第四十二話 最も勇ましき者
黒い波動が衝撃波となって私を襲う。『障壁展開』で防いで『立体機動』で勢いを殺して……なんて考えは『思考加速』のお蔭でできたが、体が追い付かない。
「レイ!」
そんな私の体たらくぶりだったが、ベアトリスは一足早く行動を起こしていた。
剣を捨て、衝撃波と私の間に飛び出して私を抱き抱える。そんな捨て身の行動なんてやめてくれと言う暇もなかった。
「ベア、ト……!」
私を庇ったベアトリス越しに見えたのは黒い波動。それがベアトリスの背中を焼き、庇った私ごと壁まで吹き飛ばした。
強かに打ち付けた背中の衝撃で、咳も出ない程に息が吐き出される。打った後頭部がジンジンと痛い。耳鳴りが止まない。ようやく戻ってきた空気を血と共に咳で吐き出しながら、何度も吸い込んだ。
クラクラとした眩暈は治まらない。それでも目だけは開けようと努力した。私を庇ったベアトリスが、巧妙な罠に嵌めてくれたハイデラを、視界に収めた。
「……、……!」
「……ッ! …………ッ!」
遠くでハイデラが笑い、額から血を流したベアトリスが私の上で倒れている。何度も名を呼ぶが、届かない。
「ベ、アトリス……ベアト……!」
「う……」
「ベアトリス!? 大丈夫か!?」
呼び掛けたお蔭か、ベアトリスが呻き声をあげる。意識は取り戻せたようだが、ダメージが大きい。呼び掛けながら光魔法で回復を続けていたが、黒い神気の所為か、傷の治りが異常に遅かった。
目を覚ましたベアトリスは震える手で私の頬にそっと触れた。ぬるりとした感触に、自分も額から血を流していることに気付いた。額かどこかを切ったらしい。
「様になって、きましたわね……」
「はぁ……?」
「勇者っぽい、ですわよ」
「馬鹿言ってる場合じゃないぞ! ハイデラが……ちくしょう、ニヤケ面で観察してやがる……!」
「なら、時間はありますわね……」
頬に触れている指先が暖かくなってくる。ベアトリスの神気が集まっているようだ。何をするのかと思っていたが、流れ出ていた血が乾いてパラパラと落ちていくのが見えた。傷が治っていく。
ハイデラの黒い神気の所為で回復が通りにくくなっていたのが嘘みたいだった。激痛も、それに隠れた鈍痛も消えていく。失った体力すら戻ってきたかのようだった。
「回復魔法じゃ、ない……?」
「ふふ、愛ですわ……」
「ははっ、すげぇな……よし、一緒に回復したら……ベアトリス?」
もう一度一緒に戦おう。そう言いたかった。けれど、ベアトリスはさっきよりももっと疲弊した顔をしていた。真っ白な顔で、血の気がない。
「おい、ベアトリス!」
「修行中に芽生えた新しいスキル……『愛の枷』は、愛する人へ自分の体力を分け与えるスキルですわ……だから、ここからは1人で……」
「無理だよ……! 2人だから戦えてたのに!」
睨む先のハイデラは、ニヤニヤと私たちを観察していた。
「ただ破壊する以外にもこういう楽しみ方もあったとはなぁ……2人いてくれて助かったぜ……」
「くっ……! ベアトリス、なんとかならないのか……!?」
「無理ですわ……でもせめて、一緒に……」
そう言ってベアトリスが渡してきたのは、かつてダニエラさんが受け取った勇者の指輪だった。
震える指先で持つそれを手ごとギュッと握り締める。落ちないように、落とさないように。
ベアトリスの指先は、驚く程冷たかった。けれど、指輪はとても熱かった。勇者としての勇気や情熱が凝縮されたような熱さだ。
でも何よりも、私はそれに愛を感じた。
「一緒に戦うぞ、ベアトリス」
「レイ……さっきみたいに、ベアトって、呼んでくれませんの……?」
「……ベアト。待ってて。すぐに倒すから」
「ハハッ、それは無理だな! 一緒に死ね!」
「ッ!?」
私たちの愛の間に入り込んできたハイデラは、禍々しい黒い神気の波動を一点に集中させ、放ってきた。
これから此奴をぶち殺してやろうって、そう思っていたのに。目の前を埋め尽くす黒い波動からはどうやっても逃げられない。
ギュッとベアトを抱き締める。せめてベアトだけでも……とか、ハイデラを倒せずに申し訳ないとか、色んな思考が勝手に加速する。思わず目を背けたくなるような光景の所為だ。
瞼が落ちてくる。私はそれに抗うが、体がこの現実を拒否しているようで難しかった。
「諦めるな、レイ!」
だが、瞼は落ち切らなかった。波動と私たちの間に人の形をした狼が割り込んできたからだ。
目が眩むような眩い銀の毛に覆われた狼は、青黒い大剣とスリットの入った両刃の大剣をそれぞれ片手に持ち、波動を受け止めた。
耳の中が爆発したかと思うほどの衝撃と音に、吹き飛ばされないように必死にベアトを抱き締めながら耐えていた。
「その声……アサギさんか!?」
「あぁ、僕だよ! 無事か!?」
「私はベアトが治してくれたけど、代わりにベアトが……!」
「クソ……もう少し早く来るべきだっ……たぁ!!」
気合の声と共に波動が剣によって裂かれた。左右に弾けた波動は背後の壁を跡形もなく吹き飛ばした。
ハイデラの攻撃が落ち着いてから、改めてアサギさんの様相を見る。先ほど見せた神狼の姿をそのまま人間に落とし込んだような姿だった。
あの胡散臭いおっさん姿から変わった時よりも大きく立派な耳と尻尾が生えているし、体格も一回り以上大きくなっている。脚も狼の後ろ脚のような形へと変化していた。
そして何よりも大きく変化していたのは顔だった。人間の顔ではなく、最早狼そのものと言ってもいい。ただ、其処にはまだ人間の知性と理性が残っていた。
「ハァ、ハァ……くっ……!」
ハイデラの攻撃を弾いたアサギさんがその場に膝をつく。ベアトをそっと寝かせた私はアサギさんの元へと駆け寄った。
「大丈夫か!?」
「このモードは、長く続かない……からな……」
「神気を吸収し過ぎだ!」
今の私なら分かる。この姿になっているのは多くの神気を吸収した結果だ。より勇者に……いや、モンスターに近付いている証拠だ。
寝かせる為に両肩を掴んで無理矢理押し倒す。これ以上何もさせちゃいけない。この人を失ってはいけない。
追撃を警戒して魔神を見るが、先ほどの攻撃の反動が大きいのか、肩で息をしていた。まだ大丈夫そうだ。
「……あれ、それは?」
「え? あ、これは、父の形見だけど」
「父……? ハハッ、そうか……そういうことか」
魔神を見ていて気付かなかったが、服の中に入れていた父のペンダントが首元から出てきていたようだ。アサギさんの目の前で揺れるそれは黒く鋭い。
そういえばダニエラさんには見せたけどアサギさんには見せていなかった。ペンダントを見たアサギさんは不思議そうに見ていたが、何かを知ったのか、苦しい状態だというのに笑い始めた。
アサギさんは手を伸ばし、そっと父のペンダントに触れた。
「やぁ、久しぶりだ。我が友よ……娘の為に、力を貸してやってくれ。僕も手伝うからさ」
そう言うと父の爪が淡い緑色に輝き始めた。するりと勝手に結んでいた革紐が解ける。浮かんだペンダントは更に光を強め、呼応するように私とベアトの指輪が輝き始めた。
「ベアトリスの指輪もつけて」
促されるままに自分の指輪と同じ左手の薬指に嵌める。爪を過ぎると自然とサイズが広がり、私の指輪の隣で同じサイズへと収縮した。浮かんでいた爪はふわりと動き、二つの勇者の指輪に重なっていく。
一瞬、目も開けられないような強い光を放った。瞼越しで分かるくらいの強烈な新緑の色。
それが収まった時、指に嵌っていたのは、まるで金属で出来た狼の爪だった。思わず『超鑑定』でそれを確認してしまった。
『最も勇ましき白翠狼王の爪 君の人生は切り開かれた。全ての不幸と困難を切り裂くように駆け抜ける爪は、何よりも与えたかった父と母の愛である』
目頭が熱くなる。溢れ出ようとする涙をギュッと堪えて、それでも零れ出てくる涙を服の袖で乱雑に拭った。
「君の血は覚醒した。どうなっているかは、わかるね?」
「あぁ……完全に理解しているよ。父の力……アサギさんにもあった力。それは今、私の中にある」
ゆっくりと力を励起させる。両足に白と翠が入り混じった風が渦巻いた。
「ベアトリスは僕が守る。僕がやりきれなかった後始末、任せてしまって申し訳ない」
「いいよ。その為に私は生まれて来たんだから」
立ち上がり、天狐を構えようとして気付いた。刃が中程から折れている。
「それじゃ戦えないな。これを使うと良い」
そういって差し出されたのは不思議な光を放つ緑色の両刃の剣だった。
「《琳翠星鉄の森剣》という、古代エルフが作り上げた最強の剣だ。使ってくれ」
「ありがとう、助かる」
戦える武器なら何でもいいと受け取り、驚いた。まるで重さがない。でも切れ味はきっと天狐よりも上だろう。これなら何年戦いが続いたって振っていられるだろう。
向き合ったハイデラは、ようやく反動が収まったのか深く息を吸い、吐いた。
「まったくふざけた姿だな……アサギィィ!!」
しかし奴が見ているのは私ではなく、アサギさんだった。地面を蹴り、突っ込もうとしている直線上に立ち塞がり、森剣の切っ先をハイデラに向けた。
「邪魔すんなや、勇者もどきが……」
「ここから先へは行かせない。そして私はもどきじゃない」
息を吸う。言葉にする為に。その言葉を吐くまでに、真の意味を理解するまでにかなり掛かってしまった。色んな思いが、記憶が巡る。
そんな思い出達に背中を押され、口に出した言葉は、過去の弱い自分との決別の言葉だった。
「私は、《勇者》だ!」




