邪神側と主神側と俺
一旦、配信者たちのことはあきらめ、まずはこの攻略ポイントのボスを倒すことに決めた。本来の目的はこっちなので落ち込む必要はない。
厄介事は終わってからゆっくり考えればいいだけの話。
全員がこっちを見ているのは指示待ちか。このチームのリーダーはガムズのはずなんだが、神の従者という立場があるので決定権は俺に譲られたようだ。
「ニイルズさん。巨大で邪悪な気配を感じたりはしませんか?」
「邪悪を探知する魔法は使えるのですが、距離が限られていますので。一応、やってみましょうか?」
「そうですね――」
念のために探ってもらおうかと考えた、そのとき。
「その必要はない」
不意に聞こえる、静かで厳かでそれでいて抑揚のない声。
淡々と話しているだけなのに、その声は体の芯まで響いてくる。
瞬時に村人とハンターたちが辺りを見回すが、声の主は見つからない。
「上だっ!」
鋭く警告を発するガムズの睨み付ける視線の先を追うと、上空に浮かぶ物体が一つ。
「なんだ、あれ、は」
誰かの驚愕する呟きが聞こえた。それが誰か確かめる余裕はなく、空の一点から目が離せない。
そこには異形の何かが浮いている。
白い四角い……檻が空にあるのだが、その檻は鉄製でも木製でもない。
「骨で出来ているのか?」
ガムズの言うとおり、あれは骨だ。人間の骨で作られた巨大な檻。そして、その中にみっちり詰まっているのは蠢く肉塊。
ぶちゅぶちゅと不快な音を立て脈動を繰り返す血管が、肉塊の表面に張り巡らされていて、時折その血管から血が噴き出ている。
肉塊の表面にはいくつもの目や鼻があるのだが、口だけはたった一つしかない。三日月のように口角が裂けた巨大な口には、サメの牙のように鋭い刃が生えそろっていた。
その口からぬるりと垂れ落ちる唾液が地面にぶつかるたびに、地面がただれ白い煙が噴き上がっている。
その姿を見ているだけで全身から汗が一気に噴き出し、喉が異様に渇く。さっきから視界がぶれているのは――無意識の内に体が小刻みに震えているからだ。
「あのようなモンスターが存在するなんて……」
見る者を萎縮させる異様な形状と漂う臭気に、チェムも含めた仲間の腰が完全に引けている。顔を見ると顔面蒼白で、構えていた武器は手から滑り落ち地面に横たわっている。
俺がこの場に一人でいたら醜態をさらし、脇目も振らずに逃げ出していたと断言できる。アレはダメだ、と本能が訴えかけ、逃げろ逃げろと心が叫ぶ。
それでも……神の従者として村人を守る運命の神として、なけなしの勇気を振り絞るしかない。もう、現実から逃げないことを選んだのだから!
手を握りしめ、歯を食いしばる。
踏ん張れ、踏ん張れ、うつむくな、目を逸らすな!
現実から逃げることも目を逸らすことも……やめたんだろ!
「ぐお……おおっ」
隣からひゅーひゅーと息の漏れる音がする。少しだけ視線を横に向けると、祈りを捧げた格好のまま涙を流すチェムの姿があった。
他のメンツも似たり寄ったりだったが、その目に力を宿したまま、武器を杖代わりに体を支え耐えている者もいる。
数人のハンター、ガムズ、ムルス、スディール。
そして――ニイルズだけは他と違い、額に大粒の汗を浮かべながらも恐怖に顔を歪めるのではなく、何やら考え込んでいるように見えた。
「もしや、あれは……欲望の神では⁉」
誰もが戸惑い動けない中、ニイルズがその名を口にした。
その場にいた全員が、その言葉に反応して絶望の表情を浮かべる。
なんのことかわからないが、聞き逃せないフレーズがあったのは確かだ。
「欲望の……神ですか?」
俺の質問に対し、大きく頷き額の汗を拭うニイルズ。
「はい、邪神の従神……欲望の神。心の隙間に入り込み、誘惑、魅了するそうです。その姿は肥大した皮膚のない肉塊。大きな口に無数の目と鼻。偽りの体を骨の檻で覆い、その姿を保つ。そう言い伝えられています」
血の気の失われた顔で語る内容を聞き、思わず息を吞む。
攻略ポイントのボスだから、ある程度の強敵は覚悟していたがよりにもよって、邪神側の従神だなんてっ!
「我を知る者がいるのか。そう、我は神。地の底に封じられし、邪神の一角。醜き心をむき出しにせよ。欲望に身を任せるのだ」
「ぐががっ」
上から降る声を聞くだけ頭がふらつき鼓動が早くなる。「あきらめろ、すべてを投げ出してしまえ」と弱い心が囁くが、頭を激しく振り甘言から逃れようと足掻く。
それだけならまだしも、上空から全身にのしかかってくる見えない力が俺たちを苦しめる。
少しでも気を緩めると、膝から崩れ落ちてしまいそうだ。
「欲望を司る神の前であるぞ。ひれ伏せ、人間共」
押しつぶそうとする圧力が増し、全員がその場に膝を突いてしまう。
従神たちは日本に飛ばされて力の大半を失った、という話だったのになんだこのプレッシャーは!
運命の神である世渡さんと会ったときと全然違うじゃないか。そもそも、人の形をしていないのは反則だろ。
醜くおぞましい姿。CGではなく本物の質感。まさに異形の化け物。理屈ではなく本能が怯えている。
抗うことすら許されない、そんな絶望感が押し寄せてくる。
それでも、どうにか抵抗しようとするが、潰されないように耐えるだけで精一杯だ。余計なことを考える余裕すらない。
仲間達も誰一人動く気配がない。このまま潰されるのを待つしかないのか?
村人やハンターたちの大半は絶望に顔を歪め、あまりの恐怖に大粒の涙を流している人も少なくない。
もう休んでいい。もう屈していい。
心を揺さぶる甘い誘惑が弱い心の隙間に潜り込もうとする。
異世界の人と比べたら体力も根性も足りない俺がよく頑張った。もう、膝を突いても誰も責めたりは……違う、そうじゃないだろ!
わずかに残っていた勇気を振り絞り、欲望の神を睨み付ける。
村人たちは俺よりも神の存在が近い。絶対に敵わない敵として幼い頃からすり込まれてきている。神に勝とうだなんて考えてもいないはずだ。
だけど、俺は違っただろ。神なんて信じていないどころか、自分の不甲斐なさを棚に上げて、不幸だと神に呪ったことすらある。
膝に両手を当てて、全身に力を込める。ミシッ、と何かが軋む音と痛みが走るが、そんなものは無視だ!
「ヨシオ、様?」
呆けた顔で俺を見つめるチェム。その言葉に反応して他のみんなもこっちを向いている。
絶望に染まった顔がずらりと並んでいる。そうだよな、不安だよな、怖いよな。神を信じる人にとって、神の存在は絶対だもんな。
大切な仲間に向かって俺は――精一杯の笑顔を向けた。
俺は、ずっと甘えて、ずっと守られてきた。同級生たちは立派に働き、家族に守られる側から、家族を守る側になった人も少なくない。
「ぐ……うお、お、おっ」
関節や骨が悲鳴を上げている。すまないが、もう少し、俺と一緒に人生最大のやせ我慢をしてくれ!
一気に背を伸ばし、雄々しく立ち上がる。
ゲームとはいえ誰かを守れること、誰かに甘えられ頼られる存在になれたのが本当に嬉しかったんだ。こんな俺でも誰かの役に立てることが。
だから俺は彼らの前では情けない姿を晒せない。
これが、くだらないプライドだとしても彼らの憧れであり続けたい。
「欲望の神よ、私は負けない! 屈するわけにはいかないんだ!」
「足掻くか、愚かなプレイヤーよ」
肉塊に貼り付く無数の目が俺を見つめた。それだけで、なけなしの勇気が持っていかれそうになる。だけど、周りにいる村人のことを思うと……勇気なんていくらでも湧いてくる!
起死回生の手段はない。
それどころか虚勢を張るのが限界。
手も足もほとんど動かない。
でも、それでも、視線だけは逸らさないぞ。
何か言ってくるか、それとも問答無用で攻撃を加えてくるか。
覚悟を決めていたのだが、相手は一向に仕掛けてこない。何故かじっと俺を見据えているだけだ。
そんな緊迫した空気を打ち破ったのは――場違いすぎる陽気なリズムの曲。
曲は俺の胸元から聞こえてくる。これは……運命の神の着信音!
「なんだ、その音は」
今の呆れた声は欲望の神、だよな?
さっきまで感情を表さない淡々とした声だったのに、この声には凄みを一切感じなかった。
曲の影響なのか虚を突かれた結果なのか、全身を抑えつけていた力が消滅したので、急いで胸ポケットからスマホを取り出す。
「うおおおっ、眩しい!」
俺のスマホの画面から目映い光があふれ出している。
着信者の名前が表示されているはずなのだが、白い光が眩しくて何も見えない。
『もしもーし、繋がってる?』
この声は、やっぱり運命の神か!
「はい、聞こえてます!」
呑気に電話をしている場面ではないはずなのだが、欲望の神は宙に浮いたままで動きはない。会話中に……手を出す気はないのか?
スマホの白い光が消えたので画面を確認すると、運命の神である世渡さんの顔がアップで映っている。
『あー、よかった。さっきの啖呵、すっごく格好良かったよ。さーて、私も仕事しないとね。そこにいるんでしょ、欲望の神』
相手を名指しで呼んだので、スマホを上空に突きつけるようにして腕を伸ばす。
「貴様は……運命の神」
二人は既知の間柄か。
『なーに、格好付けてんのよ。本体は下の階でパソコンに向かって仕事しているくせに』
「……」
下の階ってことは、欲望の神も同じビル内で働いているのか!
主神側の従神も邪神側の従神も等しく北海道に堕とされたとは聞いていたが、この欲望の神までも、同じ雑居ビルの会社で働く同僚だったとは。
『異世界に残った自分の欠片で悪さするなんてルール違反よね? 自分のやっていることわかってる? 今から下の階にしばきにいっていい?』
早口でまくし立てる運命の神に対し、無言を貫き通す欲望の神。
見た目のおぞましさは変わってないのに、口をきゅっと噤んでいる姿に哀愁を感じてしまう。さっきまでの恐怖と圧迫感がかなり薄れてきた。
これは風向きが変わってきたぞ。交渉……というか脅しがうまくいけば、ここを乗り切れるかもしれない。
「あ、あの、ヨシオ様。その板からする声の方はどなたで、なんと仰っているのでしょうか?」
チェムが俺の服の袖を引っ張り、申し訳なさそうに声を掛けてきた。
他の人たちも同じ気持ちらしく、困り顔でこっちを見ている。
そうか、この会話は異世界の人には通訳されてないのか。神の尊厳に関わる内容だったから安心したよ。
「電話の主は人の姿を借りた運命の神ですよ」
「ええええっ⁉」
上半身が倒れるぐらい仰け反って驚いているのはチェムとニイルズ。
他の面々も驚いたようで大口を開けて目を見開いている。
「今、欲望の神と交渉中です。しばし、お待ちを」
俺がそう言うと首が折れそうなぐらい激しく何度も頷いている。神と神の対話なんて目撃する機会なんて普通はないから、こんな反応になって当然だ。
『ねえねえ、なんか言いなさいよ。さっきみたいな偉そうな態度で語ってみなさいよ。あんた、自分のプレイヤーが良夫君にゲームオーバーにされた逆恨みなんでしょ。神なのにちっちゃい男ね』
……今、運命の神は俺がゲームオーバーさせた、と言ったよな。
条件に当てはまる人物は二人いる。山本さんと精華を操った男だ。
そして、欲望、魅了、誘惑というキーワードに引っかかるのは――バンドマン‼
この欲望の神はバンドマンが演じていた神だったのか!
『この一件も異世界と日本を繫ぐ目的は二の次で、実は良夫君をおびき出して危害を与えるのが本命だったなんて思いも寄らなかったわ』
偶然、異流無神村が《禁断の森》にあったのではなく、俺の領地内だとわかったうえで仕組んだことだったと。
『ちなみにあんたの減給は、確定事項よ』
ここぞとばかりに煽っていくスタイル。
あれから反論もせずに黙っている欲望の神が不気味ではある。
「黙れ。黙れ、黙れ、黙れ! クソアマがあああっ!」
巨大な口がわめくと大気が揺らぎ、声の振動で全身が震える。
さっきまでのやり取りで油断していたが、あれは邪神の従神。神なんだ。
「どいつもこいつも神でありながら、人の理に縛られやがって。何がルールだ! 減給をするというのなら、暴れるだけ暴れてやるまでよ!」
こいつ神のくせに開き直りやがった!
でも、さっきまでの尊厳さが失われ、人間味が出てきた今の方が扱いやすい。とはいえ、現状はかなりキツい。
神の欠片らしいが、それだけでも俺たちを凌駕する力は残っているはず。対面する俺たちは、その力の差を肌で感じている。
『あっそ。今から張り倒しに二階に乗り込むから覚悟しなさい。ヨシオ君、相手がルール違反するならこっちもルール無用よ。力を貸すから頑張って! よっし、みっちゃん、薬ちゃん、あと……運ちゃん、下の階に殴り込みに行くわよ! わかったっす! うん! お供します!』
その言葉を最後に通話が切れた。
他の人の声も聞こえたが、あれは他の社員……つまり他の神なのか?
気にはなるが、今は現状をどうにかすることが最優先。
「くそう、あいつらマジで押し入ってきやがった。くそ、やめろ、おい! お前ら、見てないで助けろ! こうなったら自動プログラムを起動させて……」
欲望の神がわめいていたかと思うと急に黙り込んだ。
このまま、動きが止まってくれたら万々歳なのだが――そうはいかないか。
ずっと口だけしか動かなかった欲望の神の目が赤い光を宿し、体に張り巡らされた血管がさっきよりも激しく脈打っている。
「ワレハ欲望ノ神。主神ニ 属スル者タチヨ 滅ブガイイ」
片言で話す声は、古いタイプの機械で合成した音声としか思えない質の悪さだ。
さっき言っていた自動プログラムを起動させたのか!
「皆さん、警戒してください。運命の神が相手の力を削ぎ弱体化させましたが、まだ力が残っています。我々で撃退するほかありません!」
とでも言っておくしかない。
神々の会話でシリアスをぶち壊されたが、欲望の神との戦いは避けられそうにない。アレが神の欠片で完全体ではなく、尚且つ弱体化させられているとはいえ強敵であるのは間違いない。
「ラスボス戦だ、凌ぎきるぞ」
 




