占い師
出勤後、自分の机に座って僕は例の契約の指輪を眺めていた。
『一週間の後、必ずわたくしと契約をなさいます』
魔女リサにそう言われてから、今日で丁度一週間だ。
指輪を蛍光灯にかざしてみる。銀色の指輪は光にかざすと、淡い緑色に光って見えた。
細身のリングの中心に小さな赤い宝石が埋め込まれている。ルビーだろうか?
とりあえず指にはめてみようかと思った。魔女リサの言葉を信じるなら、はめただけでは契約にはならないはずだ。
右手の薬指には細すぎて入らない。小指ではブカブカだった。
左手の人差指なら何とか入るが、しっくりこない。仕方なく薬指にはめてみる。
意外な事に、はめてみるとこれが妙にぴったりだった。まるで以前からずっとはめていたかのような、自然な感じだ。
薬指にぴったりとおさまった指輪をしげしげと眺めながら「契約ねぇ……」と呟くと背後から「契約ねぇ」と同じセリフがしゃがれた声で繰り返された。
「お前な、いくら暇だからって朝礼をさぼっていいとは言ってねぇぞ」
振り返ると先輩の冷たい視線が頭上から降り注いでいた。
「お前はよっぽど始末書の書き方をマスターしたいらしいな。ん?」
「いえ! 申し訳ありません」
慌てて立ちあがり、即座に敬礼をした。
この一週間というもの、僕は始末書の書き通しだった。僕の仕事は始末書を書くことだ、と言っても誰も不思議に思わないくらいに、書いた。何枚書いたかはもう忘れてしまった。まぁ、それだけ失態を犯したのだから自業自得と言えなくもない。が、途中から室長が面白がって書かせていた事は明白だった。
新隊員の中でもこれほど多くの始末書を書いたのは僕くらいのものだろう。
「お前の存在は異例中の異例だ」と室長にからかわれたほどだ。顔は笑っていたが、目が笑っていなかったから、半分本気だったんだろうけど。
「なんでお前が受かったんだろうな」と、朝礼の列に戻ったにも関わらず先輩はなお呟くように言った。この一週間というもの、毎日のように言われ続けてきた言葉だ。このしつこさはすでにイジメだ、と思う。
「訓練は断トツの最下位。現場に出れば失態をさらして、書類の作成もままならないお前がどうして受かったんだ? 運か? お前は運がいいのか?」
そんなこと僕が知るか! と心の中で言い返す。ひどい言われようだが、ほとんどが本当の事なので口に出して言い返すことはできない。
「何かあるのかねぇ。実は超サイヤ人だったり?」と、先輩はふざけて笑った。意味は分からなかったが、からかっている事だけは分かった。
僕に何かあるんだとしたら、それを見抜いて魔女リサは僕を騎士に選んだのだろうか?
僕には自分も知らない不思議な力があったりして……って、子供じゃあるまいし、大の大人がする妄想じゃないな。
「そう言えば、魔女って、騎士を任命したりするものなんですか?」
僕が訊ねると、先輩は「ああ?」と怪訝な顔をしたが、すぐに「そんなことも知らねぇのか?」とまるで出来の悪い生徒を憐れむような顔になる。
「魔女にとって騎士ってのは力の象徴だ。力の強い魔女にしか騎士を任命できねぇし、また、任命した騎士の力を維持できねぇ。要するに騎士つきの魔女は、恐ろしく力が強いってことだ。これくらいSCSの隊員なら常識だろうが」
そう言えば、講習の時にそんな話を聞いた覚えがある、ような、無いような……。僕は一体何を勉強してきたのだろう、と自分で自分が情けなくなる。
「魔女の騎士ってのは人間から選ばれるらしいけど、お前みたいな落ちこぼれは絶対選ばれねぇだろうな」
選ばれるとしたら俺みたいなすげぇ人間だ、と先輩が豪快に笑った。
「もし、もしですよ? SCSの隊員が騎士に選ばれたりしたら、どうなりますか、ね?」
なるべく平静を装って探りを入れてみる。実は僕、誘われてるんです。……なんて言えないよなぁ、やっぱり。
先輩は一瞬「何言ってんだコイツ?」と出来の悪い後輩の頭を疑うようなそぶりを見せたが、質問にはキチンと答えてくれる。
「まぁ、魔女の騎士になったからって法律違反じゃねぇからな。魔女の存在自体が違法じゃないのと同じでな? でも、SCSの隊員が騎士になったとしたら、査問委員会でしつこいお偉方からネチネチ責められた挙句、懲戒免職はまぬがれないだろうな」
さらっと先輩の口から飛び出た「懲戒免職」の言葉にぞっとする。せっかく念願のSCSに入れたのに、わずか半年で仕事を追われる上に、そんな事になったらこれからの長い僕の人生は滅茶苦茶だ。リサは「もう決まってる」と言っていたけど、やっぱりそんな事には絶対ならない。なりたくない。
* 占い師 *
「魔女マリア……ですか?」
朝礼後に毎日行われる班ミーティングで、班長である長沼先輩からその名前を聞いて、僕はとっさにリストを開いた。
会議室兼休憩室の一画で長沼班の僕達はミーティングを行っている。と言っても、大体が先輩の下らない話を聞いて終わりになるのだが、今回は真面目なミーティングになりそうだった。
「そう、魔女マリアだ」先輩は腕を組み、顎を引いた。
「今、巷で的中率100%の占い師がいるって噂がまことしやかに流れてるのを知ってるか?」
「的中率100%? それはもう占いと言うか、予言ですね」長沼班の隊員で僕より一年先輩の宮内一馬がわずかに片眉を上げた。
長沼班の中でも極めて冷静で、普段感情をあまり表に出さない宮内だが、その噂には多少驚いたらしい。
「そんな占いがあるなら見てもらいたいわぁ」数少ないSCSの女性隊員であり、長沼班にとっても紅一点の尾上さやかは、両手を顔の前で組み、うっとりとした表情を浮かべた。
確か今年で三十路のはずだが、尾上は班の中でもずば抜けていたずら好きで子供っぽい。そんな彼女にとって的中率100%の占いは、完全につぼだったらしい。
「それが、魔女マリアだと先輩は考えてるんですか?」
僕はリストの中から魔女マリアの項目を開き、みんなに広げて見せた。
「そうだ。その占い師の名前がマリアっていうらしい。大体的中率100%なんてあり得ねぇだろ? それが魔法であるという何よりの証拠だ。そして、予言は魔女法に違反する」
「魔女は自分が予測した未来を民衆に対し口外してはいけない。またそれに準ずる行為もしてはいけない」
宮内が魔女法の一節を口にする。この男は全て覚えてるんだろうか?
「それで、魔女マリアを捕まえようって言うの?」尾上が心底つまらなそうな顔をする。
「そうだ。もうすでに篠田班が動いてる」
「居場所はつかめてるんですか?」
「まだだ。実はその事も含めて篠田班から応援要請があってな。暇だから付き合ってやろうって事だ」
先輩はニヤリと笑うと、さっさと室長に出動許可を取りに行ってしまった。
「じゃ、俺はみんなの分の装備を確認しておくから」手のひらを見せて宮内が部屋を出て行く。
「ちぇー。つまんない仕事だなぁ」露骨な膨れ面で尾上は「篠田の野郎に文句言ってやる」と携帯片手にドアを開けた。
――結局、誰も見なかったな。
と、室内に残された僕はリストの『魔女マリア』の項目に目を落とした。
魔女マリア。性別女。年齢不詳。……と簡単な情報から、学歴、住所、渡航履歴など、様々な情報が記載されているが、肝心の能力についての記述は一切見当たらなかった。
「で、どうやって探すの? くそ忌々しいけど有能な、あの篠田に見つけられないんでしょ。何か手はあるの?」
車に乗り込むなり、尾上が後部座席を振り向いて口を開いた。理由は分からないが、彼女と行動を共にするときは、暗黙の了解で彼女が助手席に乗る事になっている。ちなみに軽く毒が混じっているのはいつもの事なので、誰もその事には触れようとはしない。
「あいつは頭が固いんだよな。対象を探すにしても今はいろんな方法があるのに、あいつは聞きこみばっかりなんだよ」
先輩はポケットから携帯を取り出すと、画面を操作する。
「ほら、ちょっと検索かけただけでこんなにヒットした。良いよなぁみんな勝手に呟いてくれるから、探す手間が省ける」と、携帯画面をコチラに向けた。画面には細かい文字がびっしりと並んでいて、運転席からは確認できないが、どうやら魔女の居場所がリアルタイムで呟かれているらしい。
「で、その情報は篠田さんには教えないんですよね。班長は」
宮内が表情を変えずに言うと、先輩は「当たり前だろ」と豪快に笑った。
「葛城、車を出せ。俺らが先に捕まえるぞ。あいつの悔しがる顔を一緒に見ようぜ」
篠田班長の厳つい顔が頭に浮かぶ。
車のエンジンをかけ、アクセルを踏み込みながら、出来ればその顔は一緒に見たくはないなぁ、と思った。
走り始めて間もなく、歩道の人影に妙な違和感を覚えた。普段よりも若干多めだった人影が、ほんのわずかな距離で列になり始めていた。初めは不思議なこともあるんだなぁ、くらいにしか思わなかったが、それが延々と先の見えない長蛇の列となると、寒気が走った。人々の列は西大通りを牛久方面に向かって一直線に伸びている。
「やっぱり、100%当たる占いは人気よねぇ」
助手席で尾上が感嘆の声を上げる。
「こんな列を作ってまで知りたいもんか? 自分の未来ってやつは」と、後部座席からは先輩の呆れたような声が聴こえた。
「当然でしょ。自分が今後どうなるのか、仕事はうまくいくのか? 恋人とうまくいくのか? 子供の行く末は順調か? 未来を知りたくなるのは人間の心理ってもんでしょ」
「そうかぁ? そりゃみんなうまく行く設定で考えてるからだろ? 人生なんてままならねぇもんだぞ。教えてもらった未来が絶望的だったらどうすんだ」
「そうしたら、そうならないように努力するんでしょうよ」
「魔女の予言は絶対だぞ」
あまり深い意味も無く先輩の口から出た言葉にドキリとする。
『葛城様、あなたは一週間の後、必ずわたくしと契約をなさいます。これはもう決まっている事なのです』
脳裏にリサの言葉が蘇り、僕は慌ててかぶりをふった。――ないない。そんな事あるわけが無い。
列の先頭に近付くと、運良く駐車スペースが空いていたので、僕は迷わず車を入れた。
エンジンを切り、車を降りる前に装備を確認する。まだ現場経験の少ない僕は街中での銃の携帯許可が下りていない為、装備と言っても、もっぱらSCS特製の警棒と手錠のみだ。
「さぁて、挨拶に行きますか」
車を降りると、脇に携えた銃を隠す為にジャケットを羽織りながら、先輩が列の先に目を向けた。つられて目線の先を追うと、人の波に隠れていてよく見えないが、赤い布のかかった、いかにも怪しげなテーブルがチラッと見えた。
「はいはい、ごめんよー」と、先輩が人の列をかき分けて飄々と進んでいく。
列に並ぶ人の中から「割り込むなよ」と怒声が飛んだが、宮内がSCSバッチを見せると、一瞬静まり、途端に今度はざわつき始めた。
その様子に気付いたのか、列の前方の人の列が左右に別れ、赤いテーブルの奥に座る女の姿があらわになる。
「随分横暴なお客様ですね」
ちょっとした騒動の中でも取り乱すことなく落ち着き払った声で不敵な笑顔を見せる女を見て、僕はおや? と思った。
女は確かに魔女だ。いや、確実な事は分からないが、以前魔女リサと対面した時のような独特の威圧感みたいなものが、僕にそう思わせた。だが、リストに乗っていた魔女マリアの顔は純和風だったのに対し、目の前の魔女はどう見ても日本人の顔立ちをしていなかった。
その事には先頭を行った先輩も気付いたらしく、当てが外れたような、拍子抜けしたような顔をして「魔女マリア……じゃ、ないよな」と呟いた。
「あなた方が今日、ここに来る事は分かってました」
女がなめるような視線を這わせる。
「占い師マリアとは、あなたの事ですね?」
例によって、表情を変えることなく宮内がそう訊ねると、女は否定することなく「はい」と答えた。
「いかにも、マリアと名乗って占いをしていましたが、私はマリア様ではありません」
「魔女マリアの従者?」
僕が言うと、女は僕の眼を見つめ、ニヤリと笑った。
「ええ。よくご存じで。わたくしはタバサと申します。ここであなた方をお待ちしておりました」
「どういう事だ?」
警戒を強くした先輩が目つきを鋭くする。懐の銃を抜きやすいように左手を浮かせるのが分かった。
「その銃でわたくしを撃つおつもりですか?」
先輩の行動を予測したのか、女が先に口を開く。「おやめ下さい。……どうせ無駄ですので」と、怪しく目を光らせた。
「ち、予言か」
小さく舌打ちをして、諦めたように先輩は左腕を下ろした。
「何が狙いだ?」
「わたくしの主人は争い事を好みません。わたくしは皆さまを屋敷に招待して丁重におもてなしするよう、言いつかっております」
「行かないと言ったら?」
「いいえ。皆さまはいらっしゃいます。これは決まっている事ですので」
「それも、予言か」
宮内がそう言うと、女は小さく頷き、ゆっくり視線を移動してもう一度僕を見ると、意味ありげに口元に微笑を浮かべた。
「どうぞ、当家へお越しくださいませ。主人が首を長くしてお待ちしております。……葛城様」