危機が迫る村と緊張する俺
食後に庭に面した縁側……父曰くウッドデッキで夜空を眺めていると、隣に父が座った。
「バイトは見つかったのか」
「三つぐらい候補があるから、明日にでも電話するつもりだよ」
「短期バイトって話だったな」
「ああ、うん。月末にどうしても外せない村の用事があって、それまでなら今日からでも働けるよ」
父とのやり取りで自然と自分の口から出た言葉に、少し驚いた。
「今日からか。今までなら明日からやるよ、ってキレてたのにな」
うっ、父も同じことを思ったのか。
当たり前のように「今日から」と言った。自分でも信じられないが、俺は嘘偽りなく本気で働くつもりがあるらしい。
「他にも条件はあるのか」
「んー、頑張るつもりだけど接客は無理だと思うんだ。店にも迷惑がかかりそうだし。だから肉体労働にしようかなって。あっ、肉体労働を馬鹿にしているとかじゃないから。今の自分ができるのを探したらそうなっただけで」
「わかっている。そうか、やる気があるなら知り合いに頼んでやろう」
ありがたい申し出だけど、ここで父を頼ってまた投げ出したら……そう思うと頷けない。
「良夫、お前がいくつになろうと俺は父親だ。子供が父に頼るのは恥ずかしいことじゃない。依存や甘えとは違うのだからな。何かを成し遂げたいのなら、家族であろうが利用できるものは利用する。それが大人ってもんだ」
これはただの勘でしかないが、父は頼ってほしいのではないのだろうか。ふと、そんなことを思う。
父とは似ても似つかないのに、娘の前をうろちょろしながら働いていたロディスの姿が思い浮かぶ。
娘のキャロルは頑張り屋でなんでも自分一人でやろうとするので、ロディスが頼ってほしいアピールをよくしていた。
ゲームと現実の父親の姿が重なる。
「それじゃあ、お願いします」
こうやって父に頭を下げるなんて何年……十何年ぶりだろうか。
「ちょっと待ってろ」
父は立ち上がって時代遅れのガラケーを取り出してリビングの方に向かうと、どこかに電話をしている。
これで俺の逃げ道は消えた。
もう二度と父の期待を裏切るわけにはいかない。と、わかっているのに鼓動がうるさい。緊張のせいか背中が汗で濡れてシャツが体に張り付く。
働くのが決まったわけじゃないのに、こんなにも動揺している。
「良夫、今から動きやすい恰好に着替えられるか」
話が終わったらしい父がそんなことを口にした。
「えっ、うん。ジャージならあるけど」
「それでいい。すぐに着替えて降りてきてくれ」
これはバイトの面接を取り付けてくれたってことだよな。
「あっ、履歴書まだ書いてないんだけど」
「構わん。知り合いだからな、後でいい」
やっぱり面接か。動きやすい恰好なのは試しに何かやらされるのかもしれない。
自室に戻って服を脱いでジャージを手にした。
手が小刻みに震えている。まだ、この状況でも覚悟のできていない自分に腹が立つ。
あの涙まで流して変わりたいと思った気持ちは嘘だったのか?
その程度の覚悟だったのか?
ちらっとPCの画面を見ると灯りを手にしたチェムとガムズが柵の点検をしていた。
ロディス一家はキャロルが眠っているが、ライラは食料のチェックをしてロディスは洞窟にあった道具の整備をしている。
働き者の彼らは働かない神を心から崇拝してくれている。
運命の神として……何もしない訳にはいかないよな。
……ありがとう、勇気をもらえたよ。
ぱんっ、と自分の頬を挟むようにして叩く。
「よっし! 行ってくるよ、みんな」
着替え終わった俺は勢いよく扉を閉めた。
玄関まで行くと父が待っていて車に乗せられて出発した。
「聞くのを忘れてたけど、どんな仕事?」
「清掃業だ。深夜のスーパーの清掃に人手が足りないらしくてな。最近バイトが辞めたところで、ちょうどいいって喜んでいたぞ」
清掃業か。そういや、大学に定期的に来ていたな。先端がぐるぐる回る機械とか、大きな掃除機みたいなのを扱っていたのを思い出した。
到着したのは小さなスーパーの前で、営業時間外なのに煌々と光が灯っている。
「おう、来たか! よく来てくれた、助かるぜ。なんだ、引きこもりって聞いてたが結構いい体してんじゃねえか」
バンバンと俺の肩を叩くのは山でマタギでもやったら似合いそうな、作業服を着た豪快なオッサンだった。年齢はたぶん父ぐらいだろう。
話しぶりからして俺の事情も知っているみたいだ。ちょっと、安心する。
「よ、よろしくお願いします」
「そういうことで、あとは任せた」
父がそれだけ言って帰ろうとする。心細くて思わず引き留めそうになった右手を左手で掴む。
ここまでお膳立てしてくれたのに、これ以上情けない真似をするわけには……いかないよな。
「そんなに緊張しなくてもいいぞ。言われたことをやってくれたらいい。できないことや、わからないことがあれば、俺かあそこにいる二人のどちらかに訊いてくれ。初めは誰だって初心者でわからないことだらけだ。だから、遠慮なしにバンバン質問していいからな!」
悪い人じゃないのが言動から伝わってくる。
やるぞ。俺は金を稼いでゲームの課金をしないといけない! ……こう考えるとダメな人っぽい。
「おーい、お前ら新入りが来たぞ! いじめたり、変なこと吹きこんだりすんなよ」
「するわけないでしょ。短期バイトだったよね、よろしく」
「おっ、結構背が高いな。それぐらいあると蛍光灯の掃除とか楽なんだよなー」
社員らしき二人の男女がやってきた。両方とも年齢は俺と同じぐらいか、少し上に見える。相手が自分より年下に見えないことに胸を撫で下ろす。
どんな相手であっても先輩だとはわかっているが、歳の差があると相手が気を使いそうで嫌だったからだ。
俺と違ってコミュニケーション能力の高そうな人たちだな。
ここではただの素人だ。くだらないプライドは捨てて自分が無能なのを認めよう。見栄を張らずに頑張ろう。あんな過酷な環境で毎日一生懸命に働いているキャロルたちを見習って。
大きく深呼吸をして二人を正面から見据えると、
「よろしくお願いします!」
深々と頭を下げた。
「明日もいけるんだよな?」
「はい、大丈夫です」
「おっ、いい返事だ。んじゃ、明日も深夜仕事だから時間は今日と同じ……もう昨日か。まあ同じ時間に迎えに行くぜ。お疲れさん」
「お疲れ様ー、また明日ね」
「明日もよろしくなー」
家の前で降りて明日の指示を聞く。
社長も社員もみんな優しく愛想よく対応してくれた。おかげで緊張も和らいでなんとかやれたと思う。
いざ働いてみて気づいたのは、自分が未知の体験に必要以上に怯えていたということだ。働くということは特別じゃない。誰だってできることなんだ。
それなのに働かない理由を必死に探して言い訳をして、必要以上に怯えていた。
ネットの情報だけを鵜呑みにして、わかったような気になっていただけだ。
……と偉そうに心の中で語ってみたが、命運の村に出会わなければ一生そのことを知ることもなかった。
去っていく車に頭を下げてから家の玄関をそっと開ける。もう深夜三時だから、家族はみんな寝ているに決まっている。
仕事内容は難しくなかったが常に体を動かしていたので汗だくだ。この季節だから汗は乾かずに湿ったシャツと一緒に肌に張り付いている。早く風呂に入りたい。
「清掃業って思っていたより体を使うんだな」
俺が任されたのは泡だらけの汚水を吸う役目で、バキュームという水でも砂利でも吸い込める業務用掃除機をずっと押していた。
押していただけなのに腕と太ももがパンパンだ。
後は物を運んだり、清掃後の道具を洗ったりといった雑用。
手際はお世辞にもよくはなかったと思うけど、それなりには役に立てたような気がする。村人を参考に真面目に働いたつもりだ。
真っ暗な居間の灯りをつけてから、そーっと風呂場へ向かおうとしたら食卓の上に何か置いてあるのが目に入った。
それはおにぎりとウインナーと玉子焼きで、何か書かれた紙が添えてある。
「ええと……お疲れ様でした。お腹空いてるでしょ、それ食べていいから」
母は書道を習っていたので字は上手いはずなんだが、急いで書いたのか少し乱れている。玉子焼きとおにぎりも母にしては形が歪だ。眠気を我慢してやってくれたのかな。
椅子に座って皿のラップを外す。
まだほんのり温かい。おにぎりを手にして一口かじる。
塩気が少しきついが、それは仕事に行く前に食べたごちそうよりも……美味しかった。
「労働して食べるご飯ってこんなにもうまいんだ」
食べ終わり「ごちそうさま」と手を合わせる。一息ついてからお風呂に向かう。
素っ裸になって浴室に入ってから気づいたけど、とても暖かい。
最近は寒くなってきているので、この時間帯だと風呂も冷え切っていて当然だ。だというのに、さっきまで誰かが使っていたかのように暖かい。
浴槽の蓋を開けるとお湯が張ってあった。手を入れるとちょうどいい温度。
「さっきまで誰か入っていた……にしてはお湯がきれいだ」
母が気を利かせて風呂を掃除して予約してくれていたのか。
「ありがとう母さん」
面と向かっては言えないから風呂場で一人、感謝の言葉を口にした。
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