Ⅸ 警士生活
Ⅸ
※ ※ ※
それから数日が経ち、十分に体が動かせるように回復してから、警士見習いとしての初仕事が課せられた。
修練場。クロッドさんの技によって壊れた建物の修復作業だ。
<……なぁんで俺達が、アイツがぶっこわしたモン直さなきゃなんねーんだよ>
壁に石膏パテを塗っている僕の中で、オレがぶつぶつと文句を垂れる。
<うるさいなぁ。動いてるのは僕なんだから、おまえは黙ってろよ>
<つってもよー。あのヘンテコ入れ墨ヤロー。明日は俺にやらすって言うじゃねーかよ。テメーでやれっつーの>
<まあ、大半はプロがやってくれた後だし、残ったのは小さな傷くらいだ。そう時間はかからないだろ>
と、希望的観測を述べてみる。
ちなみに、人格交代メカニズムについて、この数日で実験したところ、交代後およそ12時間で、持ち主が許可する限りで交代可能となり、24時間を過ぎると内人格が強制的に交代できるようになるということがわかった。
よって、一日交代で仕事することができるというわけだ。
楽っちゃ楽かもしれないけど、それでも、一日中オレと一緒に居るだけで、精神的疲労はひどいものだ。
オレは平気そうだが、僕に安息の時は無い。
絶望的な未来に、思わず深いため息をつく。
<どうした兄弟? 何かイヤなことでもあったのか?>
<……ああ。ここ最近ずーっとそうだよ>
僕の気苦労も知らないで……こいつは……!
「はぁ~……こうなったら、本気で闇の《章持ち》でも探してみるかな……」
ぼそりと、誰ともなくつぶやく。
《章持ち》レベルの術士ならば、あるいはオレを取り除くことができる可能性があるっていうカナタの言葉に一縷の希望を見出してみるも、果てしなく厳しい道程のように思える。
都の【闇人】は、確かそういう方面には専門外だったような気がするし、かと言って他の《章持ち》の下へ言って、果たしてうまくいくか……
そんな感じで思考の海に入り浸ってると
<……なあ、ボク。前から思ってたんだが……《章持ち》ってなんだ?>
と、オレが訊いてきた。
<ああ、そうか。お前はまだ知らないんだったな>
<おお。なんか、クロッドのヤローも《章持ち》がどーのこーの言ってやがったしよ。もしかして、あの首筋にある入れ墨が、その章(しるし)ってやつなのか? 詳しく教えろよ>
……また始まったよ。
こいつ、ヤクザのくせに、意外と勉強熱心なんだよな。異世界語も、もう大体マスターしてるし、最近は文字も覚え始めた。
ホント、戦いに役立つためなら、なんでもするって感じだ。
こうなると、教えるまでしつこいからなぁ……仕方ない。
僕は軽くため息を吐くと、刷毛をバケツに戻して、代わりにそばにあった木の棒を取る。
そして、地面にある表を描いていく。
どこの学校の教科書にも載っている、子供でも知っているモノだ。
縦に12マス。横に12マス。計144のマスができ上る。
<いいか。この世界に生きる生物は12種類に大別されて、それらを《属》と言うんだ。僕達は《人属》その他は、《男属》《女属》《丸属》《王属》《霊属》《竜属》《獣属》《鬼属》《鳥属》《虫属》《魚属》の11種類だ>
そう言いながら、最上行のマスに文字を書き込んでいく。
<おいちょっと待て。他のはなんとなく分かるが、なんだ《丸属》って?>
あ、やっぱりそこに食いつくか。
<まあ、その辺の詳しいところはまた機会があったらな>
と言って、逸らしておく。ひとつひとつ説明していたら日が暮れるからな。
<それでだ。さらにすべての生物に共通するのが、12種類の《間型》があるってことだ>
<おお! そうだ、それも聞きたかったんだ! なんだそのマガタってのは!?>
……僕は学校の先生じゃないんだけどな……
<えぇと、まず説明すると……この世界そのものを構成する場を、僕らは《間》という概念として捉えているんだ。そして、その《間》には12種類の性質を持つ素体で満たされていて、これらを《間素》というんだ。この世界の全てのモノは、この《間素》を元に構成されているのさ>
<……? お、おう……?>
あ、この感じはよくわかってないな。構わず続けるけど。
<その《間素》が、《風》《水》《火》《雷》《土》《木》《石》《幻》《星》《闇》《光》《異》の12種類。そして、全ての生物には、これらの《間素》に適応する型というものが存在するんだ。これが《間型》だ>
そう言って、今度は最左列のマスに12個書き込んでいく。
<あ~。なるほど。あれだな。中国のナントカ五行ってやつに似てるな>
<ああ。陰陽五行な。そうそう、そういうイメージ>
つーか、なんで異世界人の僕が知ってるんだってツッコミがどこかから聞こえてきそうだけど、とりあえずスルーして話を進めよう。
<例えば《木の間型》を持つ生物は、《木の間素》を。《水の間型》を持つ生物は《水の間素》を操ることができるんだ>
<ああ。なるほどな。クロッドのヤローはじゃあ、《雷の間型》か?>
<そういうこと。ちなみに、《間型》を見分ける方法はその体毛の色。人属なら髪色がわかりやすいだろう。それぞれの色は緑、青、赤、金、黄、茶、灰、紫、橙、黒、白、銀ってとこかな>
と、それぞれの《間型》の横に色を書き加えていく。
<たしかに、クロッドは金髪だったな。じゃあオレの髪色は黒だから……《闇の間型》か?>
<『僕』の髪色ね!……まあ、黒色といっても、見ての通り変に薄い黒色って感じでさ、生まれつき出来損ないなわけで、《間素術》はどれも一度も成功した試しがないんだけどね……>
そう言いながら、前髪を引っ張って、視線を上に向けてやる。こうすれば、オレにも見えるだろう。
そう。これが僕唯一のコンプレックスと言ってもいいだろう。
なぜか、どうがんばっても、子供さえ覚えられるような簡単な術さえ、僕には扱えないのだ。
いくら生まれつき出来損ないとはいえ、おかしいとは思う。
闇系統の間素を使った術―――《黒の間素術》は、魂や人格を扱うだけあって他の《間素術》よりレベルが高いことや、もしかしたら心の中でブレーキをかけているのかもしれないというのが要因としてあげられる。
あまり上達はしたくない、畏怖される術だからだ。実際、そう思うし。
もしかしたら、お父様やお母様のような、《木の間型》や《土の間型》だったら、スイスイ覚えられてたのかもしれない。
……お父様。お母様。今頃どこで何をしているんだろう……?
裁判にも出席していなかったみたいだし……
そんな感じで思考が脱線されかけた時。
<……なあ、屋敷でピンク色の髪の毛の嬢ちゃんを見かけたんだけどよ。お前知ってるか?>
と、オレが問う。
事件当時。あの場に居たピンク色の髪の毛といったら、一人しかいない。
<……リィネのことか。僕の許嫁だよ。……元な>
<許嫁か! ケケケ。どうりで! 俺が暴れてる時に一番うるさかったから、印象に残ってるぜ>
……彼女も、すでに実家に帰っているんだろうな。
<んでよ。もしかしてそいつぁ、火と光の2つの《間素》を持ってるってことか?>
……こいつ。意外と鋭いな。
<そうだ。稀に複数の《間型》を持つ者も居て、彼女もその一人だ。よく分かったな>
<なあに。《火》の赤色と《光》の白色が混ざって、ピンク色になるっつーのは……ケケケ……ガキでも想像つくだろうよ>
と、なぜか笑いをこらえるように言うオレ
なんだかしらんが、むかつく。
そこで一転。
<ん? ちょっとまてよ? じゃあ、クロッドのやつも二つ持ってるのか? 最後の一撃は炎だったしよ。髪色も赤色に変わってたし、そういうヤツも居るってことか?>
と問う。
うん。ここで話は元に戻る。
<……いや、彼だけは例外だ。彼が得た炎の《間型》は後天的なものーーー《章》によるものだからな>
そう言って、僕は12×12のマスを埋めるように《章》を埋めていく。
全、144の《章》を。
<これまで話したように、この世界に生きる全ての生物は、12の《属》と12の《間型》に大別できる。そして、それらは各々、神に選ばれた『代表』なるものが存在するんだ。12種の《属》それぞれに、最強の《間素術》使い12強。総勢144体の、世界の『代表者』達。それが、《章持ち》と呼ばれる者達さ>
<144体の……『代表者』達……>
オレが、理解を飲み込むように、反芻する。
その最中も、《章》を描く手は止めない。
そのシンボルは至ってシンプル。円の内に模様と、外側に種々の棒線を描くのみだ。そう難しくはない。
<今、描いている模様は、その《章持ち》の肉体のどこかに刻印されている《章》だ。クロッドさんの首筋にあったのは、【火獣】の《章》。《獣属》における、最強の《火の間素術》使いってことだ>
と言って、たった今描いた《章》を指さす。
<《獣属》……? だがあいつは、《人属》じゃあねぇのか……?>
<……そう。それがこの《章システム》の肝なのさ>
そう言い放った所で、144の《章》が全て埋まる。
手が止まる。同時に、嫌な予感が奔る。
このまま、最後まで話してしまってもいいのだろうか?
そんな思いをよぎる中で、僕は勢いにまかせて、言ってしまった。
<……《章持ち》の《章》―――その能力は、殺すことで奪うことができるんだ>
<! じゃあ、クロッドは、【火獣】ってやつを殺して……!?>
<そういうこと>
僕も真近で見るのは初めてだった。
クロッドさんの《獣化》
《章》の能力を使って、かつて倒した【火獣】の腕を顕現。それを軽く一振りするだけで、建物を切り裂く威力を見せつけた。
後で訊いたところによると、本気を出せば街を両断することも可能だったらしい。
……なんで、そんな技使うかな?
クロッドさんは時々、度を越えてやり過ぎるきらいがあるよなぁ。
<……《章持ち》は言わば、その《属》の軍事力に相当するんだ。他属を侵攻するにあたって、その《章》を奪うことは最も効果的なのさ>
<へえ……侵攻ねぇ。やっぱ、日本みてーに平和なわけじゃあねぇんだな>
<残念ながらね。最近は特に、《章》の奪い合いがによる戦争が、世界各地で勃発しているらしいよ>
<そして、最も多い《章》を得た所が、最強の《属》ってか? ヤクザのオレが言うのもなんだが、くだらねぇ争いだよなぁ>
<……いや、ちゃんとした理由が、あるにはあるんだ>
そう言って、続けて、声を落とすように言う。
<……はるか昔の言い伝えによると、全ての《章》を奪われた《属》は、この世界から全て消えて無くなると言われているらしい>
<ケケケ! 消えるだぁ!? そりゃあ大変だ! 必死にならなきゃなぁ!>
と、オレは笑いとばす。
無理もない。僕だって半信半疑なんだ。有史以来、そんな事態は一度もないんだし、証拠もないからな。
でも、そんな言い伝えに振り回されて、本気で世界征服をたくらむ輩が居るのも事実なのだから、困る所だ。
一応、《人属》の姿勢としては、基本中立。ひとつ《章》を奪われれば、ひとつ《章》を奪い、ふたつならふたつといった感じで、常に12個の《章》があるようにしているらしい。
クロッドさんはその任を与えられ、そして生還してきた者なのだ。
<……まあ、ともかく。これでわかったろ? クロッドさんが『英雄』と言われる所以が。世界の強者、144つの中に入る方なんだ。おまえなんかが逆立ちしたって敵うはずがないんだから、おとなしくしてろよ>
と、最後にそう締めくくってやる。
詰まるところ、僕が一番言いたかったことはこれだ。
オレのことだから、もしかしたらやられた腹いせに復讐とか考えているかもしれない。
そうならないためにもくぎを刺しておかなきゃならない意味も込めて、これまで懇切丁寧な説明をしてやったわけだ。
だけど、それは逆効果だった。
<ケケケ……いいねぇ……面白くなってきやがった……!>
オレは、愉快そうに笑ってみせる。
<どうやってアイツの鼻を明かそうかと考えてたが……ケケケ!良いこと聞いたぜ!オレもヤツと同じ土俵に立ちゃあいいんだ。わかりやすくて助かるぜ>
……おい……まさか……
<おいボク。一番近くの、《章持ち》が居る所へ案内しな。ぶっ殺して、俺も《章持ち》とやらになってやるよ>
……悪い予感が、的中した。
<バカ言うな! 《章持ち》のクロッドさんに敵わないおまえが、他の《章持ち》に勝てる保証がどこにあるっていうんだ!? てゆーか、おまえ殺しはしない主義なんだろ!?>
<うるせえな。そいつはただの犠牲だ。暗殺でもなんでもやってぶっ殺して、《章》を手にいれて、クロッドぶっ倒す!分かったらさっさと吐きやがれ!有名人なんだからよぉ、一人や二人くらい居場所が割れてるやつは居るんだろう?>
……確かに、《人属》の《章持ち》に関しては、4人程、都に定住していることは周知の事実だ。
十二人の《人属》の《章持ち》が殺されて、《人属》が全滅することになることは、万が一でもあってはならない。
故に、《人属》最大最強の都市で、政府によって探し出された4人の《章持ち》が守られながら生活している。《闇》の《章持ち》--【闇人】が居るのもそこだ。
その他の《章持ち》は、定住を拒否したり、未だ所在が知られていない者も居たりだけど……
いやいやつーか!
<知ってても教えるか! 僕は何事もなく、平穏に過ごしたいんだよ! 頼むから大人しくしてくれ!>
あやうく、こいつのペースに巻き込まれるところだった!
都に行くことは、【闇人】に会いたいっていう僕の目的と一致するけど、こうなっては諦めざるをえないだろう。
ああくそっ! 話さなければよかった!
<あっ! てめー! その口ぶりは知ってるな! いいから教えろ! 教えろ教えろ教えろ教えろ教えろ教えろ教えろー!!>
オレは子供みたいに駄々をこね始めた。
あーもー!!
「うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさーい!!」
僕は思わず耳を塞ぎ、大声をあげる。
こうなると、こいつは本当にしつこい。そのうち、ノイローゼになりそうだ。
そう思っていた時だった。
「……何がうるさいんだ?ノヴ・シュテインハーゲン」
背後から声をかけられて、反射的にギクリと体をこおばらせる。
頭から血の気が引く。ギギギと何かが軋む音と共に、ゆっくりと後ろを振り向くと、
そこには、仁王立ちで僕を見下すクロッドさんの姿があった。
その眼光は、冷たい。
「ほお……勤務中にお絵かきか? 随分と楽しそうだな」
「あ……いえ……これは、あの……」
クロッドさんは、僕の手元にある《章》の表を見て言う。
……オレに、《章》の説明をしていたなんて言ったって、言い訳にしかならないだろう。
だって、仕事をさぼっていたのは、事実なんだから。
「……ノヴ。君は転生者の『オレ』に巻き込まれてしまった手前、同情に値すると思っていたが、どうやらその必要はないようだな……!」
そう言うと、「腕立て姿勢!!」と剣幕を立てて怒鳴るクロッドさん。
「は、はい!!」
僕は大人しく従うしかない。「始め!」という合図と共に、腕立てをする。
「私が良しというまで続けろ。裕福な家庭で過ごしてきた故の甘えや、ぬるい学生気分を払拭してみせよう……!」
鬼の形相で、そう言うクロッドさん。
彼は、正義や規律に人一倍厳しい、熱血漢だった。
……ほんと、オレに関わると、ろくな目にあわない! ちくしょー!!
※ ※
心の奥底から怒りと嘆きの叫びをあげてから、十二時間。
深夜0時を越えた頃。僕は暗い夜の街道を歩く。
帰宅途中である。
あれから、クロッドさんに二時間たっぷりのお説教&トレーニングを頂いた後、建物の補修工事が終わるまで帰ることはゆるさん!と言われたもんだから、たまったもんじゃない。
おかげで、こんな夜遅くまでかかってしまった。
つい先ほどまで、小さなランプを灯しながら、建物の傷を埋めるように補修材を塗っていたのだ。
おまけに、腕立てやスクワットで腕や足はぷるぷる震えるし、泣きそうになった。
しかも、オレは少しの罪悪感も無いようで、『交代』しようとはせず、途中で眠る始末。
肉体的にも、精神的にも、ボロボロだった。
こんな調子で、クロッドさんと生活してたら、死んでしまう。
この数日で分かった。あの人は加減というものを知らないんだ。
……帰ったらまたあの人と顔を合わせることになるのか。もう眠っているとは思うけど。
そんな憂鬱気分でトボトボ歩いていると、やがて宿舎が見えてきた。
帰りたくないとは思う反面、すぐにベッドにダイブしたいという気持ちもあり、やはり宿舎の中へ足を進める。それに、僕にはもうここにしか居場所はないのだ。
ここは、いわゆる警士の独身寮というやつで、クロッドさんの部屋は2回の一番奥。さすがに位が高いだけあって、4人家族くらい暮らせるんじゃないかってほど広い。
……あんな性格なら、いい年して結婚できないはずだ。
心身の疲れから、クロッドさんを心中で毒づいてしまっていた、その時だった。
宿舎2階に上がった直後、異変に気付いた。
<……匂うな>
それは、いつのまにか目覚めていたオレも同じようだった。
<嗅ぎなれた、あの匂いだ。おかげで目がさめちまったぜ>
そんなオレの言葉には耳を貸さず、僕は思わず駆け出した。
嫌な予感がする。心臓が早鐘を打つ。
この匂いは……そうだ。僕も最近、嗅いだことのある匂いだ。
身体にこびりついて離れない。鉄臭い、あの匂い。
血の匂いだ。
それは、2階奥の部屋。開け放たれた扉の向こうからやってくる。
警士であるクロッドさんが、そんな無防備な真似するはずがない。
そんな……まさか……!?
部屋の中へ飛び込む。
そして
僕は見てしまった。
「……クロッド……さん……」
呆然と、彼の名を呟く。
返事はない。
この瞬間。とどめとばかりに、僕の精神は完全に打ち砕かれた。
部屋の中央。血の海に沈むクロッドさんの姿が、そこにはあった。
部屋中を満たす鉄の匂い。
床一面を濡らす赤い液体。
そして、生気の無い、クロッドさんの瞳が、僕の脳裏に焼き付く。
うつ伏せに倒れる彼の背中には、一本の剣が突き刺さって、床に縫い付けられている。
誰が見ても、明らかな事実だった。
クロッドさんが、殺された。