第三十一話 600年
「……それで、私達は以後、ハイデラの動向に注意しながら各国を回って勇者の支援と異常進化個体の保護をしている。この町の魔物は進化個体やその子孫が多いな」
「なるほど、それでこの都市は魔物との共存が可能なのですね」
「生後からしっかり教育を施せば会話も可能って事が分かったのが大きいな。そのお陰で共に暮らす事にも不自由はない」
話を聞き始めてから数時間が経過した。どれもこれも信じ難い話ではあったが、現にこうして地続きの現実が広がっている。
ダニエラさんの話は壮絶という言葉では片付けられないものだった。アサギとの出会いから聞かされたが、まさかアサギが異世界から来た人間だとは思わなかった。……いや、人間ではないらしい。
「あの状況では女神の力を借りるしかなかった。その所為で僕は人間から神狼になったんだ。……まぁ、遅かれ早かれってところはあったけどな」
狼の力に汚染されたアサギは神の指輪の力で完全に狼……神狼へと変化した。同じようにダニエラさんは古代エルフ、オリジン・エルフへと変化した。不老であっても不死ではないそうだが、本人曰く『死んだことがないから不死かは分からない』だそうだ。
「お陰様で小じわが増えなくて安心しているよ」
「結構前向きなんですね……私ならきついですけど」
「私もアサギも死ぬ時は死ぬ。それまでは世界の為に生きるだけさ」
長く生きた人の考え方は多分、私には一生分からないだろう。これは別にネガティブな意味で言ってるのではなく、純粋に難しいという意味だ。だって私はまだ人間なのだから。
「女神が選んだ勇者の為に世界中を回って力になってきたけど、君達くらい強いのは居なかったな。まぁ、僕の方が強いけどね」
「じゃあやっぱりあんたが魔神討伐する方が……」
「だから、それは出来ないって言ったろ? 駄目なんだ。神と戦えるのは勇者だけなんだ」
「以前もそう仰ってましたが、それはどういう意味ですか?」
ベアトリスが尋ねると、アサギがジッと私の手を……いや、指輪を見る。
「神は勇者じゃなければ認識出来ないんだ。フィレンツェの仕業でね。そしてその指輪を持つ者だけが勇者なんだ」
「ではこの指輪をお返しすれば……」
「それも出来ない。駄目なんだ。一度勇者になった者が再び指輪を手にすれば、本当に人間じゃなくなってしまうから」
深刻な神気汚染が原因か。この指輪を装備することで圧倒的な力を得るのは神気によるものだと、修行の旅で気付いた。そして膨大な神気に汚染されながら人であるのは勇者として女神に選ばれたからだ。女神に選ばれた役を終え、舞台から去った者が再び超濃度の神気を浴びれば、魔人どころではないだろう。
「僕がその指輪を嵌めたとしよう。想像してみな。この国を囲む山くらいのでかさの狼の化物が世界を滅ぼすところを」
「……」
「最悪だろう? 一度は救った世界を自分の手で滅ぼすなんて、僕には出来ない」
「私も影から救うのを手伝い続けたからな。そんな世界の終焉を見るのは御免だ。だから私達、勇者のなれの果ては裏方に徹するしかないのさ」
100年ごとに選ばれる勇者を育て、助ける初代勇者。どんな気持ちで世界を見続けてきたのだろう。
「それにしてもアサギ、お前その恰好気に入ったのか? 最近はずっとその姿だな」
「ん? まぁ、たまには年相応の姿にもなってみたいじゃん」
「年相応だとしたらお前はもう風化して砂だぞ」
「あはは、600歳越えてるからな。ダニエラよりは若いけど」
「ほう……いいだろう、この場でお前が不老不死かどうか確認してやろう」
話の壮大さに言葉が出ないまま沈黙していたら二人がじゃれ合い始めた。普段はこんな感じなのかな。とても600年以上を生きている存在には見えない。
「アサギ様の姿はもっとお若いのですか?」
「お? 気になるか。では本来の姿をお見せしよう!」
ベアトリスの好奇心に応えるアサギ。両の手をパン! と鳴らすと一瞬、強い光に視界が眩む。しかしすぐに光は収まり、私の目の前に居たのは白銀の髪と同じ色の狼耳を揺らす若い男だった。老けた顔も黒髪も無精髭も全部変装だった。この年齢の顔を見るとちょっと私よりも年上くらいか……この年の時に不老になったのだろう。その年で神と対峙したというのは俄かには信じ難いが、そんな出来事ばかりで若干麻痺しているな……。
「意外とお若いのですね」
「若くねーって。今年で622歳だし。ちなみにダニエラは9……」
「死ぬか?」
「何でもないです」
女性の年齢を何だと思ってるんだ、此奴は。ジーっと睨んでやると多勢に無勢を悟ったのか、慌てて腰を上げた。
「ちょ、ちょっと外の空気吸ってくるよ!」
と、早口に、それも言い終わる前に家を飛び出していった。
「逃げたか」
「逃げたな」
「逃げましたわね」
3人の声が見事に重なり、誰からともなくクスクスと小さな笑いが場の空気を入れ替えた。




