第十四話 宿に戻って
その日は夕食をまたベアトリスが見つけてきた食堂で取った。相変わらず旨い店を見つけてくるのが上手い奴だ。良い武器を手に入れた事で上機嫌になっていた私は吐くまでいかずともお腹いっぱい食べてしまった。気も緩めば財布の紐も緩む。胃の栓も緩むのだろうな。
「うっぷ……食い過ぎた」
「まったく、自分のお腹と相談しながら食べないと太りますわよ」
「其処はほら、《身体操作》で何とかなるんだろう?」
太り過ぎず、痩せ過ぎず、健康な状態を維持する。そして女神の加護により勇者となった為、人間の限界を超えたステータス基準が設定される。それがスキル《身体操作》だとベアトリスに聞いた。
「だからといって慢心は身を滅ぼします」
「う……そう言われると反論出来ない」
ピシャリと正論をぶつけられた私はスキルに甘えず、しっかりしようと心に決めた。
それから数日。勇者巡業の任を忘れてネプタルの町を観光していた私達だ。いい加減怒られるかもとヒヤヒヤし始めた頃、ベアトリスから提案があった。
「そろそろ次の町に行きましょうか」
「そうだな。で、何処に行くんだ?」
するとベアトリスが机の上に地図を広げる。
「現在地が此処、ネプタルです。それで北へ向かいます。大地の果て……魔族の住む地は北です」
「北か……寒いのは苦手なんだよな」
「貴女には《環境変化無効》のスキルがあるでしょう。あれは極度の暑さや寒さを無効化するスキルですので、そのうち解除しておけば問題ありませんわ」
そういえばそんなスキルがあったな。攻撃系も多いが、特にサポート系のスキルも多かった気がする。
「ですが、北へ行くのは最終目標です」
「あ? じゃあ何処に行くんだよ」
「南です」
「反対方向じゃないか……」
「南の果てには精霊の住む地があります。其処で女神様の加護に加えて、精霊王の加護を受けに行きます」
精霊王ね……。其奴は女神みたいな尻軽じゃなければいいんだが。
「このネプタルに来たのは十分な物資の補充と貴女の経験を積む必要があったからですが、何と言いますか……スキルがロックされている以外は問題なさそうなので大丈夫でしょう」
「そのスキルロックが大問題なんだけどな。まぁ、お陰様で刀なんて珍しい物も手に入ったし、暫くは大丈夫そうだな」
これで大抵の魔物は退治出来るだろう。予備も1本あることだし。確か刀は東の国で使われる武器だそうだから、無くなったら東に行けばいいだろう。
「しかし女神の加護だけじゃ足りないのか?」
「はい。此度の魔神の勢力は相当な力を持っているそうです。もう国が二つ攻め落とされたとか」
「二つもか!?」
甘く見ていた。それは急いだ方がいいかもしれない。
「ですが此処で焦っても思いもよらない失敗を冒してしまいます。堅実に、確実に行きましょう」
「だな。それが一番だ」
「ということでレイ、そろそろあの日から一週間ですわね……」
「ん?」
話の流れも掴めず、ベアトリスの言っている意味が分からなくて首を傾げる。
「ほら、私達が愛し合う時間ですわよ」
「…………」
合ってないんだよなぁ……はぁ、そうか。もう一週間か……。
「これから毎週、必ず2回はしないといけませんからね。そうでないと寵愛の鍵が手に入りません。つまりレイの強化が出来ないということです。これを無駄にしては世界を救うなんて大仕事、いつになってもこなせませんわ」
「尤もらしい言葉ばかり並べやがって……」
此奴が性欲の権化なのは顔を見ればすぐに分かる。体を重ねれば嫌でも分かる。もう発情しきった顔だからな。
地図を仕舞うのも忘れ、ていうか机から落ちてるけど気にも留めず、ジワジワと距離を詰めてくる。私を押し倒すつもりだろう。そして運悪く私の後ろは、ベッドだ。
「さぁレイ。世界を救いましょう」
「はぁ……」
これも必要な事なんだ。そう自分に言い聞かせてベアトリスに身を任せる。
けれどそんな事はすぐに頭の片隅に追いやられてしまった。
□ □ □ □
きっちり2回戦をして、物足りないとごねるベアトリスを無視して寝て明けた翌日、私は《寵愛の鍵》を召喚した。
「うーん……一つとして同じデザインが無い……」
誰が考案しているかは予想がつくが、よっぽど暇なんだろうなと皮肉る。
「しかし綺麗なデザインですのね。私も一つ欲しいです」
「いや、やらん」
これは苦労して手に入れた私の力だ。それに気に入っている。鍵には罪はないのだ。
ステータスカードの鍵穴に差し込んで権限の解除だけ行い、《空間収納》に仕舞った。今日は南に向けて旅立つ為の物資の補充を行う予定だ。
まだベッドでごろごろしているベアトリスを放置してさっさと朝のシャワーを浴びたら服を着替える。服は昨日のうちに宿の主人に預けて綺麗にしてもらっている。まぁ私も服屋の端くれなので使えるのだが、服を綺麗にする魔道具があるのだ。大雑把ではあるが。しかし物が良ければ性能も違う。袖を通せば私には分かるのだ。
「おっと、忘れるところだった」
机に立て掛けていた刀をベルトから下げた剣帯に差し込む。何だか歩きにくいが、そのうち慣れるだろう。何せこの年になるまでこんな長い物を体にぶら下げたことがないからな。
「うん、やっぱり似合うな……」
革装備に刀。うん、良いと思う。良いんじゃないでしょうか。
「レイは裸も似合いますわよ」
「うるさい。さっさと準備しろ」
「はーい」
気の抜けた返事と共に裸のままベッドから浴室へと向かう後ろ姿を見て溜息を吐く。いや、見惚れる程度には綺麗な体だが、そのだらしなさと言うか……はぁ。気を抜きすぎだ。
しかし貴族という割には服も風呂も自分で出来るんだな。私の偏見だけど、貴族というのは服を着るのにも人にやらせるし、風呂に入るのにも人が必要なイメージだ。流石に食事は1人でも出来るだろうが、ベアトリスは全部自分で行っていた。
自分で出来ない貴族なんて貴族を名乗れませんわとか言いそうだが……まぁどうでもいいか。面倒が無くて良い。
結局ベアトリスが身支度を整えるまで結構時間が掛かったので、朝食は外で歩きながらということになった。この町は屋台も多いから困ることはないだろう。
「んぐんぐ……美味しいですわ」
「ほらソースついてるぞ、お貴族様」
「んぅ……その言い方、やめてくださるかしら?」
「あははっ」
もっとお上品に食べないからだと口の端に付いたソースを拭い取って笑う。ちょっと不機嫌そうな顔をするが、この程度で機嫌を損ねるようなベアトリスでないことはもう知っている。
食べながら屋台で買い、《空間収納》する。また立ち寄った屋台で買って収納する。その繰り返しで食料は問題ないだろうと高を括っていたらベアトリスに駄目出しを食らった。
「そんな食事では栄養が偏りますわ。しっかりとバランス良く摂取するのが健康の秘訣ですのよ」
「でも《身体操作》で健康は維持出来るんだろ? なら別に良くない?」
「そういう意識では魔神討伐なんて夢のまた夢ですわよ!」
まるでお母さんみたいな事を言う。まぁ、私のお母さんは物心ついた時には死んでいたが。
「食事は私が用意します。まずはお野菜を買いに行きますわよ!」
「ちょ、毎回料理するつもりか!? 屋根のない野っ原のど真ん中で!?」
「勿論、そのつもりです!」
勘弁してくれ……私みたいな王都暮らしの一般市民でも分かるぞ。そんなの匂いに釣られていっぱい魔物が寄って来るだろ……。
「あら、私達は勇者ですのよ? その辺の魔物なんて鎧袖一触ですわ」
何故か楽しそうに言うベアトリス。此奴、魔神討伐よりも旅そのものを楽しもうとしてないか……?
ちょっと不安になってくる。しかし『食事は3食屋台飯』なんてこの空気をぶち壊すような無粋な事は、私には言えなかった。




