最終話 いつまでも2人で
歪んだ空間は、何と言うか、説明しづらいが人の形をしているように見えた。透明な線を織り込んだかのようなそれは、衣服を纏わない女性の姿のようだった。
「私は愛の女神、フィレンツェ・ネルドリエ。君たち勇者の生みの親だ」
「ハッ、諸悪の根源だろう。ちょうどいい、一発殴りたかったんだ。さっさと姿を見せろ!」
「良い意気込みだねぇ。でも申し訳ないね。この場の神気が薄くてね。これ以上の顕現は難しい。レイヴン、君の望みを叶えられなくて残念に思うよ」
まったくそう思ってないのは声で分かる。クソが。ハイデラと私で神気を消費しまくった所為だというのであれば、自分が憎くてしょうがない。
「しかし驚いたよ。ハイデラは弱り切ったところで神界に封印しようと思っていたんだが、まさか殺してしまうとは」
「こっちは最初から殺すつもりでやってたんだ。あんたの手柄にされちゃ困るからな」
「嫌われたもんだ。愛が足りないよ、愛が」
腰に手を当てたような雰囲気のフィレンツェは、もう片方の手を額にやって力なく頭を振ってみせた。ような気がする。
「ベアトリスに与える愛の欠片でいいから欲しいもんだよ」
「一片たりともやらん。私の愛は全部ベアトに注ぐと決めたんだ」
「レイ……!」
恥ずかしいことを言っている自覚はあるが、さっきもっと恥ずかしい姿を見られた私はもう失うものは何もなかった。
女神に取られないようにギュッとベアトを抱き寄せると、ベアトも私をギュッと抱き締めてくれた。
それを見た女神は自分を抱き締めながら嬉しそうに吐息を漏らした。
「あぁっ……イイ……素晴らしい愛だ……! それを一欠片でも貰おうとした自分のなんと卑しいことか! さぁ、レイヴン、ベアトリス! 私が君たちの愛を祝福しよう!」
神気の雨は消え去り、空を覆っていた雲が晴れる。なるほど、祝福されている感は十分だ。
「君たちから【女神の寵愛】は消しておいた。もう私に会うことはないだろう。平和に生き、平和な最期を迎えてくれ」
「言われるまでもない。……が、一つ聞きたい。私の体はどうなる?」
「どう、とは?」
「人の姿に戻れるのか? いや、そもそも私は、まだ人なのか?」
女神は透明なまま私に近付き、上から下まで見るような仕草をする。そして一人、うんうんと勝手に頷き始めた。
「難しいところだね。君に流れている血は確かにモンスターのものだ。しかしそのモンスターは異常進化個体と呼ばれる人の転生者。つまり人であり、モンスターでもある存在だ。そして母は歴とした人間。君はモンスターと人間の半分の半分、といったところだろうね」
「ややこしいな……結局どういうことなんだ?」
「どちらかと言うと人間」
「中途半端も中途半端だ……」
中途半端が一番嫌いなんだ。でもこればっかりはどうしようもない。神性を帯びた勇者という体が、体内の奥底に眠っていたモンスターの血を呼び覚ましてしまったのだから。
本来であれば死ぬまで私は人間だったはずだ。なんだ、やっぱり結局このクソ女の所為じゃないか!
ぶっ飛ばしてやりたいところだが、体も動かない。相手も透明。女神の寵愛も失い、もう一生会うこともない。私の仕返しは失敗に終わったのだった。
「さて、そろそろ神界へと戻るとしよう。これ以上は悪影響が出てしまう」
「二度と現れるなよ」
「言われるまでもない。さぁ、さらばだ。愛しの子らよ。私は愛を司る神、フレンツェ=ネルドリエ。愛する者、全ての為の神だ。それが偏愛だろうと愛玩だろうと性愛だろうと純愛だろうと憎愛だろうと溺愛だろうと熱愛だろうと博愛だろうと渇愛だろうと仁愛だろうと恩愛だろうと敬愛だろうと情愛だろうと恋愛だろうと。私は愛を知る者、全てを愛する」
愛の深さにゾッとする。此奴に愛されたら、きっと自分を保てなくなるだろうな……。
女神は最後に「元気でね」と一言残し、透明な糸を解いて消えていった。
私とベアト以外、誰も居なくなった空間で暫くボーっとしていた。その間、ベアトリスはずっと無言で私に寄り添い続けてくれた。
漸く立って歩けるくらいに回復したところで、私はポツリと呟いた。
「帰るか」
「そうですわね。帰りましょう、ヴィルシルフに」
私達は帰る。貴族の家でもなく、住み慣れた家でもなく。新しい、私達の国へ。
□ □ □ □
ヴィルシルフに住み始めて5年が経過した。
まず私がしたのは人に戻る訓練だった。アサギさんの師匠である初代神狼レイチェル・ヴァナルガンド先生をお呼びして人化の術を学んだ。
無事に人間に戻れた私はベアトと2人で暮らすことになった。暫くはダニエラさんの家に間借りさせてもらっていたが、町の皆がすぐに家を建ててくれた。
そしてその家でベアトと2人、仲睦まじく暮らさせてもらっている。
戦いの場となった魔都フィラルドは完全に放棄されることになった。聖地認定も剥奪され……というか私達がさせて、魔人達の暮らす土地として誰の手にも渡らないように動いたのだ。
魔人達も、自分達が崇めていた神がバケモノとなったのを遠目から見ていたらしく、魔神教は程なく廃れ、消滅した。現在は何を信仰するでもなく、平和に暮らしている。
アサギさんと戦ったアストレイアだが、あれもまぁ……何と言うか、元気に暮らしている。アサギさんにこっぴどく痛めつけられ、分からされた彼奴は玄関空間に閉じ込められ、定期的に外に排出されながら修行を繰り返してセブンリーグブーツの力を何とか分離することに成功した。
あの力は彼女にとっても代償が大きいものだったらしい。分離したスキルはレイチェル先生が付与術として靴に使い、ノーリスクで高速移動ができるようになっていた。
感激したアストレイアはそのままヴィルシルフに住み着き、住人とも良好な関係を築いている。この5年でだいぶ丸くなったが、きっとあれが本来の性格なのだと思う。
そして魔神ハイデラは完全に消滅した。……と思っていいだろうという結論に至った。フィラルドの神気汚染が年々、浄化されていっているのが理由の一つだ。
魔人という種族はもう定着してしまっているから人には戻れないが、そのうち神気のないフィラルドには魔人達は住めなくなるはずだ。呼吸と共に接種していることで健康を保っているのが判明したからな。
そうなると新たな住処が必要になる。まぁ、十中八九このヴィルシルフになるだろう。此処は人外の、神代の生き物が住んでいるからな……オリジンエルフと神狼が住む場所だ。神気は十分に満たされている。
現在もフィラルドに住んでいるのは、故郷を離れたがらない人達ばかりだ。いくつかのグループは既にフィラルドからヴィルシルフに移動している。その中には私達を襲ったあの魔人の三人組も居たよ。あんな最後になってしまったが、元気そうで安心した。
「レイ、居ますか?」
「ん? どうした?」
「農作物の調子が良くないのです。少し見てくれませんか?」
畑作業をしていたベアトが窓から顔を覗かせて私を呼んだ。こんな長閑な生活ができるなんて、思いもしなかった。平和そのものの毎日を、2人で謳歌している。
「其奴は拙いな。もうすぐ収穫時だってのに。ジャガイモの付け合わせがないハンバーグなんて味気ないぞ」
「美味しい食事の為に、頑張りますわよ!」
作りかけの服を置いて作業着に着替えた私は、剣……ではなく、鍬を持って家を飛び出した。
走る私にお隣に住む鬼族の方が手を振る。それに手を振り返し、私はベアトの元へと走った。
こんな生活がいつまでも続きますように。……なんて、願いながら。
【異世界に来た僕は器用貧乏で素早さ頼りな旅をする】から続いたストーリーはこれにて完結です。
沢山の応援の言葉がとても嬉しかったです。
尚、前作【器用貧乏】のコミカライズ最終巻である10巻が本日4月18日に発売されています。
良かったら手に取っていただけると幸いです。
本当にありがとうございました!




