第三十九話 魔神顕現
行き場のなくなった上着に袖を通す。依然として私達は警戒態勢のままだ。いつまたあの銀の腕が襲ってくるかも分からない。ダニエラさんを貫いていた腕は斬り落とされ、今は見る影もなくしぼんでいる。その事からおよそまともな生き物ではないのが伺える。
「さて、今分かっている情報をまとめるぞ」
治療と身支度を終えたダニエラさんが武器を手に私とベアトリスを見る。
「私を襲った銀の腕は勿論、あれが本体ではない。当然のように空間を裂いて現れるから次元獣の類であることは確かだ」
「ですが今までとはあまりにも特徴が違いすぎますわ」
「そう。其処が問題だ」
あまりにも異常。あまりにも異形。いや、異形なのは次元獣の専売特許だ。醜く捻じれ、潰れた見た目。だがこの場合の異形とは洗練された見た目による、逆の意味での異形だ。
「今までこういうことは無かったが、高位の次元獣……のようなものが生まれたのかもしれない」
「なるほど……ならアサギさんと別れてからの襲撃は全部其奴の指示と?」
「可能性は高い」
ノヴァによる《神界接続》実験の弊害。無差別に召喚され、次元の狭間に堕とされた異界の人間達の成れの果て……果ての存在である次元獣に、更に果てがあるとしたら?
その答えはゆっくりと、私達の眼前に姿を現した。
「……」
「なるほど、そういうことか」
音も気配もなく現れたソレに剣を向ける私とベアトリスの後ろでダニエラさんが呟く。
眼前のソレは銀一色の人の形をした何かだ。勿論、此奴がダニエラさんの胸を貫いた張本人であるのは確かなのだが、異様過ぎる状況に最初の一撃が入れられなかった。
「此奴も次元獣の仲間、だな。感じられる気配が同じだ。ただ、とんでもなく上位の存在……分かりやすく言えば獣が人へと進化した、と言ったところか。次元人とでも呼べばいいかな」
「殺せるんですか……これ」
「分からん。だが、此奴を始末しない限り次元獣の襲撃は終わらない。私が足止めするから、お前達は先へ行け!」
すぐに踵を返した。得体の知れない敵ではあるが、ダニエラさんなら任せて問題ないと思えた私とベアトリスは一気に速度を上げる。
「お前達なら確実にハイデラを殺せる! 互いを信じ合い、互いに助け合え!!」
「「はい!!」」
ダニエラさんの言葉に背中を押される。今なら神が相手でも怖くない。隣を見ると、ベアトリスも同じ気持ちのようで私を見て不敵な笑みを浮かべていた。
不意に初めて会った時の事を思い出した。私は極限に不機嫌で、ベアトリスは退屈そうで。なのにいきなり『私のものになりなさい』だなんて……こんな奴とやっていけるのか、不安でしかなかったけれど、今はそんな不安は微塵もない。
どんな時も此奴は私を助けてくれたし、私を好いてくれている。それがとても嬉しく、心強かった。ベアトリスとなら、私はどんな場所でだって戦えると心の底から思えた。
「行くぞ、ベアトリス!」
「えぇ、行きましょう!」
動き出した足は止まらない。後はもう、魔神を殺すだけだ。
□ □ □ □
教会の最奥までやってきた。ダニエラさんが足止めしてくれているお陰で次元獣の襲撃はなく、また、魔人達の襲撃もなかった。どうやらこの辺りは侵入が許されていないらしい。見れば荘厳ではあるが、それだけだ。常に人が立ち入り、信仰を捧げているような跡は見られない。
「聖域、とでもいうのでしょうか?」
「そうかもしれないな」
ベアトリスは見上げた巨大な十字架を眺めて呟く。が、私が見ているのは下だ。《透過の神眼》はその十字架の真下に地下へと通路があるのを見つけていた。瞬きをして神眼を通常状態に切り替え、地下への入口を隠す大机を天弧で斬り飛ばした。大机が無くなり、捲れ上がった絨毯の下から四角い蓋が現れた。
「この下に?」
「あぁ。最初に神が出現した女神教と魔神教の本物の聖地……古代エルフが作り上げた第零番施設ミストマリアがある」
この成り行きは全てアサギさんとダニエラさんから聞いている。この下こそが本物の聖域だ。私にしてみれば胡散臭い施設でしかないが。
蓋をこじ開けると細長い縦穴が現れる。黒い壁に青いラインが一定周期で発光し、地下をゆっくりと照らす。まるで地下深くへ誘っているかのようだった。壁の一方には取り付けたというよりは壁が変形して生えたような取っ手の梯子が遥か下方まで連なっていた。勿論、ご丁寧にそれを利用して下りるようなことはしない。
「行くぞ」
「えぇ」
トン、と踏み出し、一気に落ちていく。私は足元に《障壁展開》をし、ベアトリスは2人分の体を風魔法で包み、速度を操作する。これでいつ何時襲われても対処出来る。
だがそんな心配はまるで何の意味もなくあっさりと地下へと到達した。
其処はかつて、原初の勇者が神と戦った場所だった。抉れた床や破壊された壁はそのままに、鼻につく匂いは……血の匂い。
そんな場所に1人の男が膝を立てて座っていた。黒い長髪は地面に広がり、瓦礫に沿ってうねっている。男は、ゆっくりと顔を上げた。
「……今代の勇者は、お前らか」
「あぁ。そして最後の勇者だ」
「ふん……おい、アサギはどうした?」
「は?」
「彼奴は来ないのかって、聞いてんだよ……あの野郎、いつになったら俺の前に現れるんだ……こんな、雑魚ばかりの相手をする為に俺は……俺は……」
異様だった。1人の神が、1人の人間に執着する姿は異常でしかなかった。勿論、魔神のこともアサギさんから聞いていたし、2人の因縁についても知っている。だがこの神は、勇者という存在が2度、神と出会えることを知らない様子だった。
「アサギさんは来ない。というか、来れない。人間は、神を1度しか認識出来ない。それ以上は神気に汚染されて死ぬ。それが人間の制約だから」
「何だと……俺は、彼奴を殺す為に何度も何度も、長い時間を待って待って待って、待ち続けたんだぞ……そんなふざけた事あるかよ……」
ゆっくりと立ち上がった魔神から放たれる圧が、無意識に私達の足を一歩後退させた。自然に構えた刀の先が、震える。
「…………ならもういいや。破壊しちまおう。こんな世界、我慢してやる必要なんてなかったんだな」
「此処には、お前の信者だって居るんだぞ。それでも、破壊するのか?」
「信者? そんなもの、頼んだ覚えはない……あぁ、いや……ははは、だけど俺の信者だって言うのなら、破壊されることもまた、救いだよなぁ?」
「……ッ!」
魔神から発せられる圧が増した。足元の瓦礫が魔神から放射される神気だけで転がっていくのを横目に構えた天弧の切っ先を魔神に向ける。
「さぁ、来いよ。この世界、最後の破壊だ!」
「行くぞ!」
「えぇ!」
私からの先制、ベアトリスの援護。いつも通りにやれば必ず勝てる。今、此奴を殺せるのは私達だけだ。殺せなければ、世界が終わる。絶対に此処で殺さなければならない。
後の無い戦いに投じる私達の背中を、2人の師匠が押してくれた。その2人に応える為にも……。
「はぁぁああ!!!」
私は魔力を込めた刃を振り上げるのだった。




