第五話 初任務・一
午前七時五〇分。俺は凄まじい振動で叩き起こされた。
原因は上遠野に貰った懐中時計。この世界に合わされた銀色の時計が、八時を示した途端激しくバイブしたのだ。一種の目覚まし機能なのだろうが、音よりもある意味心臓に悪い。
俺は欠伸を溢して、大きく伸びをした。この世界で初めて一夜を過ごしたが、疲労と重なって割と眠れた気がする。
少し寝不足気味な頭を振り、ベッドを降りた。寝衣から、制服に着替える。
この寝衣は、昨晩海咲と風呂に入った際に見つけたものだ。自由に使っていい上、設置された洗濯機で洗うことも出来る。勿論、下着やタオル等も洗っていい。
その他にも歯磨きセットや風呂セット等、まるでホテルのように様々な物を貸し出してくれていた。着の身着のままな俺たちにとって、これほどありがたいことはない。ただ一つ不満があるとすれば、下着を含め服が一着しかない点だろうか。
ワイシャツとズボンという恰好になり、洗面所に入る。顔を洗い、寝癖を直そうと鏡を見た。
短めの黒髪に、同色の瞳。小顔な上、いまいち少年っぽさが抜けない顔付きは、何度見ても自分の顔ながらげんなりとする。水で強引に寝癖を押さえ、洗面所を出た。
懐中時計を見れば、もう五七分を差していた。慌てて部屋を出ようとし、ふとベッドを見る。
目線の先、ベッド上で放られた青のストライプネクタイが目に入った。
「……一応、締めるか」
何となく必要な気がして、俺はネクタイを締めた。洗面所でもう一度身なりを確認し、部屋を出る。
扉を閉めるが、鍵の掛かる気配はない。上遠野からルームキーの類は受け取っていないため、施錠出来ないのだ。
二〇七号室に寄り、ノックする。反応はない。海咲は既に行っているようだ。
一階へ降り、一〇六号室に入る。
「あ、…………成瀬くん、おはよう!」
「お、おはようございます。長日部さん」
声を掛けてきたのは瑛莉だった。昨日とは違い、チュニックにレギンスといったラフな恰好をしている。まだ、すぐに名前が出るほど覚えられてはいないらしい。
食堂と思しき空間には、俺を除いて四人が居た。
エプロン姿で料理をする南桐と、同じくエプロン姿の海咲。料理を運ぶ、瑛莉と李緒。
「あれ? 上遠野さん……」
部屋のどこを見ても、彼の姿はなかった。まさか、朝から【流転人】狩りをしているのか。
「どうしたんですか?」
きょろきょろと周囲を見る俺に、李緒が小首を傾げながら尋ねた。彼女も瑛莉同様に、チュニックワンピースという楽な恰好だ。
「上遠野さんが居ないから、どうしたのかなって」
「リーダーなら、まだ寝てると思う」
「寝てる? ……そっか、昨日遅くに【流転人】と戦ってたんだよな。俺たちにも色々してくれたし。疲労だって溜まるか」
俺は申し訳ない気持ちと共にそう言った。けれど、李緒は変わらず首を傾げたまま、俺の顔を覗き込む。
「それもあるけど、単純に朝が弱いの」
「そうなのか。意外。強そうに見えるけど」
「ふふっ、それは私も思った。でも、あと一時間したら起きてくると思うから。先に食べよう?」
悪戯っぽい笑みを浮かべて、李緒は準備へと戻って行った。大人しそうな外見の一方で、話しやすい印象だ。年齢も近そうだし、もっと話してみたい。
テーブルを見れば、既に幾つかの料理が並んでいた。
どれも【ライトオブジェクト】で作ったとは思えないほど、美味しそうに見える。
海咲に呼ばれ、出来あがった料理を運んで行く。その間にも、何とも言えない良い香りに包まれ、思わず涎が出そうになる。
料理が全て並び、海咲の隣に腰掛けた。全員が着席したのを確認し、瑛莉が口を開く。
「じゃあ、皆さん。手を合わせて。せーのっ」
――いただきます。五人揃って声を上げ、朝食が始まった。
◇◆◇
李緒の言う通り、上遠野が起床したのは九時を回ってからだった。
彼が遅めの朝食を摂る間、装備を纏った瑛莉たちが次々と拠点を出て行く。
結局、一〇時を過ぎてから仕事は始まった。
「……すまない。今日は早く起きるつもりだったんだが。その……朝には、弱くてだな……」
上遠野には珍しく、歯切れの悪い物言いをした。余程、朝が弱いことを気にしているらしい。
仕切り直すように咳払いし、俺たちを真っ直ぐ見据えた。
「少々遅れてしまったが、早速二人には初任務に就いてもらう。いいか?」
俺は一瞬、頷くのを躊躇った。
任務より前に、彼には聞きたいことがある。この世界に『戻る』という事象があるのかどうか。それを確認しておきたい。
けれど、今それを聞ける雰囲気ではなかった。海咲の目もある。彼女には黙っている以上、後に回すしかない。
海咲に次いで、俺も頷いた。
「よし。じゃあ、上で装備を整えようか」
上遠野に続き、エレベーターに乗り込む。三階へ上がり、数多の装備が保管された三〇三号室に入る。
「昨日、ここに並べていたのは全部練習用だったんだ。でも今回は違う。全部、正真正銘の本物だ」
そう言って上遠野は机の上から、昨日俺が選んだのと同じ銃剣を手に取った。その外見はさして、練習用と変わりなく見える。
「成瀬は銃剣のままでいいか? 変更するなら、今の内だが」
「いえ。そのままで大丈夫です」
「そうか。なら、【専属化】を行う」
手に持った銃剣を一度置き、上遠野は腰のポーチを弄った。そこから、三方四面体の形をした一つの粒を取り出す。
淡い空色に眩くそれに、俺の目は釘付けになった。隣で海咲も同じように、息を飲む。
「何だ、二人とも【ライトオブジェクト】は初めて見るのか?」
俺たちは揃って首を縦に振った。その輝きは到底、あの【流転人】の体内から出たとは思えない。海咲の口から、「綺麗」とこぼれる。
「今からもっと面白いことするぞ。この【ライトオブジェクト】を使って、武器を使用者専属のものにするんだ」
上遠野が、摘んだ光の粒をゆっくりと銃剣に触れさせる。
途端、銃身が峻烈に発光。音もなく、粒がその銃身に沈んでいった。その間、僅か五秒ほど。
再び銃剣を見た時、既にその形は変貌していた。
まず、紺色の銃身が六センチ前後伸びている。走る黄色のラインは一緒ながら、各所に発光部があり、薄い青を灯している。全体に光沢が浮かび、玩具感のない、本物の質を感じさせた。
「まだ、【専属化】は終わってないぞ」
上遠野はまたもポーチを探り、一枚のカードを取り出した。
それを、すっかり形の変わった銃剣に軽く当てる。一時、光が瞬く。
すると、銃弾の残量を示すゲージの下に文字が刻まれた。
「……《ビトレイヤー》。この銃剣はそういう銘のようだ」
上遠野の手から銃剣が渡される。
ずっしりと手に感じる重み。【専属化】の影響か、結構重い。
今度は海咲の番だった。彼女もそのまま、二本の特殊警棒を選ぶ。
先ほどと同じ過程で警棒も【専属化】される。
銘は《テネイシャス》。銃剣とは異なり、外面的な変化は見られない。
「見た目では分からないと思うが、実際に使ってみれば分かる」
上遠野に言われ、海咲は思いっきり警棒を振り下ろした。
「わあっ! は、速い……」
恐るべき速度だった。振り下ろしの半ばで展開したような、そんな錯覚さえ覚えるほどだ。加えて、銃剣の時と同様に、シャフトの部分が伸びている。
「展開速度もさることながら、突きや殴打の威力も上がっている。その上、頑丈だ。【流転人】相手に十分戦えるだろう」
――戦える。その言葉に、俺は打ち震えた。
漸くだ。漸く、【流転人】と戦うのに必要な『力』を手に入れた。
これで、海咲を守ることが出来る。
「次は防具だ。昨日とは違い、渡すのはコートだけじゃない。こっちに来てくれ」
各々に武器を持ち、俺たちは上遠野を追う。そこにはコートの他、手袋やブーツが置かれていた。
「防御の面で言えば【ライトオブジェクト】で作られたこのコートだけで事足りる。だが補助として、俺の班では手袋とブーツも着用してもらう。手袋は武器を落とすのを予防するため、ブーツは敏捷力上昇のためだ」
黒の指抜き手袋と同じく黒のブーツ、そしてお馴染みの白いコートが渡される。
「凍鞍はこれを着てくれ。新調したやつだから、合うと思うんだが」
海咲が上遠野から受け取ったコートを羽織る。すると、まるできちんとサイズを測ったように体にフィットした。
「あ、ぴったり!」
海咲が感嘆の声を上げた。それを見て、上遠野が満足顔で頷く。
「【ライトオブジェクト】のストックが切れてた上、急いで作ったからどうかと思ったんだが。合ってるならよかった」
その言葉に、俺は昨晩のことを思い出した。
瑛莉によれば、上遠野は一人で【流転人】狩りに出ていたらしい。もしかして、このためにわざわざ行ってくれたのだろうか。
「すいません。手間を掛けさせてしまって」
「気にしなくていい。お前はもう俺たちの仲間なんだからな」
ありがとうございます。そう言って海咲は深深と頭を下げた。
上遠野は一瞬面映ゆそうな顔をして、話を再開した。
「コートの中に着る服は自由で構わない。防御力には関係ないからな。欲しいなら、俺に言ってくれれば共通の物を貸し出すが。どうする?」
そうなると事実上、俺たちはワイシャツの上からコートを羽織ることになる。
それでは聊か不恰好だ。俺たちは共に上下を、俺は白のインナーにグレーのズボン、海咲は白のインナーに紺色の膝丈上スカートをそれぞれ借りた。
「装備はこれで一通り整ったな。じゃあ、最後にこいつを渡す」
上遠野が手にしたのは、【専属化】の際に使用したカードだった。それを一枚ずつ受け取り、眺めてみる。銀色に塗られた表面にはこう書かれていた。
コミュニティー:【上遠野旧区】 クラス:一般団員 ナンバー:〇〇七
海咲のも内容はほぼ同じで、ナンバーが〇〇八になっている程度だ。
「それは二人が俺たちの仲間であることを証明するものだ。これがあれば部屋のロックも出来る。だが、くれぐれもなくさないこと。これがないと武器は起動しないし、拠点にも入れない。不便ばかりだ。仮になくした場合、再発行は可能だが……他の【戦線区画】に拾われたらお終いだ」
最後の一言を、上遠野は凄ませた。
俺は握るカードをもう一度眺め、そしてはたと気付く。
ナンバーの欄。俺と海咲は〇〇七と〇〇八。
おそらく団員番号を示すであろうその数字だが、【上遠野旧区】には四人しか居ない。俺たちを含めても六人。どうやっても数が合わない。
俺は上遠野の、真剣な眼差しの裏に隠れる『何か』を見ようとした。
もしかして、過去に二人の団員がカード関連で事件に巻き込まれたのだろうか。
じっと彼を見つめるが、分からないまま話が再開された。
「カードを保管する物として、これを渡す。使わない時は、この機器に差し込んでおけばいい」
渡されたのは、スマートフォンのような四角い小型端末だった。
画面をタッチすると、『通信』・『施錠/解錠』等の文字が現れる。
この世界における携帯電話と同じ、上遠野はそう説明した。これ一台で、班員との連絡や錠の管理も出来るらしい。
「この小型端末も出来ればなくして欲しくないが、カードよりはマシだ。最初のタッチで指紋認証をした。俺の班以外の者は触っても作動しない仕組みになっているからな」
何と指紋認証まで出来るらしい。つくづく【ライトオブジェクト】の汎用性に驚かされる。
「正式にメンバーとして迎え入れるに当たり、渡すべき物は以上だ。これからは仕事の話になる」
いよいよだ。初任務、一体どんなことをするのだろうか。
「俺たち【上遠野旧区】の目標は、当然『この世界からの脱出』だ。それには【グラディウス】を探す必要がある。そこで重要なのが【流転人】の追跡だ。世界を反転させた原因だろう奴らを追うことで、【グラディウス】に迫る。いいか、俺の班で行う仕事は奴らの掃討じゃない。下手に手を出すのは禁じる。戦うのは、襲撃された場合のみだ。分かったか?」
上遠野の言葉に、俺たちは反射的に頷いた。
元の世界に戻るという目標、それにかなり近付く仕事内容。俺たちはいつしか、真剣に彼の話に聞き入っていた。
「行う任務は調査や探索が中心になる。勿論、拠点を奴らに襲撃されれば、迎撃任務に就いてもらうこともある。日頃から『戦うかもしれない』という心構えはしておいてくれ。……さて、ここまで色々話したが、本格的な任務は後日やってもらう。戦闘訓練もしてない内から、任務には出せない。そこで、今日やってもらうのがこれだ」
そう言って、上遠野はポーチから一枚の紙を取り出す。そこには、『【上遠野旧区】探索任務』と書かれていた。
「二人にはまず、ここの地形を把握してもらう。ここがどんな場所で、どういった場所で戦う可能性があるのか。実際に目で見て、足で感じて欲しい。いざという時、『知らない』は命取りになるからな」
上遠野の言うことは尤もだと思った。俺たちはまだ、【上遠野旧区】のことを全く知らないのだ。知らない場所で【流転人】と鉢合い、がむしゃらに逃げた先が巣だったりしたら、笑い話にもならない。
「任務と銘打ってはいるが、そんなに肩に力を入れなくていい。寧ろ、抜いてくれ。今日は単なる散歩、その程度に思ってくれ」
その言葉に、俺は無意識に入れていた力を抜いた。肩が途端に軽くなる。どうやら、相当入れていたらしい。
「今日の任務のため、他の団員は既に各チェックポイントで待機してもらっている。【流転人】に襲われる心配はない。だが万が一奴らに会ったら、すぐに小型端末で団員に応援を求め、攻撃ではなく防御に徹すること。念のため、二人の位置は俺の方で把握しているから、何かあれば俺がすぐに駆け付ける」
話を聞きながら、俺は朝の光景を思い出していた。
朝食を済ませ、装備を纏い続々と拠点を出る姿。あれは全て、俺たちのためだったのだ。
途端に申し訳ない思いが押し寄せてくる。区全体で俺たちのことを考えてくれているのだ。この任務、なるべく良い結果で終わらせたい。
「小型端末にマップを転送した。これを見て、行動してくれ。任務成功の条件はただ一つ。二時間以内に全てのチェックポイントを回り、拠点に戻って来ること。回る順番はどこからでも構わない。二人で話し合って、好きに区を探索するといい」
話は以上だ。そう言って、上遠野は部屋を後にした。静かに、扉が閉められる。
「うーん……どうやって回ろう?」
端末を凝視しながら、海咲は呟いた。早速、仕事モードに入っているらしい。
「一番遠い所から回るっていうのはどうかな?」
同じく端末を睨み付けながら、俺は言った。
マップ上で拠点から最も離れた場所は区の西端。そこから順に回れば、割と無駄なく回ることが出来そうだ。その上、最終地点から拠点も近い。
「いいね。そうしよう」
海咲が張り切った声を上げる。彼女は妙にやる気満々だった。
また不安が先行しているのだろう。俺はそっと彼女の左手を握った。
瞬間、不貞腐れたような顔で俺を見る。だが同時に安心もしたらしく、ゆっくりと握り返してくれた。
僅かの間そうした後、気持ちを切り替え、装備を互いに確認して部屋を出た。
初の任務。制限時間は二時間で、やることは区内の探索。
果たして、無事に終わってくれるだろうか。
思考の片隅、半ば祈るようにそう思いながら、俺は拠点の門を潜った。




