第十六話 温泉街
うねうねと続く煉瓦路を歩く。コツコツと鳴る靴音と風に揺れる葉擦れの音はこの1週間で聞き飽きた音だ。しかしこの音は今後ずっと付き合っていく音だろう。何処まで煉瓦路が続いているかは分からないが。
そんな煉瓦路は草原を抜け、木立を抜け、また草原を抜けて現れた林も抜ける。そして次に現れた景色。それは田園地帯だった。
「穀倉地帯……と呼べる程の広さではないように見えるけど」
「これは麦ですわね。でも税収として上げられる程ではないですわ」
「そうなのか? 農作はやったことがないから分からん」
「私もですわ」
そりゃそうだ。畑を耕す貴族なんて聞いたことがないからな。
「特産も名産もないとは言ってたけれど、ならこれは違うんだろうか」
「町の中で消費するには些か量が多く感じますね。……おや?」
煉瓦路沿いに植えられた麦を見ていたベアトリスが顔を上げる。釣られて私もその方向を見る。
すると視線の先には町があった。ある程度の高さまで積まれた岩壁が守る町。
その町の中から数本の白煙が立ち上っていた。
「火事……いや、白煙か。あれは何だ?」
「鎮火した後という感じもしませんね。避難した住人に姿が見当たりませんし」
二人して首を傾げる。
「盗賊……というのは無いだろうな?」
「でしたらもっと燃え盛っていても不思議ではないですわね」
此処で考えても仕方がない。行ってみる他ないだろう。
立ち上がった私達は警戒しながら煉瓦路を進む。遠くに見える町からはまだ何の動きもない。それが余計に不安を煽った。
「煮炊きしてるだけだったりしてな」
「それにしては数が……あっ」
「なに?」
「……1つ重要な事を思い出しました。いえ、私にとっては全然重要ではなかった情報なのですが」
何だか目線を合わせないベアトリス。後ろ暗さがビンビン伝わってくる。呆れて半眼になりながら問い詰める。
「で? あの白煙はなんなの」
「…………温泉、ですわ」
「はぁ?」
呆れた。そんなの街の情報を仕入れる時点で普通気付くだろ……。
「食には興味があったのですが、娯楽は流し見でしたの!」
訴えかけるように身振り手振りで話す様を見て吹き出してしまう。何だ、此奴にもこういう抜けたところがあったのだと思うと怒るに怒れなかった。
「お貴族様なんだからそういうのは詳しいもんだろ?」
「……そうでもないですわ」
「うん?」
急に声のトーンを落とされると何か悪い事でもしてしまったのかと心配になってしまう。
「どした?」
「何でもありませんわ! さ、危険はないようですし行きましょう!」
「あ、あぁ」
はぐらかされた感が凄いが、何だろう。妙に気になってしまうのは少なからず此奴と一緒に生活してるからだろうか。今更隠し事されるというのも何だかな……。でも詮索するのもみっともない。まるで私が此奴に興味津々みたいで癪だ。
とりあえず考えても仕方ないので、気丈に振る舞うベアトリスの後ろをモヤモヤした気持ちを抱えたまま付いていくことにした。
□ □ □ □
櫓に弓を持った人が立っていたので射られては困ると手を振りながら歩いていると、ちょっと落ち込んでたベアトリスが笑ってくれた。
「ふふ、まるで子供ですわね」
「無害アピールだって」
何が悲しくて見ず知らずの人間にと手を振らなければならないのか。
「あ、振り返してくれた。ちょっと嬉しいな」
「やっぱり子供ですわね」
「うっせ」
無害認定されたんだからいいんだよっ。
長閑な景色も終わりが近付いてくる。見上げる程高くはないが簡単には越えられない程度の高さの石壁がどんどん近付いてきた。
もう櫓に立っていた人も下りてきて何やら書類を持って立っている。町に入る為の手続きだろう。
「すみませーん、此方で手続きお願いしまーす!」
ほらやっぱり。根が一般市民な私は待たせちゃ悪いと小走りで駆け寄るがベアトリスは優雅に歩いてくる。まぁ私が此奴の名前も書いてやってもいいんだが、ちょっとは急げよな……。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます。えっと……えっ……レイヴン=スフィアフィールドに……ベアトリス=フォンブラッド=エンハンスソードって……」
「あっ、勇者です」
「ひぇぇぇぇぇええ!」
いきなり櫓の人が悲鳴を上げて後退る。すわ魔物かと刀の柄に手を伸ばすが後頭部をベアトリスにぺしんと叩かれた。
「余計に怖がらせてどうするんですか」
「いや魔物かと」
「そろそろ慣れなさいな」
慣れろと言われて少し考える。もしかしてこの人は勇者が来たからびっくりしてるのだろうか……。
「あの、別に2ヶ月前まで服屋で仕事してた普通の人間なのでそんなに引かれると、ちょっと……」
「す、すすすすみませんんん!!」
「えぇ……」
平伏された。まるで私が悪役令嬢みたいな……
「堂々としなさい、レイ。こういうのは何をしても一緒なのですから」
「出来るか……何になったって私は一般市民なんだ。一般市民代表なんだ」
「そんな代表なんてさっさと辞退しなさい」
何を言う。私が一般市民でなくなったら何になると言うんだ。
勇者になるだけだった。
「では行きましょうか」
「この人置いて行けってか」
「行かないとずっとこのままですわよ?」
「むぅ……」
その可能性しかなかった。あまりしたくはないが、行くしか無いのだろう。名前は記入したし、問題はないはずだ。
「分かったよ……。あの、すみません。私達は行きますので」
「は、はいぃ……」
何だか悪いことをしてる気分になってきた。ベアトリスはもう歩き出して門をくぐってしまってる。置いていかれては迷子になってしまうのでその後姿を追う。
しかしやっぱり、私は心配で何度も振り返ってしまった。あんなに平身低頭になられても全然偉くなった気にはなれなかった辺り、やはり私は一般市民代表なんだろうな……。
□ □ □ □
気を取り直して町を進む。何処も彼処も湯気が立ち上っている。これが遠くから見えたに違いない。そして此処は温泉街。宿も多いだろう。逆に何処にしたらいいか迷うぐらいだ。
「一番大きい建物だから良い宿とは限らないしな」
「そうですわねー……」
何処かボーッとしたベアトリス。大丈夫かと声を掛けようとしたハッとする。これはベアトリスの勘が働いている時のやつだ。
「んー……」
フラフラと歩き出したベアトリスの後を大人しく付いていく。何だかんだこういう時は良い店を見つけてくれるから頼りになる。まったく知らない町に来てもこれだもんな……生まれ持った何かか、はたまた勇者の資質か。私には出来ない。
「ん……此処にしましょう」
「分かった」
一も二もなく頷く。見た目は普通だがベアトリスが選んだのだから良い宿に違いない。
私達は2人で門扉をくぐり、中へと入った。




