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君と君  作者: 速水 零
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一章 後篇

 後篇  僕Side


 僕は毎日午後六時に市で一番大きい総合病院に通っている。

 彼女は僕の憎い病気にかかっている。

 現在それにかかって生きていた人は誰一人といない恐ろしい病気。何百万人に一人という低確率でかかる病気なのだが、僕の周りでこれにかかるのは三人目だ。

 この病気は後天性免疫不全症候群――エイズに近いが感染するウイルスはHIVではない。

 そもそもこの病気の元であるウイルスの特徴が全くつかめていない。

 それ故にかかった時の対処ができない。

 免疫がかなり落ちるということは過去の事例からわかっているので無菌室に全員入ることになっている。

 彼女が倒れ、“あの病気”にかかったことを知ったのは春の話だ。

 クラス替えが行われてまだ数週間。

 僕と彼女の関係は名前くらいしか知らないクラスメイトだった。いや、クラスの中心にいる彼女にとって僕の事なんて名前すら知らないだろう。

 僕は彼女が病気にかかると知るまで興味はなかった。

 暗い道をただただ進んだ自分とは全く違う道を歩いていた。

 自分に近い存在だからと言って興味をもつとは限らないが、とにかく僕にとって彼女たちクラスの中心人物は明るく、近寄りが高った。

 僕は影だ、とかいう漫画を読んだ事があるが、影にしては明る過ぎだと憤りを覚えたことがある。

 ――かなり前の話だが。

 今から数か月前(正確には五か月前)彼女は高熱にかかって何日も休んだ。

 その頃は特に何とも思わず、五月蠅い女子が減ったなとしか感じなかった。

 彼女の休みは一週間を過ぎ、流石に長いと話題の中心となった。

 二週間後、担任の教師から彼女は現在死亡率百%の重い病気にかかっているとクラスに告げられた。

 僕は“あの病気”を自分の手で治したいがために医者を目指している。

 僕の記憶が正しければ、日本でかかる病気の中で死亡率百%の病気はあれしかない。

 先生に色々と問い詰めたかったが、過去の経験から冷静になることの重要さを身に染みているので、何とか踏みとどまった。

 自分とは関係ない相手の事をしつこく聞いてクラスのみんなに誤解されるのは面倒だし、だからといて僕の過去を話して自分が傷つく必要もない。

 クラスのみんなは――特に中心人物達――担任に彼女の見舞いがしたいとしつこく病院を尋ねた。

 もとより隠す気のない担任から出てきた単語は割と近い市で一番大きい病院だった。

 その日の放課後、クラスの半分の人数が部活動を休み見舞いに行ったそうだ。

 僕も彼女自身に興味はないが、あの病気にかかった患者が身近にいるということにショックを受け、見舞いに行こうとした。

 見舞い、いや、そうじゃない。憎い“あの病気”を僕はまた見ておきたかっただけだ。何百万人に一人という低確率だ。生で拝める機会はそうあるわけじゃない。

 行こうとしただけで、行った訳ではない。

 あそこまでたくさんの人がいる中で、一緒についていってのメリットはないに等しい。人で埋もれて何をしに来たかわからなくなるに決まっている。

 その日は手を引いて、次の機会を待った。

 

 

 それから二週間。

 彼女の人気(?)は予想を超えていて、先輩、後輩から沢山の見舞いがあったようでやっと少し落ち着いた。

 身贔屓になるかもしれないが俺の妹は十段階で表すと八、九くらいで【かなり可愛い子】で、十日間は見舞いに来る人がかなりいた。

 彼女と妹の容姿のレベルに差はあまり見られない(つまり彼女はかなり可愛いということになる)が、当時小学生だった妹と、高校生の彼女では築ける人脈の規模が違うのだろう。……俺にはいつでも人気ゼロだが。

 二週間経って、やっと二人っきりで会える日が来た。

 勿論、今回は下心はない。

 時間は午後六時、僕が最初に彼女にかけた言葉は、

「こんばんは、初めまして。知らないでしょうけど僕は君のクラスメイトです。名前は……聞いても仕方がないと思っているでしょうし名乗りません。呼び方は『君』で結構です。クラスメイトなので丁寧語はここでやめるよ。堅苦しい挨拶はこっちもそっちも要らないだろうからね」

 これでいい。

 彼女は快活で明るい性格だったはずだが、今僕が見る限りそんな面影は一切ない。何週間も病院にいれば気が病むのは当然だ。前の二人も最初はそうだった。

 必要なのは憐みでも、同情でも、過激な慰めでもない。

 妹が言っていた『精神的支柱になってくれるのが一番助かるよ。頑張ってとか、そんなエールは他人事でいやなんだ。特別なことは要らない。ただいてくれるだけで助かる、そうなって欲しい』っと。

 正直最初にそういわれた時には具体的にはどうすればいいのかと聞きたかったが、見舞いを続けることと、一番最初の僕の好きだった女の子にしていたことで何となくわかっていった。

 彼女は僕の自己紹介に笑い声を上げた。

 教室で聞いていた騒音ではなく、聞いていて心地の良いものだった。

「笑うことはないだろ」

 嘆息を洩らしつつ、僕は彼女に文句を言ってやった。

「ごめんね。初めてあった人に名前を名乗ってもしょうがないとか言われたの初めてだから。まず、初対面の人が見舞いに来てくれた時点で驚いた」

「クラスメイトなんだけど…別にいいか。クラスメイトとしての義務感と、前から一度話してみたいと思ったから来た。あ、下心は一切ないから」

 間違ってはいない。

 前からというのは“あの病気”にかかってからを表すことだし、クラスメイトとしての義務感も一ナノくらいは存在していた。

「下心がないなんてハッキリ言われると女子としては傷つくんだけど」

「それでもこんな病気にかかったんだから仕方がないって思ってる?」

「………そうだよ。どうしてわかったの」

「いや、クラスの中心の君がクラスの端にいる僕に好意を寄せられていない理由を考えて思いつくとしたらそれだろうからね」

 気軽に、病人だからと言って労わることはせずにいるのが小学五年生のころ学んだこういう時の対処法だ。

 効果はガラス越しの彼女を見れば一目瞭然。彼女の表情に精が戻った。

「言われてみればそうだね。君って案外気さくな人なのかな?」

 気さく、そんなフレーズ僕には正反対の言葉だ。こんなに暗い気さくなやつがいてたまるか。

 演技をしているという自覚はないが、あのころ好きな女の子に話しかけたようにと思うだけで言葉は柔らかく外に出ていく。

「気さくなんかじゃないよ。自分の性格は一言じゃ表せられないよ。君だって僕から見たら快活な性格だけど内面は違うでしょ」

「まあ……そうだね」

 思い当たる節はあるみたいだ。

 今垣間見えた翳りは前の二人と少し共通したものがある。

「そうだな~近況報告なんて今回は他の人がしていることだし、僕が話す話題は少ないなぁ。そろそろ他の人が来るようだから僕はここで帰るね。あ、僕が来たこと言わないでよ。知られて変に思われるのはあまり心地の良いものじゃないから。じゃあまた明日、六時に来るよ」

 彼女は何も返すことなく、僕の退出を見守っていた。

 


 あれから五か月。僕は彼女に会いに行く目的が『あの病気をもっと知りたい』という欲求だけではなくなっている。

 妹から『次、私と同じような子がいたらずっとじゃなくていいからそばにいて心の支えになってあげてね。私もそれで助かったから』とお願いされた以上、それも行く目的なのだが、この五か月やり過ぎたのか、彼女が本当に俺がいないといけないような感じになってしまった気がする。

 これが思春期独特の偏見ならいいのだが、依存されるのはちょっと困る。

 昨日はついに自分の過去を打ち明けてしまった。

 いつかそうしないとと思ってはいたが、流石に心が痛む。

 別の欲求は小学五年生の頃の感情と似ていると自分では自覚している。

 あの時の子と性格はかなり違うが、毎日二時間も一緒にいると恋心も持ってしまうものだ。

 これを客観的に考えられている自分が可笑しくてしょうがない。

 一番大きかったのは昨日僕の話を聞いて、僕の事を強いと言ってくれたことだ。

 あれでかなり心に縛られた鎖がほどけていった。

 ある種、自己満足でしかない僕のことを認めてくれた。

 どうやら、心が病んでしまっていたのは僕も同じだったらしい。 

 


 時間は午後六時。

 五分前にカウンターで手続きを済ませ、今彼女の病室の前にいる。

 扉を開け、中に入ると眠ったままの彼女がいた。

 最初の頃はそんな事がよくあったが、今ではかなり珍しい。

「こんばんわ、午後六時になったから見舞いに来た。体調に変化はない?」

「…………」

 変だな、応答がない。

 疲れているのか、仕方ない。起きるまで待つとするか。

 俺は持ってきた医学書に挟んでおいた栞を抜き取り読書に勤しんだ。

 チクタクチクタクチクタクチクタク。

 古い時計の秒針が刻む音だけがこの部屋に響き渡る。

 三十回チクタクを繰り返し、長針が六度ズレる。

 短針が三十度ずれた時、もう一回声を掛けることにした。

「こんばんわ、六時に来て一時間待った。体調に変化はない?」

「…………」

 またもや反応ゼロ。

 こんな日もあるか。最後に帰るときにまた話し掛ければいいか。

 そう結論付け、意識を再度本に向けることにした。

 

 短針が三十度ズレる。

 もう八時になったようだ。結局起きることはなかったな。

「こんばんわ、六時に来てもう二時間たった、そろそろ帰るがまたあした六時に来る」

 そう言い残して、踵を返して病室を出た。



 次の日の午後六時、


 ――彼女はまた寝込んでいた。


 流石におかしいと思い、僕は杞憂だと信じて彼女の担当医師に彼女の容態を聞いてみた。

「先生。彼女の様子が前と違うんですが何かあったんですか」

「………君は妹がこの病気にかかったと言っていたな」

「……はい」

「なら、話しても問題はないな。彼女の容態だが、非常に危険だ。時期的にもそろそろが末期だと予想される」

「……そうですか。……もう起きることも出来ないんですか?」

 すがるように僕は先生に尋ねる。

「いや、少しだけならまだ起きていられる。昼ご飯のときはしっかり起きていた。でも、これからは起きていら減るだろう。それは前にも体験したはずだよね」

「……はい」

「もうその段階だ。後もって一か月。但し、意識があるのは一週間とないだろう。植物状態が何週間か続いてから死に至る」

「やっぱりそうですか。わかりました。しばらくここに居させていただいてよろしいですか?」

「勿論、構わないよ」

 医師は僕の事を知っている。僕と彼女が単なるクラスメイトでしかないことも知っている。

 だが、なぜ一クラスメイトにそこまでするのかと聞いては来ない。

 この医者は僕が“あの病気”を憎んでいて、もっと知りたいがために来ているということも……知っている。



 さらに詳しく聞いた話だが、彼女は今では一日に何時間としか起きていられないらしい。時間の感覚を失った彼女にはその自覚がないようだ。

 彼女にとっての一日の始まりは時計が告げる午後六時。

 彼女にとっての一日の終わりは僕が出ていく午後八時。

 こう考えるのは傲慢だと思っているが、看護婦が言うには、彼女はよく寝言で彼とか君という単語が出てくる

らしい。

 看護婦――差別用語とされているが心の中でそう思うには差別ではないだろう。『差別ではない、区別だ』というやつだ――は彼女はあなたの事を待ってるよなどと要らないことまで言ってきたので間違いはあるまい。

 僕は妹のいう心の支えを継続すべく、午後六時になる前にこの病室に来ていた。

 ベットの皺の位置が昨日と変わっていない。

 まだ少しも動いていないようだ。殆ど丸一日寝ているのか。症状が本当に妹やあの子と同じだ。

 余命一か月程になるといつも寝ている。

 声を掛けても起きることはない。もはや、聴覚が衰えていて大音量じゃなきゃ聞こえない。

 僕は自然に起きることをずっと待った。


 時刻は八時を通りすぎ、九時をも抜け出そうとしている。

 彼女の瞼が微かに震えた。

 病院の窓から差し込む月光が二人を包み、やがて俺の影で彼女が隠れる。

 都市圏に近いこの病院では満点の星は眺められず、ただただ暗い空が見えるだけだ。

 ホンの少し前までは日が落ちるのがかなり遅かったが、今になって急に早く落ちるようになっていた。

 閉じた窓から風を感じることはなく、密閉された空間にガラスを挟んで対面する僕と彼女。

「こんばんは、体調に変化はない?」

 いつも通り、ここから始める。

 彼女もここはいつも通り、

「昨日と何も変わってないよ。いつも見舞いに来てくれてありがとう。本当に……ありがとう」

 ――という訳ではなかった。

 哀愁漂う彼女の返礼は、彼女がもうすぐ死ぬということを実感しているからだろう。

 彼女の瞳に僕は写っていない。直視出来ないという雰囲気が僕にはハッキリ伝わった。

「そう、自覚しているならよかった。実際、最後に会ったのは昨日じゃなくて一昨日だよ。昨日僕が来ても起きていなかったから」

 妹に言われた。辛いことはもうずっと感じているから、今更隠し事はしないでほしい、と。

 その言葉に従い、僕は暗に余命が近づいているのではないかということを肯定した。

「もう……私は死んじゃうのかな」

 彼女は当の昔から死を覚悟していたはずだ。

 それでも、悲しいことは悲しい。たとえこの“生活”が何の益もないものだとしても。

 微かに聞こえてくる泣き声が僕の鼓膜を震わせ、やがて電気信号に変わっていく。

 

 三度目だ。


 もう、慣れているはずだ。



 彼女よりも昔、見舞いに行くと決めていた時からこうなることは想像に難くなかった。


 シミュレーションは僕の脳内でやっていた。


 こういう時の慰め方も……僕は妹に教わったはずだ。


 妹頼りな綱渡りだったと自覚している。


 本当は一歩ミスをしたら余計に精神にダメージが行くことも知っていた。


 責任、そんな言葉は意味しか知らなかった。


 支え、最初は上辺だけのものだった。


 見舞い、“あの病気”を直にみる滅多にない手段でしかなかった。


 彼女に語り掛ける日常とは、事実であるが、本当に楽しめはしなかった。


 すべては――僕が彼女を利用し、自分さえも支えてもらう話と化していた。

 

 僕が彼女にしてやれたことは数少ない。ただ、見舞いに行っただけ。彼女はそんな僕を受け入れ、支えにしてくれ…僕を助けてくれた。

「まだ、死なない。ただ、意識があるのは残り一週間あるかないかだ。それ以降は植物状態として数週間生きることになる」

「私にとっては余命は後、一週間ってことなの?」

「……そうなる」

 否定はできなかった。

「君と会えるのも後七回だけなの?それだけ?……嫌だよ、そんなの」

 泣きじゃくる子供のセリフだが、今の彼女にはそんなことを気にすることすら出来なくなっていた。

「ああ、僕も嫌だ。受け入れるなんて言ってるけど、実際は君に会えなくなって悲しい。ここで泣きたい俺だっている。だから、今日からはずっとここに居るよ」

 ずっと一緒。漫画にもよく使われるそんな言葉とは意味が違う。

 それに、ずっとは誓えない。

 彼女は世界の理に従ってあの世に行ってしまうから。

 それがわかっていても、

「うん、これからは一緒に居よう」

 そう縋ってしまう。

 ガラス越しに重なる手は何故か――

  


 ――――――――――――――暖かかった。


どうも、速水零です。ここで初めましてはない(といいな!)のでお久しぶりですと言っておきます。

もう一章後篇。

つぎは二章…という訳にもいかず、終焉というタイトルで続きます。

前、中、後にすればいいのにというのはなしで!

流れはこれからもこんな感じで行きます。


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