決着
「攻撃系の魔法っていうのは、大きく二つに分けられます」
広い講義室には今年試験に受かった全ての新人隊員、総勢百四十人が勢ぞろいしていた。
その全ての隊員を前に、黒板を背にした研究部の部長は緊張することなく、淡々と説明をマイクに向かって喋っている。講義を受ける立場の新人隊員たちは、その一言一句を聞き逃すまいと、真剣な面持ちで黒板に向かっていた。
そんな中にあって僕はと言うと、午前中に行った実戦訓練の疲れが抜けず、睡魔と闘いながら舟を漕いでいた。
「一つは、直接攻撃型の魔法です。つまり、電撃や、冷気、といった自然の力を使った魔法。それに物体移動や、魔力そのものを放射する、といった物理的な魔法もこれにあたります」
研究部の部長は黒板に何やら文字を書いたが、小さすぎて僕のいる位置からは見えなかった。いや、眠気に負けそうで目がかすんでいるだけかもしれないが。
「もう一つは、間接攻撃型の魔法ですね。精神攻撃型、と言ってもいいかもしれません。幻惑、傀儡、金縛りなどがこれにあたります。中には記憶を操作したり、感情を操作したりする特殊な魔法も存在しています」
僕は眠気を覚ます為に人知れず伸びをした。一瞬だけ視界がクリアになり、最上段のこの位置からは全ての隊員の姿が一望できた。
――この中の一体何人が訓練をクリアするんだろう?
と、思った。僕はその中の一人に入れるんだろうかと不安になる。
訓練初日に教官から聞いた言葉がそう思わせた。曰く、毎年初期訓練の半年間で三分の二が脱落するのだそうだ。それは、訓練についていけず、自主的に辞める者もいれば、教官の判断でSCSにふさわしくないと烙印を押される者もいる。
――今この講義室にいる新人隊員も、半年後には五十人程度になっちゃうのかなぁ?
ぼんやりとそんな事を考えていると、スピーカーから部長の声が聴こえた。
「……魔法に対する研究はまだ始まったばかりです。ですから、今のところ攻撃系の魔法を防ぐ手段はあまりありません。攻撃系の魔法を得意とする魔女とは、なるべく闘わないほうが得策ですね……」
* 決着 *
僕はどうにも動けないでいた。リサを背後にかばい、白髪男と睨みあったまま次の行動を決めかねていた。
動ける様になったとはいえ、武器も持たずに駆けつけた事が今さらながら大きな痛手となっていた。SCSの特殊警棒なら、電撃などの特定の魔法をある程度弾くこともできるし、魔女の使う魔力による防御壁を壊す事も可能だったのだけど。
地鳴りがにわかに大きくなったような気がして僕は目だけを動かして周囲を確認した。
びりびりと震える大気の振動に負け、辺りの壁には亀裂が走っていた。
――自分で最強と言うだけあって、これは……。
相当まずいと思った。白髪男が力を解放しただけで周囲がこのあり様だ、もしこの男が本気で魔法を使ったら、と思うと背筋がぞっとする。
――とはいえ……。
背後のリサをチラリと見る。先ほどまでの憎悪と悔しさに満ちた表情は消え、にこやかな表情を浮かべ、一心に僕を見つめている。まるで僕の勝利を確信し、安心しているような顔だった。
――どうしてそんな顔が出来るんだよ。僕はあんな奴に勝てる自信は無いぞ。
リサをかばいつつ、白髪男と武器なしで闘って、しかもリサを無傷で返すことは不可能だった。自慢じゃないが、僕は魔女との実戦は今回が初めてだ。って自慢にならないか。
「なかなか気分の良いモノだなぁ、最強の力を手にするってのは」
白髪男がおもむろに左手を上げる。一度辺りを見渡して、噴水の方へ手を向けると、次の瞬間目の前が真っ白になった。少し遅れて轟音が響き渡る。
僕には何が起こったのか解らなかった。男の手の先を見ると、さっきまで動いてはいなかったが、並々と水をたたえていた噴水が粉々に砕かれ、噴水口から大量の水しぶきを上げていた。
「あれ? 加減したつもりだったんだけど……やっぱり急に力を得ると制御が難しいな」
そう言って白髪男は僕の方へ向き直り、不敵な笑みを浮かべた。
「こりゃ、やりすぎちゃうかもしれないなぁ」
冷や汗が流れた。今のは電撃系の魔法か? 規模が大きすぎて見る事も出来なかった。あんな魔法を使うんじゃ、もし特殊警棒を持ってきていたとしても無意味だ。とても弾ける強さではない。
「リサ……」僕は背後のリサに小声で話しかけた。「どうやら、絶体絶命は続いてるみたいだ。俺はお前を守る自信がない。だから、俺が奴と闘ってる間に、キミだけでも逃げてくれ」
情けないけど、今あいつとまともに闘って勝てる自信はおろか、生き残る自信も無かった。それどころか、闘いにすらなるかどうかも怪しい。リサさえこの場から逃げ出してくれれば、僕も隙を見て逃げる事も、限りなく低いが確率は零じゃない。
だが、僕の願いも空しく、リサは自信に満ちた顔で「いいえ」と言った。
「今の葛城様は、あんな小者に負けるようなお人ではありません。どうかご自分を信じてください」
――自分を信じる?
って信じられるわけないだろう。班のみんなから毎日のように落ちこぼれと呼ばれてるんだぞ? 訓練だって未だついて行くのにやっとだし、何より実戦は初めてなんだって。
「なんだ? 何を話している。降参でもするのか?」
「降参などするものですか。雅槻、あなたの電撃なんてミサの足元にも及びません。その程度の力で最強などと良く謳えたものですわ」
おろおろする僕を尻目にリサは自信満々に白髪男を挑発した。すると大気の震えが一層強くなる。
「へぇ……僕の力がミサにも及ばないと。……リサ様は随分仲間を信頼してらっしゃるようだ。良かったねぇ、新人の騎士さん」
――良くない、良くない。
「まだ分からないの? 雅槻。あなたのその力はかりそめ。そのような力を振りかざしても何の意味も無いわ」
「あはは、可愛いなぁリサ様。まだ僕があなたの力を上回ってしまった事を認められないんだね? いいよ。いいよ。体で教えてあげるよ」
男が先ほどと同じように左手を上げる。今度はまっすぐに僕達の方へ向けられた。
やばい! と思う間もなく目の前が白くなる。とっさに僕は両手で体をかばった。そんなことであの電撃から逃れられるはずもないのに。
少し遅れて耳のすぐわきで轟音が鳴り響き、僕は強い耳鳴りを覚えた。
その後、周囲から音が消えてしまったので、僕はやっぱり死んでしまったのだと思った。諦めがいっそ清々しさに変わるほどあっけなかったな、と目を開けると、先ほどと変わらず、左手をコチラに向けた男の姿が目に入った。さっきと違うのはその表情に余裕が無くなっていたことくらいか。
――あれ? 生きてる?
「葛城様、今がチャンスです。あの勘違いバカを懲らしめちゃってください」
背後から可愛らしくけしかけられて、僕は訳も分からないまま駆けだした。この時僕の注意力がもう少し高ければ、左手の指輪がいつもの淡い緑とは違い、青色に光っていた事に気付けたはずだが、その時の僕はそんな事に気付くはずもなく、一心不乱に男めがけて突進した。
まともに電撃を食らったはずの僕が、無傷で自分に向かってきている事が理解できなかったのか、目を丸くしたまま固まっていた白髪男は簡単に捕える事が出来た。
腕を背中まで捻り上げ、地面に組み伏す。上から体重をかけると、苦しそうに呻いた。
「な……んで、僕の、電撃……が」地面に押し付けられた口元で、男の荒い息に小石が揺れた。「おかしい……だろ。なんでお前、無傷なんだよ」
それは僕が知りたかった。確かにコイツの言うとおり、あの電撃は確実に直撃していた。運良くそれた、とか、実は食らって無かった、などではなく、確実に、間違いなく直撃した。
なのに、僕の体には痛みはおろか傷一つない。噴水を一撃で破壊するほどの電撃を食らったのに、だ。
「僕の電撃だぞ。最強の力を手にした僕の、最強の電撃だぞ!」
足元で喚く男を、膝で押さえつけて黙らせる。
「言ったはずですよ雅槻」
リサがゆっくりと近づいてくる。寝間着姿のままの彼女は、当然化粧をしているわけでもなく、はたから見ればだらしない格好と捉えられても不思議ではないのに、その時のリサは朝日を浴びた長い黒髪が風になびくたびに美しい光を放ち、凛とした表情がまるで別人のように大人びて見えた。
「あなたのその力はかりそめの力なのです。あなたがいくらマンイーターで精気を集めたとしても、あなた本来の力はそのまま。そんな偽りの力ではわたくしを超えることなどできません」
組み伏され、ぶざまに地面に横たわる男を、リサは冷ややかな視線で見下ろした。あからさまな軽蔑の眼差しだった。
この時だけは、白髪男が哀れに思えてならなかった。この男とリサの間にどんな因縁があるのかは分からないが、男に注がれるこの眼差しは、自分に向けられていなくても、胸が苦しくなるような気がした。僕に組み伏されてリサの顔を見上げられないのがせめてもの救いのように感じる。
せめて早く逮捕してやろうと、腰に手をやると、手錠が無い事に気付いた。
――しまった、これじゃ逮捕出来ない。
魔女専用の、魔力を押さえる手錠無しで魔女を連行することはできない。なぜなら彼らは魔法が使えるうちは、逃げ出す事など朝飯前だからだ。
腰に手をやったままどうしようか考えていると、頭上から「おや?」と声がして僕は顔を上げた。
「葛城様、その右手にある物は……?」
そう言われて、僕は右手を見た。そう言えばここに来る前にミサに渡されたブレスレットを着けていたんだと、今頃思い出す。
「葛城様、そのブレスレットはもしかして……?」
「ああ、ここに来る前にミサに渡されたんだ。俺の役に立つって。結局使い方を聞かなかったから、どうにもならなかったけど」
僕はリサにも良く見える様に袖をまくった。右腕に輝くブレスレットはやはり、淡い緑色に光っていた。
「そうですか。ミサはちゃんと間に合わせてくれたのですね」
と、リサは弾んだ声を出した。
「葛城様、これは武器なのです」
「武器?」コレが? ただのブレスレットが?
「これは、『テンコマンドメント』と言って……」
リサは呆けた顔の僕などお構いなしに、「そうですね」と言って僕の手を取った。するとブレスレットがその形を変えて行く。突然の出来事に僕は慌てて手をひっこめた。
「な、なんだこれは」
気がつくとブレスレットだった物は、その形を一変し、手甲のように僕の手をすっぽりと包みこんでいた。
「テンコマンドメントは用途によって様々な形に変わります。それは、『ソウルスティール』と言って、触った相手の魔力を奪う武器ですわ」
リサが僕の足元で呻き声を上げる男に視線を移した。
――触った相手の魔力を奪う?
リサは暗に触れ、と言っているのだろうか? 僕は恐る恐る右手を男の背中に押しあててみた。
すると手甲型の器具から勢いよく青い光が漏れだした。それに伴い男が叫び声を上げる。
「こ、これは……!」
「その光は雅槻の魔力ですわ。ソウルスティールの力で今まさに魔力を抜いているところです」
やがて光が収まると、抜け殻になった男は声もあげず、だらりと力なく横たわっていた。
「お、おい、まさか死んでないよな?」
「ええ。一時的に魔力を抜かれて気を失っているだけです。ですが、これでもう悪さは出来ないでしょう」
そう言ってリサはふんわりとほほ笑んだ。
いつもの優しい笑みに違いは無かったが、その時ばかりはその笑顔が小悪魔のように見えた。




