マンイーター
――七月×日
今日はほとほと嫌になった。なぜ僕があれほどまでに言われなければいけないのか……。
しかも人前でつるしあげる様に怒鳴りつけるなんて魂胆が見え透いていて、余計に腹が立つ。辞める前になんとかあいつのほえ面を拝んでやりたい。
――この後上司の文句が一ページに渡ってつらつらと書かれているので中略
――帰りに久しぶりに酒を飲んできた。仕事の苛々を発散させたかっただけだったのだが、妙な男と知り合いになった。自称マジシャン、だそうだ。彼と話をしているうちに、あいつのこともどうでもよくなった。それほど気の良い奴だった。酔った勢いもあるが、初対面だと言うのに連絡先を交換した。また飲みに行く約束をしている。楽しみだ。――容疑者、田中俊夫の日記より抜粋。
*
次の日、僕は魔女マリアの自宅(豪邸)を訪れていた。昨日のうちにリサに連絡をつけてもらい、聞きこみ調査のついでに寄らせてもらえる事になったのだ。
今日僕と組んでいる尾上には、魔女の方から呼ばれたと言っている。こないだの事もあったので、疑うことなく信じてくれた。尾上の事だから詮索するのが面倒なだけかもしれないけど、それはそれで僕には好都合だった。魔女マリアに助言を求めるなんて事がばれたら始末書だけでは済まないかもしれない。今日のパートナーが尾上で本当に良かった。
こないだと同じ広間に通され、魔女マリアを待っている間、彼女に騙された事が脳裏を過ったが、過ぎた事をくよくよ考えていても仕方が無いので、気にしない事にした。魔女マリアも、僕を騙した事に少しくらいは負い目を感じていたのか、忙しいにも関わらず、リサの連絡一本で時間を作ってくれたので、それは大いに利用させてもらう事にする。それくらいは許されるだろう。
十分弱、手持無沙汰のまま待っていると、廊下に面した障子に人の影が動くのが見えたので慌てて居住まいを正す。一週間前に一度会っているとはいえ、相手は国際魔女協会の理事を務める、大魔女だ。やはり緊張してしまうのはしょうがない。
「あらぁ、慎ちゃん。いらっしゃい」
ふすまが開くのと同時に、魔女マリアは満面の笑みを浮かべて部屋に飛び込んできた。
まるで抱きつきかねない魔女マリアの様子が、前回会った時とギャップがありすぎて、僕は思わずたじろいだ。一週間前はこんな喋り方じゃなかったはずだ。
「あの、慎ちゃんって……?」
「ん? 慎太郎だから慎ちゃん。あだ名で呼んだ方が、親近感がわくじゃない?」
そう言って魔女マリアは僕の手を取った。なぜだか分からないが嬉しそうにブンブンと腕を振る。
――違う。こないだとあまりにもキャラクターが違いすぎる。魔女ミサといい、マリアといい、魔女っていうのはコロコロとキャラクターが変わるモノなのか?
「なにその顔。慎ちゃんは嫌だった? じゃあねぇ、『慎ちゃん』か『太郎ちゃん』か『しじみちゃん』どれがいい?」
――三択かよ! しかも、太郎ちゃんならまだ分かるけど、しじみちゃんって何だよ! 『し』しかあってないし、どういうネーミングセンスだよ。
「……その中だったら、慎ちゃんで……」
頭の中では本気でつっ込めるモノの、実際に口に出して言えるわけじゃなく、拒否権もなく決められたあだ名に軽いめまいを覚えながら言うと、魔女マリアは「じゃあ決まりね」と嬉しそうに手を叩いた。
「ところで慎ちゃん。今日は何の用?」
魔女マリアに訊かれて、僕は本来の目的を思い出した。――いかんいかん。ギャップに頭を抱えている場合じゃない。
「実は、マリアさんに聞きたい事があって来たんです」
気を取り直して真面目な顔で切り出すと、魔女マリアは「なぁに?」と小首を傾げた。
「『マンイーター』って、ご存知ですか?」
* マンイーター *
「まんいーたー?」
僕は言葉の意味が分からず、オウム返しした。魔女ミサは目を閉じ、黙々とカレイの煮つけを口に運んでいる。
「なんだそれは?」
「魔法の力を帯びた短剣ですね。斬りつけた相手の精気を吸い、斬られた相手を確実に死に至らしめる為、人を食うモノ、という意味の『マンイーター』と名付けられました。確か、呪われた短剣として長く魔女協会が封印していたはずです」
質問には魔女ミサの代わりにリサが答えた。両手にお茶碗とお箸を持ったまま、得意げに答える姿は、どこか僕の頭に優等生という言葉を思い起こさせた。
「この事件はその短剣が使われていると言うのか?」
「そうだ。恐らく間違いないだろう」
ミサが横目でちらりと僕を見る。そしておもむろに箸を置き、面倒くさそうに口を開いた。
「マンイーターで斬られた者は、切り口から精気を吸われる為、どんなにかすり傷だったとしても、遠からず意識が無くなる。被害者が意識不明に陥るのはその為だろう。そしてマンイーターは斬りつけた相手の精気を、時間をかけて根こそぎ吸い尽くす。残念だが、被害者はもう二度と目覚める事は無いだろうな」
ミサは淡々と言った。体温を感じさせない、冷たい声だった。
「なんだよそれ……なんでそんなものが使われるんだよ。魔女協会が封印してたんだろ?」
「そんなこと知るもんか。おおかた盗まれでもしたんだろう」
「じゃあ、犯人は魔女?」
「さあな」
「被害者を助ける方法は?」
「知らん」
「じゃあ、犯人の手掛かりは?」
「わたしが知るわけがないだろう。自分の頭を使え」
ミサのもっともな意見にぐうの音も出なかった。確かに言ってる事は正しいが、とにかく冷たい。こいつには被害者に対する同情を一切感じなかった。
「マリアさんでしたら、何か分かるかもしれませんね」
どうしたものかと頭を悩ませていると、リサが助け船を寄越した。チラリとミサの顔を窺う仕草をする。何かを確認しているようだった。
「連絡、してみましょうか?」
少し考えた後、僕はリサの提案に乗っかる事にした。もし犯人がミサの言うとおり、そんな危険な物を持ってるんだとしたら、くわしい人物に話を聞いた方が早いと思ったからだ。
魔女マリアにもう一度会う事に多少の抵抗が無かったわけではないが、今魔女マリアと連絡を取れるのはリサと繋がりのある僕だけなので、そうも言っていられない。僕個人の感情よりも事件の解決が最優先だ。
*
「どこだったかしら?」
魔女マリアは自室の書棚にある本を片っ端から取っては投げ、取っては投げを繰り返していた。僕は入り口付近に立ち、それをボーっと見ている。魔女マリアの後ろに次々と積み上がっていく本を目で追いながら、後で片付けるの面倒だろうな、と思いつつ口を挟む事はしなかった。
やがて、積み上がった本の向こうから「あ、あった」と声が弾んだ。
「これがマンイーターよ」
マリアの見せてくれた本には、やはり読めそうで読めない字と共に、美しい装飾の施された短剣の絵が載っていた。なるほど古めかしい、いかにもアンティークな短剣。と言った感じだ。
「確かにマンイーターは、もう百年以上長老会が厳重に封印して、管理していたわ。こんな危険な物を野放しにしておけないものね」
「その短剣は、世界に一本だけしかないんですか?」
「ええ。協会が管理している物しか存在しないはずよ。これはね、大昔の魔女が自分の力を永遠のものにしようと作りだした物なの。マンイーターが吸い込んだ精気は術者の魔力に繋がってるのね。史実ではコレを使ったのは制作者でもある魔女ただ一人だけ。だから製法はもちろん、材質も術式も不明。作った本人はこの短剣のせいで命を落としているから、複製を作る事は出来ないわ」
という事は、犯人は協会が保管しているはずの短剣を使って犯行を行っているって事なのか?
僕の考えを読んだのか、魔女マリアは本に目を落としながら、本当にこれが使われたの? と言った。
「詳しい事は協会本部に問い合わせてみないと分からないけど、協会が保管している物が使われるなんて事は、あまり考えられないわね。保管庫は最新のセキュリティに加えて優秀な魔女が六人体制で二十四時間見張ってるから、盗み出すことはまず不可能よ」
「もし、盗み出されたんだとしたら、犯人に心当たりはありますか?」
質問しながら僕は、これは聞きこみというより尋問に近いな、と思った。もちろん魔女マリアを疑っているわけではないが、もし犯人が本当にマンイーターを使っているんだとしたら、疑わしいのは協会の人間だ。
僕の質問に魔女マリアは、腕を組みしばらく考えてから、「ないわね」と答えた。
「保管庫に出入りできるのは協会の中でもごく一部の人間だけなの。彼らが盗むとは思えないし、さっきも言った通り、外部の犯行も考えにくいもの」
「そうですか……」じゃあ、一体何者の仕業なんだろう。
「マンイーターはね、月の影響を強く受けるの」と、魔女マリアは本の中の一文を指差したが、当然僕には読めなかった。
「恐らくこれを作った魔女が、夜の魔法を得意としていたのね。マンイーターの効果は満月の夜に最大の力を発揮するわ。逆を言えば、新月の時にはほとんど力を出す事が出来ないのよ」
なるほど、と思った。
犯人は、最初の犯行から二週間以上開けて、二件の犯行を続けざまに行っている。そう言われてみれば、二件の犯行が行われたのは、満月の期間だったはずだ。
「じゃあ、次の犯行も満月に行われる可能性が高いですね」
僕がそう言うと、「本当にマンイーターが使われているならね」と魔女マリアは付け加えた。まだ完全には信じられないらしい。
「この本、貸していただく事は出来ますか?」
と訊ねると、魔女マリアは難色を示したが、しばらくの葛藤の後渋々頷いた。
「もしマンイーターが使われてるのだとしたら、それは完全に魔女協会の落ち度だわ。その本が捜査の役に立つなら、貸さないわけにはいかないわね」と、本を差し出す。
僕が本を受け取ると、手を離す前に、鋭いまなざしで「絶対汚さないでね」と念を押された。
魔女マリアの家を出る際、一つ大事な質問を忘れていた事を思い出し、僕は思わず「あ、そうだ」と声を上げた。玄関まで見送りに来た魔女タバサが不思議な顔をする。
「マンイーターで斬られると確実に死に至ると聞いたんですけど、被害者を助けることはできないんですか?」
さすがにもう一度戻って魔女マリアに質問するのは気がひけたので、魔女タバサに訊ねてみる。
「マンイーターは術者の意志とは関係なしに、斬った者の生気を吸い取ります。ですから、術者を倒したとしても、マンイーターが存在する限り、被害者は生気を吸い尽くされてしまうでしょう」
魔女タバサは手を前で合わせ、姿勢よくまっすぐに僕に向かったまま、表情一つ変えずに答えた。心なしか、昨日のミサを思い出す。魔女付きの魔女は皆こういう感じなんだろうか? 感情というものを感じさせない、無機質な冷たさがあった。
「……言いかえれば、術者が生きていても、マンイーターを破壊してしまえば、生気を吸われる事は無くなります。被害者の方も、助かるでしょう」
「どちらにしても、まずは犯人を見つけないとダメってことか……」
落胆しつつ玄関を開けると、外で待っていた尾上が明らかに暇を持て余していて、ようやく出てきた僕を見るなり、「遅い」と文句を言った。
「葛城くんが魔女マリアの家に行くって言うから、また御馳走してもらえるのかと思ってたのに」と頬を膨らませる。
仕草は子供っぽいが、尾上は明らかに苛立っていた。当てが外れたのがよっぽど悔しかったのか、帰りの車内でも延々文句を言われ続けたので、いい加減観念した僕が仕方なく、今度奢りますから、と言う事でようやく機嫌が直った。
尾上の食い物の恨みは恐い。……これが今日得られた教訓だった。