酔っぱらいの妹と冬空の俺
《邪神の誘惑》をどうにかクリアーして、村人が安心して眠ったのを確認してから俺は部屋を出る。
自室に持ち込んだ空のペットボトルとお菓子の袋を台所のゴミ箱に捨てて、冷蔵庫の中身を覗く。
小腹が空いたので何かないかと漁る。
命運の村から送られてきた肉がまだ結構余っているのか。これを使わせてもらおう。
肉をフライパンで焼いていると、玄関からリビングに繋がっているドアが開いた。
スーツ姿の沙雪か。覇気の感じられない疲れ切った顔をしている。美人が台無しだぞ。
時計を確認すると二十二時。今日も残業か、頑張っているみたいだな。
「あー、良い匂い」
「……沙雪も食うか?」
「あっ、お兄ちゃん。うん、お願い。晩御飯食べるタイミング逃したから、ぺっこぺこなの」
んん? ど、どうしたんだ。今、普通にお兄ちゃんって言ったよな。それに声が甘えているような感じだけど。なんか、怖い……。
最近は俺に対する冷たい態度が和らいでいるのを実感していたが、今日はいつもよりテンションが高いぞ。
仕事で嬉しいことでもあって、ご機嫌なのかもしれないな。
細身なのに結構食べるので丼にご飯を盛って、焼き肉のタレで味付けした肉をのせる。あとは中華スープに溶いた卵を入れた、かき玉スープを作る。
「できたぞー」
「あーい」
本当に疲れているようで、スーツを脱ぎ捨てたシャツと下着姿でリビングのコタツに座っている。食卓の椅子に座るのも面倒なのか。
よく見ると頬が上気していて息が……酒臭っ!
このハイテンションの謎が解けた。こいつ、ただの酔っぱらいだ。
まともに話さなくなって十年。俺の中ではまだ沙雪は十代のイメージが強い。二十歳過ぎてお酒飲んでもいい年齢になったんだな……。
そんなことを考えながら料理を全部運んで対面に座り、一緒に食事をする。
おっ、タレと肉がいいから焼いただけなのに抜群にうまい。
「あー、疲れた体に肉さいっこう」
がつがつと豪快に掻き込んでいる妹。
せっかくの美人が少しもったいないが、兄としては美味しそうに食べてくれる方が嬉しい。
「今日も遅かったんだな。体は大丈夫か?」
「平気平気。仕事は楽しいから~」
無理して嘘を吐いている訳ではないみたいだ。疲労が濃く顔に出ているが、その表情は明るい。……酔っ払って上機嫌なだけかもしれないけど。
「ただね……」
なんだ、気になることを言いかけて口を閉じるなよ。
何か悩み事があるのか? これは相談に乗ってやるべきなのだろうか。お世辞にも頼れる兄とは言えない俺に適切なアドバイスができるとは思えない。
でも、兄が妹を見捨てるのはあり得ないよな。こんなのガムズに知られたら失望されてしまう。
「何かあるなら聞くぞ。頼りない兄だけど、愚痴をこぼすだけでも気が晴れることもあるだろ」
箸を置いた妹の真剣な目が俺を捉える。
今までなら目を逸らしていただろうが、じっと見つめ返す。
「あのね、最近誰かに尾行されているというか、見られているような気がするの」
「……ストーカーか」
ここで自意識過剰じゃないか? と返したりはしない。学生時代に同じようなことがあって、一度ストーカーとやりあった過去があるからだ。
顔が整っているのは羨ましいが、美人は美人で苦労がある。
「うーん、昔のこともあるし、最近帰りが遅いから心配だな……」
「心配、してくれるんだ?」
なんで疑問形なんだ。上目遣いでこっちを見る目が怯えているかのように見える。
「当たり前だろ。こんなんでも兄だぞ、こんなんでも」
「二回言わなくても知ってるって。ほら、私も……こんなんだったから、嫌われたかと思ってた」
それはこっちのセリフなんだけどな。完全に嫌われているかと思っていたが、そうでもないのか?
「お前が俺を嫌うのは当然だと思うぞ。自分で言ってて情けないけどさ」
「……お兄ちゃんって、昔に戻ってきてるよね。ほんのちょっとだけ、格好良くなったよ」
自分で言って恥ずかしかったらしく、慌てて顔を逸らしている。頬が真っ赤なのは酒の影響かそれとも……。
酔った勢いだったとしても、今のは結構ジーンときた。俺に懐いていた頃を思い出してしまい、ちょっと泣きそうになったじゃないか。
「嬉しいこと言ってくれるな」
照れ隠しにキザっぽい言い方をして妹の頭に手を置くと、優しく撫でる。
……あっ、昔の癖でついやってしまった。この年でこんなことされても嬉しくないか。
怒られるのを覚悟したが、罵倒の言葉はいつまでたっても飛んでこない。
「沙雪?」
「ん、えっと、ほら疲れているから寝そうになってた」
「そっか。あれだ、帰りが遅くなる時は連絡入れてくれ、迎えに行くから」
俺はポケットからスマホを取り出してドヤ顔をする。
これは仕事を始めてから連絡手段がないと不便だろうと、母のお古を譲り受けたものだ。
PCがあるのでネット機能は必要ないのだけど「今時ガラケーはやめときなさい」と言われて渡された。その後ろで未だにガラケーを使っている父が複雑な表情をしていたのが印象的だった。
「そっか、お母さんにもらったんだっけ。じゃあ、その、困った時はお願いしていいかな?」
「もちろん。ただ深夜の清掃している時は無理だから」
「うん、わかってる。でも、前みたいに無茶はしないでね」
アドレスを教えると少し安心できたのか、笑顔でじっとスマホ画面を見ている。
ガムズの足下にも及ばないけど、少しは兄らしいことができたかな。
あの《邪神の誘惑》を越えてから二日が経過した。
大量の運命ポイントを消費したが、村人の感謝の気持ちにより運命ポイントが一気に増えている。それでも課金で増やした値には遠く及ばない。
これって金持ちがやたらと有利なゲームだよな。課金なしでも楽しめるけど、それだと《邪神の誘惑》を乗り越えられない。
一か月近く無課金で楽しみ、愛着が湧いたところに難易度の高いイベントを放り込んでくる。プレイヤーはこのゲームを続けたいから課金をしてでも村人を助ける。
「この運営優秀だな!」
腹立たしいけど金儲けのセンスはあると思う。
そんな運営に踊らされている俺はせっせと清掃をしている。
いつもの深夜のスーパー清掃ではなく、今日は雑居ビルの床と窓をきれいにするのが仕事だ。
「月末は悪かった! ほんと、マジで助かったよ。急に用事ができちゃってさあ」
雑居ビル一階の自販機前で休憩していたら、軽いノリで山本さんが謝ってきた。
急な仕事で焦ったけど襲撃は次の日の昼からだったので、結論から言えば何の問題もなかった。
「大丈夫ですよ。月の最終日は私も用事があって無理ですけど、前日でしたから」
「ならよかった。何か飲む? せめてものお礼に奢るよ」
こういう時の親切は遠慮せずに受け取るべきだよな。断るのも失礼な話だし。
「じゃあ、ミルクティーのホットいいですか」
「あいよー。これでいいか」
俺の好きな銘柄のミルクティーを買ってくれた。
十二月に入って冷え込む日が増えたので、温かい飲み物がありがたい。
「ところで、急な用事ってなんだったんですか?」
「あーそれなんだけど、社長には内緒にしてくれる?」
「ええ、まあ。人に話す気はないですけど」
囁くような小声で確認を取ったということは、大きな声では言えない用事だったのか。
「実は……同じゲーム好きならわかってくれるよな? ゲームの期間限定イベントがあったんだよ」
「あっ、あー」
予想外の返答に、まともな返事ができなかった。
普通なら「そんなことで」と非難する場面なのかもしれないが、俺だって月末働けない理由は同じだ。人のことをとやかく言う権利がこれっぽっちもない。
「まあ、正直言うと気持ちは痛いほどわかります。レアなイベントでも?」
「おー、さすが同志よ。わかってくれるのか! キレられるんじゃないかと、びくびくしてたんだよ。ほら、前にハマっているゲームがあるって話しただろ? そこで月末に突発イベントがあってな、前の日から結構準備することが多くてさ」
理解してもらえたのがかなり嬉しかったようで、早口でまくし立ててくる。
同じゲーマーとして理解できるので責める気はないが、さっきの話に引っかかっている。月一で何かしらのイベントがあるゲームというのは珍しくない。
ただ、どうしても月末イベントというと、俺のやっている《命運の村》を連想してしまう。ちょっと、カマかけてみるか。
「そのゲームって街づくりとかロールプレイングとかなんですか?」
「いやー、そういうのはやらないな。爽快感がないだろ。もっぱら殺し合いのゲームやってるな。リアルじゃできないのをゲームでやるのが面白い!」
物騒な物言いだけど実際の話、最近は銃で殺しあって生き延びるサバイバルゲームが流行っている。対人戦は相手によって行動パターンが変わってくるので何度やっても飽きがこない。
山本さんのように、そんなゲームにどっぷりハマっている人を何人も知っている。……ネットの知り合い限定だけど。
「何度かそういうのやったことあるんですけど苦手で。格ゲーだったら自信あるんですけどね」
「そうかー。こういうの好きだったらおススメしたんだけどな。あっ、でも無理か……」
腕を組んで何やら考え込んでいる。
見た目はリア充全開だけど、休憩時間にこうやってゲームの話で盛り上がれるのは嬉しい。
周りに恵まれている幸運に感謝しながらミルクティーを一気に飲み干す。
よっし、後半戦も頑張ろう!
「結構、遅くなったなあ」
今日はいつにも増してハードな仕事内容だった。
予定では夕方には終わるはずだったのに、依頼主が細かい人で「ここが汚れている、あっちも」と嫁いびりの姑のようなしつこさで指摘してくるので、それに対応していたらどっぷり日が暮れた。
お菓子と飲み物を補充したかったので、家から一番近いコンビニで降ろしてもらいそこから歩いて帰っている最中だ。
「寒い日に温かい肉まん最高っ」
右手に肉まん、左手にお茶を装備して夜道を歩いていると懐から着信音がする。
残っていた肉まんを全て口に放り込んでからスマホを取り出す。
電話してきたのは……妹?
沙雪から電話してくるなんて初めてのことだ。
「もひもひ、どうした?」
一気に食べるには肉まん多すぎたな。
『お兄ちゃん! 前に話したストーカーっぽい人がいるみたいなの!』
切羽詰まった声に驚き、口内に残っていた肉まんを呑み込む。
「今どこだ⁉ すぐに行く!」
『家から一番近いコンビニに避難してる』
逆戻りかよ!
俺は全力で来た道を戻る。
うちの妹に手を出したらただじゃ済まさんぞ!




