003 男は求職中
食堂の机上にずずいと差し出されたそれを見て、ユィーリオはわざとらしく眉を上げてみせた。
「遅くなりましたが、先日助けていただいたお礼です」
「あんたって存外律儀だなぁ、アレ冗談だよ」
「ちなみに若干多い分は利子です。こっちの利率ってどうなってるんですか」
「割と人の話を聞かないのな」
男はいつもの笑みを浮かべた。
面白そうで、バカにしている様で、いまいちわからない表情だ。
彼が宿に滞在し始めてしばらく経った。
1日2日フラリと消えたり、かと思えばこうして桃子の後を付いて回ったり、はたまた夜まで寝て過ごしたり。
「おーい日替わり2つな! ――で、モモコはこれからこの街でくらしていくのか?」
シュウムルの中央広場に建つこの食堂は客がひっきりなしに入れ替わる。
あちこちの話声と走り回る店員の足音で、2人の会話は十分にかき消されていく。
「お給料が貯まったら街を出ます。神殿巡りでもしようかなと」
桃子はユィーリオに再会した翌日から、正式に宿屋で働き出した。
手伝いではなく従業員としてしっかり長時間働かせてくれ、そう頼み込むと夫婦は寂しそうにしながらも了承した。
あまりに多い給金と差し引かれない生活費で、三者が揉めに揉めたのはまた別の話。
「へえ」
勢いよく配膳されたスープからは慣れない香りが立ち上る。
醤油や味噌の味がこれほど恋しくなるなんて思いもしなかった。
この世界には魔法があって、魔法師がいて、魔物や精霊神獣がいた。
そして精霊を祀る神殿には人智を超える不可思議な力が眠っているという。
「餅は餅屋、不思議人間には不思議スポットというわけです」
「うーん、よくわからんが、目的があるのはいいことだ」
「ところでユィーリオさんはいつまでここにいるんですか」
異世界人の監視でもしにきたかと思えば、どうやらそうでもないらしく。
何しに来たのかと単刀直入に訪ねて返ってきたのは「暇なんだよ」という気の抜ける答え。
「さあてねえ、俺も一緒にいこうかな、神殿巡り」
桃子が思わずしかめ面になると、またおかしそうに笑われた。
「これでも今は用心棒の職探し中なんだ、いや、正確には雇い主探し? 俺はいい仕事するぞー」
「私じゃお給料払えないので遠慮しときます」
それは残念だ、と男はちっとも残念そうにせずスープを啜った。
桃子はこっそりと彼の給金を計算してみて、やはり無理だなと頭を振るのだった。
この世界がどれほど危険なのかはわからない。
しかし現代日本でぬくぬくと暮らしてきた小娘にとって、けっして優しいものではないことだけは確かだろう。
きっとこの目の前の男がいたらとても心強い旅路になる。
けれどたった一人迷い込んだこの世界で、誰かに頼ることほど恐ろしいことはないように思えた。
果たして彼が何を思ってこの申し出をしたのか、はたまたただの冗談かも知る術はないが。