通り魔事件
「通り魔ですか……」
朝礼後の班ミーティングで宮内が呟いた。宮内の目の前では長沼先輩が腕を組み、険しい表情を浮かべている。
「それがどうかしたの?」と尾上は背もたれに寄りかかり、しきりに爪を気にしながら興味もなさそうに声を出した。
「県警の方から直々に応援要請があったんだと。それで、俺たちにおはちが回ってきたって訳だ」
「県警から応援ですか。ってことは、魔女関係?」
「いや、まだわからねぇ。ただどうにも不可解な事件らしい」
先輩はそう言うとテーブルに身を乗り出した。
「実はな、この通り魔、ここ一カ月余りでもう三件も事件を起こしてるんだが、足取りが一切つかめねぇらしい。っつーのも、被害者がみんな意識不明になっちまうからなんだ」
「なに? 相当な重症ってわけ?」
話に興味を引かれたのか、尾上は爪を気にするのをやめ、話に参加した。
「いや、通り魔っても、ナイフのようなものでチラッと切られるだけで、傷は大した事ねぇンだわ。被害者もその時は大騒ぎするが、すぐに落ち着いて、元の生活に戻ってる」
「でも、意識不明なんですよね?」と宮内が確認する。
「ああ。原因はわからねぇが、被害者はみんな、事件から一週間以内に意識不明に陥ってる。それも、仕事中に突然倒れたり、寝ている間に陥ったりと、状況は様々だ」
先輩は背もたれに体をつけ、煙草に火をつけた。一口煙を吸い込むと、深く吐き出す。煙草独特の匂いが鼻をついた。
「みんな病院で治療を受けてはいるが、検査しても異常なし、しかも原因がわからねぇから、手の施しようが無いらしい」
「犯人は分かってるの?」
「一応断定はできないが、めぼしい容疑者は浮かんでるらしいぞ」
そう言って先輩は懐から一枚の写真を取り出し、テーブルに投げた。
「田中俊夫、三十六歳。保険会社の係長さんだ」
全員の視線が写真に注がれる。きちんと背広を着て、髪を七三に分けた、いかにも几帳面そうな、気の弱そうな男が映っている。
「この男が……?」と宮内が訊ねる。
「第一容疑者だ。家宅捜索で色々と押収されてる。その中に日記があってな、ナイフの事が書かれていたらしい」
「んじゃ、早く捕まえればいいじゃない」
容疑者が浮かんでいると聞いて興味を失ったのか、尾上はまた爪を気にし出した。一体爪の何が気になるんだろう? と、僕はそっちの方が気になった。
「それが、そうもいかねぇンだ」
「と、言うと?」宮内は写真を手に取り、写真と先輩を交互に見る。
「足取りがつかめねぇって言ったろ? 事件当時からそいつは行方不明なんだよ」
* 通り魔事件 *
「おい、葛城」
ミーティング後、廊下に出た僕は先輩に呼びとめられた。
「お前、何かあったのか? 珍しくミーティング中も上の空だったし、今日なんか変だぞ」
図星をつかれて少し動揺した。ミーティングの間中ずっとリサの事が頭の中をぐるぐると回っていて集中できなかったのがすっかりバレていたらしい。
それでもなんとか平静を取りつくろった。まさか「魔女が家に転がり込んできたんです」なんて口が裂けても言えるわけが無い。
なんでもありません、と敬礼をすると、納得のいかないような顔ながらも、深くは追求しようとはせず、少しの沈黙の後、先輩は「ま、ガンバレや」と言って背を向けた。
「あ、先輩」と慌てて呼びとめる。
「あの、変な質問してもいいですか?」
先輩は少しだけ振り返ると、「なんだ?」と面倒くさそうに口を開いた。
「魔女リサって、一体何の容疑で指名手配されてるんですか?」
僕は気になっていた質問をぶつけてみた。
先輩の顔が一瞬険しくなったのを見て、うかつだったかな、と後悔が顔をのぞかせるが、もう言葉を取り消すことはできない。
「魔女リサ、か。……お前も知ってるだろ? あいつはその存在自体が危険指定されている。容疑なんてねぇよ。あえて言うなら存在自体が罪だ。なんだってそんな事を今さら訊くんだ?」
そう言って先輩は目を細め、じっとなめる様に睨みつけた。
「いや、その……」
――軽率な質問だったか。
最近魔女リサに接触したのは僕だけだ。その僕が魔女リサについての質問をするという事は、自らリサと繋がりがあると白状しているようなものに近い。
もちろん、そういった事に聡い先輩が気付かないはずもなく、先輩の視線を前に僕の頭に「懲戒免職」の言葉が浮かんだ。
「まぁ……」しばらくじっと睨んでいた先輩が、ふと表情を緩めた。「俺はお前を信じてやるよ。お前が言いたくないなら深くは訊かねぇけど、お前が間違った事をするわけねぇしな」
そう言って、豪快に笑った。落ちこぼれのお前が何かできるとも思えねぇしな、とも言った。
その夜。通り魔事件の資料を持って帰宅すると、一人増えていて、僕は昨日同様、玄関で固まった。
「おかえりなさいませ」とキッチンで笑顔を見せるリサの横に、険しい顔で立っているのは魔女ミサだった。
「なんでお前もいるんだよ……」深いため息とともに僕はそう呟いた。
「お前とリサ様を二人きりになど出来るか。こんな狭い部屋にリサ様を押し込めて、貴様は一体何をしているんだ?」
僕を見るなり魔女ミサはいきり立った。今にも金縛りをかけてきそうな鋭い目をしている。
――おいおい、ついこないだまで敬語だったくせに、急に貴様呼ばわりかよ。
「大体なんだ、この汚い部屋は。リサ様に申し訳ないと思わんのか?」
「知るか! お前らが勝手に押し掛けてきたんだろうが」
ミサの剣幕に煽られて、つい声が荒くなった。
「だからわたしは貴様なんかを騎士にする事には反対だったのだ」
「俺だって好きでなったわけじゃないよ。嫌なら帰ってくれ」
「貴様……それでも騎士か! リサ様をお守りするつもりがあるのか?」
「ついこないだなったばかりだろうが、そんなもん分かるわけ無いだろ」
二人の人間が声を荒げていると、ただでさえ狭い部屋が余計に狭く感じた。
苛立ちのあまりうまく脱げない靴を叩きつける勢いでたたきに放り投げ、部屋に上がると、テーブルに資料を投げつけ気味に置いて、僕はどっかりとあぐらをかいた。
「なんでお前がいるのかは、この際訊かないでおいてやる。お前はリサ付きの魔女だからいてもおかしくないのかな、とは思う。でもな、ここは俺の部屋だ。この部屋ででかい顔はさせないからな」
「貴様……」と憤るミサに、今まで黙っていたリサが「やめなさい」と声をかける。すると途端にミサは跪き、不服そうにしながらも黙り込んだ。
「葛城様、申し訳ありません。わたくしは来なくてもいいと言ったのですが、どうしてもとミサがきかなくて……」
と、頭を下げるリサを見て、僕の頭も冷えた。
「別に怒ってるわけじゃないよ」
……とはいえ、ミサの視線が気になる。リサの命令で文句を言う事だけはやめたが、目が未だに文句を言っていた。
「……そもそもどうして家に来たんだ? 俺は騎士になるとは言ったけど、一緒に住むとは言ってないぞ。それに、魔女の騎士が何をするものなのかも聞いてないし……」
この際だから訊いてみる事にした。
何も分からない上に、帰ってくるなりミサに文句を言われれば、そりゃ頭に血が上るよ、とため息をつく。
「……リサ様の命を守るのが騎士の務めだ。その為にはいつでも危機に備えなくてはならん。はなはだ不本意だが、一緒に暮らすのは当然だと言える。それに、本来なら仕事も辞めなければならん。有事に備えて常に傍にお仕えするのが理想だ」
ミサが跪いた状態で呻くように言った。
「お前の占いではリサの危機は二十二歳になってからだろ? だったらその時に何とかすればいいんじゃないのか? 別に一緒に住む必要はないだろう。それに、仕事は辞めるつもりは無いからな」
「お前は騎士としての自覚が足らんのだ」
「自覚云々の話じゃないだろ……常識の話をしてるんだ。俺だって生活する為には仕事が必要だろ。やっと念願のSCSに入隊できたんだから、辞める訳にはいかないんだよ」
「ごめんなさい。ご迷惑……でしたか?」
ミサとの喧嘩腰のやり取りに、リサがおずおずと口を挟んだ。手におたまを持った状態で窺うような視線を注いでいる。
「いや、そういうわけじゃないよ。売り言葉に買い言葉と言うか……その……」
リサの訴えるような眼差しは反則だと思う。この目で見られると何も言えなくなってしまう。迷惑じゃないと言えば、嘘になるんだけど……。
――ああ、もうどうでもいいか。
僕はテーブルに投げた封筒から通り魔事件の資料を取り出し、テーブルに広げた。
容疑者、田中俊夫の写真から、略歴、会社での仕事ぶり、近所の訊きこみの結果、失踪までの足取りなどが細かい文字で何枚にもわたって書かれている。この手の資料は細かいばかりで内容が薄いのが難点だった。情報部の連中は読む方の身になって書いているんだろうか?
ざっと目を通しながら、事件のあらましを整理する。
今から約一カ月前の七月初旬に最初の事件が起きている。
被害者は二十四歳の女性会社員。仕事帰りの夜道で襲われている。被害当時の証言によると、背が高く、痩せ型の男に襲われたと言っている。現在意識不明。
第二の被害者は最初の事件から十六日後。この事件から連続通り魔の疑いが持たれた。
被害者は五十二歳、倉庫作業員の男性。週末、居酒屋で飲んだ帰りに襲われている。
最初の被害者同様、腕を少し切られただけで命に別条は無かったが、現在意識不明。
第三の事件はその二日後、十二歳の女の子が襲われている。
塾の帰り、時間にして夜の九時を少し回った頃と証言している。街路灯の無い、薄暗い通りだったので犯人の顔は見ていないとのこと。幼い子供だけに、その恐怖は計り知れないモノがあったのか、今までの被害者よりも動揺が激しく、落ち着くまで事情聴取は行わない方針がとられ、その間に意識不明に陥っている。
最後の被害者から二週間あまり、事件は起きていない。
「葛城様、お食事の用意が出来ました」
リサがキッチンから料理を乗せたトレイを持ってくる。僕はとりあえず広げた資料をテーブルの下に置き、食器を置くスペースを確保した。
小さいテーブルに次々と料理が並べられる。相変わらずむっつりした表情を浮かべたまま、ミサも手伝いながら、あっという間に三人分の料理がテーブル一杯に並べられた。
「今日はカレイの煮つけです。どうぞ、お召し上がりください」
リサが差し出した箸を受け取る。立ち上る料理のいい香りに腹の虫が鳴いた。
どうやら、リサは和食全般が得意なようだった。その腕前は外見の年齢にそぐわない、プロ顔負けの腕前で、昨日初めて食べた肉じゃがの味に、僕の胃袋はすっかりやられてしまったようだ。
「んじゃ……いただきます」
遠慮なくカレイの煮つけに箸をつけた。箸を入れるとほろりと身がほどける。煮具合も完璧だ。
口に運ぼうとすると、ミサと目が合った。じっと睨みつける視線が気になって、どうにも食べづらい。
「何を読んでらっしゃったんですか?」
ミサと無言の睨みあいをしていると、正面に座ったリサが、テーブルの下に置いた資料を気にしながら口を開いた。姿勢よく箸とお茶碗を持つ姿が、なんとも可愛らしかった。
「これ? 仕事の資料だよ。今度通り魔事件を扱う事になってね」
「SCSの方はそういった事件も扱うモノなのですか?」
「いや、今回の事件は特別だよ。県警から応援があったんだ。SCSは基本的に魔法犯罪以外には動かないから、もしかすると魔女がらみなのかも」
「ほう……被害者は皆、意識不明なのか」
いつの間にか資料を見ていたミサが呟くように言った。慌てて資料を取り上げる。当然のことだが、基本的に捜査資料を部外者に見せてはならない。情報が漏えいなんかしたら懲罰モノだ。
「確かに、その事件は魔女がからんでいるようだな」
資料を封筒にしまっていると、ミサは事もなげに言った。カレイの煮つけを箸でほどきながら、だ。
「な……わかるのか?」僕は目を丸くするしかない。
ミサは、さも当然だと言わんばかりに、僕の質問に無言で答えた。「こんなことも分からないのか?」と口元に冷笑を浮かべているのが気に入らないが、分からないモノは仕方が無い。大体先輩ですら分からない事が僕なんかに分かるわけが無いんだから、普通の人間に分かる事ではないんじゃないかと思う。
「……教えてくれ」と頼んだ僕の顔は、恐らく屈辱に歪んでいただろう。ミサの人を見下したような目が刺さり、腹の奥がざわざわした。
しばらく無言で冷たい目を向けていたが、やがてミサは箸を置き、静かに口を開いた。
「被害者が事件後、意識不明に陥っている。そして、凶器がナイフである。この二つから考えられる事は……」
僕はごくりと喉を鳴らした。
「恐らく、『マンイーター』だ」