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聖母


 逃げなければ。

 ここで泣いていても、誰も助けてはくれない。

 あの方だって、こんな弱い私はお嫌いになる。

 でも、どうやって?どこから?それを考えるのが、今の自分の出来ること。

 泣いているだけではダメ。周りを見るの。きっと何かが見えてくる。

 少女は毅然と顔を上げた。

 窓を見上げる。そして首を左右に振る。

 窓はとても高い位置にある。外からは分からないが、鉄格子がはまっている。

 今度は暖炉に目を向けた。排煙口を覗き込む。通れる大きさではない。

 最後に、扉を見た。厳重に鍵が掛けられている。

 けれど、この扉は日に何回か開かれる。食事の為の時もあるし、聞き飽きた説教の為の時もある。

 説教の時は、屈強な神官兵達が扉の前に立って、どうしようもない。けれど、食事の時は運んでくる人だけで、他は誰もいない。

 今までずっと泣き続けてきた少女である。扉の前に取り縋ったのも、最初の一日だけだ。

 テーブルの上に置かれた燭台が、少女の目に留まった。手に取る。

 重さも大きさも、丁度良いように感じられる。

 彼女はそれを握り締め、何度も縦に振った。それから、僅かに顔を顰める。

「大怪我しないと良いのだけれど……」

 ポツリと呟いて、慌てて首を左右に振った。懸命に自分に言い聞かせる。

「帰るのよ…絶対に帰るの。そのために手段を選んじゃダメ」

 けれど……一抹の不安が、燭台を握る少女の手を僅かに震えさせた。






 ◆






 ラファエルは三日ほど休んで、ようやく学校に復帰した。

 以前と変わらないようで、やはり何処か違う。

 校外授業で外に出たとき、何かに怯えるように躊躇った。

「ラフィ?」

 声をかけると、笑顔で振り返る。

「なぁに?」

「…いや、何でも……」

 懸命に己を律しようとしている彼を問い詰める事もできず、クリスは言葉を濁した。

 それでも、日が経つうちに恐怖を少しずつ薄れていくようで、そんな行動も徐々に消えていった。

 ラファエルは強いと、クリスは思う。きっと立派な悪魔祓いになるだろうと、簡単に想像がつく。

 学校を卒業しても、すぐに一人前の悪魔祓いや狩人になれるわけではない。経験を積み、弛まぬ努力をして、ようやく世間に認められるのだ。

 途中、心が折れて挫折する者も少なくない。

 きっと、今の自分のように……

「クリス、何やってんの?」

 トランに声をかけられ、我に返る。

 教師の話は終わり、それぞれ散り始めていた。ラファエルもクラスメイトと薬草園の端に座り、話をしている。

「ほれ。お前もさっさと書く」

 薬草の写生。時に人気のない荒野にまで踏み込む事のある彼らは、自生する草木の事も当然知らねばならない。効果を覚えるのも当然だが、自らの手で写す事により、確実に形を覚えさせようというのがこの授業の狙いである。

 何処か精彩を欠くクリスを、トランが薬草の前に座らせる。隣にトランが座った。

「ラフィに心配されるようじゃ、終わりだぞ」

 トランが低い声で囁いた。クリスは溜息を吐く。

「…ゴメン」

「謝るくらいなら、さっさと書け」

 トランは素っ気無く答えて、自らもスケッチブックに向かう。成績優秀なトランは、絵心もある。大雑把だが、的確に特徴を捉えたスケッチをしてみせる。

 一方、クリスはあまり得意ではない。というか、壊滅的である。

「…なんだ、そりゃ……」

「……セージ」

 描くのはただの葉っぱだろうが…トランは思ったが、あえて言葉にしなかった。

 授業も終わりに近付いたころ、学校長でもある司祭が庭に現れた。場が僅かにざわめく

「ラファエル・ベイセル」

「はいっ!?」

 自分の名が呼ばれるとは、思っても見なかったのだろう。ラファエルの声がひっくり返った。微かな失笑が漏れる。

「クリス・リュシドール。トラン・シルヴァーナ」

 クリスとトランは顔を見合わせた。

「はい」

「うぃっす」

「来なさい」

 学校長は言葉少なだ。そう言ってさっさと背を向ける。

 クリスは教師を振り返った。教師にとっても突然の事だったのだろう。顔を顰めながらも彼らに向かって頷き、早く行くように身振りで示す。

 三人は荷物を纏め、ざわめく級友達を後ろに校舎内に戻った。中で学長が待っている。彼らが追いついたのを確認して、スタスタと歩き出した。やはり何も言わずに。

 彼らはその後に付いていく。

 トランは、何処か面白くなさそうな顔をしている。ラファエルからは心配そうな、不安そうな空気が滲み出ている。

 クリスはそんな二人を観察しながら、何処か冷静だった。

 滅多に足を踏み入れられない、教官棟へ連れられていく。

 教官棟で生徒が自由に出入りできるのは、職員室や各教科の準備室などがある入り口付近だけだ。その奥も勿論行けるが、教員の蠢く場所に近付きたがる生徒はいない。

 しかし、クリスとトランは通って三年目になる学校だ。構造くらいは知っている。

 教官棟の奥には、特別な聖堂がある。学校長の足はそこへ向かっている。

 クリスにも緊張が走る。

 この世界に悪魔がいるように…その対もまた確実に存在する。

 荘厳な扉が現れた。学校長が懐から鍵を取り出す。鍵もまた、精緻な彫金の施された立派な鍵だ。それを鍵穴に差し、ゆっくりと回す。

 乾いた音と共に、鍵が開いた。学校長の手によって、扉が開かれる。

「ここは天より、御使いの参られる場所……」

 学校長が口を開いた。何かを宣言するように、重々しい響きだ。

「天の意思を、我らにお伝えくださる天啓の間。そう呼ばれておる」

 古めかしい、独特の匂いが流れてくる。

 学校長が中に入った。三人も続く。

 高い天井。色とりどりのステンドグラスから、外の光が差し込む。重厚な造りだが、聖堂には違いない。これなら、大聖堂の方がよほど広くて立派だ。

「初めて聞きました」

 ラファエルが素直な感想を述べた。まだ日の浅い彼は、この聖堂の存在も知らなかったのだろう。目を輝かせて、辺りを見まわしている。

 クリスとトランは、流石にそんな気にはなれなかった。何処か冷ややかに学校長を見る。

「で?そんな場所に俺らを連れて来た真意を、そろそろ聞かせていただけませんかね?」

 トランは皮肉を込めた口調で訊ねた。

 学校長に対する言葉遣いではない。

 クリスは批難するようにトランを小突く。そして改めて尋ねた。

「どうして、この場所に僕たちを?」

「…先日の戦いを、ご覧になられていた方がいる。そのお方が、是非にと申されたのだ」

 三人はキョトンとする。その人は、ここを見せてどうしようというのか。

 その問いはすぐに答えられた。

 彼らの背後に羽音が響く。

「果敢に魔に立ち向かった幼子に、主の祝福あれ」

 聖堂に声が響いた。学長が両手を組み、膝をつく。

 三人は振り返り、唖然とする。

 まるで雪のように…光り輝く太陽の欠片が舞いおちる。真っ白な翼がステンドグラスから漏れる光に反射して、七色に輝いている。

 三人とも言葉が出なかった。

 天使。本物の。

 クリスは、天使というのは性別を感じさせないものだと思っていたのだが、どうやら違うらしい。顔立ちも、体の作りも、完全に男性に見える。

 けれど圧倒的な存在感は、想像をはるかに上回っている。

 彼はゆっくりと笑みを浮かべた。祭壇から降りてくる。

「拙いながら、見事な戦いだった」

 長い衣が天使の動きに合わせひらめいた。全てが白色の衣の中で、新緑色の帯が唯一の色で、目を引く。

「しかし、一人…紛い物がいる」

 天使が片手を挙げた。眩い光が宿る。

 クリスたちには、それがなんなのか解らない。解らないが、良いものではないと、直感した。

 光が眩さを増す。

「使者様!?」

 学校長が悲鳴に似た声を上げた。

 爆音がクリスの耳を劈いた。






 地面が揺れる。天井からパラパラと、微かな木屑が降ってくる。

 少女は突然聞こえた轟音に、身を竦めた。けれど立ち竦んでいる暇はない。足元には、皿が無残に散らばっていた。その中に、老年の男が一人倒れていた。

 謝罪の一言と共に振り下ろされた燭台は、見事男の後頭部へヒットした。男は昏倒している。

 念の為確かめると、呼吸も脈もちゃんとしていた。血も出ていない。コブになっている程度だ。少女はそのコブをさすり、もう一度謝罪の言葉を呟く。

 それから外へ出た。

 外は長い廊下が続いていた。高い天井は、ここも変わらない。

 スカートをつまみあげ、少女は走り出した。

 まるで迷路だ。複雑に通路が入り組んでいる。時折立ち止まり辺りを見回すが、今いる位置さえ解らない。

 とにかく外に出ようと思うのだが、外へ出る道も解らない。

「…こ、ここは何処……?」

 せっかく部屋から出ることが出来たのに、建物から出ることが出来ない。

 少女は泣きたくなった。

「どうしよう」

 誰かに聞こうにも、誰かとさえ出くわさない。勿論、遇ったら困る。

 再び轟音が響き、建物が揺れた。

 少女は顔を上げる。

「何の音だろう…?」

 音の聞こえた方へと歩き出す。

 闇雲に歩き回って、外に出られるとは思えない。とにかく、何かのきっかけが欲しかった。

 階段が現れる。そこを上り出た先は、先ほどと同じ様子の廊下……少女はがっくりと膝をつく。

 …ダメかもしれない……

「ごめんなさい、ラファエル様…シャロンはここで、神の御許に召されるかもしれません」

 誰が聞いても「大袈裟な」と突っ込んだだろう。

 少女・シャロンは、何とか立ち上がる。嘆いていても始まらない。

 とにかく、音の聞こえた位置を探ろうと、再び歩き出す。

 やがて、開けた場所に出る。

 突然、目の前の扉が吹き飛んだ。シャロンの目が真ん丸になる。

 そっと部屋の中を覗き込んだ。その顔に歓喜の表情が戻る。

「ラファエル様!」



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