幼なじみと引きずる俺
ムルスが村人となりほっとしたところで、重要なことに気づいてしまった。
「やばっ! 今日は昼から仕事だ」
慌てて作業着に袖を通して一階に降りる。
起きるのが遅かったのもあるが見入り過ぎていた。
まだ迎えに来る時間ではないが、昼飯どころか朝飯も食べていない。ここで食事を逃したら晩飯まで何も食べられないことになる。
母もいないようなので、大量に送られてきたイノシシ? の肉を焼いて食べることにした。
「大量にモンスターを倒せたおかげで、お裾分けでもらえたけど、まさかモンスターを丸々一匹送ってくるとはなぁ」
《邪神の誘惑》で十匹以上倒したので大半は燻製にして保存食となっている。これで冬を越す食料の心配が減ったと安心していたら、お手製の祭壇に猛猪を一匹捧げてくれた。
でまあ、その日の内に我が家に肉の塊が送られてきたわけで。
母は「一か月ぐらい肉買わなくて済むんじゃないの!」と手を叩いて大喜びしていたので、ありがたいことだよな、うん。
焼きあがった肉にタレを掛けただけだが、今日も抜群にうまい。
豚肉よりも歯ごたえがあるが、煮込むと驚くほど柔らかくなる。味も歯触りも好きだが、実は肉よりも脂身が美味しいのだ。
ほんのりと甘味を感じる脂身は意外にもギトギトした感じがなく、あっさりしている。
とまあ食レポを脳内で繰り広げながら、今日もきれいに平らげた。
「貢ぎ物って何でも贈れるみたいだけど、一度に一品限定だよな」
一度、数種類の果物の盛り合わせを貢ぎ物に選んでくれたことがあったが、消えたのは一番量の多かった果物だけで、家に届いたのもその果物だけ。
じゃあ、同じ種類なら一度に大量に贈れるのかといえば、そうでもない。丸太を同時に三本貢ぎ物にしたことがあるのだが、一本しか届かなかった。
重量制限もあるのか? ……貢ぎ物のシステムがいまいちわからない。
食後を狙ったようなタイミングでチャイムが鳴ったので、食器を流しに持って行ってから家を出る。
毎日、こうやって家に迎えに来てくれるのも助かるよな。
通勤や通学の時間が辛いって人もいるらしいけど、それがないから気が楽だ。
「お待たせしました」
「おう、ちっとも待ってないぞ」
ワゴンの後部席に乗ると既に先輩方がいた。
ヤマこと山本さんはいつもと変わらずスマホでゲームをしている。
「よろしくお願いします」
「……ちーっす」
いつも陽気な人なのに今日は元気がない。というより不機嫌なようだ。
こういう時は話し掛けない方がいいのかな? と判断して窓の外の景色を眺めていたら、窓に映る山本さんがじっとこっちを見ていた。
もしかして、訊いて欲しいのかな。
「あのー、どうしました?」
「ちょっと愚痴聞いてくれるか……」
「あっ、はいどうぞ」
急に意外な話を振られたので、おどおどしてしまう。
試しに言ってみたのだけど、愚痴かー。
山本さんみたいな陽気な人でも愚痴をこぼすことってあるんだ。
「実はさ、前にハマっているゲームがあるって話したよな」
「ええ、聞きました。ちょっと変わったゲームだとかどうとか」
「それ、それなんだよ。敵地を奪う戦略シミュレーション? みたいな感じなんだけどさ。前に休んだ日に準備してイベントに挑んで、大きな拠点を一つ落としたまでは良かったんだけどよ、昨日、俺の拠点の一つも落とされちまったんだ」
あー、ゲームで落ち込んでいるのか。他のジャンルだと愚痴られても、反応できるかも怪しいけどゲームなら話は別だ。
アドバイスは無理でも相槌ぐらいなら打てる。
「めっちゃ課金して強化していたのによ、それも全部おじゃんになりやがった。まだ拠点があるからマシだけどさー。先月の給料半分注いだんだぜ、きつすぎるだろ……」
うわあ、同情するよりも身につまされる。
俺も同じような課金をしているので他人事じゃない。
山本さんがしているのは、おそらくオンラインの陣取りゲーム。その類をいくつかやったことがあるけど、この手のゲームは課金組が有利な設定が多くて途中で放り出したんだよな。
「正直言って……わかります。今やっているゲームにも課金要素があって、先日のイベントで数万吹っ飛びました」
貰った給料をそんなことに使ったのかと怒られそうなので、山本さんにだけ聞こえるように耳打ちする。
「おお、友よ! お互い、程々に頑張ろうな」
「ですよね」
差し出された手を強く握り返す。
課金で繋がる友情関係は褒められたものじゃないけど、同じ話題で仲良くなれたのは純粋に嬉しい。
もう少しゲーム内容を詳しく知りたいところだけど止めておこう。
今は《命運の村》だけに集中したいので目移りしないように、他の面白そうなゲームの情報は耳に入れない方がいい。
あれだけ落ち込んでいたから心配していたけど杞憂だったようだ。
山本さんは引きずることなく、テキパキと仕事をこなしている。
性格はちょっといい加減なところもあるけど仕事は丁寧で、たまに社長ともめたりもするが「仕事に関しては信頼している」と社長が前に言っていた。
特に問題なく今日の清掃も終わり、コンビニ前で降ろしてもらう。
今日も遅くなったが深夜開始の仕事に比べたら、まだまだ早い時間だ。コンビニ前のバス停に最終が来るまであと二本ぐらい余裕がある。
とはいえ冬の夜の冷え込みは相当なものなので、足早にコンビニへ入った。
「食べてはいけない深夜に食う肉まんは最高だよな、やっぱ」
店内を物色しているとあれもこれもと欲しくなるが、母がいつも夜食を用意してくれているので甘味だけにしておこう。
家族全員プリン好きなので、一応四つ買っておく。
レジを終えて店を出る前にスマホを確認する。未だに操作に慣れないどころか、見る癖がついてないので意識して見るようにしないと色々と見逃してしまう。
今は電話よりも《命運の村》のアプリを見てばかりだけど。
「村に変化はなしっと。あとは電話もラインもメールもなし……」
家族と社長以外から連絡が来ることはないので当たり前の結果か。
学生時代はガラケーを所有していたけど、大学卒業後に廃棄。
当時も友達が多い方じゃなかったけど、自ら連絡を絶って引きこもってからは家族と……あいつぐらいとしか話さなくなってしまった。
俺を最後まで見捨てなかった唯一の友も疎遠になってから何年経ったのか。
過去は取り戻せない。それは何度も痛感している。
心を閉ざしていた頃は全てが煩わしく、自分の殻にずっとこもっていた。
コンビニから一歩出ると、その温度差に身震いする。
小さく吐き出した白い息が、ゆっくりと闇夜に昇っていく。
「ほんと、後悔ばっかだな」
俗に言う幼馴染という関係でお隣さん。俺の覚えている一番古い記憶にもあいつがいる。生まれた時からずっと一緒で、小中高大も同じだった。
今まで過去を懐かしむことが無かったわけじゃない。
「逃げてたんだよな。就職、友人、家族……思い出からも現実からも逃げて逃げて」
夜道を一人歩きながら空を見上げる。
民家の少ない道を歩いていたので人工の光が少なく、月も星もくっきりと見えた。
「そういや、学生時代に一緒に流星を見に行ったことがあったな」
人生で一番輝いていたあの頃、常に隣にいた友人。
今――彼女は。
今日は真っすぐ帰る気になれず遠回りをして家の前にたどり着いたところで、隣家の前にスーツ姿の女性がいるのに気づいた。
松葉杖を突いて左足にギプスをしているので、鍵が上手く取り出せないようで扉の前で苦戦しているようだ。
「精華……」
思わずその名を口にしてしまう。
妻夫木 精華――俺の幼馴染だ。
少し茶色がかった長い髪をゴム紐で束ね、縁のない眼鏡を掛けた姿は俺の目には新鮮に映る。俺の声に反応して振り向いた精華が目を見開く。
こんなに近くで見たのは何年ぶりだろう。少したれ目気味でお淑やかな印象を与える顔つき。俺と同じく三十を過ぎているはずなのに二十代後半ぐらいに見えるな。
「よっしい……」
「久しぶりだな。あと、そのあだ名はいい加減やめてくれ。某アクションゲームの恐竜みたいだから」
数年ぶりに言葉を交わしたというのに、思ったよりスムーズに返せた。
数年のギャップより、数十年の積み重ねの方が勝ったようだ。
俺が精華の姿を見るのは数週間ぶりだ。といっても早起きできた日に二階の窓から出社する後ろ姿を一方的に眺めていただけだが。
あっちは俺の姿を見るのは数年ぶりか。
「足、大丈夫なのか?」
「あっ、うん。事故に巻き込まれて二週間ぐらい念のために入院していたけど、足の骨にひびが入った程度だから。今も会社の同僚に送ってもらったところなの」
「そっか」
久しぶりに会って話したいこともあるが、冬の深夜に外で長話するのも変か。
それに思わず声を掛けてしまったが、改めると何を言っていいのかわからない。
「じゃあ、な」
「ちょっと待って。良かったら、家に来ない? ほら、お婆ちゃんしかいないから」
そう言って笑う顔は少し寂しそうだ。
精華のご両親は数年前に亡くなり、それからは祖母と二人でこの家に住んでいる。
「遠慮しておくよ。お菊婆ちゃんを起こしたら悪いから」
というより、幼馴染とはいえ深夜に大人の男女二人が一緒ってのは色々とアウトだろ。
「そう、だね」
精華の悪い癖が出ているな。うつむいて小さく頷くときは妥協してあきらめた時の仕草だ。
昔から自分の意見を押し付けたりしないで、一歩引いて周りを尊重する生き方をしていた彼女なりの意思表示。
「また、今度ゆっくり話そう。母さんも会いたがっていたから……お菊婆ちゃんと一緒に遊びに来たらどうだ?」
「えっ、いいの?」
「ああ、俺はバイトでいない時があるけどな」
まだ親しかった頃は無職の俺を心配してくれていたので、さりげなく働きだしたことを伝えておく。
「うん、知ってるよ。おばさんと沙雪ちゃんから教えてもらったから。頑張っているんだね」
二人から話を聞いていたのか。俺が知らないだけで、うちの家族と繋がりがあったんだな。
精華は俺とは違い就活に成功して大企業で働いている。
アルバイトの俺とは比べ物にならないぐらい高収入を得ているはずだが、その言葉に同情や蔑んだものは感じられず、本当に心から喜んでくれているようだった。
……少し前の卑屈だった俺なら、今の言葉を素直に受け取れなかっただろう。
精華は変わらないな。互いに年を取って見た目の変化は多少あるが、俺と違って人としての大事な心は変わっていない。
「えと、それと、果物とお肉のお裾分けすっごく美味しかったよ」
「喜んでいただけて何よりだ」
前に母が「お隣に上げていい?」と訊いてきた時に適当に返した覚えがある。
そのまま踵を返して帰ろうと思ったが、松葉杖を突く姿を見て無視はできないか。
俺は精華に歩み寄ると肩を掴んで倒れないように支え、手にしていた鍵を借りて代わりに鍵を解除する。
「じゃあ、またな」
「ありがとう。近い内に遊びに行くね」
「おう、待ってるよ」
手を添えていた扉をそっと放して閉めると、家に帰る。
精華とは昔から仲が良く、お互いに意識していたのは認める。
子供の頃は妻夫木と良夫の名前に『妻』『夫』が入っているのをからかわれて、夫婦なんて言われたりもしたな。
友人以上、恋人未満の関係が続いていたが、就職が決まって大学を卒業した暁には精華に告白するつもり……だった。
でも、それは叶わなかった。精華はあっさりと大企業の就職を決めたのに、俺はいつまでたっても就職が決まらず、日に日に心が荒んでいく。
精華よりもランクを落として就職を決めるのは告白に格好がつかないと、同レベルかそれ以上の会社に挑み惨敗。
そんな俺を励ます彼女の存在すらうっとうしく感じてしまい、自ら距離を取り……。
「一途な幼馴染がいつまでも自分を想って待っている。なんて都合のいい話は、物語の中だけだ」
俺が停滞していた時も世の中の時間は流れていた。
数年もの間、好きな人が立ち直るのを待っていた健気な女性がいたとしよう。
そんな献身的で魅力的な女性を周りが放っておくわけもなく、こんな男とは比べ物にならない男性が彼女の前に現れる。
その結果、恋に落ちてもなんら不思議じゃない。
未だに独身だが、それは彼女に吊り合う男が現れなかったのか、現在進行形でお付き合いをしている最中なのだろう。それこそ、車で送ってくれた人が意中の人かもしれない。
もう二度と昔の関係には戻れないだろうが、せめて友人関係ぐらいには……。
そんな風に思ってしまう、未練たらたらな自分を殴りたくなった。




