求愛
翌日、僕は出勤すると真っ先に白井の配置されている児島班の元へと急いだ。
昨日の絶叫以降、何度呼び出しても白井の携帯は一向につながる気配を見せなかった。考えたくは無いが、もしかしたら白井は何者かに殺されてしまったのかもしれない。となれば、恐らく最後に連絡を取ったであろう僕が、班長の児島に報告をする義務がある。
「あの、児島班長……」
児島の机の前で敬礼をしておもむろに口を開くと、背後から拍子抜けするほど間の抜けた声が聴こえた。
「おはようございまーす……お、葛城?」
振り返った僕を白井は怪訝な顔で見返した。ちょっと待て、その顔をするのは僕の方じゃないのか?
「白井、お前昨日の電話……」
「は? お前何言ってんだ?」
まるで何事も無かったかのように白井は普段通りだった。普段通り、格下である僕を見下す態度だ。
「邪魔なんだけど。お前の班は向こうだろ? それすら分かんなくなったのか?」
と白井が茶化すと児島班の面々から失笑が漏れた。自分に注がれる白い目に恥ずかしくなった僕は訳も分からないままその場を退散する羽目になった。
昨日の電話は何だったんだろう? 戻る途中、もう一度振り返ると、白井は体に傷があるわけでもなく、やはりどう見ても普段通りだった。
* 求愛 *
「はぁ?」
朝礼後の班ミーティングで昨日の事も合わせて先ほどの事を話すと先輩は不機嫌な顔になった。
「なんだそりゃ? そんでお前はすごすごと帰ってきたのか?」
「いや、白井もいつも通りだったし……」
「バカかお前は?」
先輩の声がワントーン上がり、僕は背筋を伸ばした。
「お前バカにされたんだぞ? そんなの白井がお前をからかったに決まってんだろ」
くそぅあの野郎。と先輩が悔しそうに唇を噛んだ。
「葛城君より先にあんたが怒ってどうすんの。バカね」
「コレが怒らずにいられるか! 児島班の連中め……」
「それは長沼班に対する侮辱ですね。俺も頭にきます」
――本当に昨日の電話は僕をからかっていただけだろうか?
白井の態度に憤るみんなをよそに、僕はどうしても昨日の白井の様子が気になっていた。
僕をからかうだけの為にあんなに迫真の演技をするだろうか? 少なくとも最後の絶叫は演技で出せるような迫力じゃなかった。でなければ僕だって白井の身に何かあったんじゃないかと慌てたりはしなかったはずだ。
「やってやろうじゃねぇか!」
穴が開くほどの勢いでテーブルに拳をうちつけて先輩が叫んだ。
「これは長沼班に突きつけられた宣戦布告だ! 売られたケンカは言い値の二倍で買ってやるのが長沼班のモットーだ!」
「そんなの初めて聞いたんだけど……」
高らかに宣言した先輩を冷ややかな視線で眺めながら面倒くさそうに尾上が呟く。言いながら諦めているようにも見えた。
「児島班めぇ……ギッタギタにしてやる!」
怒りで顔を赤くする先輩を見て、言わなければよかったと、僕は今さらに後悔した。
事件が起きると真っ先に駆り出される対策班も、普段の仕事は受け持ちの地域をパトロールするくらいのモノで、魔女が休息の期間に入り、行動を起こさなくなると拍子抜けするほど暇になった。
それがいけなかった。勢い勇んで先輩が実戦訓練の申請に行ったとしても、暇で無ければスケジュール外の訓練を室長が承認するはずもなかったのだが、暇を持て余しているところに来たとなると話が別だった。しかも申請に来たいきさつを知ったらなおさらだ。室長がこんな話を面白がらない訳が無かった。
室長が承認してしまえば、そこからはもう矢のように早く日程が決まり、長沼班と児島班の実戦訓練は瞬く間に本部全体に知れ渡った。
そうなると対策部の連中はお祭り騒ぎとなった。勝敗を予想して賭けをする者や、当日の訓練場に観覧席を作り、席を売り出す者と、こんな時に限って普段あまり団結とは縁遠い連中が一致団結して対戦を煽った。
長沼班の班長である先輩も、児島班の班長である児島も、互いに大の負けず嫌いで有名で、歳も階級も同じとくればお互いに熱くなってしまうのは仕方がないとは思うが、それを承知でみんなが煽るのだから、ひどい話だ。
「いいか? 児島班の連中なんかに負けたら承知しねぇからな」
児島班との実戦訓練が正式に決まると直後の班ミーティングは、すでに戦闘モードに入った先輩の激で始まった。
「あの、ホントにやるんですか?」
僕は、あれよあれよと言う間に決まってしまった出来事についていけず、おずおずと先輩の顔を窺った。
「当たり前だろうが!」先輩が目を吊り上げてつばを飛ばす。「お前がバカにされたんだぞ! お前が怒らないでどうする!」
「はいはい、落ち着いて。ホラ、コーヒーでも飲みなって」
落ち着いた様子で尾上が缶コーヒーを手渡す。この辺の扱いのうまさはさすがの一言だ。伊達に先輩と一番長く付き合っているわけではない。
「たとえさやかでも奴らに負けたら鬼のようにしごいてやるからな」
「あら、あんたはあたしがあんなくそ甘ちゃん共に負けるとでも思ってるの?」
先輩の睨みをまるで猫に撫でられたかのように軽くいなして尾上は不敵に笑った。相変わらず口が悪い。
「良い機会だからあいつらにどっちが上かはっきりさせてあげましょう」
と、いつもは冷静な宮内も、今回ばかりは少しだけ熱くなっているようだった。いつもならこういう事態を止めるのは宮内の役目なのに。
「おし、よく言った宮内。……後は……」
全員の視線が一斉に集まって僕は固唾をのんだ。
「一番の気がかりは、やっぱり葛城君よね」
「完全に足手まといですね。どうします?」
「そりゃお前、特訓するしかねぇだろうよ」
みんなの目が怪しく光るのが分かった。僕は実戦訓練当日よりも、それまで生き残る事の方が最優先だと、覚悟を決めた。
*
疲労困憊でようやく家にたどり着いた僕は、ただいまも言わず倒れる様にソファに沈み込んだ。
負けず嫌いの先輩の特訓は想像してたより数段過酷だった。しかもなぜか長沼班の全員がやる気になっているので、打倒児島班に燃えた全員から死ぬほどしごかれた僕は、特訓が終わる頃には動くことすらできなくなってしまった。
「……どうしたんだ? お前」
僕の様子を見て、さすがのミサも料理の手を止め心配そうに僕の顔を窺った。
……って、ミサが料理?
僕は自分の目に入ってきたモノが信じられず飛び起きた。改めて見てみると見慣れたグレーのブランドスーツの上から見慣れないピンクのエプロンをしている。右手にトングを持ち、フライパンを火にかけ何かを作っているようだった。
「なんだ貴様、突然倒れ込んだかと思えば突然飛び起きおって……おきあがりこぼしか、お前は」
「いや、だって……あれ? 何でお前が料理?」
唖然として訊ねると、途端にミサは顔を赤くし、「うるさい」と声を荒げた。
「今日は、リサ様が月浴をしていらっしゃるのだ。わ、わたしが料理をして何か悪いのか?」
「いや、お前も料理とか出来るんだな」
「貴様バカにしてるのか? わたしにだって料理くらい……け、決して貴様の為に作っているわけではないからな、勘違いするなよ!」
早口で言葉をまくしたててミサはキッチンに戻った。ミサがキッチンに立つ姿を見るのは妙な違和感があったが、不思議と悪い気はしなかった。
立ちあがったついでに何か飲もうかと冷蔵庫を開けると、ポケットの中で携帯電話が震えて僕はまだ着替えてもいない事を今さら思い出した。異常なほど溜まった疲れが何をするのも面倒にさせている。
仕方なく飲みモノを諦めて携帯を取ると、ディスプレイには『白井洋介』の文字が点滅していた。
「白井、お前俺に謝る事があるだろ」
第一声目に声を荒げる。僕が今異常に疲れているのも、突き詰めれば白井のせいなのだ。僕には怒る権利がある。
普段僕を見下している白井は、恐らく反論するだろうと思った。が、意に反して白井は妙に沈んだ声を出した。
「葛城、俺……」
消え入りそうな声の向こうで何者かの動く気配を感じた。誰かと一緒にいるのだろうか?
「悪かったと思ってる。ああするしかなかったんだ」
「お前、何かあったのか?」
白井の様子がどうしても気になった。こないだの電話の事だって、先輩はからかっただけだと言ったが僕にはどうしてもそうは思えないし、元々白井は僕を見下してはいるが、からかったりするような奴ではないのだ。
白井は「いや……」と一度否定したが、ややあって思いつめたように「すまない」と呟いた。
「誰にも相談できなくて、ずっと悩んでたんだ。SCSのみんなには知られたくないし、かといって一人で抱えるのも辛くて……」
そう言って大きなため息を一つ吐くと、白井は声のトーンを少し上げた。
「葛城、お前に頼みたい事が――」
そこまで言って白井の声が突然途切れた。
あまりにも突然聞こえなくなったので通話が切れたのかと思い、携帯を確認してみるが通話は続いたまま、ディスプレイには通話時間が表示されていた。もう一度耳に当ててみる。
よく耳をすましてみると、微かに人の動く音が聴こえる。その音に混じって小さく響くような荒い息遣いと微かに漏れ出るような声が聴こえた。それも明らかに白井の声じゃない、艶めかしい女の声だった。
――なにしてるんだ?
「おい……白井?」
訝りながら呼びかけると、今度は携帯を擦るような耳障りな音が鳴り始め、やがてこもりがちな女の声と共に通話が途切れた。
「……なんだよ、コレ」
僕は携帯を耳に当てたまま立ちつくした。ゾクリと背筋に寒気が走る。最後に聞こえた女の声が妙に耳に残っていた。
異常なほど艶めかしく、恐ろしいほど透き通った声で女が言った言葉、
『……愛しているわ』
普通にとらえれば、恋人の単なる求愛でしかない。それを同僚との通話中にする事自体が異常とも言えるが、その時僕は、そんな次元ではない、何か言い知れぬ不安のようなものを感じていた。




