第二十一話 実戦と乱入
耳鳴りと頭痛が酷い。視界はぼやけ、激痛に苛まれる体は上手く動かせない。
「ベア、トリス……」
それでも何とか声だけは出す。そうしないと戻った意識がまた飛びそうだから。
しかし呼んだ相棒からの返事は無く、不安と焦燥は加速していく。震える手足を硬く冷たい地面に這わせ、文字通り死にかけの虫のように這いながら、恐らく近くに居るであろうベアトリスを探す。
周囲は巻き上がった砂煙がまだ舞っている。ということは意識を失ったのは一瞬か。
ベアトリスに手を掴まれ、魔法で崖上に上昇しようとしていた所までは覚えている。意識を失う直前、爆音が聞こえた気がするが……定かではない。
這っていると段々手足の痺れも薄れてきたのでゆっくりと立ち上がる。そうすると自分の事も確認出来るようになった。持ち上げた手や足、体を見て驚いた。
「ボロボロじゃないか……」
丈夫なはずの服も破れてその奥の肌は裂かれて血が流れている。まだ麻痺してるのか、感覚がおかしいのか、痛みは……あまり感じない。
「なら、まだ動ける……」
ベアトリスを探さなきゃ。それにアストレイアの動きも気になる。奴に見つからないようにしながら、ベアトリスを探す……難しいが、やらなきゃ死ぬ。
出来るだけ足音を立てず、相棒を探す。他の音は聞こえない。私を呼ぶベアトリスの声も、生きているであろうアストレイアの声も。まるで私しか居ないかのような錯覚に陥ってしまう。それでも絶対にこの場に居るベアトリスだけは見つけないと……。
そう思って歩き、いつの間にか私は迷宮の入口に戻ってきていた。確かに岩で塞いだはずの入口は、当初の洞窟のような穴よりも大きく開いた、いや、裂けたと言っても過言ではない程の亀裂へと変化した入口になっていた。
「どういう、こと……?」
あれだけの岩は、一体何処へ行った?
何故、こんなにも破壊されている?
「それはあたしが内側から壊したからだよ」
「……」
砂煙の向こう、私の後ろから足音と何かを引きずる音が聞こえてくる。声の主は……
「アストレイア……」
「レイヴン、だっけ。運良く生きていたみたいだね」
恐る恐る振り向いた其処には無傷のアストレイアと、意識を失い、髪を掴まれて引きずられるベアトリスの姿があった。
「お、前……!」
「どうやらこの子があなたを庇ったようだね」
「庇った……?」
「あたしが吹っ飛ばした岩だよ。塞いだでしょ? 入口。それをあたしが吹っ飛ばした。分かる?」
まるで馬鹿な子供を相手するかのような表情。訳もなく苛立つ顔だが、言われてハッとする。そうか、あの入口の変わり様や無くなった岩は此奴が……そしてベアトリスは飛来する岩から私を庇って……。
怒りと情けなさで震える手が、刀へと伸びる。
「……あなた如きが、敵うとでも?」
「敵うとか、敵わないとか、そういうんじゃないんだよ……」
ボロボロの体でも、私がどうなっても、ベアトリスだけは、生きなきゃいけないんだ。
本物の勇者が神を倒さなければ、世界は終わってしまう。
引き抜いた二振りの刀を構え、腰を落とす。
「さぁ行くぞ、魔人の勇者。私は偽物の勇者、レイヴン=スフィアフィールド。偽物なりに、本物を食い殺す!!」
駆け出し、最初の一撃を叩き込む。
「あっは!」
だがそれは片手で構えた大鎌に防がれる。しかしもう一振りの刀を空いた胴へ突き入れる。
「くっ……」
アストレイアは掴んでいたベアトリスの髪を手放し、大きく後方へ下がる。倒れるベアトリスを抱え、素早く容態を確認する。……良かった、息はしているみたいだ。
だがホッとするにはまだ早い。この場を切り抜けなければ、終わりだ。
そっと寝かせて、庇うように前に立つ。正面には両手が自由になり、大鎌を構えるアストレイアが私を睨む。
「ふん、思い通りにいかなくて不機嫌そうだな」
「雑魚がよぉ……舐めた真似してんじゃねぇぞ……」
「随分口が悪くなったな。それが素か?」
「るっせェんだよボケがぁ!」
怒りに任せて振り下ろされた大鎌を《障壁展開》で防ぐ。
「チィッ……!」
「セィヤ!!」
大振りの横薙ぎ。勇者としてのステータスが繰り出す一撃一撃は常人なら必殺の一撃になりえる。胴体なんて訳なく寸断出来るだろう。そんな一撃は大鎌の長い柄に阻まれる。それを補う追撃は回転させた大鎌に弾かれる。両手になったことで切り返しが早い。
「甘ぇんだよダボが!」
「甘いのはお前だよ!」
一度二度防がれただけで私の攻撃は終わらない。攻撃こそが最大の防御なのは、攻撃することで相手に攻撃させないからだ。発動させた《身体操作》が私の攻撃を加速させる。
右から、左から、斜め上から、斜め下から、突き、薙ぎ、斬り上げ、斬り下ろし、斬って、斬って、斬って斬って斬って斬って斬って斬って。
「ぁぁぁぁああああああ!!!」
スキルの反動で鼻血が垂れるのが分かる。空気を吸う為に開いた口の中に鉄の味が広がっていく。過剰なスキルの動作で体が悲鳴を上げても、こうでもしなければ此奴は倒せない。
この私の猛攻ですら、アストレイアは防いでみせる。だが全ては防げていない。細かな傷が増え始めた。このまま限界……極限を超えて攻撃し続ければ、或いは。
そんな私の願いはあっさりと砕ける。
「そんな戦い方でこのあたしが倒せると思ってんなら……やっぱてめぇは甘ぇよ」
突然、両手の刀が砕け散った。理解出来ないが、アストレイアは鎌を振り切った体勢で私を睨んでいる。目に見えない速度で、振り抜いた……?
「死ねよ」
振り上げた大鎌の切っ先が私に向けられる。それが振り下ろされれば、私は終わり。
「うあああああああ!!!」
そんなの、認められるか!
「《居合三閃》!!」
《空間収納》に収納していた予備の刀を掴み、居合のスキルを発動させる。勝ちを確信し、鎌を振り上げ、隙だらけの胴体をぶつ切りにしてやる!
「だからさ、甘いんだって」
振り抜いた私の刀の刃が砕け散る。アストレイアは微動だにしていないにも関わらず。いや、また見えない速度で防いだ、のか?
「冥途の土産に教えてやるよ。『セブンリーグブーツ』っていう履くと誰よりも素早く走れる伝説の革靴があったんだよ」
「……?」
突然、アストレイアが語り始めた。死に行く私への種明かしか。語る顔には強者の自信と、弱者への哀れみが表れていた。
「私の先祖はそれを手に入れて、食っちまったんだ」
「はぁ……?」
「体内に取り込んだ事で、圧倒的な『速さ』を手に入れたんだ。まぁ、お陰で反動はあるが……お前を殺すだけなら問題ねぇよ」
冥途の土産とやらは語り終わったようで、無言で鎌を振り上げる。
あぁ、此処で終わりなんだ。とか、そういった感情はない。ただただ、無味な人生だったことを客観的に見返していた。
砂煙が薄れ、射し込んだ日の光が大鎌の刃を鈍く光らせる。
なんか、綺麗だな……なんて思った私は、そっと目を閉じた。
「死にな、人間の勇者」
フォン、と空気を裂く音がした。
……が、私の首が飛ぶ感触は一向に訪れなかった。恐る恐る目を開くと、私とアストレイアの間に誰かが立っていた。ベアトリスではない。だが、同じ髪色をした……男、か? 長髪な所為で後ろからは判断が出来ない。
「この子を殺されると、ちょっと困るんだよ」
「誰だてめぇ?」
声は男だ。低い声はそれなりの年齢を感じさせるが、後ろ姿は若く見える。背中越しではあるが、よく見るとアストレイアの大鎌を指先で摘まんでいる。まさか素手で防いだのか?
「まぁそれは追々ってことで……とりあえず此処は僕に免じて、な」
「はぁ……?」
振り向いた男は私を抱え上げる。
「じゃあな」
「待っ……」
何かを言おうとしたアストレイアが、いつの間にか遠くに居た。何を言っているか分からないと思うが、一瞬でアストレイアが後方へと行ってしまっていた。
「よいしょっと……」
「お、おい……!」
しゃがんだ男はいつの間にかベアトリスも抱え上げようとしている。ちょっと待て、ベアトリスは私のずっと後ろに居たはずだ。アストレイアに猛攻を仕掛けて距離を稼いだから……その分の距離を一瞬で詰めたのか?
「お前、一体……」
「まぁそれは後でな」
何も教えてくれない男は大きくジャンプする。アストレイアは……もう見えない。あっという間に崖上まで戻ってきた私達はまだ下ろしてもらえない。
「このまま聖法国まで行くぞ」
「ちょっと待て、どれだけ距離があると……」
このまま運ばれるのは嫌だし、そもそも人間二人抱えて走れる訳がないと抗議しようとしたら、彼の足が白銀の風を纏う。小さな竜巻のような風がキィーンと高周波を放つ。
「舌噛むから大人しくしてろよ」
そう言った瞬間、ありえない速度で走り出した。森の景色が吹き飛ぶように後方流れていく。それどころか、男は何もない空中を蹴って森の上へ飛び出した。私の《立体起動》に似ているが、この速度を保つスキルと併用しているのか、一体化しているのかは分からない。ずっと空中を走りっぱなしだ。
あの圧倒的な速度を持つアストレイアは『反動がある』と言っていた。今思えばあの塞いだ岩を砕いたのも、私の刀を防いでみせたのも速度由来の力だろう。距離と速度、硬さと速度。それぞれは破壊力を生むのに最適の相性だ。だからこその反動。連発は出来ないのだろう。私の猛攻を防いだのも、反動というクールタイムを稼いでいたに過ぎない。
だがこの男はどうだ。もう10分以上は走り続けている。空を踏み、風よりも速く走り続けている。アストレイアとやり合ったからこそ、分かる。
この男は異常だった。




