プロローグ
――六月○日
疲れた。最近書き出しがいつも同じ言葉になってしまっている。それほどに疲れた。
毎日毎日、こうも残業が続くと本当にこのまま仕事を続けていても良いのだろうかと、考えてしまう。年齢的にも、再就職するにはギリギリだし、真面目に転職を考えてみようかとも思っている。
今日は満月だった。夜空に浮かぶ大きな月は、キレイでもあり、また少し不気味でもあった。六月だと言うのに生暖かい風が肌寒く、駅からの帰り道に苦労した。疲れた体に吹きすさぶ風は少々こたえたようだ。
そうそう、帰り道で妙な物を拾った。道端に革の入れ物が落ちていたので一瞬財布かと喜んだが、中には見慣れない文字の書かれた紙が一枚と、年代物のナイフが一つ入っていただけだったので、多少がっかりしたが、これはこれで値打ちがありそうなので、後で質屋にでも持って行ってみようかと思う。少しは家計の役に立つといいのだが。――指名手配中の容疑者、田中俊夫の日記より抜粋。
*
「なんだ、これは?」
家に帰ると室内が一変していた。見慣れたワンルームが、まるで違う部屋のようになってしまっている。実際部屋を間違えたかと一瞬本気で焦った。一度玄関を出て、ドアを確認したくらいだ。
魔女リサに騙される形で騎士に任命されて五日が経っていた。
その間、リサからの連絡も無く、僕にとっては拍子抜けするほど普段通りの生活だったのだが、変化は玄関を開けると唐突にやってきた。
僕は固まったままその光景を見ていた。
「おかえりなさいませ。葛城様」
綺麗に整理された室内で、きちんと三つ指をついて魔女リサが出迎えている。
――なぜここに魔女リサがいるんだ。
「葛城様のお好きな料理が分からなかったので、失礼ながらわたくしの得意料理を作らせていただきました。お口に合うかわかりませんが、どうぞ、召し上がってくださいませ」
玄関を開けたまま立ちつくしていた僕は、その言葉で玄関わきにあるミニキッチンに目を向けた。いつもインスタントラーメンを作るくらいにしか活用していなかったコンロの上に、今まであるだけで一度も使った事の無かった大きめの鍋が乗っている。和食独特の出汁の良い香りが漂っていた。
「……とりあえず、質問していいか?」
僕はどうにか状況を整理しようと頭を抱えた。
「どうぞ」
「なぜお前が家にいるんだ? 鍵はどうした」
「鍵なら、ミサの魔法で開けさせました」
「…………」
ほんの少しズキンと頭が痛んだ。
「……部屋が見たことも無いような荷物で溢れているのは?」
「申し訳ありません。わたくしの荷物なのです。まさか葛城様のお住まいがこれほど狭……あ、ご、ごめんなさい」
言いかけて魔女リサは慌てて頭を下げた。頭が痛い。
「……状況が理解できないんだけど、お前は何をしにここに来たんだ?」
状況からして恐らく分かりきっているであろうことを、あえて質問してみる。
すると、魔女リサはもう一度きっちり三つ指をついて深々と頭を下げた。長い髪が床に広がる。
「ふつつか者ですが、どうぞよろしくお願い致します」
――やっぱりそうか……。状況が状況だけに、薄々そうじゃないかなぁ、とは思ったけど……。
魔女リサはここに住む気だ。
この時の僕は受け入れがたい現実に頭を痛めるばかりで、まさか世間をにぎわせている通り魔事件にかかわるなんて思いもしていなかった。ましてやそれがリサの騎士となった僕の初仕事になるなんて事も、この時はまだ知らない。
新章開始です。
今まで通り、5000文字くらい、10話以内に完結する予定です。




