騎士の務め
明け方の紫色に広がる空の下を、路上に車がいない事を良い事に、僕は思い切り車を飛ばした。緊急車両ではない為、今警察に止められでもしたら、いくらSCSの隊員と言えどスピード違反の現行犯で逮捕される事は分かっていたが、僕は焦っていた。
ミサからの電話を受け、半信半疑のまま車に乗ったが、アクセルを踏み込んで車のスピードが上がって行くと、それに比例するように僕の焦りも高まっていくようだった。
自宅のあるアパートが見えると、駐車場へは向かわず、路上に急停車した。タイヤが甲高い音を立て、シートベルトが体に食い込む。
車に鍵をかけるのも煩わしくて、車を降りると同時に僕は駆けだした。
急いで玄関の鍵を開け、部屋にいるはずのリサを呼び掛ける。
「リサ! いるか?」
遮光カーテンのかかった部屋は仄暗く、目を凝らしてもなかなか室内の様子が窺えなかった。玄関に靴を脱ぎ棄て、部屋の明かりを点ける。
まっさきに目をやったのは、リサが来て以降彼女の物となったベッドだった。本来ならそこにリサが寝ているはずのベッドは使った様子も無く、綺麗に整ったままもぬけの殻だった。
まさか、と思い、洗面所からトイレまで、部屋中のドアを開け放したが、リサの姿はどこにも見当たらなかった。
「一体どこに行ったんだ……」
頭の中で先ほどのミサの言葉がこだまする。
『リサ様の身に危機が迫っているとの暗示が出た』
まさか、と思った。
リサがなぜこの時間に家にいないのか、今の僕には分かるはずも無かったが、ふたたび事件が起こり始めた今、リサの身に危機が迫っているのだとしたら、考えられる可能性にマンイーターでの通り魔が浮かんでも不思議じゃなかった。
* 騎士の務め *
携帯から聴こえて来るのはいつまでたってもコール音だけだった。しばらくすると留守番電話サービスにつながってしまう。
僕は部屋に立ちつくしたまま、何度も何度もリサの携帯を呼びだしていた。
リサの行方が分からない今、リサと繋がりがあるとしたら、携帯だけが唯一の望みだった。
「くそっ……なんで出ないんだ」
苛立ちに任せてそう叫ぶと、突然部屋のLEDライトが点滅を始めた。
不思議に思い、天井を見上げるとライトの周辺に一瞬電気が走った。故障か? と首をひねるとめまいにも似た感覚に襲われる。
――寝不足のせいか?
目を閉じて頭を振る。疲れてる場合じゃないだろ、と自分を奮い立たせて目を開けると、目の前にミサが立っていて、僕は驚きのあまり後ろに飛び下がった。急に現れるモノだから思わず大声を出してしまったが、ミサは僕のそんな様子などお構いなしに慌てた様子で室内を見渡した。
「お、お前、海外にいたはずじゃ……」
「縮地の魔法で飛んできた…………リサ様は……?」
息も絶え絶えに、ミサはリサの姿を探した。
ひどく疲れているようだった。動かない体を無理矢理動かしているかのように、重い足取りで部屋を歩き回り、隅々までリサの姿を探す。そして、どこにもリサの姿が見当たらないと分かると、ミサはついにひざから崩れ落ちた。
「わたしとした事が……こんな時にリサ様の傍を離れるなんて……」
「落ち着け、ミサ」
跪いたまま嘆くミサの傍に膝をつき、背中に手を当てる。ミサの顔を覗きこんで僕はハッとした。
いつも冷たい視線を僕に向けるその瞳に大粒の涙が浮かんでいる。動揺している姿もそうだが、こんな表情のミサを見たのは初めてだった。
ミサが目を閉じると、パタパタと音を立てて床に小さなしずくが落ちた。
「リサ様にもしもの事があったらわたしは……」
小刻みに震えるミサの背中は、僕と変わらない身長にも関わらず、とても小さく見えた。
――ああ、ミサもやっぱり女の子なんだな。
いつも高慢なミサの弱い部分を垣間見て、僕は妙に安心した。機械のように冷たいだけだと思っていたが、もしかするとこっちのリサを心配して泣く姿の方が、ミサの本当の姿なのかもしれない。
「しっかりしろよ。お前の占いじゃ、リサの本当の危機は二十二歳になってからだろ。ってことは、言いかえれば今はまだ大丈夫だって事だ。落ち着いて、リサの行方を捜そう」
僕がそう言うと、ミサは一瞬目を丸くして、すぐにいつものように睨みつけた。強がっているのだろうか、赤くなった瞳がライトの光を反射して揺らいで見えた。
「そんな事、お前ごときに言われるまでも無い」
と、ミサは勢いよく立ちあがったが、まだおぼつかない足元は体を支える事ができず、ふらりとよろけた。慌てて僕も立ち上がり、ミサの腰に手を回す。
体を支える為に回したつもりが、ミサの腰が以外に細く、思いがけず抱きしめるような形になってしまい、至近距離でミサと目が合う。思わず「あ」と声を上げた。
お互い何が起こっているのか理解するのに時間がかかり、ほんの少しの沈黙の後、僕とミサは同時に目を見開いた。ミサの荒くなった息が顔にかかり、僕はとっさに顔をそらす。
「は、離せ……バカモノ」
「お、お前がちゃんと立たないからだろ……」
手を離すと、ミサはよろけながらもしっかりと立ち、僕をじろりと睨みつけると、「後で覚えてろよ」と小声で威嚇した。顔が赤くなっているように見えたのは、怒っているからだろうか?
重い足を引きずるようにしてゆっくり歩くミサを車に誘導して、助手席に乗せると、僕は急いで運転席に回り込み、エンジンをかけた。
「ち……縮地の魔法を使うとコレだから……」
ミサはシートを少し倒し、楽な姿勢を取ると、横目で僕をチラリと見た。
「わ、わたしはもう魔法が使えない。リサ様の危機は、不本意だがお前が救って差し上げろ」
「……わかった、何とかしてみるよ。でも、リサの居場所は分かるのか?」
「今、占ってみる。たぶん居場所を占うくらいなら今のわたしでも……」
ミサはそこまで言って目を閉じ、深く深く深呼吸を繰り返した。
しばらくの間、静かな車内に長いミサの呼吸音が低く響いていたが、やがてゆっくりと目を開けると、ミサはひどくかすれた声を出した。
「広い……立体駐車場……大きな交差点……それと、ガラス張りの大きなビルが見える……一人じゃない……? 男……白髪の男がリサ様の近くにいる」
そこまで聞いて僕の背中に電気が走った。鼓動が一気にレッドゾーンへと突入し、全身を冷や汗が覆う。
「やっぱりか! ちくしょう!」
僕は一気にアクセルを踏み込んだ。
タイヤを空転させながら一気に加速する車は、僕達の体を無理矢理シートに押し付ける。助手席からミサの驚いたような声が聴こえた。
――悪い予感ってのは当たるもんだ。
だいぶ日が昇った空を見つめて、僕は歯ぎしりをする。
「ちょっと運転荒くなるぞ。しっかりつかまってろよ!」
進行方向に目を凝らしながら助手席でつらそうに息を荒くするミサに話しかける。ミサは「わたしの事は気にするな」と強がったが、声に恐怖が表れているようだった。
ハンドルを強く握りながら、ミサの教えてくれた情報を瞬時に頭の中で地図を広げて検索する。
広い立体駐車場、大きな交差点、ガラス張りの大きなビル。この三つのキーワードに該当する場所を探すと、一件だけヒットした。
――ミサには悪いけど……!
スピードメーターは時速百二十㌔をゆうに超えていたが、僕は交差点を見つけると、躊躇することなく目一杯ブレーキを踏みこむと同時にサイドブレーキをかけ、車を百八十度方向転換した。遠心力に引っ張られて体が思い切り横に振れる。踏ん張るだけで首が痛くなった。
後輪から白煙を上げながら愛車が悲鳴を上げる。かまう事無くアクセルを踏み込むと、車は今来た道をまっすぐ逆に向かった。
助手席のミサの様子が気になり、チラリと確認すると、シートベルトをしっかり掴み必死に恐怖に耐えていた。心の中で「ゴメン」と謝り、僕は目的地へと急いだ。
西大通りをまっすぐに南下して、左手に数年前に廃業した大型のショッピングモールの建物が見えた辺りで、僕はもう一度車を直角に曲げた。中央通りに入ると、右手に大きなガラス張りのビルが見える。そのすぐ脇には立体駐車場がそびえていた。
「悪い、コレが最後だから!」
と、ミサに謝りながら僕は車をドリフトさせて急停車させた。
シートベルトをはずし、慌てて車を降りようとすると、ミサに呼びとめられる。
「リサ様はどこか、広い場所にいる。……水のイメージが見えたが、はっきりとした事までは分からない。葛城、後を頼む」
と、ミサは懐から銀色に光る物体を取り出し、僕に投げつけた。
「それを利き腕につけておけ。……リサ様に頼まれていたものだ。きっと、お前の役に立つだろう」
ミサが投げたのはブレスレットだった。指輪と同じ素材でできているのか、緑色の淡い光を放っている。ミサに言われたとおり、利き腕にはめると、若干大きめだったブレスレットは瞬時にジャストサイズに変化した。
このブレスレットが何の役に立つのか解らなかったが、僕は一応ミサに礼を言い、車を飛び降りた。
「水のある、広い場所……」
そう呟いて、僕は迷わず駆けだした。
ミサの言った場所には心当たりがあった。確か、少し前に廃業した大型ショッピングモールには、噴水を使った憩いのスペースがあったはずだ。
階段を駆け上がり、すり鉢状の舞台の中央にある噴水の見渡せる場所にたどり着くと、息の切れるのもそのままに僕は叫んだ。
「リサ――――――!」
周囲に目を凝らすと、まさに噴水のすぐ近くにリサの姿が見えた。
「葛城様!」
「リサ、そこか」
階段を降りるのも煩わしくて、僕は三メートルはある高さから飛び降りた。
日ごろの訓練のおかげでこのくらいの高さからなら飛び降りても問題は無かったが、飛ぶ瞬間はさすがに少し肝が冷えた。
「リサ、無事か?」
慌てて駆け寄り、リサの姿を注視する。
寝間着のままのリサは、見たところ怪我をしている様子はなさそうだった。ホッと胸をなでおろす。
「なんで家にいないんだよ……」
ため息交じりにそう訊ねると、リサは「あの……」とほのかに頬を赤くした。
「わたくし、葛城様のお帰りを待っていたのですが、あまりに遅いので、その、心配になって……」
と、俯き、胸の前で手を合わせた。
「それで、俺を探そうとして……?」
僕の言葉に、リサは無言で頷いた。そのあまりにいじらしい態度に胸が苦しくなった。
――僕を心配して探していたなんて……。
リサの言葉を聞いて、忙しさにかまけて連絡をしなかった事を後悔した。まさかリサがそんな行動に出るとは夢にも思っていなかったのだ。
だって、僕はリサにとってついこないだ顔を合わせたばかりの新人騎士でしかないわけで、言ってみれば、少しだけ接点のできた他人でしかない。
ましてや騎士が魔女を心配するならまだしも、魔女にとって騎士なんてものは捨て駒くらいにしか思っていないものだと思っていたのだから、リサの行動はまさに予想外だった。
「頼むから、心配させないでくれ……。初めは不本意だったとは言え、俺はお前の騎士になったんだ。お前を守るのは俺の務めだろう? お願いだから、俺の事を探したりして危険な目にあったりしないでくれよ」
「危険な目っていうのは、こういう事だったりして」
突然背後から声がして、僕はとっさにリサを背中に隠した。振り向きざまに黒い影が通り抜け、左手に鋭い痛みが走る。
「誰だ!」
影の抜けた方向に目をやると、朝日に照らされた鮮やかな白髪が目に入った。
「あはは、お前、左手を見てみろよ」
白髪の男は右手に持ったナイフをゆらゆらと揺らし、僕を指差した。
男を警戒しつつ、左手に目をやると、すっぱりと裂かれた制服の隙間からじんわりと血が滲んでいた。
「葛城様……血が……」
とっさにリサが傷口を手で押さえる。ズキンと鈍い痛みが左手全体に走った。
「お前もう終わりだよ? 新人の騎士さん。僕が最大の魔力を込めてマンイーターで斬ったんだから、あのおっさんがやった奴らなんかとは比べ物にならないくらい、ヤバい状況なんだよ~」
あはは、と高らかに笑う男の姿がかすんで見えた。体から力が抜けるような感覚に襲われて、足元がふらつく。
――おいおい、マジか?
男の高笑いがこだまする中、僕は急激に失われていく体力に戸惑っていた。




