俺に勇気をくれ。




