特命
「あ!」と声を上げると、樹理と名乗った魔女は急に背筋を伸ばした。
「リサ様にミサ様、あたしなんかにお声をかけて下さるなんて、光栄です」
かしこまって深々と頭を下げる魔女樹理を見て、改めてリサの魔女としての偉大さを認識させられた。そのリサに仕えるミサもこの態度から察するに普通の魔女よりは位が高いのだろう。
「SCSの隊員と付き合うなんておかしなことをする奴がいたもんだと思ったが、まさかお前とはな、樹理」
親しげに話しかけるミサを見て、僕はおや? と思った。アリサと話すときでさえあまり表情を崩さないミサが、あからさまな呆れ顔を見せている。
「ひょっとして、知り合いか?」
「ああ、ちょっとな」
「樹理さんとミサは同級生なんです」
ね、とアリサがミサの顔を窺うとミサは、ああ、とか、うん、とか歯切れの悪い返事をして、一つ大きく咳払いをすると、腕を組み、魔女樹理と白井を交互に睨みつけた。
「わたしは人の恋愛に口を挟むような趣味は無い。好きで付き合っているのなら好きにすればいい」
街灯の小さな明かりに照らされて、白井と魔女樹理は一層小さく肩を縮めた。
白井にアリサ達を紹介した後、彼女を近くの公園に呼びだしてもらって、僕達は四人で今後の方針を考える事にした。……のだが、ミサの先制攻撃に当事者の二人はすでに意気消沈と言った雰囲気を漂わせていた。
「聞けば樹理、お前が悪いのではないか。なぜ自分が魔女である事を黙っていた? お前がそんな事をしなければ面倒な事にならずに済んだのだ」
「おい、そんな言い方ないだろ」
喧嘩腰になりかけたミサを慌てて手で制する。ミサは話を聞いてから終始苛々しているようだったが、魔女樹理の顔を見てからますます頭に血が上っているようだった。
「こいつは昔からそうなんだ。考えなしに行動してはまわりに迷惑ばかりかける。大人になっても少しも成長していない。葛城、コイツに関わるとロクな事が無いんだ。悪い事は言わん、今すぐこの件から手を引け」
そう言ってミサは二人に背を向けた。そういう訳にもいかないだろ……と僕はため息を吐く。
白井は彼女の為ならSCSを辞めてもいいとまで考えている。だけど、SCSの隊員なら誰もがそうであるように、白井もこの仕事がしたくて必死に勉強して、死ぬほど体を鍛えて、超難関と言われる試験を潜り抜けて、ようやくたどり着いた念願の職業だ。それなのに一年も経たずに辞めてしまうのはあまりにも勿体ない。
「樹理さんは、どうされたいですか?」
ミサが黙り、僕が下を向いて沈黙すると、今度は自分とばかりにアリサが優しい口調で問いかけた。
「あたしは……」魔女樹理は隣に立つ白井の姿をチラリと見た。「あたしは洋介と一緒にいたい。……です」
「では、白井さん? あなたはどうですか?」
アリサが白井の方へ視線を向けると、白井も魔女樹理をチラリと見る。
――なんだ、決まりじゃないか。
二人のその姿はごく普通のカップルとなんら変わりは無かった。お互いがお互いを好きで、お互いがお互いを必要としている。この関係に魔女とか人とか、そんなくくりは二人にとってとても小さなものでしかないように思えた。
「俺は」白井が口を開く。その顔はとても清々しく街灯の明かりに照らされて輝いて見えた。
「俺は……俺も樹理と一緒にいたい」
* 特命 *
『本日予定されていた長沼班、児島班の両班による実戦訓練は無期限の延期とする。両班は別命があるまで待機。なおこの決定に対する抗議、質問は一切受け付けない』
対策室入口脇にある掲示板に張られた紙を見て、僕は思わず口を開けたまま数秒固まってしまった。同じ様に隣で先輩が口を開けている。
「なんだ? コレ」
「さぁ……何かあったんでしょうか?」
拍子抜けしたまま室内に入ると、運良く、というかむしろ運悪く児島班の連中とはち合わせた。班長の児島が先輩を冷たく睨み、僕を見て冷笑を浮かべる。
「よかったな長沼。恥をかかずに済んで」
「ああ?」
まさに一触即発の空気を近くにいた他班の面々が敏感に察知し、僕達の周りを素早く囲む。喧嘩に発展するようならすぐに止めに入れるよう、皆が身構えるのが分かった。
「なんで延期になったのか理由は分からないが、好都合だっただろう? その落ちこぼれが失態を犯さずに済んだんだから。お前も内心では安心してるよな、使えねぇ部下の恥ずかしい姿を大勢に見られなくて済んだじゃねぇか」
口元に嫌な笑顔を張り付けて児島がそういうと、児島班の連中からくすくすと嘲笑が漏れた。他のメンバーに隠れて白井だけはバツが悪そうに顔を隠している。
さすがの僕もここまで言われて頭に来ないわけがない。落ちこぼれは自覚しているけど、落ちこぼれにもそれなりのプライドがあるのだ。プライドを傷つけられて黙っていられるほど僕はまだ、人間が出来ていない。
足を一歩前に踏み出す。怒りをそのまま声に乗せて、おい! と言いかけて僕は「お」の口のまま目を疑った。
ほんの一瞬の間に児島の姿が視界から消えた。代わりに先輩の右手がまっすぐに伸びきっている。
電光石火というのはこういう事を言うのだろうか、先輩が殴ったのだと気付くまでに少し時間がかかった。周りのみんなも一瞬ぎょっとした顔をして、慌てて止めに入る。
「児島」屈強な他班の面々に押さえられながら先輩が低い声を出す。
「うちの班のメンバーをバカにするんじゃねぇ。葛城は確かに落ちこぼれだが、お前なんかよりはよっぽどマシな隊員だ」
先輩の迫力に児島班のメンバーが顔を青くした。児島が左の頬を押さえながら落ち上がる。すると即座に他班の面々がその肩を押さえつける。
児島は自分を押さえる手を力任せに振り払い、忌々しげに先輩を睨むと「行くぞ」と言って背を向けた。他のメンバーもその背中に続く。児島が自分の机に座ったところでようやく周りに安堵の空気が漏れだした。数人の隊員が、やるな長沼、であるとか、カッコイイじゃねぇか、であるとか、お前がそんなに部下思いだったとはな、であるとか次々に口にして、先輩の肩を叩いた。
「あの、先輩。……ありがとうございます」
僕は腰を直角に曲げて礼をした。先輩の言った言葉に感動していた。先輩がそんな事を思っていてくれたなんて、ものすごく嬉しかった。
先輩は「うん?」とおかしな声を出して、すぐに豪快に笑いだした。
「別にお前の為に怒ったわけじゃねぇよ。児島を殴るいいチャンスだっただろ? やるなら今しかねぇなと、思ってよ」
……僕の感動を返してほしい気分だ。
先輩は悪びれもなく「良い感じに決まったな」と満足げに右腕をさすり、僕の視線に気付くと、取ってつけたように「いや、少しは思ってたよ。うん」と決まり悪く笑った。
先輩が室長に呼ばれたのは朝の騒動が収まってしばらくした後だった。班長である先輩が室長に呼びだされることはままあるが、今回に限っては朝の騒動の後だったので僕はてっきりそのせいで呼びだされたのだと思っていた。たぶん宮内も尾上も同じで、僕達は顔を見合わせて同時に眉を下げた。
「ま、自業自得だから仕方ないよね」と、誰も口には出さないにもかかわらず、二人の考えてる事が手に取るように分かった。
しばらくして室長室から帰ると、先輩は机には戻らず神妙な顔つきで、「ミーティングするぞ」と僕達だけに聞こえる様に小声で耳打ちすると足早に会議室兼休憩室へと向かった。
訳も分からず僕達も後を追う。
「ヤベー事になった」
休憩室に入るなり先輩は煙草に火をつけ、ため息気味に煙を吐きながらそう言った。
「どうかしたんですか?」
先輩の様子を見て、さすがの宮内も少しだけ表情を変える。
「さっき室長に呼びだされた事と関係あるの?」
腕を組んで尾上は壁に寄りかかり、怪訝な顔をした。言外に「何をしたんだ?」と訊いているように思えた。
「俺らの事じゃない」先輩は全員の顔をくまなく見渡しておもむろに口を開いた。「児島班の事だ」
「児島班? 奴らがどうかしたんですか?」
「児島班の中に魔女と裏で繋がってる奴がいる。……らしい」
その言葉には全員が絶句した。中でも僕の動揺は他の二人とは比べ物にならないほどだった。一瞬で背筋が凍りつき、身動きが取れなくなる。
白井の事が早くもバレたのだと思った。瞬時に白井の顔と魔女樹理の顔が頭に浮かぶ。
「魔女と、ねぇ……一体誰よ?」
「一人一人調べなきゃはっきりとは言えないが、恐らく班全体だ」
先輩が殴られたかのように顔をしかめる。いがみ合っているとはいえ、児島班も同じ対策部の仲間であることに違いは無い。先輩は仲間が裏で魔女と繋がっているという、裏切りに近い行為がよほど許せないようだった。
――全体ってことは……白井の事とは無関係、か?
ホッとしたのも束の間、自分の耳に入ってきた言葉を理解すると、僕はますます言葉を失った。
「裏、ですか。それ、どこ情報です?」
「魔女協会直々の情報だ。ほぼ間違いない」
「そんな重要な情報、なんであんたが受けるのよ? もっと上の連中で処理するレベルじゃない」
「室長は、」と言ったところで先輩は言葉を切り、口を開いたまましばらく黙りこんだ。
やがて、苦痛に顔をゆがめながら「室長は」ともう一度繰り返す。
「上層部に知られる前に内密に処理する気らしい。……当然だよな。俺たちは人間側の最後の砦だ。その俺たちが魔女と繋がっているなんて事が公になれば、SCSの存在自体が揺らいじまう」
室長は内定調査をするよう先輩に命じたらしい。これは長沼班だけの特命であり、この事実は僕達の他にはまだ室長しか知らず、誰にも口外する事は出来ない。
意外なほど仲間意識が強い先輩には何かと堪える命令だ。
「あいつらの事は気に入らないし、くそみたいな連中は辞めてもらった方があたし的には嬉しいけど……」
それでも、と尾上も憂いを浮かべる。
「……仕方ないですね。毒は回る前に取りださないと取り返しのつかない事になってしまう。特命を受けたからにはやるしか」
「わかってるよ。いいか? お前ら」
すっかり短くなった煙草を灰皿に押し付け、先輩は眼光を鋭くした。
「一週間だ。情報ってのはどんなに隠しててもいずれ明るみになるもんだ。調査は時間との勝負になる。一週間で誰が魔女と繋がってるのか、確実な証拠を上げる。改めて言う必要もないだろうが、誰にも気付かれるんじゃないぞ」




