あなたの心に 3
もはや忘れられた遺物に近い。
オブジェと成り果てた公衆電話の前に移動する。
「でも異世界よ? 助けなんて来てくれるのかしら」
疑問符を浮かべる不死川。
「まあ電話使わないでも、最悪ガラスを叩き割れば外に出れるしさ」
「ふうん……」
鼻をならすと同時に不死川は動いた。
大股でガラス扉の前に移動すると、
「ばっ!」
僕が止めるまもなく水平に蹴りをしたのだ。
およそ聞いたことが無い音が校内に響く。効果音をつけるならガィーンってかんじだろうか。震動でガラスが震える音だ。
「無理そうね」
足を戻して、おどけるように肩をすくめる。
「い、いきなり、蹴るなんて心臓に悪いな」
「今が最悪の状況なんだから仕方ないじゃない。それにしてもまるで防弾みたいにヒビもはいりやしないわ。私、けっこうキック力には自信があったのよ」
「防弾ガラスはわざとひび割れて衝撃を吸収するようにできてるんだぜ」
それにしても過激な女だ。普通いきなり窓を割ろうと思うか?
「それじゃあ、はやく電話してよ」
手のひらを上にして緑の固定電話を示す。
「それよりも一つ確かめたいことがあってさ」
「確かめたいこと?」
「電話が通じるってことはここは現実世界だということだろ? まあ、もし仮に異世界だとしても、近くに電波を仲介する機器がなきゃ通話できないはずだ」
「そういうもんなの?」
「まあ、どちらにせよ移動しようか」
「なんでよ。意味がわからないわ」
「西見いちごがいた場所、あれ郷土資料室だ」
「どこそこ」
「この学校の資料室だよ。B棟の二階」
「ふぅん。まあいいわ。それじゃあ、行きましょうか」
「放課後デートだね!」
「蹴っ飛ばすわよ?」
ぜんぜんかまわない。
はや歩きで移動したので思ったより早く郷土資料室につくことができた。
西に傾いた太陽により、空は黄昏に染まっている。赤い光が溢れる教室内に西見は立っていた。
耳に携帯をあてる、離す、電話番号を入力する。離す、耳にあてるを壊れたロボットみたいに繰り返している。
突然通話を切られたのがよっぽどショックだったのだろう。必死の形相でリダイヤルを試みているが、残念ながら不死川のスマホは充電切れなので、繋がることはない。
「よぉ」
背後から声をかけると、びくりと背中を震わせて、西見は振り向いた。
「なっ、なしてここに!」
「一年生のときここの掃除当番だったんだ。背後の本棚で一発でわかったよ」
「く、まあ、ええやろ。どうやってコンタクトとろうか悩んでたところや。出向いてくれて手間省けたいうもんやで」
生で聞くといっそうイントネーションの可笑しさが際立つ。大阪住みの従兄弟がアニメやマンガの関西弁の雑な扱いに憤慨していたが、都民も不快になるレベルの発音だ。
「話の途中だったわね」
僕を押し避けるように不死川が前に出た。
「せやったな。なんか知らんが電話が通じんくなったんやった。おねぇさんと話とったんやったな」
「前置きはいいわ。早く要求をいって」
「ふふ。簡単なことやで」
西見は携帯をポッケにしまってこっちを真っ直ぐ見た。
「ねぇちゃんにタイムトラベルをしてほしいんや」
不死川が未来人と信じて疑わない要求だった。
西見いちごは自分のことをメンインブラックの一員だと言っていたが、どこまで信用すればいいのだろうか。
自称未来人の不死川も、そこのところを図りかねているらしい、
「仮定の話よ。仮に私が未来人で自由に時間跳躍できる力を持っていたとしたら……、タイムトラベルをさせてどうしたいのかしら」
「簡単なことやで」
不死川の問いかけに西見いちごはにたりと笑った。
「その力で次元を突破してもらうんや」
「……ん?」
「閉じ込められたんはねぇさんだけやないっちゅうことや」
「……ほんとに言ってるの?」
「嘘つかん」
「はあ呆れた……」
ん? 意味がわからないぞ。
「お、おい。ちゃんと全部説明してくれ、どういう意味だ」
「ああ、にいさん。すまんのう。大口叩いたはええが、実はうちも出られんくなってしもうた」
「は、はぁー?」
「つまり失敗したいうっこっちゃ」
「ど、どうにかしてくれよ! このままじゃ飢え死にだぞ」
「ああ、それは心配せんで大丈夫や。言わばここは時間が止まった空間。空腹を感じることはあらへん。敵は退屈だけやで」
「お、おい、勘弁してくれ。俺らを閉じ込めたようにもとの世界に帰せばいいだろ」
「ええか、にいさん、ここは言わば歪んだ人間が来る空間や。うちや不死川さんのような超越者がな。なんでにいさんがおるんかはほんま謎やが、引きずり込まれたんは仕方ない。諦めるんやな」
「ちょっと待ってくれ。この空間を作り出したのはあんたらじゃないのか?」
「そんな器用なことはできひん。次元の裂け目は至るところにある。特に旗差市な顕著や。うちのミッションは裂け目を埋めることやった。学校に電磁波を照射してな。だけど、失敗してもうたんや」
「西見さんも中に入ってしまったということか」
「せや。異空間は時間の流れが異常や。どうにかこうにかしてうちも向こうの世界に戻りたいねん」
「どうすれば、もどれるんだ?」
「だから未来人の力を借りることにしたんや」
「つまり?」
俺の質問にせせら笑いを浮かべながら西見いちごは答えた。
「上位者の力が必要ということやな」
「上位者というのは?」
「次元を俯瞰的に観測できる神に近い存在、といえば分かりやすいん?」
「ぜんぜんまっまく」
「せやなぁ。次元の裂け目いうんは四次元ちゅうことや。四次元は点と線と奥行きと時間。未来人の世界や。時間跳躍を行えば、次元を越えることができるはずなんや」
「なるほどなるほど」
半分もわかってないが、ちらりと横をみる。
「無理よ」
だろうね。
「あなた以外に人はいなそうだから本当のことを教えてあげる。たしかに私は未来人よ。ここよりもずっと先の未来からきた」
力強い制限が静寂が支配する空っぽの教室に響いた、西見いちごはクリスマスプレゼントをもらった子供のように目を輝かせながら、「おおっ、ほんまか!」と喜色満面になった。
「だけど、残念ながら時間を跳躍する力は失われてしまった」
「なんやて……」
「私はただの一般人よ」
「そんな……いや、しかし、未来人いうんやったら、次元について詳しいはずやろ」
「どういうことかしら」
不死川の返答をなんとなく寂しそうに西見は受け止めた。
「ええか、さっき言った通り、一次元は点、二次元は点と線、三次元は点と線と奥行き、四次元は点と線と奥行きと時間で表される。ちなみに聞くけどねぇさんらが認識しているこの世界はなん次元やと思う?」
「三次元じゃないの?」
「ちゃう。うちらは時間も認識しとるから、正しくは三よりも上、だけど正しく認識していないから3,5次元や。時間を感じるが認識できん、それがうちらの脳の限界や」
西見はそういって浅く息をついた。
「今いるここは3,5次元。それ以上を認識できるのは人間を越えた上位者だけ」
西見はつかつかと足音をたてて、こちらに歩み寄ってきた。
「まだわからんか? 上位者とはつまり次元を突破したもんや。言い換えれば時間を跳躍したもんが四次元を認識することができるってことや」
「まって、それって、つまり人類が特異点を突破するってことよね。人類の進化の可能性……」
「せや。タイムマシンを正しく使いこなせれば、あるいは次元を昇華出来るかもしれへん」
不死川が握った手のひらが微かに震えているのを、視界の端にとらえた。人類の特異点の突破、それこそが彼女の目的だからだ。断っておくが頭がおかしいのは俺ではない。
「なんにせよ三次元の住民には高次元の認識は不可能や。古い小説に二次元の人物が三次元を認識しよう話があったが、作中の球体を登場人物は円としてしか認識することができひんかった。同じように低次元の人間は高次元に移行しない限り四次元以上を認識することができないんや」
不死川と西見はお互いに見つめあっていった。どちらかが手を伸ばせば届く至近距離だ。
「だけども、……ねぇさんはどうやら、ほんまに次元を認識しとらんみたいやな」
落胆の色は濃い。やれやれだ。
「わるいけど、さっぱりだわ」
「ええ。どうにかしてこの世界からもとの世界に戻らな」
俺らの間に沈黙が落ちた。誰一人として言葉を発するものはいない。
生き物の気配は一切無かった。まるでほんとうに世界が滅んでしまったかのようだ。
少し気になることがあるので、俺は窓辺によって、カーテンを開けた。
夕暮れ時だ。
「ちなみに聞くけどこの空間は時間が止まってるの?」
血のように赤い夕焼け、そこに留まり続けている。
「時空間のことはさっぱりやけど、恐らくそうやろな」
「西見さんは異次元に行くのははじめて?」
「狭間を見るのはよくあるが、閉じ込めやれるのは初めてや」
「狭間、って言い方がよくわからないんだけど」
「ブラックホールとおなじや。強力な重力場は時空間を歪ませる。うちら機関はその場をならす仕事をしとったんや」
「ふぅん」
屈みこんで、窓辺の引っ掻き傷をそっと撫でる。俺が昔つけた傷だ。
異空間というのが信じられないくらいしっかりとした構造をしている。
「学校から出られないのはどうして?」
「うちが制限をかけた」
「なんでそんなことを?」
「完全に安全が保証されとる空間が校内だからや。そこから先は未知なる道。おそらく足を踏み込んだら最後、内側が外側に出てお陀仏やで」
「ふっ」
電波を飛ばしてるのはこいつだった。
「まあ、大丈夫だよ」
「にいさんもようわからんのう。このままじゃ永遠にこんなかやぞ。3億年ボタンよりはましかも知れんが、最悪なのには変わりがあらへん」
西見いちごはその端正な顔を歪ませて大袈裟に肩をすくめてみせた。
「どげんかせんといかん」
「まあたしかに残された俺たちは人類の存続のために子作りに励むのも一つの未来かもしれないね」
「せ、セクハラやんけ!」
「でもそうはならない」
西見が小さく「え」と口を開いた。
「君が言うところの上位者がいるからだ」
郷土資料室のドアがガラリと開かれる。
「やっほほー! 暇なんで、あっそっびましょー。無聊の慰めになっておくれー」
相も変わらずはっちゃけた奴だ。西見はともかく不死川でさえ目を丸くしている。
「出るときは事前に言えって言っただろ」
「それはできませーん。いつでもライブ感を大事にしてるんでさぁー。さっさ、それよりもなにやら大変なことになってそうだね。なんだいこれなんだか懐かしい感覚だよ不安定感がたまらないねぇー」
カレンはその場でぐるぐると両手を広げて回りだした。意味がわからん。
「異世界に閉じ込められたみたいなんだよ」
「いっせかっーい。これまたおかしなことをおっしゃりやがりますねぇ。異世界ですかー、愉快ですねぇ。それじゃあ、我は勇者をやるから、洋はスライムを演っておくれー」
「そういうのじゃないんだ。カレン、ここから出してくれ。ガラスが割れなかったんだ」
「ガラスが割れなかったら異世界認定かい? 随分と単純な脳みそしてるなぁ。羨ましいなぁ、悩み無さそうで」
悩みの種が何言ってやがる。
「じゃあ、どうやって隔絶させてんだよ。中に人がいないのは?」
「たしかにここは次元の狭間と称するに値する空間みたいだねぇ。単純だね。単調だね。でも自分の理解できない問題を異世界と断ずるのは思考停止甚だしいぜー?」
「質問に答えろよ。この世界はなんなんだ」
「言ったってわからないなら言わない方がましさ」
「おい」
「あの子のこのこかわいくないね、てるてるぼーずのもんちっちー、あもんあもんあもんちっちー、あんたちょっとばかね、あんたよりましよ、あもんちっちー、ビームシュワッチ!」
「誤魔化すなよ」
僕らのショートコントを見守っていた西見が声をあげた。
「誰やこいつ!!」
その場を的確に表した言葉であった。




