休息の期間
「死んだ?」
僕は自分の耳に入った言葉を信じられず、聞き返した。
「死んだって、あの容疑者がですか?」
「ああ、俺もつい昨日知ったんだけどな。どうやら結構前に死んでたらしいぞ」
先輩は本日のオススメである焼き魚定食を口に運びながら、事もなげに言った。
隣に座っていた研究部員と思われる女性隊員たちが、その言葉に怪訝な顔をする。
休憩時間の食堂は開いている席を見つけるのに苦労するほど込み合っていた。対策部だけでも五十人以上いるのだから、本部に務める全隊員が一堂に集まるお昼時は人でごった返してしまうのは仕方がない事で、そんな中物騒な話を始めた先輩が近くの隊員の視線を集めてしまうのは当然だった。
「死因は?」
宮内はこんな時でも無表情は崩さず、淡々と訊ねた。その冷静さはすごいと思う一方、こうはなりたくないな、とも思ってしまう。
「原因不明で自然死として処理された、らしいぞ」そう言って、先輩は何かを匂わせる様にニヤリと笑うと「ただな」と付け加える。
「奴は獄中でもご丁寧に日記をつけていたらしいんだが……」
「まさか、また?」
尾上が心底嫌そうに顔をしかめた。それを見て先輩は小さく首肯する。
「そのまさか、だ。日記には奴の事が書かれていたらしい。しかも、あの自称マジシャンが姿を消した」
「ええ?」三人の声が重なった。同時に仰け反り、同時に顔を近づける。
「嘘でしょ、逃げられたの?」
「苦労して捕まえたのに……」
「バカな、あり得ないですよ」
「だが、事実なんだよコレが」
隣で怪訝な顔をしていた女性隊員が席を立った。それを見て全員が姿勢を元に戻す。彼女らに目をやると、コチラを振り向きながらひそひそと何かを話していた。別に聞かれてまずい話でもないのだが、どうやら変な勘ぐりをされたようだった。
「まさか、まだ事件を起こす気じゃないでしょうね」
面倒くさそうに尾上は背もたれに寄りかかりながら呟いた。
「いいや、それは無いでしょう。もうすぐ魔女たちは休息の期間に入りますし」
宮内がそう言うと、先輩は少し驚いたような顔をして「ああ、もうそんな時期か」と壁にかけられたカレンダーに目をやった。「なら、大丈夫だな」と頷く。
「休息の期間って、なんですか?」
先輩と尾上はその言葉で納得したようだったが、僕にとっては初耳なので訊ねるしかない。すると、やはりと言うか、いつものようにみんなががっかりしたような顔をする。
「まさか知らねぇのか? 葛城」
「あはは、葛城君らしいよねぇ」
「こんなバカと同じ班だなんて」
* 休息の期間 *
「休息の期間ですか?」
僕の質問にアリサはキョトンとした顔になった。
いつものようにアリサの作ってくれた夕食を食べた後、僕は今日一日頭を悩ませる原因となった質問をした。魔女の事なら魔女に聞いた方が間違いないはずだ。
「貴様はSCSの隊員でありながら、そんなことも知らんのか?」
と、ミサはいつも以上に冷たい視線を向ける。
――誰も教えてくれなかったんだから、仕方ないだろ。
お昼の休憩以降、僕は班のメンバーのみならず、室長にも、対策部部長にも、果ては資料部の人員にも聞きに行ったのだが、初めに訊ねたのが室長だった事が災いし、「葛城には誰も教えるな」とのお達しにより、誰も僕の質問には答えてくれなかった。
これはやはりイジメだろうと思うのだが、室長に「知らないのはお前が悪い。知りたい事があるなら資料部の文献をあされ」と叱咤されては何も言えなくなってしまった。
「……休息の期間とは」何も言えず黙っていた僕を見かねて、渋々といった表情でミサが口を開く。
「毎年九月から十月の一カ月間、魔女が己の魔力を高める期間の事を言う」
「高めるって、修行か何かをするのか?」
「いいえ、別段そういった事をする必要はありません」
アリサがにこやかに答える。
「わたくしたちが魔法を使うのに必要な力を蓄えるだけです」
――魔力を高める、か。
「そもそも魔力って何だ? 魔法っていうのはどうやって使うモノなんだ?」
僕の単純な質問に、ややため息をつきながらミサがアリサの顔を窺った。
――こんなことも知らない奴がリサ様の騎士だなんて。
何も言わずともミサの心の声が聴こえて来るような気がした。
「お前は本当にSCSの隊員なのか? そんなことは基本中の基本だろう」
ミサはソファに座っていた僕を「ココに座れ」と床に座らせ、苛立ち気味に面と向かって眉間にしわを寄せた。
「いいか? 我々魔女は己の命を削って魔法を使っている。魔力とは文字通り魔法を使う力の事で、正式には『絶対的魔法使用力』と言う」
と、ミサは麦茶の注がれたコップを手に取った。
「このコップが魔女個人の持つ『絶対的魔法使用力』だとする。このコップの大きさは個人によって大きく異なるが、絶対量は生涯変わる事は無い。まぁ、例外はあるが」
ミサはチラリとアリサの方へ目を向け、すぐに僕に戻した。
「我々はこのコップの中で魔法を使用している」
そう言ってコップの中の麦茶を飲み干した。当然コップの中身は空っぽになる。
「一度魔法を使用すると魔力を消費する。魔力は使えば使うほど減って行き、いずれこうして空になってしまう。使用した魔力は日々回復して行くが、魔力の消費には追いつかないのだ。だから空になる前にコップに注がなくてはならん」
「魔力が空になると、命取りになります。魔力とは言いかえれば生命力なのです。ですから、わたくしたちは自分の中の絶対量と相談しながら魔法を使い、空になる前に蓄えなければいけないのです」
「それが休息の期間?」
「そうだ。丁度九月から十月の間は魔力を高めるのに適した期間なのだ。人間の間では中秋の名月と言った方が覚えが良いか」
中秋の名月と言えば、月見か。そう言えばマンイーターも月の満ち欠けに影響を受けていたな、と思い出す。魔女と月には妙な因果関係があるようだ。
「なるほど、それで事件が起こる心配は無いって言ってたのか」
一日頭を悩ませた原因が解決して無意識に零れた独り言に、意外にもアリサが食いついた。
「事件って、何かあったんですか?」
しまった――思わず滑ってしまった自分の口に嫌気がさした。
白髪男の行方が分からなくなったなんて言ったら、またアリサが心を痛めてしまうのは目に見えていた。
「なんでもないよ」と、慌ててごまかす。
アリサは不思議そうにしばらく眺めていたが、やがて表情を緩め「お茶をお持ちしますね」とキッチンへと向かった。
――余計な心配をかけちゃったかな。
アリサの態度が気になったが、心を読まれでもしない限り白髪男の事がバレる事は無いだろうと高をくくる。
そんな僕の様子をミサは訝っていたようだったが、すぐに興味を失ったのか、
「休息の期間に入れば貴様らも暇になるのだろうな」と意地悪く言った。
ミサの言うとおりだな。と、僕はミサの嘲弄を逆の意味でとらえた。
たとえ今現在白髪男が行方を眩ませていたとしても、奴を捕まえるときに全ての魔力を奪ってある為、魔力を回復せずに何か行動を起こすとは考えにくい。魔力の回復に一カ月かかると言うのなら、この一カ月は完全に安全なはずだった。
一カ月あれば、調査部の人員が潜伏先を掴んでくれる可能性は非常に高い。彼らの調査力は、対魔女に関して言うなら警察機関のそれを遥かに凌ぐ。彼らの手にかかれば奴がどこに逃げようとも必ず見つけてくれるはずだった。
「お茶が入りましたよ」
と、アリサが湯呑を三つ乗せたお盆を運んでくる。すると、テーブルの上で携帯電話が震えだした。一瞬全員の視線が携帯に集まる。それぞれが鳴っている携帯を確認し、最後に僕の視線だけがテーブルの上に残った。
「葛城ぃ!」
繋いだそばから耳元で大声が響いたので僕は思わず携帯を耳から離した。あまりに大きい声だったのでその声が誰なのかもいまいちわからない。ただ耳鳴りが痛かった。
耳鳴りが治まるのを待ってもう一度携帯を耳に当てる。
「……もしもし?」
「葛城! どうしよう? どうしたらいい?」
「あの……誰?」
電話の主は慌てふためいた様子で何を言っているのかも要領を得ないので、とりあえず落ち着かせることにした。
しばらくして少しだけ落ち着きを取り戻した電話の主は、同期の白井洋介だった。同期の中で唯一同じ対策部所属と言う事で、班は違うが何かと比べられる相手だ。
しかも訓練の頃から成績では勝ったためしがないのだから、僕にとっては目の上のたんこぶだった。
「なんだよ、お前が俺にかけて来るなんて珍しいな」
僕はため息交じりに言う。言外にお前と話す事など無いと言ったつもりだが、白井には届かなかったようだった。
「葛城! どうしよう!」
「さっきからそればっかりだな。何かあったのか?」
「ヤバいんだよ葛城!」
「何が?」
「葛城! 助けてくれ!」
そう叫んだきり、携帯から白井の声が消えた。かすかに音が聴こえて来るので通話は切れてはいないようだったが、どうにも様子がおかしい。
「おい、白井? どうした?」
さすがに背筋が寒くなった。耳にあてた携帯からは白井のモノと思われる荒い息遣いが聴こえて来るばかりでそれがさらに恐怖を煽る。
「おい! 白井!」
僕がいてもたってもいられず立ち上がると、にわかに慌てだした僕をアリサが心配そうな顔で見上げた。つられてミサも僕の方へ目をやる。「どうかしたのか?」と小声で訊ねたが、手で制する。「しっ」と指を唇にあてると、さすがにそれ以上はミサも口を開かなかった。
「葛城ぃ……」
携帯から聞こえる白井の声がやけに遠い。どうやら携帯を耳に当ててはいないようだった。いくら呼びかけても返事が無い。
僕は出来るだけ耳に意識を集中した。聞こえてくる音から何かを拾えないかと必死に耳をそばだてると、微かに靴音のようなものを捕えた。コツコツと高い足音、ハイヒールか? と当たりをつけると突然絶叫が響き渡った。断末魔の悲鳴のようなその声はまぎれもなく白井のモノだった。
白井の叫び声を最後に通話は途絶えた。
この時の僕はまだ知る由もない。この電話から全てが始まった事を。




