第四十一話 魔神の罠
振り上げた刃をまっすぐに振り下ろす。全てを断つはずの刃は魔神の肌を優しく撫で、足元の床を切り裂いた。
勢いのままに振り回した脚で魔神の側頭部を蹴り込むが、足の甲の骨にヒビが入る音がした。
距離を置く為に放った光魔法の光線は魔神の額に触れた途端に5つに分かれて背後へと飛んで行った。
「何だ此奴、何が効くんだ!?」
「あははぁ!」
「クッソ!」
蹴りと言うよりは踊りのように伸ばした爪先が十字に重ねた私の腕に触れる。途端に弾かれたように私の体は急速に魔神と距離を置き、入り口傍の壁へと激突した。
肺の中の空気を全部吐き出さされ、慌てて空気を吸い込もうとしたが何かが込み上げてきて口から吐き出す。それは塊のような血だった。べしゃりと床の上に落ちた血は液体だったことを思い出し、足元へと広がっていく。
ガクガクと震える体を制御し、精一杯の虚勢でハイデラを睨む。
「おぉ、怖い怖い。死にかけの奴がする目じゃねぇな」
「ごろじで、やる……ガッハ、ゲホォ!」
「レイ!」
私の前に立ったベアトリスが後ろ手に光魔法を掛けてくれて回復してくれる。体中の痛みがスッと引いていくのが分かる。まるで筆くらい細くなっていた喉が広がり、苦しかった息もできるようになった。
蹴り、というか小突かれただけでこれだ。まったく、化け物以外の何者でもないな。
手放さなかった天弧を杖代わりに立ち上がり、口の中に残った血混じりの唾液を床に吐き捨て、靴の裏でグリグリと念入りに痛めつけて指を差した。
「これが未来のお前な」
「はっはは! 口だけは達者だなぁ、おい! やってみろよぉ!」
突風のような圧と共にハイデラから多量の神気が溢れ出てくる。それは勇者である私たちの体に流れ始めた清廉なものとは違い、黒いドロドロとした目を背けたくなるような気持ちの悪い力だった。
対抗するように体内の力を励起させる。すると白いオーラのような神力が全身を覆う。力が溢れる。
神気のオーラが溢れ出ているのは私だけではない。ベアトリスも全身からオーラを溢れさせ、手にした黒帝剣にまでオーラを乗せていた。
それに倣うように天狐へオーラを乗せ、鞘へと仕舞う。姿勢を低くし、スキル『神速移動』を足ではなく、腕で発動させた。
「ハァッ!」
放たれるのは目にも止まらぬ神速の『居合三閃』。加えて神気を乗せた天狐の斬撃。この3つの組み合わせで放った技を私は『天華白閃』と名付けた。玄関空間での修行の成果の一つだ。
ハイデラは溜息を吐き、剣閃を掌を向けて防ごうとした。……が、その目論見は失敗に終わる。掌にぶつかった斬撃はハイデラの手を、指を、腕を斬り飛ばした。
予想外の結果にハイデラの顔が歪む。苦痛と、愉悦の色に。
「やるじゃない」
溢れる血は赤色だ。その奔流がそのままの形でピタリと止まる。ギョッとして目を見開いた。そんな止血の仕方があってたまるか。
しかも止血に留まらず、血は時間が巻き戻るかのように腕の中へと戻っていく。そして当然のように、肉片も元通りに戻り、八つ裂きにしたはずの腕が再生した。
感触を確かめるように握ったり開いたり、肩を回して確認するハイデラ。準備運動のような動きの中で、いつ攻撃が来るか予想ができずに追撃の手が出せない。
「んん? なんだ、もう引き出しの中は空っぽか? 夢と希望も底を尽いたかぁ!?」
「まだまだ、これからですわ!」
ベアトリスが駆け出す。私のような技ではなく、純粋な技術で剣を振るう。
いつかベアトリスが話してくれたことを思い出す。彼女は剣の家系に生まれながら剣の才能に恵まれなかった。それでも腕を磨き続け、勇者として覚醒して、本物のスキルを与えられた。
だから彼女の剣のスキルは、地道に努力し続けた地力の上にある。だから同じ剣術【天】のスキルを持っていようと、彼女の剣捌きは私よりも遥かに格が違った。
白刀・天狐とは違う両刃の重い黒帝剣ヴェルノワールを片手で振りながら、少しずつハイデラに傷を増やしていく。
「私もいくぞ!」
「2人でやりますわよ!」
玄関空間での約2年の修行の大半はこの連携にあった。アサギさんとダニエラさんがハイデラと渡り合えたのは2人が共に旅をしたからだ。苦楽を共にし、共に戦ったから。
その間柄と同じ年月の密度は私たちには少し足りなかったが、それでも私たちは共に生き、戦った。
一切の攻撃の手を休めない連撃がハイデラを襲う。余裕綽々といったニヤケ面は次第に引っ込み、無表情となり、そして眉間に皺を寄せ始めた。
「神とはいえ、この連撃を対処し続けるのは苦しいだろう!」
「勇者が2人、お前は1人! そこに勝機があるのは当然ですわ!」
「く、そが……ッ!」
切断した腕から噴き出す血すら斬り捨てる。雷魔法に神気を混ぜた斬撃はハイデラの切断面を焦げ付かせる。
どんな傷をも再生させていたハイデラだったが、腕と腕の間に異物である私の神気が邪魔をして再生を阻害させていた。
その状態が気に食わないのか、眉間の皺は先ほどよりも深くなり、しかめっ面になってきた。だんだんと焦りの色が見えてくる。
「どうした!? 気分が悪そうだな!」
「具合が悪いのでしたら、早くお家に帰られた方がよろしいですわよ!」
「舐めた口利いてんじゃねぇぞガキがぁ!!」
この口撃もまた修行の成果だ。アサギさん曰く、『彼奴は口プに弱い』とのこと。口プが何かはよく分からなかったが、馬鹿にされるとすぐに頭に血が上るらしい。
そうなると攻撃も荒くなるし、攻撃のチャンスも増えてくる。一点、気を付けなければいけないのが無茶な攻撃のダメージが増えるということだろう。私もベアトリスから怒り任せのパンチを食らったらきっとダウンしてしまう。
だんだんキレだしたハイデラの猛攻を天狐の峰で往なしながら、返す刀で首を狙っていく。だが其処は流石に弱点だからか、黒い神気に覆われていて攻撃が通らない。小賢しい真似をする魔神だ。
しかし連撃に連撃を重ね続けていくと黒い神気が微量ではあるが剥がれてきているのが見えた。薄っすらと首筋が見える。
ハイデラもそれに気付いているようで、怒りの表情は焦りへと変わった。
「其処だ!」
そのチャンスを逃すまいと目いっぱいに刃に神気を乗せて、振り下ろす。
しかし、その刃が首に届く間際に黒い神気がゆらりと首を覆い隠す。視界の端に映ったハイデラの口角が吊り上がるのが見えた。
――しまった、罠だ。
気付いた時には、膨大なハイデラの神気の波動が私を襲っていた。




