Ⅵ 牢獄
Ⅵ
それから、一週間が過ぎた。
三日目あたりに、警士の方から取り調べを受けた以外は、もっぱら牢屋暮らしだ。
臭いし、汚いし、食事はまずい。娯楽なんてものはもちろん無い。
今までの恵まれた暮らしと比べれば、最低最悪の環境と言っていいだろう。
おまけに『オレ』がうるさく話しかけたりしてくるから、気が滅入ってくる。
でもまあ、他にすることもなし、しばらく『オレ』との会話に勤しむことにした。
『オレ』はこっちの世界になじむ気満々らしく、ひとまずは言葉を教えろとしつこく言ってくる。
仕方がないので教えてやるが、その代わり、僕も【上界】について詳しく訊ねることにした。
授業では聞けない詳しい、文化、景観、時事などを口づてに聞き、想像を膨らませる。
一番楽しみにしていたマンガやアニメ関係の知識についてだが、やはりというか、『オレ』は全くもってそういう類のものには疎かった。
生まれてから、一度もそういうものを見た記憶がないという。五歳児や還暦の老人も知ってるような国民的アニメすら、名前しか聞いたことが無いというのだ。
つくづく思う。
……なんでこんなヤツが!
<あ~。それにしても暇だな>
『オレ』はけだるそうな声で、僕の頭の中で話しかける。
<せっかく異世界に来たのによ~。いつまでこんなとこいなきゃいけね~んだよ>
<知るか。自業自得だろ>
僕は心の中で一言、毒づいた。
言葉に出さなくても、心の中で思うだけで会話できると気づいたのは、わりとすぐのことである。
これなら、周囲の人間にぶつぶつ独り言言ってる変人には見えないだろう。
そうして、『オレ』が不機嫌そうにぶーたれてる時だった。
がしゃん。と扉の開く音がする。
この牢屋に、誰かがやってくる音だ。
<お。いよいよ釈放か!?>
『オレ』が喜々として声をあげる。
……おまえ、あんなことして無罪で済むと思ってんのか?
カツン。と、靴音を鳴らして、その男は牢屋の前で立ち止まった。
精悍な顔つき。制服ごしでも分かる、屈強な肉体。
右目を縦に割く傷と、首筋に描かれたとある『紋様』。
この街の誰もが知る有名人。
警士長。クロッド・ボルステージだ。
その後に続くのは、牢屋の鍵を持つ看守だった。
看守は黙って、牢屋の鍵を開ける。
もちろん、それを見て、無事に釈放されるものとは思っていない。
警士長。クロッドさんは、射貫くような眼光で僕を見据えると、こう言った。
「出ろ。旧名。ノヴ・シュテインハーゲン。おまえを裁判にかける」
※
裁判。
衝突や紛争を解消するために、第三者が下す判定。
この世界にも当然、それはある。
あらかじめ、今日行われることは知らされていたが、まさか警士長直々に迎えが来るとは思わなかった。
『オレ』はそういう説明とか尋問とかは興味なさそうにしてたようだから、いきなり裁判とかいわれて面食らってるみたいだ。
<どこの世界でもうぜぇことするよなぁ。マッポのヤローはよ>
馬車の中。
手錠を嵌められたまま、裁判所に連れていかれる中、不機嫌そうに『オレ』がごちる。
<なんでもいいから、とにかく暴れてーなー。体がなまっちまう>
<……僕がそうさせると思うか?>
やや怒りを含ませて言う。
こいつ。全く反省してない。
野放しにしたら、大変なことになるのは必至だ。
<体の主導権は僕のものだ。これからもそうだ。おまえはずっと、僕の中でおとなしくしてるんだ>
と、きつく忠告する。
事件から一週間。こいつはずっと僕の中に居る。
というよりも、僕の中に居ざるを得ないというのが真実だろう。
誰でも、勝手に体を動かされるのは不愉快。事実、初日は『オレ』もやかましいほどぶーたれていたものだ。
それでも、主導権を奪い返そうとしないのは、『奪い返せないから』に違いない。
一時、主導権は『オレ』の手に渡ったものの、睡眠したタイミングで再び僕の元に戻った。
詳しい原理は分からないが、僕の魂が最も体と相性が良いのは当たり前だ。もう、こいつが僕の体を奪うことはないだろう。
<……ちっ>
不愉快そうに舌打ちをする『オレ』の様子からして、図星のようだ。
耳障りな声を嫌でも聞かなくちゃならないのは不愉快だが、それもまま終わるだろう。
思い出したんだ。僕にはまだ、頼りになる親友が居る。
生粋の闇魔術使いが。
「降りろ」
馬車が止まり、クロッドさんの冷徹な言葉が投げかけられる。
いつのまにか、裁判所に着いたらしい。
そこは、石造りの神殿。この街では、僕の屋敷に次いで大きな建物だ。
僕は言われるがまま馬車から降りて、クロッドさんに続いて裁判所の中へと入る。
クロッドさんは、ずっと僕に冷たい視線で接してくる。
彼は正義感が強く、人望が厚い反面、悪人に対しては容赦無い。いままでの優しい姿勢から一変して、非常に心が傷つく。
折れそうな心を立て直しつつ、足を前に進める。
やがて、大きな扉の前にたどり着いた。
装飾が成された、木目模様の荘厳な開き扉。裁判室の扉。
クロッドさんがそれを開くと、「進め」と一言。おとなしく従い、部屋の中へと足を踏み入れる。
中の様相は、典型的な裁判所そのものだ。
中央に証言席。左右に検察官と弁護士の席があり、正面に裁判官と書記。その周囲を取り囲むように傍聴席があり、すでに多くの人が居た。転生者が現れ事件を起こしたというのだから、もの珍しさに集まるのは必然だろう。
ちなみに、検察と弁護士ができたのも、【上界】側のシステムを真似た結果である。
「裁判長。被告人を連れて参りました」
クロッドさんが、正面上方の席に構えている、初老の男性に報告する。
「ご苦労。待機していなさい」
「はっ」
言われて、クロッドさんは部屋の隅の椅子に座る。裁判中の見張りと、裁判後に引き渡す役としてだろう。
被告人である僕は、係官らしき人に、証言席の後ろの椅子に座らされるよう促される。
そこで、僕は彼と目が合った。
無一文となった僕のために国が選んだ弁護士。覇気のなさそうな顔をした中年男性だが、その後ろに控えた参考人の顔は、かつて毎日突き合わせた顔だ。
無二の親友。カナタ・クリアライン。
彼はいつにもなく神妙な顔で僕のことを見据える。
その隣には、【上界】教師。秋月紅子先生も居て、優しく微笑みかけていた。
心強い味方だ。
彼らがここに居ることを知っていたから、僕も勇気をもってここまで来れた。
そうだ。いつまでも絶望なんてしていられるか。
僕は、僕自身の人生を取り戻す……!
「うむ、それでは監察側、弁護側、準備の方は?」
裁判長が、双方を見据えて問う。
「監察側。準備完了しております」
「弁護側。同じく、準備完了です」
両者が返し、それを見て、裁判長が言い放った。
「よろしい。それではこれより、ノヴ・シュテインハーゲンの審理を開廷する」