001 雨露滴る森にて
宵闇の中溶け込む黒髪が、しかし月の光を受けるたびにキラリと光る。
「こんな森の中で迷子か?」
雲の切れ間から青い月が顔を出した。
緩く編まれて腰ほどまで届く髪、見慣れぬ雰囲気の服。
木村桃子はそれをただただ呆然と見上げる。
周囲は見覚えのない風景で、座り込んだ地面には濡れた草が広がっていた。
「大人しくしといてくれな」
男は桃子に背を向けたまま続けた。
きっとその視線は彼の前で唸る獣に向けられている。
ちらりと見えたその姿はまるで洋画に出てくるモンスターの様で、
何とも言えない獣臭さだけがやけにリアルさを演出していた。
「いや、いや待って、なに」
ヒュ、と聞きなれない音と共に、男は軽やかに飛び上がる。
飛んだ――そう認識できた頃には既に不気味な声は消えていた。
いくつかの横たわっている塊はもはやピクリとも動かない。
それらに刺さった短刀を抜き取りながら、男は桃子に近づく。
「おいあんた、大丈夫かい――あ」
大きく開いた口から覗く牙の濁った黄色から目が離せず、走馬燈などという単語が浮かぶ。
機を狙っていたのか、木陰から現れた獣がまるでスローモーションの様に彼女へと飛びかかる。
その眉間に短刀が突き刺さるのと同時に、地面から無数の何かが伸びて獣を貫く。
枝の様なそれらで串刺しになった体は、ビクビクと数度痙攣しやがて静かに動きを止めた。
頭がずきずきと痛み、何に混乱しているのか何を考えたらいいのかもさっぱりわからない。
場違いに穏やかな声が届いた。
「ふぅ、油断した。それにしても今のは何だ、あんた珍しい術使うねぇ」
「え、いや、いやいや、ちょっと何これ」
「まあでも俺が助けたのには変わりないからな」
「なに、いや、は……は?」
「獣退治の報酬は金貨7枚ってとこだが、3枚位でどうだい。家までの送迎付きだ」
「ちょっとまって」
何を言っているのかわからない、この男は、あの獣は、思考はどうしようもなくかき混ぜられていく。
ニコニコと3本の指を立てた男は今度こそ桃子の目の前までやってきた。
月光の下で闇に青白く映える肌、前髪から覗く切れ長の目、べたりと血の付いた掌。
金貨は持っていないな、そんな見当違いなことを考えながら桃子は視界が暗くなるのを感じた。
「チッ、めんどくせえなもう」
白状なセリフは彼女には届かず、長い溜息も風音に消えた。