第三話 入団試験
【上遠野旧区】の拠点は、囲むように立っていた低木を少し歩いた先にあった。
円形の層が三段積み重ねられた白塗りの外観。その壁面は白さを強調するように汚れ一つなく、寧ろ近寄り難い印象を受ける。
【ライトオブジェクト】があれば、こんなものまで作れるらしい。
入ってすぐ、中央部分は吹き抜けの大きなフロアになっていた。開放感のあるフロアの奧、扉が円弧状にずらりと並んでいる。
保護という形で招かれた俺たちは、一階の右端にある"一〇九"と書かれた扉の中、机と椅子が整然と並ぶ部屋に通された。用事を済ませてくる、上遠野はそう言ってどこかへ行った。
扉が閉じられた途端、部屋に静寂が訪れる。隣に座る海咲は、何処と無く落ち着かない素振りで部屋を見渡している。
ここに来るまでの間、俺は彼女に簡単な事情説明をしていた。信じるかはともかく、何も知らないのは危険だからだ。
幸い、海咲は錯乱状態に陥ることもなく最後まで話を聞いてくれた。
全て話し終えた後、俄かには信じ難いという顔をしたが、【流転人】を目前に見て、実際に襲われたのだ。全部を否定することは出来ず、一部だけは受け入れたらしい。
それでも不安を拭えない様子だったが、現状が把握出来たことで少しずつ冷静になっていった。
すぐに戻れる。その事実だけが海咲を、俺をも支えていた。
「入るぞ」
扉から声が掛かった。
海咲のことを思う内、いつの間にか時間が経っていたらしい。
返事をすると、上遠野が入ってきた。
「もう大丈夫なのか?」
「はい。大分、落ち着きました」
上遠野は紛れもない、俺たちの恩人だ。彼が現れなければ、今頃どうなっていたかは考えたくもない。
「ならよかった。……もう一度確認するが、他の【戦線区画】には所属してないんだよな?」
俺たちは揃って頷いた。
一瞬、涼架のことが頭を過る。だが俺自身、彼女のことをよく知らない。話に出す必要はないだろう。
「今は保護という状態だが……どうだ、俺の【戦線区画】に入るか?」
「え、いいんですか!?」
「二人さえよければ、だが」
思いがけず、俺は声を大きくした。まさか保護だけでなく、所属の話までしてくれるとは。
【戦線区画】への所属が出来れば、涼架の言っていた装備が手に入る。そうすれば、【流転人】と戦えるのだ。
隣の海咲は心配そうな顔をするが、俺は安心させるようにその手を握った。
「ああ、二人さえよければ歓迎する。俺としても、戦力の増強は望ましいことだからな。……だが、一つだけ条件がある」
「条件、ですか……?」
「ああ。まあ、条件というよりテストと言った方がいいか」
そこで一旦、上遠野は言葉を切った。
何となく不穏な気配を察し、俺は続く言葉に身構える。
虚空に向けた視線を俺たちに戻し、上遠野は再び口を開いた。
「【流転人】の討伐。それを二人でやってこい」
一瞬、言われた言葉の意味が分からなかった。ぽかんと大口を開けたまま、上遠野を見る。
だがそんな俺の様子など気にもせず、彼は続けた。
「【流転人】と戦うには適当な装備が必要だ。だがその装備は無限にある訳じゃない。俺の所は特に物資が不足しててな。力のない奴に貸せるほどの余裕はない。……分かってくれるか?」
大して気にした風もなく、上遠野はそう言った。
海咲に触れる俺の手が僅かに握り返される。
「こういうのって、他の【戦線区画】でもやるんですか?」
「うん? いや、それは知らないな。他の【戦線区画】とはあまり接触しないし、情報も争奪戦だからな」
その言葉に俺は落胆を覚えた。【戦線区画】を組むからには、互いに協力するものだと思っていたのだ。
だが実際は、【戦線区画】間の連携などないらしい。
また少し、この世界で生き抜くことが遠く思えた。
「何、安心しろ。【流転人】と言っても、相手するのは一番弱い等級だ」
拠点までの道中、上遠野から【流転人】について説明を受けていた。
人間と姿形はあまり変わらないこと、身体能力等が桁違いであること、手足を巨大化させて戦うこと、ない首が弱点であること。
何より、【流転人】には等級があること。
話に上がった『一番弱い等級』とは第六級のことを指す。その言葉通り、一番弱い。
その六級から、五級、四級、三級、二級、一級、零級の順に強さを増していく。
先刻俺たちを襲い、上遠野が倒したのは第五級らしい。
「どうだ、やるか?」
「……お願いします。海咲も、それでいい?」
暫く俺に縋るような視線を向けた後、海咲はゆっくりと頷いた。
「決まりだな。じゃあ、早速始める。俺に付いてきてくれ」
そう言うと、上遠野はさっさと部屋を出た。まるで始めから決まっていたような段取りの良さだ。
「海咲。お前のことは俺が守る。だから、あんまり心配するなよ」
「径くん……。うん、分かった」
俺たちは頷き合い、部屋を後にした。
フロアの最奥、エレベーターような箱の前で上遠野は待っていた。
小走りに駆け、乗り込む。それは正しくエレベーターで、一気に三階へと上がる。
降りた先は、一階とほぼ変わらないフロアだった。
彼の背を追い、三〇三号室に入る。
そこは見るも明らかな装備保管部屋だった。壁、机上、床。至る所に、装備が置かれている。
「装備を付ける前に、使う武器を決めてもらう。何でもいい、好きなものを選んでくれ」
あっさりとそれだけ言うと、上遠野は扉の近くで壁に背を凭れた。
干渉する気は一切ないらしい。勝手に自分たちで選べということか。
「好きなものって言われても……」
据えられた長大な机の上、ずらりと並ぶ武器を見て、俺はぼそりと呟いた。
剣や槍、斧に銃器、ハンマー、棍棒、刀、爆弾、クロスボウ等々。近距離から遠距離まで、どんな攻撃スタイルにも対応する品揃えだ。
だが、これだけ種類があると逆に悩んでしまう。
加えて、戦うというイメージに実感が湧かないため、どれが自分に合うのか考えるのも難しい。
見れば、海咲も同じように唸りながら並ぶ武器を眺めている。
俺は適当に、目に付いたものを手に取った。
紺色の銃身に、黄色のラインが一筋入った、不思議なデザインの銃器。銃床部分には、『鷲に喰らい付く狼』という変なエンブレムが付いていた。
「それは銃剣だな。銃と剣が一体化した武装。近距離から中距離に対応出来るが、銃の威力は近ければ近いほど強い。要するに、近距離武器だ」
ここを押せば剣になる。そう言って上遠野は、銃身の引き金近くに付いた小さなボタンを押した。
すると、銃器が一度バラバラになり、すぐに戻しては剣の姿を現す。その間、一秒もない。
唖然とする俺に、上遠野はもう一声乗せた。
「銃弾は、銃身に付いてるゲージが無くなるまで撃ち続けられる。もし、無くなっても時間経過で補充出来る。但し、撃ち切る前に補充すること。一度撃ち切ったら、再補充まで時間が掛かるからな」
銃剣。適当な選択の割に、中々良い物を選んだ気がする。
上遠野のそれでいいのか、という顔に俺は首を縦に振った。槍や斧、ハンマーに比べれば使いやすいだろう。
俺が決めたのを見て、海咲も決めたらしい。
彼女が選んだのは、筒にしまわれた特殊警棒だった。銀色の外面に、黒のラインが幾筋か描かれている。
「刃が出てるのは自分ごと切りそうで怖くて……」
「特殊警棒か。まあ、威力は他の武器より低いが、上手く急所を突けば一時的に動きを止めることも出来る。言っておくが、警棒は『叩く』のではなく『突く』ものだからな。利点はそれと、軽いし、女でも扱いやすい所か」
「私、これにします」
そう言って海咲は特殊警棒を、何故かもう一本手に取り、両手で抱くように持った。
俺の不思議そうな目付きに対し、彼女は満足げな顔を返した。
「武器は決まったな。最後に一つ、全部の武器の共通として【一導破撃】という最大攻撃が備わっている。これはいつでも使える訳ではなく、時間経過での発動となる。武器自体が白く発光し始めたら、その合図と受け取っていい。容赦無く【流転人】に撃ち込め。放つことでデメリットはない。寧ろ二回目以降の発動を遅らせるだけだ、準備出来たらすぐに撃て。……さて、次は防具だ。って言っても、男用か女用しかない。サイズはこれしかないが、とりあえず着てくれ」
差し出されたのは、白地に青のラインが幾筋にも走ったタイトなロングコートだった。男女のデザインはほぼ同じで、違うのはサイズくらいだろうか。
「服の上から着るんですか?」
コートを眺めながら、海咲が尋ねた。手に持つコートは若干、彼女には大きいように見える。
「ああ。着てる服の上から羽織ってもらって構わない。ちゃんと機能はする」
海咲が纏うのにならって、俺もコートを羽織った。
サイズは丁度良い感じながら、各所にゆとりがあり、動きやすい。
海咲の方は、やはりサイズが合わず、動きづらそうだった。
「凍鞍にはちょっと大きすぎたか。まあ、今回だけは我慢してくれ。……さてと、これで漸くテストを始められるな。付いてきてくれ」
各々の武器を携え、俺たちは上遠野の後に付いた。エレベーターを使い、一階に降りる。
先行く彼の背を追いながら、俺はずっと抱いていた疑問をぶつけた。
「【流転人】って、どうやって出現するんですか?」
俺の問いに、暫し間を置いて上遠野は答えた。
「正確には分からない。だが、奴らが住まう場所は分かっている」
「住まう場所?」
「巣があるんだ。奴らの巣が」
巣。その言葉に、俺は一抹の不安を覚えた。
「……もしかして、その巣でテストするんですか?」
「はははっ。それも良いが、流石に酷だろう? 安心しろ、今回は行かない。相手するのも一体だけだ」
その言い方だと妙な引っ掛かりを覚える、と俺は思った。海咲も同じ思いらしく、二人して顔を見合わせる。
拠点を出て、微妙に足場の悪い道を二〇分ほど歩く。
すると、大きく開けた場所に出た。今まで歩いてきた道と異なり、きちんと整えられている。まるで闘技場のような空間。
「テストはここで行う。で、こいつが相手」
闘技場の奧、暗がりから上遠野が連れたのは鎖で幾重にも繋がれた【流転人】だった。
「こいつはテスト用に常に捕えてある【流転人】なんだ。勿論、第六級だ」
第六級【流転人】。その容貌は五級とさして変わらない。禍々しい雰囲気を纏い、俺たちに威圧を放ってくる。
負けじと俺は、今は剣形態になっている銃剣の柄を握った。
「二人の準備さえよければ、すぐにでも始める。もういけるか? それとも、まだ――」
「やります」
答えたのは海咲だった。上遠野が少し驚いた顔で彼女を見る。俺も慌てて視線を海咲に向けた。
「大丈夫なのか、海咲?」
「……大丈夫じゃない」
「え? だったら、そんなに急がなくても……」
「でも、待ってるのも嫌なの! やらなきゃいけないんだったら、さっさと終わらせたい」
「海咲……」
警棒を握る手がふるふると小刻みに揺れていた。
無理もない。これからあの【流転人】と戦わなければならないのだ。俺だって本当は怖い。それを必死に隠し込めているだけだった。
「よし、作戦を立てよう。俺が合図したら一緒に攻撃、回数は一回だけ。もし隙があるようなら、もう一回。そしたら攻撃を止めて、距離を取って離脱。一発撃って、すぐに離れる。……これでいい?」
「……分かった」
海咲の震えが少しだけ治まった。俺を見つめ返す瞳に、強い意志を感じる。
「始めて、大丈夫か?」
「お願いします」
上遠野に向け、俺は力強く頷いた。もう迷いはない。
「コートは特殊な加工を施しているから、多少のダメージなら防いでくれる。だが直撃を何発も喰らえば、その限りではない。くれぐれも"巨腕"には気を付けてくれ。では鎖を外す。五秒後に開始だ」
俺たちは一定の間隔を取って、闘技場に散らばった。
俺は剣形態の銃剣、海咲は二本の特殊警棒を、それぞれ中段で構える。
最後の一秒を上遠野が告げた。
鎖から解かれ、【流転人】が一直線に突進してくる。
俺たちは左右に大きく周り込み、突進を回避。がら空きになった胴を目掛けて一心に武器を振り下ろす。
同時に横っ腹を打たれ、【流転人】が大きく仰け反った。
隙を計らい、海咲がもう一振りの特殊警棒を突く。
【流転人】の苦しげな呻き。だが即座に態勢を戻し、ない首を彼女に向け、腕を振り上げる。
腕が膨張するそのタイミングで、俺は形態を銃に変え発砲した。
まさに巨腕と化そうとしていた腕が破裂し、気色の悪い液体を振り撒く。
「海咲、距離を取ろう!」
一度、大きく後退し距離を取る。
俺も海咲も武器は近接系。銃形態も近距離の方が高威力とあっては、どうしても近付き過ぎてしまう。
痛みで暴れる【流転人】の動きを見つつ、呼吸を整える。落ち着き始めた頃を見計らい、俺たちは再び飛び掛かった。
今度は銃形態のまま、幾度も発砲を繰り返す。だが、遠くからでは低威力過ぎて身を貫通するまでには至らない。
向こう側では、海咲の特殊警棒が重い突きを放っていた。一突きごとに【流転人】が大きく身を震わせる。
二度目の攻撃が終わり、後ずさって距離を取った。
「径くん! もういいんじゃない?」
銃剣を見やると、銃床に刻まれたエンブレムが白く発光していた。最大攻撃の発動準備が整った、その合図だ。
「次だ、次で決めるぞ!」
形態を剣に変え、その刃を空気に曝す。
【流転人】が暴れを終え、こちらに気を向ける。
「行くぞ、海咲!」
叫ぶのと同時、大きく右に飛ぶ。視界の端、海咲も左に飛ぶのを見た。
【流転人】の脇に着地。すぐさま、銃剣を上段に構えた。
剣身が眩い白に包まれる。海咲の警棒も同じく発光し、一帯を白く染め上げた。
【流転人】の咆哮。
それを合図に俺たちは一時に動いた。
光の尾を引きながら銃剣と警棒が【流転人】に殺到、その体躯に触れ、深深と肉を突き破る。
断続する咆哮。それを一切無視し、俺は二撃、三撃を見舞った。
白熱する視界に【流転人】より溢れる液体が混ざり、異様な光景を映す。
幾度目かの斬撃の果て、奴の躯体が大きくぐらつき、砂塵を巻き上げ倒れ伏した。
まだ微かに息の残るその背に向け、俺は銃剣を銃形態に変更し、銃口を構える。
トドメの一撃。放たれた銃弾が白の光芒を描き、【流転人】の身に沈む。
一拍の間の後、その肉体が内側から弾け飛んだ。
「やった……の?」
恐る恐るといった具合で海咲は呟いた。
俺は周囲に目を走らせ、特有の禍々しい雰囲気が消えたことを確認し、銃剣を握る手を僅かに緩めた。
「何とか、終わったみたいだ」
後方を向く。少し離れた位置で、上遠野が険しい顔付きを見せていた。
まさか、まだ終わってないのか。不穏な空気を感じ、俺は慌てて振り返った。
「安心しろ。【流転人】はもう死んだ」
後ろから声が掛かる。
振り返ると、上遠野がやや気恥ずかしそうな顔でこちらを見ていた。
俺たちの視線を受けて、小走りで駆け寄って来る。
「驚かせてすまない。二人の動きを反芻してただけだ。中々良い動きをするな」
その言葉に、俺は漸く力を抜いた。海咲も安堵の表情で、特殊警棒を腰に仕舞う。
上遠野は一度咳払いして体裁を直すと、俺たちを真っ直ぐに見据えた。
「テストは無事合格だ。二人を正式に【上遠野旧区】のメンバーとする。これから、よろしく頼む」
上遠野が手を差し出す。
俺は迷いなくその手を握った。次いで、海咲も同じように握手をする。
「さっさと拠点に戻るぞ。メンバーが待ってるからな」
上遠野は満足げに頷くと、そう言って身を翻した。
隣で漸く笑顔を見せた海咲と一瞬だけ見つめ合い、俺たちは揃ってその背に向けて走り出した。




