プロローグ
暗い森のなかに一つの屋敷がその存在を誇示していた。
それは森のなかで100年以上存在しているにも関わらず、上品な佇まいと頑強さを併せ持ってそこにあった。乳白色の壁を伝う蔓ですら見た目を損なうことなく自由に育ち、屋敷の彩りの一部と化していた。
それを取り囲むように複数の影が走り回っている。あたかも屋敷を捕らえんとばかりに動き回り、屋敷の周囲に小さな白い物体を規則正しく配置していく。
屋敷から少し離れた茂みから一人の男が身を乗り出し躍り出る。
男は赤い十字の刺繍が施された白いローブと全身を覆う金属鎧に包まれ、ただならぬ殺気を放っている。右手には戦槌が握られ、左手にはローブと同じ赤い十字の意匠がなされた方形楯、頭部を覆う兜の隙間から鋭い眼光が見てとれる。
見るものは見れば、それが神聖教会の神殿騎士であると一目で理解できるだろう。また、屋敷の周囲にいる影も同じような出で立ちである。
「あの建物か。暗き森の悪魔の屋敷…忌々しい闇の眷属にはお似合いではないか」
戦槌を握りしめ、絞り出すように男が呟く。
「術式展開を始めたいが良いかの?鈍重な鎧を着ていては作業も捗るまいて」
戦槌を持った男の背後から同じローブを纏った猫背の男が進み出る。先程の男たちとは違い、鎧ではなくゆったりとした僧衣を身に付けている。
「ふん、もう終わる。しかし本当にうまく行くのであろうな?」
「枢機卿から賜った聖遺物があるでな、問題はあるまいよ。彼奴らには我らがいることも気づかれぬ。そういう物なのだからな」
くぐもった笑いと笑いと共に神経質そうな顔に笑みが浮かぶ。10人が見れば10人全員が嫌悪感を抱くだろう笑みが。禿げ上がった頭が更に拍車をかける。
戦槌の男は兜から僅かに覗く目元をしかめ小さく溜め息をつく。
「だと良いがな。枢機卿もアレには一切の常識が通じないと仰られていたくらいだからな」
「番犬はどうなっておる?」
聞こえていないのか聞いていないのか、戦槌の男を無視して近場の司祭に問いかける。
「は、はい。オルトロスとおぼしき魔獣は聖遺物の影響にて身動きができない模様。間もなく処理できるかと」
司祭は恭しく頭を下げ報告する。
―森の入り口にいた双頭の魔獣か―
戦槌の男は思う。あの魔獣一匹ですら上位の神殿騎士30人、神官戦士10人、魔導士15人程度でようやく足止めできるかどうかといったところだ。下手をすれば全滅しかねない。聖遺物とはそれほどのものか…。
「また、屋敷についても特に動きはありません。マクダネル様、やはり聖遺物が効いているのでしょうか」
「ククク…アレに関わることに限っては万能とも言えよう」
マクダネルと呼ばれた僧衣の男は更に薄気味の悪い笑みを浮かべ、手元にある白い布に包まれた物をいとおしげに撫でる。
「なぁに、これがある限り彼奴には何もできぬよ…聖遺物…聖女の遺骸にこのような力があろうとはな。枢機卿も早く気づいておればこれまで憂い悩む事もなかったであろうに」
めくられた布の下には小さな頭蓋骨があり、おぼろ気に光を放っている。
「配置、終わりました」
「…よろしい、始めようか…」
報告を受けたマクダネルは聖遺物と呼ばれる頭蓋骨を両手で掲げ、流れるように、話しかけるように唱える。
「聖女よ、彼奴の永遠の伴侶よ、永久に添い遂げる時が来た。彼奴の体を縛れ…彼奴の心を掴め…捕らえ、離さず、共に逝くがよい。汝の心は今、ここから動き始める…300年の時を刻みしその想い、今こそ解き放て!!」
唱え終わるや、頭蓋骨から一筋の光が延び、配置された全てのものへ、彼女の遺骨…聖骸へと繋がっていく。
瞬時にして複雑な幾何学模様を描き、術式は、魔方陣は完成する。それは一気に輝きを増し、屋敷全体を包み込む。
神殿騎士達はあまりの眩さに目を覆い、顔を背ける。
次の瞬間、彼らは聞いた。頭蓋骨から響く女性の声を。
歓喜とも、狂気とも、そして悲哀とも取れるその叫びを。
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「あー、腹へったー…」
言いながら後ろ向きでうなだれる賢二。いつでもどこでも食い物を欠かさせない腹ペコ魔王だ。なぜこいつは料理研究部に行かず、美術部に入ったのか不思議で仕方ない。
珍しく持ってきた食料を食いつくしたこいつは今にも死にそうな顔をしている。
「なぁ、真樹ぃ~なんか食わせてくれ~俺死んじまうよぉ~」
うなだれた体制から一気に起き上がり、某ゾンビゲームの如く僕に襲いかかる。
「うるさいなぁ、僕もお金持ってきてないって言ったじゃ―――近っ、顔近いって!!」
部活途中からぼやいていたのはわかっていたが、学校から出た途端に酷くなった。まだ20分も経ってないんだが。
「もういい、真樹、お前でもいいや食わせろやぁ~」
「危ねっ!おい冗談じゃないぞ!いい加減にしろって!」
賢二の顔を押し退けながら抵抗する僕。これって誤解されそうな体勢なんだけど。
「賢二…蒲公英って食えるらしいぞ」
そう言って道端の植物を指差しているのは信隆。無機物を描かせたら天下一品、顧問お墨付きの天才部員だ。成績はいいが、その代わり運動はからっきしという賢二とは真逆のスペックを持っている。
「え!マジで!食べる食べる食べオウフッ」
目標を可憐に咲く蒲公英に向け、まさに飛びかかろうとした瞬間、必殺の真空飛び膝蹴りが賢二の脇腹に突き刺さる。
派手に吹き飛ぶ賢二に鼻息も粗く、怒鳴り付ける男。友人の一人、悠祐だ。
「お前はケダモノか!人間としての尊厳すら無くしたか!」
さすが空手部、隙のない良い打撃だ。
しなだれて姑にいびられる嫁よろしく、アスファルトにのの字を書く賢二。相変わらず頑丈だな、おい。
「だって、食えるって言うし…」
「…俺は[らしい]とは言ったがな。食ったあとにどうなるかなんて責任は取らんぞ?」
さすがの信隆もマジで蒲公英に食いかかるとは思っていなかったらしい。まぁ賢二だし、問題ないんだろうな。
「さっさと帰ろうぜ。下宿に帰ればお菓子なり何なりあるんだろ?おばさんも夕飯作ってくれてんだろうし」
「そうだ、俺にはおばさんという強い味方が!大丈夫だ、問題ない!おばさん愛してるぅ~!」
悠祐が言うなり飛び上がり、下宿の方向に山彦ポージングする賢二。道路を挟んだ斜向かいを他校の女子がクスクス笑いながら歩いている。嗚呼、恥ずかしい…。
「ていうかユウ、僕の貞操の危機に助けに来なかったのはどういう了見だ?」
じろりと悠祐を睨む。
すでにそこには悠祐はおらず、先程の女子のそばで何やら話をしている。
「「「早すぎだろ」」」
三人でハモってしまうほど素早かった。
去年の夏、空手王になると豪語していた男は一年後の今、ナンパ王への道を爆進中だ。だが、背も高く、ルックスもいいのにナンパ成功率0%とはどういうことか。空手部、大丈夫か…?
毎度のことながら、退屈しない奴らだ。ちょっとした縁があって中学校からの付き合い。クセもあるが、何故か憎めない妙な友達、今じゃ親友とも言える。
何するにも四人一緒、同級生の女子からはホモ疑惑すらかけられたこともあったが…。
「あ、先輩方、お疲れ様ですー!」
不意に後ろから声がかかる。黒髪のポニーテールをなびかせた女の子が駆け寄ってきた。
部活の後輩の間宮琴子さんだ。紺色のブレザーがよく似合う。
「やぁ、間宮さん。今帰り?ていうか先に帰ってなかった?」
「ちょっと用事があって。そこに寄っていたら遅くなっちゃったんです」
僕の問いかけに答える彼女。指差す方向には、地元じゃ有名なケーキ屋がある。
僕はあそこのチーズケーキが大好きだ。ホールで買って賢二と食べ尽くすくらいに。大半は賢二が食ってしまうが…。
やはり財布を忘れたのは痛いなぁ。買って帰りたかった。
「買い物?」
「はい、誕生日ケーキを作るのに材料を注文していて。今受け取ってきたんです」
えへへ、と彼女は大きな買い物袋を見せる。結構な量があるようで、重そうに両手で下げている。
ふと賢二を見ればあんぐりと口を開けて店の前で呆けている。見た目は暴走寸前の人型決戦兵器さながらだ。…奴の事は放っておこう、うんそれがいい。
「いいねぇ、間宮さんに作ってもらえるなんて幸福者だよね」
「そんなことないですよー?機会があれば皆さんにも作りますし」
ニッコリ笑う彼女。
信隆の言うことももっともだと思う。
彼女の顔は整っていて美少女の部類に入る。ちょっとキツ目の目元は仔猫のようだ。
春の入学式で、会場の在校生から感嘆の吐息が漏れるくらいだったといえば分かりやすいだろうか。6月になる今までどれだけの修羅場があったのだろう。想像するのもコワイ。2年生の男子などは〈告白整理券〉なんて作っていたくらいだ。
無論、あのナンパ王が黙っているはずもなかったが、敢えなく撃沈。しかしながら、彼女は性格もよく、僕達に変な気遣いすることもなく普通に接してくれる。部活でも、廊下でも、街で偶然出会っても、だ。
かういう僕も彼女が気になっていた一人ではある。でもそういう素振りは見せていない。
怖いのだ。勿論、彼女が狂暴とかではなく、別の意味でだ。
過去に一度だけ同級生に告白したが、『背も小さいし、顔立ちも女の子っぽいから』と断られ、挙げ句にクラスで噂になっていた。今じゃちょっとしたトラウマになっているし、もうあんな思いはしたくない。まぁ、彼女に脈があるとも思っていないし。
「お、間宮さん、こんにちわ!今日も可愛いね!」
「三田村先輩、こんにちわ。夏の大会頑張ってくださいね!」
「おうよ!全国への切符は俺のものだ!」
ナンパ王が現れた!間宮さんは華麗にスルーした!ていうかマジで大丈夫か?全道大会再来週じゃなかったか?
「っとそうだ。なぁ真樹」
「ん?なんだよノブ」
思い出したように切り出す信隆。
「俺とユウで賢二を連れて帰るから、お前は間宮さんと帰りな」
「へ?」
間抜けな声をあげて固まる僕。
「お、おいノブ、なんだよいきなり」
「女の子一人で帰らせるつもりか?帰りの方角も一緒なんだし良いじゃないか」
ニカッと笑って悠祐が割り込む。そりゃいつもこの辺から俺は一人で帰ってるけど…てか悠祐、なぜお前は間宮さんの家の方角を掌握している?
「だよな、ユウ。お前じゃなきゃ賢二を運べないしな」
おいおい、そりゃ気になってはいるけどこの展開は急じゃないかい?
間宮さんをみればうつむいている。そりゃそうだよなぁ、いきなり男子と一緒に帰れなんて言われたらそうなるよね。
「ま、間宮さんは…」
「よ…よろしくお願いします…」
僕の声に顔を上げる間宮さんは、とても真剣な表情で僕を見ていた。
その白くて綺麗な顔は夕日に照らされ一層綺麗に見えた。