第四十三話 あっけない決着
風切り音が鼓膜を刺激する。足元から吹き上がる風に前髪が揺れた。尾を引くようにたなびく白と翠の風は、私の両足から発生している『白翠狼王の脚』というスキルだ。
あの日見たアサギさんのスキルと同じ風が私を運んでくれる。
「殺してやるぞ……クソ勇者が……!」
「やってみるといい」
「!?」
私の返事にさぞ驚いたことだろう。グッと踏み込んだと思ったら、すでに私はハイデラの背後を取っていたのだから。
振り下ろした『琳翠星鉄の森剣』を防ごうとハイデラは神腕をかざす。反応したところまでは良かった。
が、森剣を防ぐことはできなかった。感触すら感じられない程にあっさりと翡翠の刃はハイデラの腕を切断した。
「ぐがぁっ!!」
これまで攻撃を受けながら悲鳴らしい悲鳴を上げてこなかったハイデラが苦悶の表情で切断面を抑える。血と共に溢れ出る黒い神気は手の平では受け止められず、ビチャビチャと地面へ垂れ流れていく。
切断された方の腕は気持ち悪いことにビクビクと痙攣をしていた。何だか嫌なので遠くへ蹴り飛ばしておく。
ハイデラは呻きながら、神気のまとわりついた手で反撃を繰り出す。しかしそれは空を切るだけに終わった。一瞬にして距離を離したので、当たる訳がなかった。
思った通りに事が運ばないからか先程までは確かにあったはずの余裕が、ハイデラの顔から消えた。真剣な顔、なのだが無表情に近い。それがどこか作り物めいていて、不安を煽った。
油断してはならないと、私の中の何かが警鐘を鳴らしている。
「……わしてやる」
「あ?」
「……壊してやる……全部全部全部ッッッ!!!!」
感情という感情が抜けきったかのような無表情が一転、憎悪と憤怒を人の一生分煮詰めたかのようなどす黒い感情で顔が歪んでいた。
「破壊だぁぁぁぁああああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!!!」
全方位に解き放たれる黒い波動。ベアトとアサギさんが気になったが、既に姿がない。玄関空間にでも逃げ込んだか。気にせず動けるからその方が助かる。
さて、襲い来る波動に対抗するように此方も神気を発生させて打ち消すようにぶつける。
白と黒の神気がぶつかり合い、接触面から弾けて建物が吹き飛んでいく。その衝撃の中、剣を手に突っ込んでいく。不意を突かれたハイデラが息を呑む。その喉めがけて琳翠星鉄の森剣の刃を叩き込む。
「ぐぅああっ!」
まるで鉄の塊に剣を叩きつけたかのような感触だった。切った感触ではなく、叩いた感触が手に残る。
叩かれた魔神は勢いのままに後方へと吹き飛んでいく。それを追い、追い越してハイデラの華奢な腰に蹴りを入れる。成す術もなく折れ曲がり、今度は天井へと飛んでいく。
更にそれを追い、黒髪の天辺目掛けて踵をぶち込んだ。
「がはぁっ!!」
ハイデラは受け身も取れずに地面へと叩きつけられる。私は天井近くで高度を維持したままそれを見下ろしていた。
一連の攻撃の中で蹴りには手応えがあった。しかし剣での攻撃に関してはダメージが入った気配がない。
「……そうか。神気の注入量が足りないのか」
体から溢れる神気は込めずとも徒手空拳には乗るものだ。しかし剣は体外にあるものだ。意識して神気を乗せて斬ってはいたが、どうやら思っている以上にこの剣は神気を要求してくるらしい。
ギュッと剣の柄を握り締め、体内を巡る神気を剣へと込めていく。すると先程とは比べ物にならないくらいに刃が輝き始めた。眩い翡翠の光がミストマリア全体を照らしていく。
「くっ……思ったより要求量が多いな。長期戦はできないな……」
この量を維持するのは難しい。だがこれならば早々にハイデラを始末できるだろう。
両足に力を込めていく。神気を混ぜた白翠の風は鼓膜を裂くかのような風切り音を立てて風速を上げていく。
限界まで風速を上げていくと耳が痛くなってくるが、その分速度も威力も上がっているはずだ。
「最後の決戦だ! 魔神ハイデラ!」
「あぁ来いよ、勇者ァ! 原型なくなるまで破壊してやる!」
神速を超えた神速で森剣を振り抜く。だが速度に目が慣れたのか、首の皮一枚で避けられる。すぐに距離を置き、ガチン! と剣を鞘に納め、再び距離を詰める。
人が駆けるには足を使う。狼が駆けるには脚を使う。二足歩行の人間が駆ける為には使わない腕は、狼にとっては駆ける為の前足だ。ならば、駆ける為の力である『白翠狼王の脚』は腕にも使えるはずだ。
その予想は見事に的中し、剣を抜いた右腕に白翠の風が渦巻いた。
「『居合三閃』ッッッ!!!」
先程の一撃で速度に慣れたと思っていたハイデラはこの三撃には追い付けなかった。前腕を4分割されたハイデラは慌てて距離を取る。
追撃にと踏み込むが、ハイデラが踏んでいた場所で神気が爆ぜた。
「地雷って知ってるかぁ!?」
「知らんッ!!」
「!? チィッ……!」
しかしそんな爆風など物ともせずに突き抜けた。口の中で血の味がする。それを食いしばった歯の隙間から気合の息と共に吐き出しながら右下から左上へと剣を振り上げる。
胸の皮一枚でギリギリ躱したハイデラは舌打ちをしながら腕の切断面を強く掴み、指を食い込ませて断面を引き千切った。
琳翠星鉄の森剣に流した私の神気の所為で阻害されていた回復が進む。ドバドバと溢れ出た黒い神気は腕の形となって固定される。
「ならその両腕を一気に削いでやろう」
「やれるもんならやってみろや」
「『上社式・亜流』……」
腰に下げていた《首切丸》を抜き、左手に構える。地面と平行になるまで姿勢を落とし、脚に貯めた風を爆発させる。ハイデラは目を見開き、己の身を守る為に神気を纏い、圧縮させて両腕に纏わせてクロスさせた。
「『二牙擘胴』!!」
最初の一撃で腕から首にかけて首切丸を突き立てた。勢いのまま通り抜け、反転。背後から森剣でハイデラの上半身と下半身を分断した。
「ガ……カハッ……!?」
「ハッ、腕が使えなければ再生できまい?」
玄関空間でアサギさんに教わった技だ。これは私たちが使う《剣術・天》というスキルの中にある『刀華一閃』や『居合三閃』といったスキル由来の技とは違い、アサギさんがこの世界に転移してから身に着けたオリジナルの技だ。
その身一つで放り込まれた世界で死と隣り合わせになりながら編み出した技を私は直々に教わり、会得している。
今の技、本当は駆け抜けながら切断し、急反転して再び切断して三分割する技だったが、ハイデラの回復手段を奪う為に少しアレンジさせてもらった。
お蔭様でハイデラは喋ることもできずに地面に転がって藻掻いていた。
「お前が地面に転がるのは600年ぶりか? いつもはギリギリのところで惨めに逃げいていたそうだな」
「カッ……ガ……ッ!」
「あぁ、いや、今の方が惨めだな。子供に悪戯されて四肢を捥がれた虫と変わらん」
森剣を振り上げる。此奴に苦しめられた多くの人々やかつての勇者のことを思うと慈悲の心は微塵もなかった。
「死ぬがいい」
顔に向けて剣を振り下ろした。抵抗出来ないハイデラはあっけなく斬撃を受け入れ、絶命した。切断面から内容物や神気がドロドロと零れ出ていく。
靴の先に着いたそれを地面に擦り付け、剣を鞘に仕舞った。刺したままだった首切丸も引き抜き、鞘に仕舞った。見ている限り、生き返るような気配はない。
「……ハァ、終わった。帰ろう」
何だ、こんなものか。という気持ちが大きかった。別に自分が好戦的な人間だとは思っていない。むしろ逆だ。モンスターの血が流れていると知った今でもそういった感情は一切ない。
だがどこか物足りなさを感じた。自分が強くなり過ぎたのだろうか。
もう一度ハイデラの死体を見るが変化はない。もう動かないものを見続けても何も楽しくない。私は踵を返してミストマリアを後にし……ようとして、水滴の落ちる音を耳にした。思わず自分の口角が歪んでしまうのを止められなかった。
「死んだふりならもっと長くするべきだったな?」
「ハァ……ハァ……クソが……」
悪態をつくハイデラは上半身だけで浮かんでいた。自由になった両腕だが首切丸に開けられた風穴は塞がっていないし、勿論、切断された下半身も繋がる気配がない。もう限界なのだろう。
まだ戦える。しかも今なら確実に殺せる。
その事実が剣を握る手に力を込めさせた。
姿勢を低くさせた。
両足に風を纏わせた。
私を飛び込ませた。
「ハァァァッ!!」
「クソが……クソクソクソッ!!」
悪態をつき続けるハイデラは、しかしニヤリと笑った。
「本当、クソみたいな人生で、神生だったわ」
遺言だと思ったそれは、しかし確かに遺言だった。
ハイデラの目や鼻、耳、口といった穴という穴から黒い神気が溢れ出した。その異様な光景に急停止した私は油断なく観察した。
溢れ出たドロドロの神気は地面に転がる下半身も飲み込んでいく。
そうして大きな黒い一塊の大きな神気の塊が出来上がった。
正直、何処をどう攻撃したらいいのか見当がつかない。いっそ人型であった方が楽だった。しかし油断なく風を貯め、剣を構える。
黒い球体は時折紫電を放ちながら回転しながらぐねぐねと歪む。まるで中から何かが生まれてくるかのような、突き破りたそうなそんな動きだった。
やがて一か所が大きく歪む。角のように伸びた神気が弾け、其処から巨大な腕が生まれた。それを皮切りにボコボコといくつもの歪みが生まれていく。
「普通、腕は2本だろ……?」
私の言葉に肯定してくれる人は居なかった。パンッとかボチュッとか気持ちの悪い音を立ててどんどんと腕が生えてくる。
その腕が体を包む神気を掴み、無理矢理引き剥がしていく。そして中から現れたのは、無数の腕を生やし、巨大化してハイデラだった。
「アーーーー……アアアア……」
神気の排出口となった目や口は黒い空洞のようになっている。其処に意志は感じられない。何も見ていないし、何も喋らない。呻き声だけがミストマリアに響いた。




