第三十六話 初代勇者の力
大通りを走る。魔人だからと言っておどろおどろしい装飾なんてのは偏見に近い妄想で、実際は古き良きランブルセン式を感じさせる建物が左右に並ぶ。こうして見ると神気に侵され、異なる文化を築いた別の国の人間と言われても納得出来てしまう。
異なる神を崇め、異なる常識を持っただけの、同じ人間。
走る私の頭の中に過るのはそればかりだ。
けれど、割り切ろう。これは戦争だ。破壊神……魔神ハイデラは世界を滅ぼす悪だ。神を崇める事自体は悪ではない。崇めた神が悪だった。彼等にしてみれば善なる神かもしれない。だが、その思想の違いは埋められない溝だ。だからこそ戦争が起きた。
私の前を走るアサギさんが騎士を蹴り飛ばす。頑強な鎧があり得ないくらいにへこむ程の威力で、あの中の魔人が生きてるとは思えなかった。
私の後ろで風切り音がして騎士の悲鳴が聞こえる。ガシャン、と音を立てて倒れた騎士は身動ぎ一つしない。
何が正しいか、何が間違ってるのか。私に答えは出せないが、私は勇者になると決めた時、私自身を脅かす危険を排除することを決めた。私自身の答えは極めて単純だ。
『ムカつく奴はぶっ飛ばす』
そう、これだけだ。
□ □ □ □
魔神教総本山というだけあって目的地は分かりやすい。一番大きくて豪華な建物だ。此処からでも見える。あの一番奥の建物……あれがミストマリア大神殿だろう。こうして近付くにつれて騎士の数も多くなってきているのが何よりの証拠だ。
「此処からは気を引き締めていくぞ」
「私は攪乱してくる」
「あいよ」
殿のダニエラさんが間を置かずに掻き消えた。風系の隠蔽魔法だろう。《気配遮断》も使っているようで、気配が薄れていく。アサギさんは振り向くことなく教会へと進んでいく。その後ろ姿から伝わるダニエラさんへの信頼感が心強い。
見えてきた教会は見上げる程に大きく、その出入口である両開きの扉はそれに比例した巨大さで見る者を圧倒させた。なるほど、厳かと言われれば厳かとも言える。
その扉の前には少し拓けた場所がある。扉が開く分だけの場所だ。其処から階段が数段あり、教会前広場とでも呼べそうな広場へと繋がっている。
そんな扉前……上の広場と、教会前……下の広場には教会騎士がぎっしりと詰まっていた。ご立派な盾を構えて『此処は通さないぞ』という意思を表示している。そんな意思だけで侵攻を阻止出来るなら誰でも出来るだろう。
「シンプルに邪魔なんだよな……」
「よろしく、先輩」
「お願いします、アサギ様」
「君らね……まぁいいんですけど」
ガシガシと後頭部を引っ掻きながらアサギさんが何故か剣を仕舞う。
「魅せますか……」
一体何が始まるのか分からないが、とんでもない事をしようとしているのが分かる。周囲を渦巻く神気の濃さが増した。その収束点はアサギさんの両腕だった。
「僕本来の姿ってのは今の姿なんだけど、だけどこれだけって訳じゃないんだよ」
白銀の風が渦巻く腕を広げ、パン! と両手を合わせて鳴らした。その瞬間、激しい風が吹き荒れる。
それが収まった時、其処に居たのは白銀の巨狼だった。
「ガルルロォォォオオォォォオオオオ!!!」
空気が震える程の咆哮。これが初代勇者か。これが世界最強か。周囲を渦巻く神気はアサギさんの4本の脚へと収束していく。白銀の竜巻を帯びた脚は空を難無く掴み、駆け上がっていく。
その場に居た全ての人間がただただ見上げる。
だが、ベアトリスだけは違った。彼女だけが私の手を取り、その場から走って距離を取った。
「レイ! 《障壁》を……!」
「わ、分かった……!」
あのアサギさんがただ駆け上がっただけではないと、今更ながらに気付いた。慌てて距離を取り、自身とベアトリスだけを覆う半円形の障壁を展開した。
私達の動きに気付いている者はいない。それどころじゃなかった。上空の神狼化したアサギさんが開いた口腔に風と神気が収束している。もうどうなるか分かる。誰だってそれが分かるから、動けないのだ。
「やばいやばいやばい」
「レイ、もっと張って、早く!」
「分かってるって……!」
何重にも障壁を重ねていく。内側はどんどん狭くなり、ついにはベアトリスと不本意ながら抱き合うような体勢にまで過密していった。
そしてアサギさんの溜め込んだ力が解放された。轟音と共に解放されたそれは意思を持った巨大な竜巻だ。ありとあらゆる物を薙ぎ倒し、吹き飛ばす。その天災とも呼べる竜巻に教会騎士は為す術もなくこの場から退場していく。
私達の為した術には騎士や崩れた建物の残骸が砲弾のように飛来しては障壁に弾かれていく。
騎士の血で見えなくなった外側の障壁が残骸の衝撃でバリンと割れた。
「これで死んだらどうしよう……」
「アサギ様のことだから、加減はしてるんじゃないですか……」
不殺って何だっけ……。じわじわと障壁が減っていくのを眺めながらそんな事を考えていた。
そんな事を考えていたら突然暴風が収まった。轟音と衝撃が止んだのを確認してから障壁を解除して二人で立ち上がる。視界全てが砂煙で覆われているのをベアトリスが風魔法で吹き飛ばしてくれた。
砂煙が無くなって露わになった教会前広場は酷い状態だった。綺麗だった石畳は剥がれ、その下の土まで抉られている。広場を囲っていた建物も破壊されてしまっているし、そんな瓦礫の山の中に教会騎士だった死体もぐちゃぐちゃになって混じっていた。
「……アサギさんは何処だ?」
「そういえば……」
あれだけでかい狼が嘘みたいに掻き消えている。恐る恐る狼、いやアサギさんを探して歩き出す。
「……」
「……」
人を探しているのだから名前を呼ぶのが当たり前なのだが、口を開くことが出来なかった。血と土の匂い。薄っすら聞こえてくる呻き声。飛び散った肉片とか鎧の破片。足の踏み場なんてありはしなかった。
凄惨。正にその一言に尽きた。
そんな状況の中、一部分だけ瓦礫も死体もない綺麗な場所があった。まるで誰かが箒で綺麗に掃いたかのような円形の場。それは教会の扉前広場だった。
その中心で、アサギさんが四つん這いで苦しんでいた。
「が、はっ……ぁ……ぐぅ……!」
「アサギ様!」
「大丈夫か!?」
慌てて近寄り、しゃがんで様子を確認する。怪我は無いように見える。だが異常なまでに汗を掻いているし、呼吸も浅い。立ち上がろうとしているようだが、力が入らないようで肘と膝で踏ん張っているのが分かった。
「く、そ……吸わ……れた……!」
「吸われた……!?」
「神気……灰、寺……っ」
神気。ハイデラ。その単語で全て理解出来た。膨大な神気を含んだアサギさんの神狼モード。魔神ハイデラは顕現の為の神気を補う為、アサギさんの神気を奪ったのだろう。あの圧倒的な力がありながらこうも無力化出来るなんて、そういう理由しか考えられなかった。
「ダニエラさん!」
私の声と同時にダニエラさんがアサギさんの傍に現れた。
「どうしたらいい!?」
「体内の神気が著しく削られてるな……レイ、お前の指輪の神気をアサギに送り込むんだ。それは元々アサギの指輪だ。だから波長も合うはずだ」
「でもそれじゃあアサギさんは……」
かつて勇者だった者の神気過剰摂取は、死ぬと言っていた。
「大丈夫だ。足りない分を補うだけ。その分量は今のお前なら分かるはずだ」
ダニエラさんがジッと私を見つめる。自分を信じろと、その目が語る。私は自分の胸元から父の形見と共に紐に通した指輪を引っ張り出す。これを付ければ神気操作のレベルが段違いに上がる。
女神の指輪を付けることが嫌で避けていたが、目の前で恩師が苦しんでいる。それを見れば私の感情なんて些細な事でしかなかった。
首から革紐を外し、解いて指輪を取り出す。それを私は左手の薬指に嵌めた。結婚指輪だと聞いていたし、無意識にその指を選んでいた。
「う……!」
嵌めた途端に指輪が白く光った。一瞬、女神が何かしたのかと怪しんだが、指輪が私の指のサイズに合わせて伸縮し、ぴったりのサイズに変化した。受け取った時に身に着けていればあの場でサイズが変わったのか。
そんなどうでもいい事を考えながら倒れているアサギさんに左手を向ける。今までのような、スキルを解放してきたような感覚があった。頭が神気の扱いを理解していた。
手の平から出てきた白い粒子……魔神に汚染されていない女神の神気が、私からアサギさんへと流れ、取り込まれていく。その間、ダニエラさんとベアトリスは周辺の警戒をしてくれていた。
神気を送りながら《読解の神眼》のスキルを併用する。切り替わった視界がアサギさんの神気残量を読み解く。非常に危険な状態ではあったが、それを脱しつつあるのが見て取れた。それを見てほぅ、と安堵の息を漏らしつつ、気を引き締めて神気の注入を続けた。
「大丈夫でしょうか……アサギ様は神気を吸われたと仰っていましたが、今やっている神気の注入も横入りされたりは……」
「どうだろうな……神気が足りなければ奪われるかもしれない。だがアサギの神気量は並大抵の物じゃない。この空間全部を埋め尽くしても溢れるだけの量だ。恐らくは足りているだろう。だからこそ、警戒しろ」
2人の会話を耳にしながら唇を噛んだ。アサギさんを苦しめた事も腹立たしいが、人の力を奪い、顕現する事が許せなかった。
「自分の力で顕現もせず、破壊するだけの存在……許していいはずないだろ……」
「全くその通りですわ。魔神は必ず絶対に、殺して差し上げましょう」
ベアトリスの言葉に頷く。絶対に殺す。もう誰も傷付いてほしくないと、強く感じた。その思いを、感情をグッと堪えて神気注入に集中した。
そのお陰か、5分程でアサギさんの神気量は3/4程回復した。とてつもなく大きな湖に水を注いでいる気分だった。
「悪い……もう大丈夫だから」
「いや、でも」
「後は自分で出来る」
アサギさんに向けていた手を下ろさせ、立ち上がろうとしたのでその手を掴んで引っ張る。悪いな、と笑うアサギさんに首を横に振った。
起き上がったアサギさんは右腕に白銀の風を纏う。いつものような風速は感じられない。その腕を空に向けると、風は1本の竜巻となって伸びていった。何をしているのだろうと不思議がって眺めていたが、ベアトリスに脇腹を小突かれる。
「警戒!」
「わ、悪い」
手が空いたのなら働けと、目が語っていた。とりあえず白刀・天狐を抜いて周辺警戒を始めるが、どうしてもアサギさんのやってる事が気になってそちらばかりチラチラと見てしまう。
空へと伸びた竜巻はフィラルドを覆うように先端を広げていく。ラッパのような形状に変化した白銀の竜巻。読解の神眼に切り替えてそれを読み解く。
「あぁ……なるほど、そういう」
アサギさんは竜巻を使って周辺一帯の神気を吸い取っていた。竜巻が中心となって渦巻く空気から神気を集め、竜巻を介して体内に集めていた。汚染された神気だが竜巻を通すことで洗浄しているようで、アサギさんの元に届く頃には白い綺麗な神気へと変化していた。
「顕現してない灰寺は目についた僕の膨大な神気を狙ったようだけど、この空間全体を見れば神気量はまだ膨大だ。これは神界に居る彼奴には出来ないことなんだよ」
確かにそうだ。薪を作る為に森に入り、一番大きな木を見つけてそれを切り倒すよりも、その周りの森を全部切り倒せば膨大な量の薪が作れる。要はそういうことだった。
見る見るうちに神気量は元通りに戻っていく。すっかり元気になったアサギさんは腕を振って竜巻を掻き消した。
「さて、待たせちゃったな。此処から先は次元獣の巣窟だろう。僕とダニエラが出来るだけ相手する」
「2人は力を温存しててくれ」
「分かりました」
「了解」
頷いたアサギさんが私の頭をぽんぽんと叩く。
「さっきはありがとうな」
「いや、当然の事をしただけだから……」
「フィレンツェの事、嫌いなのに指輪してくれただろ? それだけで嬉しかったよ」
「……」
左手の指輪を見る。元はアサギさんの指輪だった物だ。多くの勇者が引き継いできた指輪。数々の願いが込められた指輪。
「……行こう」
無意識に、ポツリと漏れた言葉に3人が頷いた。これが最後。本当に本当の、最後の戦いになる。改めて気を引き締め、私は教会へ向き直った。
「……あ」
進む3人の背中を見ながら、自分の体の中の神気量が注入前に戻っていることに気付いた。
「……はぁ、本当に、アンタって人は……」
チラ、と此方を見たアサギさんが悪戯っぽく笑ったので嬉しい気持ちを隠して睨んでおいた。




