プロローグ
もしかしたら、夢だったのかもしれない。
まどべに立ったその人は、キレイな白いつばさを持っていた。
神のみつかいだとわたしは思った。
でも、その人はあくまの赤いヒトミも持っていた。
まるで血のような赤…それさえもキレイだったから、やっぱり神さまがわたしをつれて行くのだと思った。
ふしぎな人は、それはキレイなほほえみうかべて、わたしに言った。
「幼い聖母…私はいつか、もう一度貴女の元を訪れよう」
スズのようなキレイな声。つめたい手がわたしのほほにふれた。
「その時貴女は、決して私を拒んではいけないよ。いいね?」
わたしはうなずいた。
今すぐつれて行ってくれないことはザンネンだったけれど……
いつかもう一度この人にあえるなら、それでもかまわないと思えた。
その人はわたしにそっとキスをしてくれた
「約束だ」
白いつばさがはためき、空へとまいあがる。
私の記憶はそこで途切れている。
朝起きた私はベッドの中で、窓は内側からきちんと鍵がかけられていた。そもそも、寝る前に母が鍵をかけたのだ。誰も窓辺に立つ事など出来ない。
ただ一つだけ…気になることがある。
翌日、窓を開けると、窓枠に不思議な模様が書き残されていた。
両親の顔が真っ青になり、慌ててそれを削り取ってしまったけれど。
赤黒い、血の様な色の模様。両親は怖がっていたけれど、私は少しも怖くなかった。それが彼の付けた目印だと分かった。だから、消されてしまうのが悲しかった。
それからすぐに、私たちは引っ越した。
今私は、あの家から遠い街に住んでいる。
時が過ぎ、あの日の出来事が、それこそ夢のように感じられる。
けれど私は毎晩窓辺に座り、彼に向かって祈る。
早く迎えに来てください
私はもう、十分大きくなりました
貴方にもう一度…お会いしたいのです……
夜の帳に、鳥の羽音が響く。
私の目の前に白い羽が一枚、雪の様に舞い降りた。
私は期待に胸を膨らませ、空を仰ぎ見た……
◆
広い部屋。踝まで埋まってしまうような毛足の長い絨毯。天蓋の付いた寝台には、銀糸の刺繍を施されたフカフカの羽根布団が乗っている。そして庶民には到底手の出ない、細部まで丁寧に彫り込まれた見事な調度品たち……
少女が一人、その中に放り込まれる。彼女は絨毯の上に倒れこんだ。
赤い法衣を纏った老人が大きな溜息を吐く。左右の若い神官たちも冷ややかな視線を向けている。
「しばらく、この部屋にいて頂きましょう。神に祈りを捧げていれば、どんなに愚かな事をしていたか…ご自信でも気付かれましょう」
冷徹な声と共に、扉が閉ざされる。
「出して!私は狂ってなんかない!!」
少女は扉に取り縋る。懸命に扉を叩くが、外側から鍵の掛けられたそれは頑丈で、決して開く事はない。
扉に点々と紅いしみが残される。それは徐々に弱まり、最後の一回は、音にもならなかった。
ボロボロになった手を付いたまま、もたれる様に。少女の体がゆっくりと崩れ落ちる。掠れた声が呟いた。
「開けて…お願い、帰して……あの人のところに帰して……!」
零れた涙は絨毯に吸い込まれ、誰に届く事もなかった。