指輪の真実
「さてさて、どんなおもてなしが待っているのやら」
前を走るバイクを眺めながら、先輩が楽しそうな笑みを浮かべるのがルームミラーの中に見えた。
魔女タバサのいかにも怪しげな誘いに、先輩は二つ返事でついて行くと決めた。「予言されてるんじゃ、仕方ねぇよな」と言った顔が好奇心に満ちた子供のようだったのが僕は恐かったが、班長の方針には従わなければならない。
「それではご案内いたします」と魔女タバサが大型のバイクにまたがった時は、さすがに面食らった。魔女が箒にのって空を飛ぶのなら納得がいくんだけど、1000CCはあるかという大型のバイクで颯爽と走る姿は想像できなかった。が、僕の貧困なイメージをあざ笑うかのように、前方のバイクは僕達をスムーズに誘導してくれている。
「先輩は恐くないんですか?」
前のバイクを見失わないように気を配りながら、ルームミラー越しに先輩に話しかける。
「一応、篠田に連絡はしてあるし、俺らの居場所はGPSで丸分かりだから、何かあったらあいつが何とかしてくれるだろ」
「それに、ホントにおもてなししてくれるのかもよ? 魔女マリアって言ったら、大金持ちじゃん」
助手席で尾上がにわかにはしゃいだ。この状況でそう考えられる思考は、素直にすごいと思える。けど、同時にそんなに楽観的でいいのかな、とも思ってしまう。
「尾上さんは楽観的すぎですよ。一応罠に備えて防御の準備を怠らないでください」
後部座席から宮内の冷静なつっこみが入った。
尾上がつまらなそうに「はいはい」と答えるのと同時に、前方のバイクがウインカーを出して、6号バイパスを降りる。いよいよ魔女の屋敷が近いようだ。
「行きますよ?」と念のため確認して、僕も後に続いた。
魔女マリアの屋敷は125号線から一本奥へ入った、真鍋町の住宅地に建っていた。回りに古いアパートが建ち並ぶ中、その屋敷だけがひと際大きく、異彩を放っていた。
呆気にとられながらも大きな門をくぐり、僕達が乗ってきたセダンくらいなら十台以上は停められるほどの広い庭の一画にゆっくり駐車し、車を降りた。
「話には聞いてたけど、実際すげぇ屋敷だな」
眼前にそびえる(そびえると言った表現がよく似合う)豪邸を見上げて、誰もが感嘆の声を上げた。純和風の豪邸は、一見するとどこかの宗教団体の総本山のようにも見える。
屋敷の裏へバイクを回して、魔女タバサが近づいてくる。僕達は皆、そろいもそろって呆けた顔でそれを見ていた。
「どうぞ、コチラへ」
* 指輪の真実 *
玄関の引き戸をくぐると、幅2メートルはあろうかという廊下がTの字にまっすぐに伸びていた。ヒノキだかスギだかは分からないが、太くて立派な柱が両側に立ち、床は隅々まで磨かれ、まるで鏡のように僕達の姿を反射している。玄関のたたきにしても、田舎とはいえ一般的な住宅の二倍、いや三倍の広さはあるだろうか。ここまで来ると感嘆を通り越して、金ってのは、ある所にはあるんだよなぁ、と世の中の不公平を呪いたくなる。
「どうぞ、おあがり下さい。広間へご案内いたします」
魔女タバサの案内で通された広間は、大昔のお城を思い起こさせるような広い和室で、大人が十人は一列に並べるほどの長いテーブルが中央に置かれていた。
「主人を呼んで参りますので、どうぞおくつろぎになってお待ちください」
そう言って魔女タバサは、キチンと廊下に膝をつき、丁寧にふすまを閉めた。
「……魔女マリアはどうしてこんな金持ってるんですか?」
考えられないほどの大部屋を見渡してため息をつく。自分の住んでいるワンルームとは、えらい違いだった。
「魔女マリアは日本全国の魔女に雇用を提供している」
宮内が平然とテーブルの真ん中あたりに腰掛ける。
「雇用?」
と僕が訊ねると、宮内の説明を引き継ぐように尾上が口を開いた。
「人材派遣みたいなもの? 言ってみれば魔女マリアは、魔女でありながら、人材派遣会社の社長でもあるわけ」
「しかも、国際魔女協会の理事でもある、と」
最後に先輩が得意げに説明を加えた。
「おちこぼれのお前でも、さすがに国際魔女協会くらいは知ってるだろ?」
もう長沼班のみんなに落ちこぼれと呼ばれるのは慣れているとはいえ、ここまで馬鹿にされると、いくら僕でもへこむ。僕だって国際魔女協会くらいは知ってるよ。
魔女戦争以降、魔女たちが自分たちの人権を保護する為に設立したのが、国際魔女協会だったはずだ。
魔女法の設立に大きく関わった七人の魔女が当時加入していた『長老会』と呼ばれる、大昔から続く魔女同士のコミュニティが元となっており、現在、世界中の魔女のほとんどが国際魔女協会に参加していて、その存在は各政府に認められ、法的にも保護されている。
つまり、国際魔女協会に参加している魔女は、法的に人間と同様の存在であると認められているというわけだ。
「でも、そんなにすごい魔女がどうして茨城の田舎の方に拠点を置いてるんですか? 仕事をするにも、何をするにも、こんな田舎より東京の方が都合がいいのに」
僕が頭に浮かんだ率直な疑問を口にすると、皆、一様に呆れた顔になった。
「さすが、長沼班のおちこぼれ」と尾上。
「こんな奴がSCSの隊員とは」と宮内。
「お前と一緒だと、飽きないよ」と先輩。
「……なんかすいませんバカで」
なんだか分からないが、とりあえず謝る事にした。
「……それは」と、背後から声がして振り返ると、いつの間にか魔女マリアが立っていた。
「茨城が、特にこの土浦周辺とつくば市が魔女にとって都合の良い土地だからですよ」
魔女マリアの登場に班のみんなが居住まいを正したので、僕も慌てて背筋を伸ばす。ぎこちなくお辞儀をすると、魔女マリアは小さく微笑んだ。
「どうぞ、楽になさってください。お呼び立てしたのは私のほうですので」
「本日はどういったご用件で……?」
珍しく先輩が丁寧な言葉遣いで訊ねた。さすがの先輩でも緊張する相手なのかと思うと僕の緊張も跳ね上がる。
「そんなに警戒しないでくださるかしら。……ごめんなさいね。大した用事じゃないのよ。最近リサがSCSの隊員と接触したと、小耳に挟んだものだから。ご忠告を、と」
「魔女リサ……って、葛城?」
長沼班全員の視線が僕に集まる。
「あら、あなただったの?」魔女マリアは驚いたような仕草を見せ、にっこりと笑った。
「丁度良かったわ。ちょっとコチラへ来て下さるかしら」
と、ふすまを開け、手招きする。
二人だけで話をするという事だろうか? 簡単について行っていいものか分からず、先輩の顔を窺うと、「行って来い」と目で合図された。
「皆さまはおくつろぎになって下さいな」
魔女マリアは、傍に控えていた魔女タバサにお茶とお菓子を用意するよう指示を出して、部屋を出た。仕方なく僕も後に続く。
「あの、忠告って……?」廊下に出るなり、僕は真っ先に切り出した。魔女に一人だけ呼び出されると言うのは、なんとも居心地が悪い気がして、なるべく早く要件を聞きたかった。
「そうね、ここで立ち話するのも悪くないけれど、私の部屋で話しませんこと?」
魔女マリアは口元に微笑を浮かべて、横目でちらりと僕を流した。
背筋がゾクリとして思わず息をのむ。飲みこまれそうな眼差しだ。
魔女マリアの部屋は先ほど僕達が通された広間の反対側、長い廊下をまっすぐに行ったつきあたりにあった。
魔女マリアが音も無くふすまを開けると、古い紙の匂いが鼻をついた。
「どうぞ」と手招きされて、中に入る。
足を踏み入れるなり、僕は異様な雰囲気に目を見張った。
先ほどの広間よりは幾分狭いが、それでも僕の住むワンルームなんかよりは全然広い室内は、壁に天井まである大きな書棚が作りつけられた洋室になっていた。入口のふすまから洋室に入ってくるのは少し違和感があったが、こういう作りなのだと言われれば、納得できそうな気もする。
が、部屋の様相は異常だった。壁一面に作りつけられた書棚には古めかしい本が隙間なく埋め尽くされている。しかも入りきらない本が床に積み上がっていて、室内に何本もの本の塔が出来あがっていた。
何の本なのかとざっと背表紙を見てみるが、見たことも無い文字が書かれているだけで、僕には何の本なのか、さっぱり分からない。
部屋の奥、庭に面した一面のガラス窓の前に、大きな机が広い室内で存在感を主張している。机の上には書棚から溢れだした本が山のように積み上がっていて、椅子の前には、読みかけなのか、開いたままの本が置かれていた。
「おどろいたかしら?」
背後から魔女マリアに話しかけられて、我に帰る。
「い、いいえ。あの、少しだけ……」
「遠慮しなくていいのよ。この部屋に入った人は、みんな同じ反応をするわ」
うふふ、と魔女マリアは上品に笑った。
「私はね、コレクターなの。ここにあるのは世界各地から集めた魔法の教本なのよ」
と、近くにあった本を一冊手に取り、開いて見せる。開いたページにはアルファベットに似た文字がびっしりと詰まっていた。試しに目を通して見るが、普段見慣れている英文とは明らかに違っていて、読めそうで読めない。
「それで、あの、忠告っていうのは?」読むのを諦めて、要件を訊ねる。
「ああ、そうね」と本を閉じて書棚にしまうと、魔女マリアは僕に向き直って、まっすぐに僕の眼を見た。
思わず喉が鳴った。今まで緊張と恐怖でまともに顔を見れなかったが、改めてみると、息をのむほど整った顔立ちをしている。やっぱり、魔女っていうのは美人が多いらしい。
「あなた、リサに何を言われたかしら?」
「何……って、何の事ですか?」
「騎士に」魔女マリアの口元が怪しく歪んだ「なって欲しいと、言われなかった?」
言葉が出なかった。図星をつかれたからではなく、今まであまり感じなかった魔女と相対した時の威圧感のようなものを、突然感じたからだ。急激に緊張がピークに達して額に汗が滲んだ。
「ど、どうしてそれを?」
「指輪を……うけとったわよね?」
指輪と聞いて、僕は無意識に指にはめた指輪を触った。
「そう、やっぱり……」
視線を下に落として魔女マリアは小さく息を吐いた。
「その指輪はね、本来契約に使うような指輪じゃないのよ」
僕の横をするりと抜けて、机の前に行くと、魔女マリアは開いたまま置いてあった本を手に取り、僕に見える様に広げて見せた。
「この絵を見て頂戴。あなたの指輪と同じでしょう?」
本には先ほどと同じアルファベットに似た文字に埋もれる様にして、小さく指輪の絵が描かれていた。確かに、この指輪に似ているような気もする。
「その指輪はね、『アンジェリカの指輪』と言って、本来魔法の力を増幅させる為の装置なのよ。その指輪があれば、先の大破壊。あなた達の言い方をするなら、魔女戦争をもう一度引き起こす事が出来るわ」
「魔女戦争を……?」もう一度あの悪夢をリサが引き起こすと言うのか?
「わたしは長老会の一員として、二度とあんな事が起きないように、危険な物を封印して管理しなければいけないの。そういった意味では、今日あなたに会えたのはラッキーだったわ。まだ契約はしていないんでしょう? 指輪を渡してもらえるかしら」
本を机の上に戻し、魔女マリアが手を差し出す。
「……その話ぶりだと、契約してからでは遅いみたいですね」
「ええ、そうなのよ。騎士の契約に使われた指輪は騎士本人の意思と魔女の同意が無いとはずす事が出来なくなるの。たとえ指を切り落としたとしても、指輪の魔力で元に戻ってしまうわ」
今ならまだ間に合うわ。と優しい微笑みを見せる。僕は薬指の指輪をチラリと見た。
「それとも、リサの騎士になりたい?」
魔女マリアはそう言って怪しく目を光らせた。
――渡すべきだ。
魔女マリアの言葉を信じるなら、いや、普通に考えるなら絶対に渡すべきだ。
――だけど……。
僕は魔女マリアの言葉に妙な違和感を覚えていた。
「一つ、確認していいですか?」
と、僕が質問すると、魔女マリアは優しく微笑んだまま「どうぞ」と言った。
「あなたは国際魔女協会のトップである長老会のメンバーなんですよね?」
「ええ、そうよ」
「長老会は魔女と人類の共存を望んでいる、と僕は教わりました。それは間違いないですか?」
「ええ。もうあんな悲劇は二度と繰り返してはいけないわ」
「ええ。それは俺も同感です。……ところでどうしてそれを俺だけに話したんですか? こんな手の込んだ事までして、わざわざ俺達を呼びだしたりして」
「私は長老会の一員とはいえ、魔女だわ。残念だけど魔女の話を信じてもらうには時間がかかるのよ。その間にあなたがリサと契約を交わしてしまったら元も子も無いでしょう? 一刻も早くその指輪は封印しなくてはいけないの」
魔女マリアの目をじっと見てみる。……嘘を言っているようには見えなかった。
「分かってもらえたかしら?」
魔女マリアは白い歯を見せて、小首を傾げた。
「ええ、分かりました」
僕は左手を胸の前まで上げて、指輪に手をかけた。