死神の憂鬱
勢いだけで書いた作品です。自分でみても色々と問題点が多いので、生暖かく読んで下さるとうれしいです。
一回の人生で得られる幸福と不幸の量は等価である。
何処かの誰かが、そのような事を言っていたらしい。
全ての人間の人生にそれが当て嵌まるのかどうかは定かではないが、少なくとも理不尽なまでにその言葉を実現している人間は、確かに存在している。
人の神に見放され、別の神に魅入られし不遇の人間。
それだけを聞けば、不幸に塗れきった人生を歩んでいそうではあるが、実際の所はそんな事はない。
良くも悪くも、それの運の良さは均等なのだ。
最大級の不幸に見舞われ、それを山程も起こるちょっとした偶然によって切り抜ける。
量と質の問題だ。
最高位の一個を与えられるか、最下位の大量を与えられるかの違いである。
つまりは、まあそういう人生という訳だ。
決して良いとは言い切れず、かと言って取り返しの付かないという程でもない。
絶妙なバランスの上を歩まされる人間。
これは、その不遇ではあるものの、不幸になりきれない人間を綴った物語。
姓は石堂、名は大和。
それが彼女の名だ。
不遇の権化である彼女は、最大級の畏怖の念を込めて、こう呼ばれている。
《死神》、と
私だって、好きで不遇な環境に身を置いている訳では無い。だから、私の所為で何か不利益を被ろうとも、私に何かしらの責任を求めないで欲しい。
いや、私だって分かっているのだよ。私のこの体質は、非常に迷惑極まりない物だろう。結果として、命を落としたり、それに値する様な被害を受ける人物がいる事も理解している。だからと言って、私に死ねというのは理不尽な事ではないだろうか?
いやいや、勘違いしないで貰いたいのだが、決して死ぬ事が怖いのではない。死などというチープな事象、既に慣れている。自分が死ぬ事に関しても、自分の不幸誘因体質とでも言うべきこれを理解した時点で、覚悟した事だ。
だが、私は死にたくはない。
いやいやいや、何処が覚悟しているのだという指摘も御尤もだとも。だが、これは正確には続きがあるのだ。
私が引き寄せる不遇という物が、例えば交通事故の様な物であれば、私はいつでも受け入れる用意があるのだ。嗚呼、これは仕方ない。誰にでも訪れるかもしれない不幸だ。残念ながら今回は私の番であったのだな、と諦めが付くのだ。
だが、私の不遇は残念ながら、本当に心底、文字通り心の底から残念な事に、その様な誰にでも訪れるかもしれぬ有り触れた事象ではないのだ。
ファンタジー。
空想の中の物とされているありとあらゆる事が、私の周りでは何故か日常茶飯事的に発生しているのだ。
強いて言えば、地球外生命体が攻めてくる、という事柄までならば許してやろう。許容範囲内だ。私は心の広い女だからな。
だが、だがだぞ? 何だよ、魔王って。神? 悪魔? 精霊? 妖怪? 何でそんな物に絡まれにゃならんのだ。言っておくが、私は普通の人間だぞ? よくある小説の主人公の様に、特別な力なんて一つたりとも持ち合わせていないぞ? 特別な事なんて、この変態誘因体質だけだぞ? それでどうやって立ち向かえと言うのだ。一難去る前に更に一難訪れかねんぞ。死ぬわ。死にたくないけど。
まぁ、つまり何が言いたいかと言うと、そんな超常の何かにだけは絶対に殺されたくないのだ、私という人間は。
事故で死ぬのも許そう。殺人鬼に殺されるのも許容しよう。地球外生命体にアブダクションされるのも、まぁ一応受け入れよう。だが、ファンタジーに取り込まれる事だけは絶対に看過できない。絶対に……絶対に、だ。
だから、私は周囲の人間にどれほどの被害が及ぼうとも、他人を蹴落としてでも生き残るのだ。
外道なんて言うなよ? 私ってほら、自分の為なら何処までも残酷になれる〝普通〟の人間だからさ。
薄暗い夜道をふらふらとした歩調で行く。
このような場所は今までの経験上、非常に危険だと判断せざるを得ないのだが、致し方ない。この道が一番明るいのだ。明るさによって変わる訳では無いのだが、それでも幽霊などに関してはあまり寄ってこなくなるのは確かだ。
「気休めに過ぎないなぁ。この程度だったら、悪霊ぐらい気にせずに来るし」
こちらに害があるのは、基本的には悪霊やそれに準ずる物である。少なくとも、この程度の光度で撃退できるような浮遊霊は、あまり警戒には値しない。油断は出来ないが。
個人的には、今はファンタジーな何かに遭遇したくない。何故ならば、つい今しがたファンタジーな嫌がらせにも似た厄介事を解決してきたばかりなのだ。異世界に召喚され魔王を退治させられた時に比べれば楽だったが、それでも精神的には同じくらい疲れた。ストーカーって怖いな!
「うぅ、思い出すだけで寒イボが……」
今回のテーマは、ゾンビだろうか。あるいは亡霊か。遥か過去の姫を守る為に死んでいった武将が蘇り、嘘か真かその姫に私が似ていたらしい。その武将ゾンビ曰く、自分はお前の為に命を使った、だから今度はお前が自分に尽くすべきだ、とかなんとか。そんな訳で付き纏われ、あまつさえ自分に尽くさぬお前など見ていて気分が悪いだけだ、とか言って終いには斬り付けてきやがったのだ。まぁ、紆余曲折あってなんとかもう一度地獄送りにし、今夜やっと家路につけたのだ。もう寝たい。
「だというのに、何故こんな時に限って次から次へと……!」
苛立ちを隠さない荒い口調で毒づく。
視線の先、薄く霞んだ光の降り注ぐ街灯の根元、そこに倒れるアロハを着た染髪の若者、そしてその前に佇む仕立ての良いスーツ姿のマジな外国人。色鮮やかな金髪が眩しいなぁ。
パッと見では、マフィアの幹部とその部下といった所だろうか。だが、そんな有り触れて……いや、有り触れてはいないが、現実的な外敵が私の人生に割り込んでくる訳がない。そういう所とは完全に無縁なのだ。
経験上、今から背を向け全力で逃げても無駄だ。もう巻き込まれてしまったのだ。多少、状況が変わるだけであの金髪外人と関わる事になるだろう。低確率で、オカルトはチンピラの方かもしれないが。
何も見てませんよー、という顔で二人の脇を通り過ぎようとする。
その際、表情とは別にきちんと視線だけ二人を観察するように飛ばす。
見なければ良かった。本当にそう思う。
だって、チンピラの方、首から二筋の血を流しているのだ。それだけで嫌な生物しか思い浮かばないのに、その上その傷口を中心に彼の身体が何十年も年老いたかのように渇いていくのである。一応、十七歳という年頃の女の子としては、恐怖を抱かずにはいられない。
「お嬢さん」
流暢な、しかし僅かに訛りのある日本語で話しかけられた。チンピラではない。当然、金髪紳士外人の方である。性格まで紳士であると助かる。
もう完全に逃げられないと判明し、嘆息一つで意識を切り替える。
逃げられないのなら、立ち向かうだけである。其処に、諦めるという選択肢はない。いやまぁ、逃走自体は諦めるけども。抵抗をしないという意味での諦めだけは、絶対にしない。
「……何でしょう? オカルトやファンタジーに用事などありませんが?」
顔を逸らしたまま、紳士に答える。
吸血鬼の特性など小説などで得た程度にしか知らないので確たる事は言えないのだが、その中には〝魅了〟の能力もあった筈だ。能力の真偽は不明だが、此処はなるべく慎重に慎重を重ねた方が良いだろう。
彼が再び口を開くよりも早く、彼の脇をすり抜けて壁を背にして倒れているチンピラの身体をざっと調べる。
良かった。死んではいない。老化現象の方も、傷口を中心にして約十センチ程度の大きさで止まっている。これぐらいならば、肌荒れ程度で納得してくれるだろう。
「……随分、手馴れているようだね。君はあれかね? 医者志望なのかね?」
「必要に駆られて覚えただけです。医学に興味はありません。大体、道徳心や倫理観などの持ち合わせの無い私では、患者の方が不憫でしょう」
さて、と続けながら立ち上がってくるりと身体を翻す。
視線を合わせず、身体のみを紳士へと向き合わせる。
「で、何が為に私に声を掛けたのですか? くだらない用事であれば聞きましょう。真面目な話ならば、別の者を紹介してさしあげますので、そちらに」
「……君は物怖じしないのだな。これは興味本位の質問なのだが、最近の若者という者は皆がそうなのかね?」
「さて、答えかねますね。何故なら、私はなるべく人に近付かない様に注意して生きてきましたので。それに、私の周りに集う者は皆が皆変態ばかりですのでね。普通の人という基準が分かりません」
「ククッ、それだけで君という女性の異常性が理解できる。うむ、気に入った」
気に入られてしまった。人間の、男性からであれば、素直に喜べるのだが、鬼が相手では萎える一方だな。気に入らなくていいから。嫌ってくれていいから。放っておいて下さいな。真面目な願望だよ? 冗談なんかじゃないんだからね?
「私は、あなたが人間ではないという時点で、存在そのものが気に入りません。とっとと失せて下さい」
「ふむ。では、これ以上機嫌を損ねない内に本題に入ろう。……お嬢さん、我輩と交際しないかね?」
「ああ?」
思わず鍍金が剥がれて素の感情が漏れ出てしまった。ついでに、苛つきの膝を出してしまった。変態吸血鬼は悶えている。
「ぐ、むぅ……!」
「馬鹿か? 私がそんなに尻軽な女に見えるのか? ならば、考えを改める事だ。私は貴様等オカルトの住人が大っ嫌いだ。チャラい男に靡く事は可能性として否定しないが、お前等に靡く事だけは絶対に有り得ない」
「クッ! その、激しい嫌悪が……うぐっ、いつしか、淡い恋心に……!」
「ねぇよ」
転がっていた体を起こし、丁度良い高さになった鬼の顔面に膝をぶち込む。
「ないない、絶対にない。私がお前等にどれだけの恨みがあると思ってんだ。存在自体が赦せん。万死に値する」
「うむぅ、一体我輩が何をしたというのだ」
「今此処で私の前にいる。それだけで我が脳内会議では死刑が確定している。お互いに運が無いなぁ」
腕を振る。
手の中に落ちてくるのは、袖の中に仕込んでいた軍用ナイフ。本格派な逸品だ。
一閃する。
薄い光を反射して閃くその一撃は、再び起き上がりかけていた男の両目を薙ぐように走った。
しかし。
そこに当然返ってくるような手応えはなく、赤の色も舞わなかった。
「チッ、やはり変態嗜好の人間ではなくオカルトだったか。まさか実体が無くなるとは思わなかったが」
「……それ以前に、本当は人間であればどうしたのだろうか、というのが我輩の感想なのだが」
黒の霧状になって刃をやり過ごした紳士が、呆れの感情を多量に含めながら呟く。
何も分かっていないその言葉に、私もやれやれと呆れの感情と共に言う。
「そんなの決まっているよ。そこに倒れているチンピラの所為にして私は逃げる。なぁに、ナイフの購入ルート如きでは私は追えん様になっている。指紋の偽装もお手の物だ。きちんとこの男の犯罪となってくれるよ」
「わざわざ言うまでも無く最低だな。いや、我輩は好ましいと思うが」
好感度が上がった。反吐が出るなぁ! 気持ち悪いにも程があるわ! これはあれか!? 遠回しな精神攻撃か!? 邪魔くせぇな!
イライラが殺意に代わり始めた頃、なんとなく危機を察知したのか、紳士が気を取り直す様に咳払いをして、
「さて、先程の本題はただのジャブだ。君と親密になる為の余興だとも」
「溝が深まったようにしか感じないが?」
スルーされた。
「……ところで、本気の本題に入る前に一つ質問があるのだが」
「訊ねるのは自由だ。私が答えるかどうかと、更に好感度が下がる可能性を考慮するのならば、だが」
「近頃の女子というものは、異形の存在に理解があるものなのかね? 君を見ていると、我輩を吸血鬼と認識していながら一切物怖じしていないように思えるのだが」
あ、やっぱり吸血鬼なんだ、となんかズレた感想が脳裏を過ぎる。
「理解しているように見えるのか? それは大変だ。これ程に嫌悪しているのに、友好的に見えるなど、人間専用だが、良い医者を紹介してやろう。なぁに、電圧次第だが、大体三分もあれば素直になるらしい」
「……それは本気で言っているのかね?」
「私が本気ではないと疑うのか、貴様は?」
そんなに嫌そうな顔をしなくてもいいじゃないか。どちらかと言えば、頭を抱えたいのは私の方なのだぞ? 貴様が話しかけて来さえしなければ、私は平穏に夢の世界に逃避できたというのに。全く、どうしてくれるのか。
あっ、そういえば顔見ちゃった。魅了されるかと思ったけど、そんな事ないんだな。ちょっと安心。油断できないけど。
「それで、君に声を掛けた理由なのだが……」
「交際だろう? バイオレンスな予感。勿論、私が殴る方だが」
「それはネタだ。忘れるといい。それでだね、この写真の子供に見覚えはないだろうか?」
クソ吸血鬼が懐より写真を取り出し、こちらに差し出してくる。
そこに写っているのは、二人の人物。一人は目の前の吸血鬼男、そして彼に抱えあげられている愛らしい少女、というか幼女。金髪碧眼のちょっと羨ましい感じな外見をしている。お人形さんみたい。いいなぁ。
「……知らんな。私が知らんという事は、この町にはいないのではないか?」
「その基準はよく分からんが、ではこちらはどうだね?」
もう一枚差し出される。
そちらには、金髪幼女と同年代の少年が写っていた。二人は抱き合う様にしている。残念ながら、〝様に〟という言葉を外す事は出来ないが。まぁ、随分と犬歯が御伸びになっちゃって。それだけ鋭ければ、人間の皮膚なんて敵じゃないな。しかも目が真っ赤に染まっている。彼女は怒りに我を忘れている、みたいな?
というか、この写真、見覚えがあったら嫌すぎるんだけど。絶対にこの直後に私襲われるよね? まず間違いなく。
だが、なによりもまず気にすべき点が、この写真には一つだけある。
それは、
「よく現像して貰えたなぁ、この写真」
「…………どうやら君の感性は一般人のそれを凌駕しているらしい。最初に出てくる感想がそれかね?」
まぁ気にするな、と手を振って示し、もう一度だけ写真を見てみる。
……うん、問題ない。私が関わった何かではない。だから、これを証拠写真として私が吊し上げられる事は無さそうだ。素晴らしい。
「残念ながら、見覚えはないな。力になれなくて済まんな。ああ、本当に御免な」
「……口と表情が違うのだが、まぁ見覚えが無いのならば仕方ない」
いけないけない。ついつい顔が笑顔になってしまった。ざまぁみろ。貴様等オカルトなど、不幸な目に遭って死んでしまえばいいんだ。そして来たる私の平穏。ああ、なんと素晴らしい未来予想図だ。
いかん。あまりの甘美なる妄想に涎が。一応、女の子なのだから外見は良くしておかなければ損だ。損はいかん。ただでさえ人生損している気がするのだから。
「それでは、おさらばだ。私と関わりの無い所で生きている分には許してやるから、精々幸せを求める事だな」
踵を返す。
腕を掴まれた。
回し蹴りを放つ。
脇腹を押さえて蹲る吸血鬼。
この間、僅か一秒である。なんだかなー。もっと平穏に生きたいんだがなー。
「セクハラと痴漢、どちらが罪として重いのだろうか……」
「ぐ、むぅ……」
額に脂汗を滲ませながら、なんとか立ち上がる変態吸血鬼。意外と根性がある。生意気な。あとでもう一発殴ってやろう。うん、それがいい。
「はーい、二発目行きまーす」
「ま、待て!」
「一秒?」
「い、一分くらい……」
「夜が明けちゃう。私の睡眠時間が」
という訳で、話を聞かずに拳を振り下ろしてみたのだが、躱しやがるのな。まぁいいさ。ただの憂さ晴らしだし。
いつでも打ち抜けるようにシャドーボクシングを行いながら、吸血鬼に問いかける。
「まだ何か用事があるのか。そうか。私のストレス発散だな? 良い心がけだ。有用なファンタジーだな。生きる事を認めてやろう」
「……違う」
「なんだ違うのか。残念だ。ならば、私をがっかりさせた罰を受けねばな。死刑」
「…………長く生きているが、君ほど理知的に短気な人間には会った事がないな。吾輩もまだまだ若い」
「薄っぺらい生を送っているようで何よりだ」
半目を向けてきたが気にしない。今まで遭遇してきたオカルト共と同じだ。雑魚めが。
「その、非常に申し訳ないのだが……」
「謝る気があるのならば頼むな。私は忙しい」
主に寝るので。
「金を、貸してはくれないか?」
「…………」
オカルトに金を要求される。
意外と初めての経験だ。
貸す金は無かったので、取り敢えず我が家に宿泊させる事にした。
別に同情やら何やらではない。放置していて、結果、私に火の粉が降りかかる様な事態になってしまっては非常に迷惑なので、それだったらいっそ手元に火種を置いておいた方がマシだろう、という判断だ。
ちなみに、この吸血鬼、名をゲオルグ・クロイツというらしい。ミドルネームも何か名乗っていたが、正直長過ぎて覚える気にならなかった。というか、吸血鬼が十字架を名乗っていいのかという疑問が湧いたが、まぁ所詮名前だし、と適当に納得しておく。
さて、この御仁、何故こんな極東の島国の片田舎にいたのかというと、あの可愛らしい娘っ子ことリシュリー・クロイツ(驚いた事にロリコンではなく実の娘らしい)を探していたら、この辺りにまで辿り着いてしまったらしい。なんでも家出されてしまったそうだ。あんな小さな子供がどうやって辿り着いたのか、と思わなくも無かったが、訊いてみるとあっさりと答えてくれた。
なんでも、人間に比べれば成長が遅く、あんな外見でも既に数十年は生きているとの事。尤も、個人的にはどうでもいい事だ。どんな理由にせよ、どんな方法にせよ、私の周囲に蔓延るファンタジーの住人は、徹底的に排除するのが我が信条だ。勿論、私だって冷酷で無情なる人間ではない。無害ならば、あるいは私の役に立つならば、私の周囲に存在する事を許してやる。だが、その範疇を越えれば、容赦はしない。一切の温情なく、一切の躊躇なく、撃滅してくれる。
ああ、せめて可愛い娘の方は敵になって欲しくないな。だってほら、可愛い子を殺すのって、罪悪感が半端ないし。
とかなんとか考えている内に、我が帰るべき場所に辿り着いた。直截的表現を回避して婉曲的に表す為に言葉を選んで言えば、クソボロいアパートメントだ。
幽霊屋敷か廃墟か、どちらかと言えば、まぁ幽霊屋敷かな、という感じな建物だ。尤も、いくら私でも、わざわざ厄介の種がある家に住もうなどというマゾな心の持ち合わせはなく、当然の様に幽霊が住み着いているなどという事はない。まぁ、幽霊ではないけど、それに近い存在ならいなくもないが、それは私が連れてきたものだからこの家の所為ではない。
ちなみに、御家賃月々五百円。実は二階の三部屋全て借りてぶち抜いているので、三部屋分で千五百円だ。安上がり最高。
「ところで、此処まで案内されておいてなんだが、ご家族の了承などを取らなくても良いのかね?」
「私は一人暮らしだ」
正確には微妙に違うけど。一〝人〟である事には間違いない。いや、それもちょっと微妙な線なんだけど。
「……女の一人暮らしに初対面の男を招き入れるなど、不用心にも程があるのではないかね?」
「おや、余計な心配をするのだな。安心しろ。私のテリトリー内で何かを出来ると思うな。変な気配を醸し出してみろ。八つ当たりに消し炭にしてやるからな」
これは本気の脅し。吸血鬼だろうと何だろうと、私の部屋の中では自由な行動などできる筈もない。その為だけに、わざわざ曰く付きの代物をいくつも運び込んでいるのだから。対オカルト専用の超要塞だ。多分、神ですら殺し得るのではないかと思う程の質と量である。たかが鬼など、敵ではない。
カンカン、という渇いた金属の音と、ギシギシ、という不安を煽る木材の頼りない音を響かせながら、二階の一番近い扉の前まで至る。
「さぁ、どうぞ。入る勇気があるならば」
「…………う、うむ。吾輩は怖れんぞ? 怖れんからな?」
ふはは、あの怖れ慄いている顔、それだけでも連れて来た甲斐があったわ。
私の部屋に来た異形の生物や所謂霊感の強い奴らは、皆してこんな顔をしてきた。何故なら、私の部屋には超をいくつ付けても足りないほど強力な世界最高峰の結界が張り巡らされているからだ。これほどの結界を有する地など、国家クラスの宗教の総本山にでも行かなければ、絶対に有り得ない。そう断言できる程の強力な代物だ。
無造作に足を踏み入れる私に続いて、ゲオルグも恐る恐るという仕草で敷居を跨いだ。
途端。
『ただいまって言うのを忘れてないかよ、相棒! 健気にお前の留守を守っていた儂に対する感謝の念を込めて、愛を囁いてくれよ!』
「…………何の声かね? 幽霊、とは違うようだが」
「気にしなくていい。私が命じなければ、基本的には無害だ」
言って靴を脱いでいると、不機嫌そうな声が虚空から聞こえてきた。
『おいおいおい、何言ってくれちゃってんのよ、相棒。儂って超有害だぞ? 特に儂の女に近付く毒蟲には、容赦皆無だぜ? って訳で殺すぞ、その鬼』
「止めろ。面倒を起こすな。これでも私は常識人だ。無闇矢鱈と殺生をしたくない」
『えぇー。それじゃあ儂、いる意味なくない? 儂、他を害する以外に存在理由なんかないんだけど、基本的に』
この声の主は、名をアビスという。出自はまぁ色々とファンタジーの極みみたいなモンなんだが、どういう代物かと言えば、付喪神みたいな物だろう、多分。本来の付喪神とはかなり違うが。
こうと決めれば意外と頑固な所のある相手に、どう言い包めたものかと頭を捻らしていると、背後でこちらのやり取りを聞いていたゲオルグが何故か口を挟んできた。面倒な事になりそうだなぁ。
「あー、幽霊擬き君。何処の馬の骨か知らんが、安心したまえ。これでも吾輩は紳士的だと自負している。和姦がモットーだ。君の前でいきなりヤマト君を襲う様な真似はしないよ」
『……なぁ、殺していいよね? 儂、ちょっと記憶にないくらい今怒ってるんだけど』
「………………ハァ」
挑発にしか聞こえないゲオルグの言葉を受けて、なんか無駄にヒートアップしてるし。どうしたものかね。止めるか? 止めるべきかな? でもなぁ。これでオカルト同士が殺し合えば、どっちか片方は最低でも消滅するだろうし、上手く焚き付ければ相討ちに持ち込めるかもしれない。
とはいえ。
吸血鬼の方はともかく、アビスの方は私の役に立っているので無闇に手放したくない物ではある。性格に難があるけれども。
などと益体もない事を考えていると、元は土壁のあった場所からひょっこりと出てくる小さい頭。同居人パートツー、というか、順番的には同居人パートワン。オカルト系の住人と言えなくもないが、その辺りは私の体質と同じく不可抗力である為、同情的要素も併せて比較的私からの寵愛を受けている。その結果として、アビスからは嫉妬されている女の子だ。
正確な所は分からないが、年齢は六歳か七歳くらいだと思う。生まれつき色素がなかった為、純白の髪をしているが多分純日本人だ。色々確定情報でないのは、私が彼女を拾ったのが完全なる偶然の、あるいは私の体質が引き寄せた必然の結果だからだ。私とは血縁関係など一切なく、何処の誰なのかもさっぱり分からない。彼女のいた施設の記録によれば、生まれてすぐに回収されたようなので、彼女自身にも両親やら何やらの記憶などもない。
「お か え り ィィィィィィィィィィィ! 待ってたのよ、大和ちゃん!」
ちゃん呼ばわりである。まぁ、いいんだけどさ。そんな事で怒る程狭量なつもりもないし。でも、そういう事を気にする奴もいるから、誰彼構わずそう呼ぶなよ?
「ああ。ただいま、白雪」
この名前も私が与えた物だ。それまでの彼女の識別名は、試験体07号というおよそ人の名前ではなく、仕方がなかったので付けた物だ。まぁ、この名前も髪の色と丁度良く雪が降っていた所から命名した、単純極まりない物ではあるのだが。
「……お前等、喧嘩するなら外でやれ。白雪に醜い世界を見せんじゃない」
『うおぉい! そりゃないぜ、相棒ー! 今の儂って、この部屋の守護者よ!? お前が連れ出さなきゃ出られねぇよ!』
「ふむ。確かに幼い子供に血に塗れた姿を見せる訳にもいくまい。此処は一つ、我輩が大人の心を披露しておくべきかな」
温度差はあるが、一応険悪な関係が軟化した、様な気がする。まぁ、いざとなれば本気で叩き出せばいい訳だし、当面の間、大人しくしていれば良いか、と妥協しておく事にする。多分ではあるが、ゲオルグの居候期間もそう長くはならなそうだし。
その辺りの事を確認する為に、腰に抱き付いて頬ずりをしている白雪に小声で訊ねてみる。
「白雪、あの金髪だけど…………見える?」
「うん? 見えないのよ? 勿論、大和ちゃんもなのよ」
「うん、私の方はどうでもいいから。どうせもう死なないし」
悲しいかな。今までオカルトに触れ続け、その悉くを突破してきてしまった影響か、もはやまともな危機では死ねない躰になってしまったのだ、私という人間は。勿論、不老不死などではなく、当然の様に年もとるし、限界以上の傷を負えば、ちゃんと死滅する。
のだが。
以前、詳細は省くが生命神とやらに喧嘩を売られてしまい、紆余曲折の果てによく分からん形で気に入られてしまったのが運の尽き。その結果、死んでも何度でも生き返らせてやる、などという迷惑極まりない恩恵を戴いてしまったのだ。それを聞いた瞬間は、ひゃっほうこれでオカルトやらファンタジーに殺されずに済むぜい♪ と喜んだ物なのだが、その特性に任せて二、三回死んでみた所で気付いたのだ。
死ぬって、全然慣れないのな。
いや、生き返る、がかな? 新たな命として戻ってくる時の感覚は、なんとも気持ち悪い物だったのだ。強いて言えば、元の自分がどろどろに溶かされて、もう一度最初から作り直される感覚。
まぁ、死なないのは確かなので、殊更この状態を解除しようとは思わないけども。だって、気持ち悪さを了解しさえすれば、便利な物だし。
「そっか。なら、大丈夫かな? 少なくとも、本気のドンパチはなさそうだな」
「大丈夫なのよ! それに、もしも大和ちゃんが危なくなっても、僕が守ってあげるのよ!」
「ははっ、あんがと」
自分より遥かに年下の、幼児と言って差し支えない年齢の子供に守られるというのは自分でもどうかと思うが、実際の所、私個人よりも白雪の方が荒事には強いので素直に受けるしかない。
「……ま、何はともあれ、上がりなよ、吸血鬼ゲオルグ。茶は…………AB型でいいか?」
「……何故当然の様に輸血パックがあるのかが分からないのだが」
私がAB型だからだ。
場所は移って、と言っても玄関を上がってすぐに畳張りのリビングという手狭な構造をしているので、二、三歩しか変わらないのだが。
「粗茶ですがどうぞ、なのよ」
「ああ、ありがとう、お嬢さん。だが、これは粗茶とは言わない」
「つべこべ言わずに飲め。せっかく白雪が淹れてくれた茶だぞ」
紅茶、と言って言えなくもないだろう。いや、言えないか。血だし。真赤だ。ザ・クリムゾンって感じ。
ゲオルグは、猶も不満そうにしていたが、出された血液自体には特に忌避感がある訳では無いらしく、一口飲みながら話をする。
「一息ついた所で、話をしようではないか」
『テメェとする話なんざねぇよ、クソ鬼。儂と相棒の愛の巣を荒らすんじゃねー』
「何が愛の巣だ。それに、百歩譲って愛の巣だとしても、それは私と白雪であって、そこにお前は入っていない。お前は唯の門番だ」
「わぁい! 大和ちゃん大好きー!」
「はっはっは、愛い奴め」
『テメッ、なんて羨ましい……!』
勢いで抱き付いてきた白雪を受け止め、二人で畳の上をじゃれ合いながら転がる。ごろごろ、ごろごろ。
「あー、良い空気吸っている所申し訳ないが……」
「分かっている。家出娘探索の話だろう?」
「その通りだ。先程の若者が目撃していたらしくてな。この町にはいるようなのだが、どうにも気配が曖昧だ。我輩が近付いているのを察して、気配を断ったのだろう。これでは大まかな位置ぐらいしか分からん」
あー、若者ってあのチンピラ? 協力者の血を吸うって……まぁ吸血鬼から見れば人間なんて食料か。よし、気にしないでおこう。
「ん、そこら辺は大丈夫だ。捜せる奴がいる。……それよりも、何でそいつが家出したのか、という事の方が知りたいね。場合によっては、私は余裕でお前の敵に回る」
「…………」
そんな嫌そうな顔すんなよー。大体、友達でも何でもねぇんだから、あっさりと切り捨てるのは当然の行いだろー。特に、自分の身を守る為だったらさー。
「……隠すような話でもない、か。いいだろう。話をしよう」
『痛い感じな話だったら猶良いな』
茶々を入れてきたアビスを無視して、ゲオルグ君は続きの言葉を紡ぐ。うん、その判断は正しい。私は支持しよう。
「実の所、あれはハーフでな。だから、我輩に比べれば、吸血衝動も薄い。どちらかと言えば、人間寄りでもあるしな」
「だから? 帰る家があるのに離れるなんて、僕には理解し難いのよ」
「いいか? 人間というのは失って初めて大切な物に気付くのだ。今も言っていたろう? どちらかと言えば人間寄りだ、と」
「ああ、成程、なのよ」
「……そういうつもりで言った訳では無いのだが、納得してくれたのならば良い。先を続けよう。
だから、つい最近まで一度も血を飲んだ事が無くてな。吸血鬼など、名ばかりの娘であったのだ」
「だが?」
先を予想しつつ、続きを促す。
「うむ。だが、数日ほど前に、やっと吸血衝動に襲われたのだ。君に見せた写真があったろう? あれはその時の物だ。娘の成長記録としてな」
『嫌な記録もあったものだぜ。儂の配下の奴らも、そんな悪趣味な奴じゃなかったな』
「だが娘としては、それまでは――長さを除けばという前提は必要だが、人間と大差ない価値観で生きてきたのだ。それが唐突に人間を捕食する生物になったのだ。衝撃も大きかったろう」
「それで家出したと? かぁ、長く生きてても中身はガキそのものだな。見つけても駄々をこねて戻らんのじゃないか?」
なんとなく、白雪の時の惨劇を思い出してしまった。あの時は本当に酷かった。アビスの時の方がまだ楽だった、と思う。子供特有の癇癪を起こしていた所為で、無制限に周囲を破壊していたのだ。もはや、一種の災害と言っても過言ではない様な有様だったのである。
荒んだ気持ちになったので、膝の上に乗っかって頬を摺り寄せてくる白雪の純白の頭を撫でて心を落ち着かせる。ああ、癒される。いつまでも私の側にいてくれ。もうお前無しじゃ生きていけそうにない。
「……人の娘に向かって……いや、いい。長く生きている割に幼いのは確かである。だが、今はそれが問題でな」
「というと?」
「衝動に対しての忌避感の強い今ならば良いだろう。だが、そう遠くない将来、必ず我慢できなくなる。そうなった時、タガの外れた子供の精神で、自制という物が出来るかどうか、甚だ疑問だ」
『食い荒らすってか。良いんじゃねぇの? 人間なんて六十億もいるんだ。そいつがどんだけ大食漢だとしても、精々千人単位じゃねぇの? 一回の犠牲者なんざよ。多少減ったって変わんねぇって』
お前の腹で考えるな。普通の生物は、一回の食事でそんなに食えやしない。吸血鬼だからって…………いや、どうなんだろうな。私、吸血鬼の生態なんて知らないし。狸の玉袋は何倍にも広がるらしいし、胃袋がそんな感じで広がらんとも限らんか。う~む。
とは言っても。
基本的にはどうでもいい話である。常にトラブルの中心に放り込まれる事の多い私には、自分の身を守るので精一杯で、他の見ず知らずの他人にまで気を配る余裕など、欠片もありはしないのである。たとえ、アビスの予想以上の、万だか億だかの人数が犠牲になろうと、私の知ったこっちゃない。
だが、それは基本的には、という前提がある事も忘れてはいけない。遠く離れた、私とは直接関係ないような土地での事ならば、大変だねぇ、の一言で片付けただろうが、残念な事に今回は私が住まうこの町が舞台だ。
私の平穏を乱す奴は許さない。
まぁ、それだけが吸血鬼ゲオルグに手を貸そうと思った理由なのだが。
「つまり纏めると、吸血鬼として目覚めたは良いものの、それまでの価値観の違いに戸惑った娘は衝動的に家出、しかし子供の精神で自制という物が出来るかどうか分からないから、多大な被害が出る前に回収に来た。そんな所だな?」
「短く纏めるとそういう事だ。……協力してくれるかね?」
「見つけたら、とっとと帰るんだよな?」
「多少、喧嘩もするかもしれんが、相手はまだまだ未熟な子供だ。比較的簡単に無力化も出来よう。だから、捕まえれば帰るさ。我輩には、この国は生きにくい」
「OK。それなら協力しよう」
それに、此処で恩を売っておけばいざという時の捨て駒が作れるかもしれない。これは私の不安定な将来において、十分な布石だ。逃す手はない。
「……それで、どうやって捜すのかね?」
「ああ、そういや説明も何もしてなかったな」
私やアビスにとっては、こういう事を任せるに足る相手はもはや言うまでもない。だから、ついつい失念していた。不覚。ま、いっか。
「ん」
と、膝の上に乗っかっている白雪を、吸血鬼ゲオルグに向けて掲げてみせる。
「ん、と言われても……」
「だから、こいつが捜してくれるって。……白雪、出来るよな?」
「うふふ、大和ちゃんがお願いしてくれる限り、僕に不可能な事なんて一つたりともないのよ? 余裕なのよ」
「……とても、そんな大それた存在には見えないのだが」
「僕の事を見た目通りに判断しない方が良いのよ」
そう言った白雪の目に、妖しげな光が灯る。
途端。
吸血鬼ゲオルグの身体が背後に向けて吹っ飛んだ。
部屋自体はアビスの力によって守護されているので、たとえダンプカーの全力衝突級の衝撃であろうともびくともしないのだが、吸血鬼ゲオルグはそうはいかない。
唐突にして、強力な衝撃に頭をぐらつかせながら、なんとか身を起こしてくる。意外に頑丈だ。
「サ、サイコキネシス……!」
【だけじゃないのよ?】
と、肉声ではなく、直接心の中に響く意思が伝わってくる。
一種のテレパシーだ。
仮名、石堂・白雪。本名、不詳。私こと石堂・大和の血の繋がらない妹は、所謂超能力者という奴だ。但し、そんじょそこらのそれとは一線を画すほど強力な、という前提条件が必要になるが。
超能力には、念動力や精神感応などいくつかの種類があり、普通、それぞれに得意不得意があるものなのだ。しかし、生まれつき強力なサイキッカーであり、国家機関によって強力な兵器としての教育を受け続けてきた白雪には、その様な常識など通用しない。
全方位に向けて突き抜けた天才、という者は往々にしているものだ。元々の才能に加え、物心付く以前より投薬や手術などを含めた英才教育の結晶体は、もはや地球上で最強クラスの能力を手に入れている。
思い出すだけでも、寒気がする。こいつ宥めんのに、どんだけ苦労したか。
とある手違いから、そういう摩訶不思議な事を研究する機関に目を付けられたのが運の尽きだったのだと思う。実験動物生活なんて、嫌だったし、無抵抗で捕まるのも、性分じゃなかったしなぁ。
そんな感じで敵対したら、研究員たち自体には戦闘力が無かったらしく、あっさりと撃破してしまった。警備員にしても、あまり大々的に警備すれば世間から怪しまれるという理由で、最低限というレベルに留まっていたし。だが、その後が問題だった。研究施設を爆破したまでは良かったのだが、その所為で試験体07号の枷が外れてしまったのだ。しかも、爆破の衝撃で心身喪失状態になってしまっていた。泣き喚きながら周囲に無差別爆撃をかます白雪を宥めるのに、わざわざいらん奴にいらん借りまで作ってしまった。今では私に心底懐いていて可愛いのだが、同じ事を二度やれと言われても絶対にしたくはない。
……まぁ、白雪が操られでもして敵対したら、やっぱりもう一度頑張るんだろうが。率先して敵対した場合は知らん。非常に惜しい事この上ないが、一切の慈悲なく撃滅する。
「こいつさぁ、念動力とか? 精神感応とか? そういう超能力に分類される色んな事が出来るんだよ。当然、幻視能力もある訳でな。未来予知とか。お分かり?」
「……つまり、白雪君ならば、我が娘を捜せると?」
「どんな方法でもいいのよ? 千里眼だって出来るのよ。まぁ、それで捜すのはメンドいけど、なのよ」
『いくら能力が凄ぇつっても、頭ん中身は人間のまんまだからな。多重高速処理は苦手なんだよ。クヒヒッ、雑魚めが』
「アビス、壊されたいのよ? それに面倒なだけで、出来ないなんて言ってないのよ」
『おうおう、壊してみろクソガキ。零落した身といえど、たかが人間の小娘一人にやられる程、このアビス様は落ちぶれちゃいないぜ』
「はい、やめやめ。喧嘩は私のいない時に存分にやってくれ。十中八九、白雪の勝ちだろうが」
だって、今のアビスって私がいなきゃ何も出来ねぇもん。精々がこの部屋みたいに結界を張る事ぐらいだけど、それにしたって白雪の破壊力を受け止められる程の物ではない訳だし。
「うん、分かったのよ。……それじゃ、ええっと、ゲオルグさん? 手を出して」
「あ、ああ、構わんが」
差し出された大人の男の大きな手を、幼女の小さな手が握る。
が、数秒もしない内に白雪は手を放す。
「うん、覚えたのよ。やっぱり純生のオカルトは違和感が半端ないのよ」
「すぐ見つかりそう?」
「多分、なのよ。この町にいるのは間違いなさそうだし、なのよ」
白雪がしたのは、自分の感覚を吸血鬼ゲオルグに合わせた事だけだ。普段であれば漠然と感じているだけの様々な感覚を、吸血鬼、それもゲオルグ・クロイツという個体にのみ絞り込む事で、より鋭敏に研ぎ澄ませている訳だ。尤も、そういう事すると不測の事態に対応が遅れるから、あまりしないし、させないのだけれども。
「親子だし、やっぱり気配が似ているみたいなのよ。そう遠くない所に、もう一つ似た気配があるのよ」
「ほ、本当かね? では、案内してくれ」
「それは止めた方が良いのよ」
腰を上げかけたゲオルグに、白雪が即答でストップをかける。まぁ、私も止めた方が良いと思うけどね。
「今のあなたには、疲労が溜まり過ぎているのよ。それに、娘の方の気配には、決して小さくない憤怒と失望の感情が渦巻いているのよ。別に、あなたが返り討ちに遭って殺されるくらい構わないのだけど、その結果、割を食うのは僕達の方なのよ。大和ちゃんの望みは平穏、それを乱すなら、今此処であなたを抹殺するのよ」
そうそう。下手に刺激して暴走されたら、私の日常が崩壊しちゃう。だから、吸血鬼ゲオルグには、なるべく全快の状態で当たって欲しいと思う訳で。
「む、むぅ……」
不満そうに、しかし納得の唸りを上げて、ゲオルグが上がりかけた腰を再度降ろす。
「ま、ちゃんとマークしといてやるから、今は休みな。寝床と食事くらいは提供してやるし」
『優しいねー、相棒。儂の時みたいに、問答無用で、滅・殺、じゃねぇのか?』
「いや、だって、白雪が脅威は見えないって言ってるし。お前の時は、もうなんか嫌気が差してたし」
だって、これぞファンタジー、の極致じゃんお前って。敵にしかならねぇ。今だって、本来だったら破壊してやりたいと思ってるんだぞ。お前が私の役に立つのでなかったら、絶対にマグマん中にぶち込んでるわ。
「ところで、異形の生物に出会ったら毎回している質問があるんだけど、訊いてもいい?」
「……内容によると思うのだがね」
「それもそうだ。ねぇ、弱点ってあるの? 太陽に当たったら灰になる? ニンニクって駄目なの? 聖水は? 銀の弾丸は……これは狼男か。フィクションだって話もあるし。ああ、そうだ。流水を渡れないってのは? やっぱり心臓に杭を刺したら死ぬわけ?」
「吾輩、もしかしなくても命を狙われているのかね?」
『……お前、馬鹿じゃねぇの? 儂の心の友が、お前みたいなのを前にして命を狙わないとでも、本気で思ってんのか?』
初対面だし、そう思ってもおかしくないでしょー。
と、心の中だけで言っておく。まぁ、個人的にはここまでずっと毒しか吐いてないのに、本当に嫌われてないとでも思っていたのか、という思いはあるのだけど。
「……まぁ良い。いや、良くはないが、良しとしておいて、質問には答えよう。太陽は確かに苦手ではあるが、致命的なほどではない。あれに比べれば、きちんと聖別された聖水や武装などの方がよほど脅威だ。ニンニクは、単に匂いが駄目なだけだな。五感が敏感だからな。強い匂いなどは駄目なのだ。流水は渡れるとも。その伝説の元となった吸血鬼がカナヅチだっただけではないのか? それと、心臓に杭を刺せば死ぬし、首を刈られても同じだ。生物として当然だと思うが」
「リビング・デッドだろ? 死体じゃん」
苦い顔をするゲオルグを笑いながら、脳裏で物置と化している押し入れの中身を思い出していく。聖水はあったよな。祝福を受けた武器は、まぁ聖剣があるからいっか。異世界製なのが不安だけど。
対抗手段がある事に安堵し、立ち上がって冷蔵庫の中身を改める。
「寝るなら隣の部屋を使いな。ごちゃごちゃしてるけど、適当に場所を作るといい。布団は、押し入れの中に放り込んであるから。……そ・れ・と」
いくつかのビニールパックを取り出し、放り投げる。
「これは……」
「AB型の冷製血液。足りなかったら言いな。質の保証はしないけど、量だけはあるから」
「いや、ありがたく貰っておこう。気遣い、感謝する」
そう言って、吸血鬼は隣の部屋に移動した。
やっぱり疲れていたのだろう。なんでも家出した娘が通帳からヘソクリから全て持ち去っていたのだそうだ。此処まで来るのに、走って泳いでしてきたらしい。当然、まともな宿に入れる訳も無く、ずっと野宿生活だったらしい。まぁ、野生生物が襲ってくる事はなかったらしいから、なんとかなったらしいが。
「アビス」
『なんだよ、相棒ー』
「奴から目を離すなよ。妙な素振りがあったら、容赦しなくていい」
『あいよー』
「それと、白雪」
「何なのよ、大和ちゃん?」
「捜すだけでいいからな。それ以上の事はしなくていい。接触も禁止。分かった?」
「んい。りょーかい、なのよ」
夜が更ける。非日常の日常の夜が。
翌日。
こんな体質なおかげで学校に通える訳もない私は、近場のショッピングモールでウィンドウショッピングを楽しんでいた。呑気だとか言うな。これでも、結構辛いんだ。だって、いつオカルトに襲われるか分からんのだ。だから、こういう場には中々来れないのだ。
経験上、複数のオカルトが同時に現れる事は中々ないので(此処でのポイントは全くないではない事だ)、吸血鬼ゲオルグが来ている間はおそらく安全であろう。
「……と、思ってたんだけどなぁ」
ちなみに、白雪とは別で行動している。私のオカルト誘因体質とは別で捜した方が、より効率が良いだろうという判断からだ。だが、私の体質は、ついさっきも言った通り、既に発動状態にあるので、その精度は非常に落ちる……筈だったのだが。
「何で見つけちゃうかな」
人込みの向こうに、特徴的な金髪のお子様が御一人。写真で見るよりもかなり可愛らしい。白雪に匹敵すると言えよう。抱き締めてお持ち帰りしたいくらいだ。オカルトじゃなかったら。残念。
フリルがふんだんに使われたドレスを翻しながら、幼女は人込みに紛れていく。
「おっと、このまま逃がす訳にもいかないかな」
という訳で、追ってみる。
の前に、周囲に意識を向けてみる。
……やっぱいた。淡い色彩の浴衣を着た白髪幼女。我が愛すべき義妹、サイキッカー白雪ちゃんが。
向こうも私の存在に気付いたらしく、とことこと近寄ってくる。
「やっほーなのよ、大和ちゃん。やっぱり大和ちゃんも引き寄せられたみたいなのよ」
「不本意ながらな。どう? あの娘、やばそう?」
「特に脅威は見えないのよ。あれくらいなら、よっぽどアビスの方が危険なのよ」
「まぁ、あれは参考にしちゃいかんけどな」
少なくとも、そこらのファンタジーが相対できる様な出自ではない。っていうか、私が戦わされた理由も判然としない。体質、の一言で片付けるにはアビスは少々以上に強大な存在なのだから。
「…………どちらかと言えば、白雪の方が適任だよなぁ」
「え? 何がなのよ?」
「いや、アビスを張り倒す役として。私ってさ、平民だし、凡人じゃん? 英雄なんて柄じゃない訳よ」
言って、白雪の顔を見ると、何言ってんだこいつ、みたいな顔をされた。
「……そりゃ、ガチな戦闘力で言えば、僕の方が大和ちゃんよりも強いけど、どう考えても英雄としての素質で言えば、僕よりも大和ちゃんの方がよっぽどあるのよ」
「何処からその発想が出てくるんだか」
疲れた様な口調で感想を述べると、即答で痛い所を突いてくる。
「だって、大和ちゃんって迷わないのよ? 即断即決で、自分の判断に自信を持っているのよ。僕には無い素質なのよ。僕は、大和ちゃんがいなきゃ、何も出来ない子供なのよ」
自分の価値観を認識し、それを遵守する事に一切の躊躇が無い。善悪を別にすれば、大成する者はそういう所がある。そういう意味では、確かに私は適任なんだろうけど、
「でも、その精神に追いつけるだけの才能が無いんじゃね~」
「だから、僕が大和ちゃんの才能を補うのよ。僕に出来ない事は大和ちゃんが、大和ちゃんが出来ない事は僕が、お互いに支え合うのよ」
うふふ、と楽しそうに嬉しそうに笑う白雪。いや、いいんだけどね? でも、私的にはお前には普通に生活して欲しいなぁ、と思わなくもない訳でな? お前の能力を利用しておいてなんだけども。
白雪から視線を外し、金髪幼女に目を向ける。
「気付いてると思う?」
「今の所はまだ、なのよ。でも、勘は良さそうなのよ」
「そう? 普通の女の子みたいにしか見えないけど」
「半分は人間だから、それは仕方ないのよ。でも、僕の気配には敏感に反応しているのよ」
それは、白雪の特殊性に反応してるだけなんじゃ。ちょっと感覚の鋭い奴なら、注意していれば白雪が普通とは違う事に割と気が付くし。
「ふむん。私が付け回すなら気付かれる心配はないけど、見失う可能性はある、か? なら、見失わず、かついざという時制圧する事も出来る白雪の方が適任、ってとこか。――良し。私は一度家に帰る。お前はこのまま尾行を続行。気付かれたら帰ってきていいから。襲ってきたら、……あー、無傷で制圧できそうだったらしろ。無理そうなら逃げてくればいいから」
「はーい、なのよ」
ふわふわの髪を撫でて、白雪と別れる。
空を見上げる。
太陽は既に傾きつつあるが、それでも日没まではまだ時間があるな。吸血鬼が起きているといいんだけど。
その心配は杞憂に終わり、吸血鬼は既に目覚めていた。
「おや、おかえり、大和君」
「……吸血鬼が昼から起きてるなよ」
「君達人間だって、昼間に寝て、夜に起きている者もいるではないか。昨夜は夜に寝たからな。昼夜が逆転してしまっただけの事だよ」
理解している事をわざわざ言わなくていい。気晴らしに皮肉っただけだから。さて、さっさと本題に入ろう。
「お前の娘が見つかったぞ」
「早いなッ!?」
「今は白雪が尾行中だ。その内、やっこさんの潜伏先を突き止めるだろうよ」
その時、ズボンのポケットの中から微かな振動が伝わってきた。
携帯の着信。白雪からだ。
「はい、もしもし~。なんだ、バレたか?」
【バレてないのよ~。それで、一応経過報告? でもしてみようかと思っただけなのよ】
「ほう。それは丁度いい。何故か昼間から吸血鬼が起きていてな。私のストレス値がぐんぐん上昇していたんだ。適度に息抜きをせねばな」
吸血鬼が、自分の所為じゃねぇだろ的な視線を送ってきたが、気にしない。オカルトは全て敵だからな。心象悪くなる事なんて、常時カモン状態だぜ。
【今は中心街から離れて、郊外に向かっているのよ~。ちなみに、途中で女性と合流しているのよ】
「……人間か?」
【今は吸血鬼にレンジを限定してるから確定できないけど、多分、なのよ。年齢は、七十代か八十代くらいなのよ。気の良い御婆ちゃん、って感じなのよ】
心当たりがあるかどうか、吸血鬼に視線だけで訊ねてみる。どうせ会話内容も聞こえてんだろう?
吸血鬼ゲオルグは、数瞬ばかり俯いて考えていたが、すぐに首を横に振って否定の意思を示してくる。妙な要素が混じってきたなぁ。
「白雪、無理でないくらいに情報を探ってみてくれ。くれぐれも無茶をするなよ? 私はお前を失いたくない」
【うふっ、分かっているのよ。それじゃあね、なのよ】
電話が切れる。
が、数秒としない内に再び震動が来る。まぁ、早いのは当然だ。白雪のプロファイリングは、精神感応能力で対象の心を直接覗くのだから、わざわざ会話などを盗み聞きして、予測する必要が無い。便利だよなぁ。
【名前は時任・鼎、なのよ】
「トキトウ?」
吸血鬼がなんか呟いた。聞き覚えのある名前だったのかな~? んぅ~?
【年齢は八十七歳、特筆するべき人生は送っていなさそうなのよ】
「それは波乱万丈な私に対する挑戦だな?」
普通の生活を送っていれば、絶対に出逢わない様な事態に何度出逢っていると思ってんだ。
【但し、異形に対する理解はあるみたいなのよ。リシュリー・クロイツの事も、吸血鬼だと知って付き合っているみたいなのよ】
「へぇ、普通の人間がねぇ。珍しいじゃないか。私達の基準がおかしいのかな? もうちょっと深く潜ってみてよ。オカルトに関する体験話とかだったらいいね」
「いや、そこまで探る必要はない。それは私が知っている」
私と白雪との会話に割り込んでくるなど、万死に値する。よって、情報を吐いてから死ね。うん、それがいい。
「不穏な気配を感じるが、気にせず行こう。……時任という姓は、我輩の妻の旧姓だ。成程。そういえば、この地は妻と出会った土地であったな。カナエという名にも覚えがある。確か、妻の弟の娘の名前の筈だ。リシュリーにとっては、従姉妹に当たるな」
「だ、そうだ。当たってる?」
【みたいなのよ。それで間違いなしなのよ】
「お前等……他人の思考を読むのを躊躇せんな」
吸血鬼が蔑みの視線を向けてきた。舐めんな。そうしなきゃ生きていけねぇんだよ。見ず知らずの誰かから問答無用で襲われる人生だぞ? こっちから仕掛ける位の気概がなくちゃ、とっくの昔に死んでるっての。
と、いかんいかん。どうにも最近愚痴っぽくなりやすいな。気を付けねば、将来頭の固い老人になりそうだ。
【あっと、ヤバめなのよ】
「どうした? 気付かれたか?」
【いや、車に乗ってっちゃうのよ。急ぎ足になるから、一旦電話を切るのよ】
「りょーかい」
白雪の足なら、電話しながらでも追えそうな物だけどな。気付かれない様に隠密状態だからかな?
「ま、何はともあれ、早期解決が望めそうで何よりだ」
『お前の人生が、そう単純であれば良いんだけどなぁ……』
しみじみと呟くな。私の気が重くなる。
宵の口。
暫く、オカルト二人が近くにいるという多大なストレスを一身に受けつつ、根気強く待っていると、やっと待ち望んだ一報が届いた。
【潜伏先に辿り着いたのよ】
「何処だ?」
【ええと、十六町の五丁目……】
えっと、地図地図。あったあった。で、十六町って言うと、おっとこの辺りか。
ふむ。開発途上の住宅街ってとこだな。まだ穴だらけだ。あっちこっちに空き地があるな。素晴らしい。人里が丸ごと消える事態にはなりそうにない。精々、二、三人死ぬくらいで済むでしょう。うむ。最っ高。
『なんか、低い志を感じるな、相棒?』
「黙れ、ポンコツ。砕いて溶鉱炉ん中に叩き込むぞ」
多くても二、三人で済むんだ。しかも、運が良ければ一人も死なないんだぞ? いいじゃないか、それくらいで。私の人生経験では、非常に珍しい類の事態だ。平和って、素敵な事だよね?
と、そんな事を思っていると、何やら声を潜めて……というか、電話越しにチャンネルを開いて、白雪が語りかけてくる。お前、そんな事も出来たんだな。
【で、どうするのよ? どう見ても、平和的一家団欒家庭、って感じなのよ。そこの吸血鬼父に教えたら、完膚なきまでに壊れると思うのよ?】
「日本語の勉強をしようか、白雪。人の不幸は蜜の味、人の幸福は紫蘇の味。そう言うんだ。覚えとけ?」
私を差し置いて、半分オカルト風情が平穏な家庭を築こうなど、万死に値する。
【良い性格してるのよ、大和ちゃん】
『ああ、全くだ。それでこそ、儂の惚れた女だぜ』
不本意な評価だ。私はこれでも精一杯寛大なのだぞ? っていうかアビス、惚れたとか言うな。お前がそんな事を言う所為で、一部のオカルト連中からものっそい尊敬を集めてんだぞ? いらんわ。
「はいよ、吸血鬼ゲオルグ。この住所にお前の娘はいるらしい。とっとと連れ帰ってお仕置きでもしてやんな。二度と平穏な日常を送りたいと思えなくなるほど、徹底的に……!」
【わぁい! 大和ちゃん、私怨全開なのよ! そこに僕は憧れるのよー!】
『ここまで自分の心に正直な人間も珍しいよな。人間って、建前と本音を使い分けると思ってたんだけど、儂』
うるせぇ。特にアビス。白雪は……むー、可愛いから許す。日常パートに入ったら一日中撫で回してやろう。うん、今から想像するだけで癒されるな。
「……協力、感謝する」
続けて、スーツの内ポケットから取り出した手帳に何かを書き込み、破いて差し出してきた。呪いの言葉じゃねぇだろうな?
内心、びくびくしつつ受け取ってみると、そこに書かれていたのは十桁ほどの数列。
「人間が相手とはいえ、我輩は恩義には報いる性質でな。君の性格を理解した上でこれを渡そう。受け取ってくれ給え」
「あっ、あー、あー、電話番号ね。いや、有難く頂戴しておこう。厄介事の押し付け場所として」
世にも珍しい吸血鬼の電話番号、ゲットだぜ。でも、国際電話になるんだよなぁ。あんまり押し付け過ぎると電話代が嵩みそうな。
私がしょうもない事で悩んでいる内に、彼は地図で所在を確認して部屋を辞していった。
あー、清々した。
【大和ちゃん、悪い知らせなのよ】
その一報が来たのは、気分よく布団の中に潜り込んだ瞬間だった。もしも、それが白雪以外の誰かであったら、一切の弁解も許さずにぶっ飛ばしてやろうというタイミングでの事だった。良かったな、白雪。自分が可愛くて。
「…………なぁに、白雪~。私はもうおねむの時間だよぉ。早くお前も帰っといで~」
【それは魅力的だけど、帰る訳にはいかなくなったのよ】
結構、真面目な話っぽい。こういう時の白雪はマジだから、無視する訳にはいかんわな。
仕方なく、眠りかけていた思考回路に強制的に血流を流し込んで回転数を上げる。
「何だ?」
【時任の家だけど、この近辺の名士なのよ】
「そりゃ……マズイかな。私個人が」
【うん。もし、その家で不審な人死にでも出れば、真っ先に疑われるのは大和ちゃんなのよ】
この町の警察官の一部には、実は私の体質の事がバレている。おかげで、超常現象が関わっていそうな不審な事件が起こる度に駆り出されては、それを解決、あるいはアドバイスする様な関係が築かれている。しかし、それはあくまで私が無関係な場合において、の関係である。分かり易く言えば、私が放置した結果の事件であれば、実際の実行者でなかろうと、私を拘束しに来るのだ、警察の奴ら。
とはいえ、そこまで理不尽な事はされない。たとえ人死にであろうと、基本的には私に罪はないのだ。責任を負わねばならない立場という訳でもないので、精々が拘置所に何日か叩き込まれるだけで、すぐに解放される。
のだが。
何事にも例外という物はあるものだ。今回の場合がそれに当たる。警察も組織である以上、より権力の高い者には大っぴらに逆らう事などできない。だから、そういう〝お上〟から文句が来た場合、権力無き一般人である私をどうにかする権限と義務を与えられてしまうのだ。
実際、マジ洒落にならん感じで追い詰められた事があるし、世間的には前科三犯くらい付けられているので、地元の名士からおかしな死体が出れば、絶対に私の身が危険に晒される。それは阻止しなければならない。しかも、今回のは微妙に言い訳不能な状態でもあるし。
【どうするのよ?】
「まだ事は起こっていないな!?」
【まだゲオルグ・クロイツは来ていないのよ。どうも迷っているみたいだけど、でもそれも時間の問題なのよ】
「良し。じゃあ、私もすぐにそっちに行くわ。鬼が来たら、……あー、こじれそうだったら仲裁ね。それだけでいいから」
【ういうい。了解なのよ】
寝間着から仕事着に着替える。と言っても、薄地のシャツも黒の革ズボンも、そこら辺の市販品なのだが。特別なのは、赤みがかったベージュのロングコートだけ。これだけは、生命神が対私用に創り出した神獣(対私用だけあって、白雪が簡単に捻り潰した)の革製で、更に魔女に頼んで様々なレジストを掛けて貰った逸品だ。多分、ロケット砲以上の兵装じゃなきゃ衝撃すら貫通できない様な代物である。
『こんな時間から出撃かよー。儂、超眠いんだけど』
「誰もお前を持っていくなんて言っていないが?」
『あれ!? 儂、留守番!? 何で!? 儂、対オカルト用の超兵器だぞ!?』
「アビス、お前を評価するのは癪なのだが、確かにお前は強力な武装だ。だが、雑草を刈るのに核兵器を用いる馬鹿が、一体何処にいる」
『儂、世情に疎いから、カクヘイキなる物に思い当たらないんだがな~』
それは世情に疎いってレベルじゃないと思うのだが、アビスよ。
それと、嬉しそうな声を出すな。気持ち悪い。私の言葉がオカルトを喜ばしたと思うと、自己嫌悪で死にたくなるわ。いや、死なないけどね? 取り敢えず、白雪が大人になるくらいまでは。
「吸血鬼くらいなら、聖剣で充分だろ」
畳の一枚を引っぺがす。その下に隠してあるのは、精緻な装飾に彩られた一本の長剣。
取り出し、状態を確かめる為に刃を引き出す。
「……うん。前に使った時と同じ、良い剣だ」
両刃の直剣。刀身は向こう側が透けて見える硝子細工の様な素材でできている。異世界ではなんか色々言われたけど、詳細は忘れた。神がどうたら~、とよくある様な設定だった気がする。
聖剣エクセリオン。異世界製の退魔の最上装備だ。こっちの魔にも効果があるかは疑問だが、全く無いという事はあるまい。
「一応、聖水とかも持って行っとくか……」
適当な空き瓶を棚から取り出し、水道の蛇口を捻る。このアパートの水道には、何故か聖水が流れているのだ。全く以て意味が分からないし、あまりにも有難みはないのだが、まぁあるもんは仕方ないし、オカルトやらファンタジーやらと頻繁に敵対する身としては便利だから、かなり重宝してる。こんなクソぼろい家に住む理由の一つだ。
「よっし、出陣~」
『いってらっさい』
聖剣と聖水を携えて、白雪と合流する。
最短距離を突っ走り、時任家の近所にまで到達すると、何処からともなく白雪の声が届いた。
【こっちこっちなのよ、大和ちゃん】
急制動を掛け、周囲を見回す。
と、いやがった。近く、家が建てられるのであろう資材が積まれた空き地に、堂々と。
うん、いくら精神にロックを掛けて見えなく出来るからって、流石に堂々とし過ぎじゃない? 仁王立ちしてんぞ、あの娘。私もあれくらい自分に自信が持てたらなー。
周囲を警戒しながら近付くと、白雪は全て分かってますよって感じな顔で、うんうんと二度ほど頷き、
「大和ちゃんの考えてる事は分かるけど、自分の事を棚に上げんな、って言っていいのよ?」
「……私は慎ましやかに行動してるぞ?」
「一般人は、電柱を伝って走ってこないのよ」
だって、電線だと感電しそうじゃないか。私、前に雷に撃たれた事があるけど、あれ、結構効くんだぞ?
「うん、そういう問題じゃないのよ」
「むっ、何か間違ったかな?」
「何もかもが間違っているのよ」
むぅ、一般人の基準が分からん。だが、しょっちゅう人の頭ん中覗いている白雪が言うのだ。きっと何かをミスったのだろう。反省。今度からは電線の上を伝ってみるか。怖いけど。
「……まぁ、大和ちゃんの生き方を僕は一々訂正しないけど、なのよ」
なんか……すんげぇ呆れられてないか、私。
閑話休題。
「蚊は?」
「蚊……ああ、ゲオルグ・クロイツなのよ? あれでも、人間を捕食する上位種なんだから、蚊は酷いと思うのよ」
「白雪どころか、私よりも弱い者をどうやって敬えというのだ」
「相性の問題だと思うのよ。正面戦闘だったら、僕も大和ちゃんに勝てる気はしないのよ」
「それは見解の相違だな。私は正面戦闘であろうと、余裕でお前に負ける自信がある」
負の方向での自信があるって、自分で言ってて悲しくなってくるな。
「本題に入る前に、ちょろっとだけ訂正するのよ。僕は、大和ちゃんに負ける事はないと思うけど、大和ちゃんを殺しきる自信はないのよ」
「それは正しい。生命神の呪いを除けたとしても、私を殺す事はそうそう出来んからな」
ついでに言えば、逃げ足も速い。驚異的な速度だぜ。諦めるのが速いとも言えるが。
「それで、吸血鬼ゲオルグだけど、まだ来てないのよ。そんなに迷う様な場所でもないのに、なのよ」
「吸血鬼の特性に、迷子なんてあったっけ?」
「僕の記憶にある限りじゃ、知らないのよ。どっかでつまみ食いでもしてるんじゃないのよ?」
「嫌だなぁ。もしバレたら、私の責任問題にされるし」
最近、警察の奴らが面倒臭くなったらしく、私に対して容赦がなくなってきてんのに。また前科が増えると、この先の人生が不安になってくるよ。
「……うぬぅ」
「あっ、お父さんじゃないけど、娘の方に動きがあるのよ」
私の苦悩を無視して、白雪が少し離れた位置にある家の正面を指差す。
その指の先には、確かに金髪の幼女がいた。
ふむ。幼子の夜遊びは感心せんな。あとでお尻ぺんぺんしてやらねば。良い声で泣くかなぁ。そうだったら良いのになぁ。
「良い空気吸ってる所悪いんだけど、つけるのよ?」
「そりゃ当然」
こっそりとね?
夜の町を無防備に歩く幼女の後ろを、ほとんど距離を置かずに尾行する女が一人。まぁ、外聞の悪い事。でも、不可抗力だから。逮捕なんぞすんなよ。職質も勘弁な。
【大和ちゃん? 今の大和ちゃんは確かに不審人物だけど、まともな警官が職質出来るとは思えないのよ?】
ちなみに、白雪はサイコキネシスを便利に利用して遥か上空から俯瞰している。私も便利な能力の方が良いんだけどなぁ。
んで、何故出来ないかと言えば、私は現在、電柱の上に立っているのだ。しかも、現在の時刻は深夜。草木も眠る丑三つ時、の一歩手前だ。付け加えれば、今夜は雲に隠れて月明かりもない。そうするとどうなるかと言うと、街灯よりも高い位置にある私の立ち位置は、ほぼ完全なる闇に包まれる事になるのだ。まともな視力の人間では、識別できんだろう。
「吸血鬼の目には見えちゃうかね?」
【僕は見えない様に調整してるのよ。大和ちゃんの分もしとくのよ?】
「いや、いいよ。今更気付かれても問題ないだろうし。逃げようとしたら…………まぁ、とっ捕まえればいいさ」
私からならともかく、俯瞰している白雪からは逃げきれんだろう。いざとなれば、警察連中に通報すれば済む話だ。いや、嫌だけどね? 絶対に経費と称して私に金を要求してきやがるけどね? 国家機関なのに。何故、私が奴らの給料を支払わねばならんのだ。いや、金で解決するならそれでいいんだけど。
「ううむ。ヴァンパイアハンター辺りとも繋がりを作っておくべきだろうか」
【その短絡的な思考回路、僕、好きなのよ?】
そんな由無し事を考えている内に、幼女がとある建物に入っていった。
【コンビニなのよ】
「コンビニだな」
【中に入るのよ?】
「私がな。お前は昼から尾行してるからな。顔がバレてるかもしれん」
電柱から跳び下り、コンビニの中に入る。
一般客を装いつつ周囲を見回すと、金髪幼女は雑誌置場で立ち読みをしていた。ちなみに、結婚雑誌。お前じゃロリコンしか捕まえられんと思うぞ?
怪しまれない様に彼女の背後を通過して、飲み物売り場に行く。うーむ、夏の新作・新鮮魚肉茶が気になる。なんだろう、この外れ感。堪らなく心が揺さぶられる。
「買うべきか、否か……。勿体ない事はしたくないのだが」
金に余裕はある。異世界で勇者として祀り上げられていた時に、国中から掻き集めた貴金属・宝石の類がしこたま余っているから。売り払えば、小国の国家予算くらいにはなるだろう、多分。
が、金は使う時に派手にばら撒くべきであり、そっちの方が気持ち良くて、まぁ言ってしまえば普段は節制生活を心がけている。
たかが百数十円と言えど馬鹿には出来ないしな。守銭奴を這い蹲らせられるし。
私が悩んでいると、金髪幼女が弾かれた様に顔を上げた。
ん、私も感じたぞ。近くまで来てるな。大きめな蚊が。思えば、大きい蚊って怖いな。うん、奴はそんなに怖くない。人型だし。
などと益体もない事を考えている内に、金髪幼女が一陣の風と共に走り去ってしまった。
「おう、私とした事が不覚」
【大和ちゃんが余裕ぶっこいているのはいつもの事なのよ。追ってるから、すぐ来るといいと思うのよ?】
「飲み物、いる?」
【欲しいのよ~】
よし、魚肉茶を買ってってやろう。美味しかったら私も飲む。
白雪に誘導されて訪れたのは、先のコンビニより程近い空き地だった。
その中央に幼女の姿があり、彼女の傍らに積み上げられた資材の上に父親の姿もある。
……月があれば格好も付いたんだろうけどなー。あいにくの曇天な所為で、カッコ良さも半減している。
ちなみに、私と白雪は少し離れた位置にある茂みの中に隠れている。まだ本気の殺し合いになるとは、いや殺し合いになっても別に構わないけど、無関係な誰かが巻き込まれるとは決まっていないのだ。私が介入する理由はない。
「はい、白雪。お土産~」
「ありがと……って、なんなのよ、これ? 魚肉茶って、美味しいのよ?」
「さぁ? 私の冒険心が刺激されただけだし」
無責任に押しつけて、視線を吸血鬼親子に向ける。
どうも喧嘩の真っ最中らしい。風に乗って激昂した声が聞こえてくる。
「何しに来たの、お父様。私、二度と帰らないって言った筈よ」
「何って、お前を連れ戻しに来たに決まっているではないか。初めて人の血を啜って不安なのは吾輩も経験があるから分かるが、その状態で人を頼るのは間違いという物だ。恩を仇で返す羽目になるぞ?」
「はん。何を言っているのかしら。私、自分が血を啜らなければ生きていけない生物だという事は、既に割り切っているわ。っていうか、それが原因なら十年前に家出してるわよ」
「む?」
うん? 何か雲行きが怪しくなってない? ってか、十年前って随分古い話もあったものだな。吸血鬼って寿命長いらしいし、奴らの時間感覚だとそう古いモンでもないのかな?
「私もね、お父様の女性遍歴を知ってるから、別に今更何も言うつもりは無いけど、流石に娘の前で性行為をするのはどうかと思うわ」
そりゃ嫌になるわな。実の両親同士のを目撃するのでも気まずいのに。
(……白雪的にはどう? 嫌な感じ?)
(……まず、親という物が分からないのよ)
(……じゃあ、私が男とエッチな事してるのを見せつけられたら?)
(……取り敢えず、男はつみれにして、大和ちゃんは説経タイムなのよ)
うん、白雪の居る間は男とか作れんな。一応、若い盛りの女だから、それなりに興味もあるんだがなぁ。
「……それで、家を出たのか。だが、それでどうするというのだ。どんな理由だろうと良いが、お前が人間という枠組みの中で生きる事には賛成できん。我々は所詮人外だ。どれだけ真似しようとも、違うのだ」
「お父様と一緒にいるよりはマシだわ。それに、私だって百年近く生きているのよ? 人の目を誤魔化す術ぐらい、それなりに持っているわ」
「それなりでは困るのだ。お前は信じないかもしれんが、我輩はこれでもお前を可愛く思っている。出来れば幸せに生きて欲しいと思う。かつてに比べれば苛烈ではないが、それでも今の時代であっても教会の異形狩りは根強い。お前では、抵抗できぬ」
「だから、お父様の庇護にいろと? 随分、見縊られた物ね」
(……気を付けるのよ。とばっちりが来るかもしれないのよ)
(……当たっても死にゃせんがな)
私達の視線の先、吸血鬼父が足場としていた資材群が重力に逆らって浮き上がっている。白雪があんな面倒な事をするとは思えないし、特に理由もないから、おそらく金髪幼女の仕業だろう。……吸血鬼の能力に念動力ってあったっけ?
「うぅん、中々強力なのよ。だけど、手慣れてる感じじゃないのよ。お父さんが心配するのも無理ないかな、なのよ」
「そうなのか。まぁ、白雪に比べれば派手さはないけどさ。おっ、親父の方もなかなかやるな。蝙蝠の群れに変化したぞ。技巧派だな」
「あー、駄目なのよ。そこは土埃でも立てた方が良いのよ。鉄骨に拘っちゃいけないのよ」
「うーむ、やはり白雪を見慣れてると、あの娘、下手くそだねぇ。っていうか、能力値が低いのかな? 白雪だったらどうする?」
「テレポートで太陽の中にでもぶち込んどくのよ? 吸血鬼は太陽に弱いらしいし」
「普通の生き物なら余裕で死ぬわ、それ」
溶ける、溶けちゃう。
もはや声を潜める事も無く観戦する私と白雪。いやだって、さっきから爆音が鳴り響いてるんだもん。私達の声なんて掻き消されてるって。
「あぶっ」
「意外と降りかかる火の粉が来るのよ」
あ、危ねぇ。首を傾けてなかったら、鉄骨が私の頭を粉砕してたぞ、多分。
その時、派手な親子喧嘩に乱入してくる人影があった。し、しまった……! 超油断~! 白雪もこんな場面に一般人が介入してくるとは思ってなかったらしく、警戒範囲を閉じていたっぽい。割と私の社会的立場がピンチ……!
「リシュリー……!」
「鼎!? 来ちゃ駄目よ!」
「ふむ、丁度良い」
リシュリーというらしい(聞いた気がするけど忘れた)金髪幼女の意識が逸れた瞬間、父親が彼女の身体を吹っ飛ばす。
「おっと、それは駄目だろう」
乱入してきた老婆へと肉薄した吸血鬼ゲオルグは、闇を固めたかのような杖を振り上げ、一切の躊躇なく振り下ろした。
しかし。
「なっ……!?」
「はい、そこまでね」
血飛沫が上がる事はなく、吸血鬼は困惑の呻きを漏らした。
振り下ろされた杖、その先が打ったのは人の頭ではなく、私が投擲し、丁度二人の間に突き刺さった聖剣の腹だ。
「……これは驚いたな。君が来ているとは思わなかったよ、大和君」
「事情が変わったのだ。ところで、今、何をしようとした?」
「殺そうとしたに決まっているではないかね。愛しき娘に人の温かみなどという物を植え付けようとする毒婦を、な」
「ああ、残念だなぁ。それをされると、私の所為になるんだわ、世間的に」
ふっ、とお互いに薄い笑みを交わす。
同時に、甲高い叫び声と共に私達の周囲を資材が取り囲んだ。
「お父様! そこまでよ!」
「……吾輩はこの程度で死にはしないが、君は大丈夫なのかね」
「おいおい、もう忘れたのか? 私には優秀な妹がいるんだ。……白雪!」
「オッケー、なのよ」
ひょこ、と白い頭が出てきた瞬間、資材が地面に叩き落とされた。
「な、なん……」
「動かない方が良いのよ。大和ちゃんの邪魔をしたら、僕は容赦できないのよ」
ナイスだ、白雪。だが、殺す必要はないからな? 可愛い女の子は世界の宝だ。オカルトだからといって殺す必要はない。親父は知らんが。
「それで、どうするのかね? 大和君。もしかして、我輩と戦うなどという事を言うつもりかね?」
「そっちが望みならそれでもいいんだけどよ。退いてくんないかね? 人死になんて出されると、私の生活が脅かされるんだ」
「では、行方不明という事にしようではないかね。きちんと跡形もなく死体は処分しよう」
「昔ならともかく、今の時代に神隠しは効かんだろう、言い訳として。それと、この町の警察を舐めてる。奴ら、必要になったら、この町まるごと調べ上げるからな。隠し通せる訳がねぇ」
だから、
「妥協案を提示しよう。私は人死にを出してほしくない。お前は娘に人と必要以上に関わって欲しくない。娘は温かな家庭を求めて、そっちの婆さんは……あー、何しに来たの?」
今更だが分かんないのだから仕方ない。恥を忍んで訊こう。訊くは一時の恥、訊かぬは一生の恥。類似品として、教えるは一時の優越感、教えぬは一生の優越感、とかって。
「あ、あたしは、リシュリーには幸せに生きて欲しい、と……」
「成程。中々性格が良さそうで。では、提案を。リシュリー・クロイツの身柄を、私の方で預かろう」
「何を馬鹿な事を!」
全く、こんな事も分からんのか。
「馬鹿でこんな事を言うか、ド阿呆。私が確保してしまえば、人死にの出る心配はない。次にお前の望みだが、認めるのは非常に癪なのだが、アビスは当然として、私も白雪も人間ではない。今となってはな。ついでに言えば、白雪は超一級のサイキッカーだ。あいつのサイコキネシスの強化も出来るだろう。そして、娘の望みについてだが、私も白雪も人間ではないが、疑似的な家族ごっこをしている。安穏な生活は到底望めないが、それでも家族として迎え入れる事は可能だ。最後に、そちらの老婆の希望についてだが、これについては娘が受け入れるかどうかで決まるな。特に不備はないと思うが?」
まぁ、受け入れなかったら撃滅するだけなんだがなー。
聖水の詰められた瓶を手に取りつつ、心を深く沈めていく。
だが、その準備は徒労に終わる。驚いた事に吸血鬼ゲオルグは納得したらしく、杖の具現化を解く。
「……大和君、君の家については今更吾輩が気にするレベルではない事は理解している。だから、娘が望むならば、我輩は君に任せても良いと思う」
「はっ、そりゃ重畳。安心しな。きっちり教育してやるぜ、人間的にな」
危険域を脱したっぽい親父から目を逸らし、背後に回った白雪から無言の圧力を掛けられているリシュリーちゃんに振り返る。
「で、どうかよ? お前さん的には。一応言っておくけど、私、束縛すんのは嫌いだからさ。二、三約束をしてもらえれば、あとは自由にしてていいよ? 私に迷惑かけない。自分の責任は可能な限り自分でケリをつける」
最後にもう一つ。
「本気で困った時は、遠慮なく相談する事」
簡単でしょ? と微笑みと共に語りかける。
「で、でも……」
「リシュリー」
何かを迷う様な娘っ子に老婆が優しく語りかけた。おー、年齢的にはほとんど同じ筈なのに、なんか老婆の方が落ち着いとるな。身体の成長と同じで、精神の発達も遅いのかね? それとも、身体の幼さに精神が引きずられるのか。まぁ、どっちにしたって私からしてみれば餓鬼な訳だが。
……そこ、白雪、笑うな。私の方が子供っぽいとか思ってんだろうが。分かんだよ、私だって人の思考ぐらいな。
「こっちにはまた来ればいいさね。そっちの大和さん?」
「おう、石堂・大和だ。男っぽいとか言うなよ?」
「ああ、大和さんだって自由にしていていいと言ったんさね。こっちの事は気にしなくてもいいさ。それに、あたしももう長くはない。数年もすれば枯れる命さね。なら、新しい家族を見つけとくのもいいもんさね」
「…………」
「なんか良い話っぽい雰囲気に水を差すようだけど、私があと数年も生きている保証はないぞ? 今回は穏便だったからいいけど、こんな事にしょっちゅう巻き込まれてんだから」
「でも、死ぬ気はないんさね? これでも長く生きてるさね。人の心くらい分かるさね」
「……まぁ、せめて白雪が大人になるくらいまではな」
私、そんなに分かり易いかなぁ? ちょっとポーカーフェイスの練習でもしてみるかな。
「……ん、分かったわ。よろしく、お願いするわ」
「おう、よろしくな。……良かったなー、白雪ー。お姉さんがもう一人できたぞー」
「うふふ、僕の方がお姉さんじゃないのよ? 能力の使い方を教えるんだし、なのよ」
「ハッハッ、お前に姉はまだ早いわ。あと五年は生きろ」
いや、実際マジな話で。まだ世間一般に出て一年くらいなんだから、もうちょい遠慮しとけ。多分、そっちのリシュリーちゃんの方がまだ世間という物を知ってるぞ。
などと思っていると、吸血鬼が踵を返し、近くの木の上にまで跳躍した。
「それではな、リシュリー。達者で生きろ」
「……お父様も、元気でね」
「ふん……」
顔を背け、闇の空へ跳び去っていく親父。うーん、やっぱ月が無いから魅力半減。
と、それを見送っていた私の下に幼女二人が駆け寄ってきた。ハッハッハ、さぁ私の胸に飛び込んでおいで!
「……何してるのよ? 大和ちゃん」
「ふっ、遠慮しなくてもいいのだよ」
「してないのよ。はい、新しい家族に挨拶」
「奥ゆかしいね。流石は大和撫子。……リシュリー・クロイツ君。私の名は石堂・大和だ。年齢は十七。好きな物は平穏。嫌いな物は騒動。これからよろしくな! 愛でてやるから! 疲れた私の心を癒してくれ!」
冷めた視線を向けられた。ぞくぞくするな。もっとしてくれ!
「……後半無視するわよ? 知ってるみたいだけど、私はリシュリー・クロイツよ。年齢は八十三歳ね。好きな物も嫌いな物も保留よ。まだ、私は語れるほど何かを知ってる訳じゃないわ」
「そこまで行くと、超危険なのよ? その成れの果てが目の前にいるのよ」
「お前は私が嫌いなのか?」
「大好きなのよ。でも、大和ちゃんみたいにはなりたくないのよ。……僕は石堂・白雪なのよ。年齢は、多分七歳くらいなのよ。好きな物は大和ちゃん、嫌いな物は大和ちゃんを傷つける物。よろしくなのよ!」
「ええ、よろしくお願いするわ」
きゃっきゃっ、と戯れる義妹二人を温かく見つめていると、隣に老婆が並んだ。
「すまんさね。こっちの事情にあんたを巻き込んじまって」
「気にすんなよ、そんな事。今更家族が一人増えたくらいじゃ、私は気にせん。魔物すらも住み着いてるんだぞ? 私んち」
「それは……別の意味で不安を誘うさねぇ」
「くくっ、まぁいつでも来いよ。妹の家族なんだ。歓迎ぐらいしてやるさ」
「ああ、お前さん達の方も、気が向いたらこっちに来とくれ。家族が増えて、婆も嬉しいさね」
そう言い残し、老婆は去っていった。
「おぅい、妹二人ー。そろそろ帰るぞー。良い子は寝る時間だー」
「「はぁい!」」
元気のよろしい事で。私はもう疲れた。武将ゾンビ事件と二連続だったからな。そろそろ本気で寝たい。
二人はさっそくサイコキネシスの練習とかで、自分の身体を浮かせて帰るらしい。
残された私は欠伸を嚙み殺して踵を返すと、突然目の前に黒の色が起立した。
吸血鬼ゲオルグだ。
「うぉ、テメェ……!」
か、帰ったんじゃねぇのかよ!
「いや、その、すまんのだが……」
「あん?」
喧嘩しに来たのかとも思ったのだが、どうにもそんな感じではない。やるならやんぞ、ああん?
「金を貸してはくれんかね?」
「…………」
そういや無一文でしたね、アンタ。
この事件を経て、私は世にも珍しいハーフヴァンパイアの妹と、純血のヴァンパイアからの借用書を手に入れた。
この先、この二つを利用して、純血のヴァンパイアパパに色んな厄介事を押し付けるのだが、それはまた別の話。