魔女フィルター
「ふぅ……」
本部に戻るなり僕は、どっかりと椅子に腰を下ろした。
長沼班全員の懸命な捜査も空しく、一週間以上経過しても、犯人の手掛かりはおろか、足取りすら一向に掴む事が出来なかった。
「あー……お腹すいた」と、尾上は机に突っ伏した状態のまま呟いた。
「さすがに面倒ですね」と、宮内が珍しく顔をしかめた。
「あー、苛々するなぁ」と、先輩は机の上に足を投げ出し、背もたれに寄りかかった。
皆、疲れていた。
通常の業務と違い、警察との合同捜査は制限が多く、思うように捜査が進まない事が、余計にフラストレーションを溜める原因になっていた。魔女相手の捜査ならもっと好きにやれるんだけどなぁ……とは最近の先輩の口癖だ。
「何か少しだけでも手がかりが得られると違うんですけどね」
宮内が零すように言うのを聞いて、魔女マリアに借りた本の事を思い出した。
僕は、あの後ミサに訳してもらった本の内容を皆に伝えるべきか、迷っていた。
それを伝えることは、僕が今魔女に関わっている事を伝えることと同じで、いくら同じ班の仲間とは言っても、魔女と関わりのある隊員をみんなが見過ごすとは到底思えない。皆それぞれ理由があってこの仕事を選び、誇りを持ってこの仕事をしているのだから。伝えた時点で何らかの処罰がある事は明白だった。もちろん、以前に先輩が言っていた懲戒免職だって、あり得るのだ。
「こうしててもらちが開かねぇな」
先輩は机の上にのせていた足を下ろし、勢いよくひざを叩いた。パァンと大きい音が室内に響き、僕は思わず顔をしかめた。あの力で叩いたらものすごく痛そうだ、と思った。
「よし、少し早いけど今日はもう終わりにして帰るぞ。ここでこうしてても何も始まらねえしな。プロは休めるときには休むもんだ」
みんなしっかり体を休めておけよ。と言い残し、先輩はさっさと室長に報告に行ってしまった。取り残された僕達は呆然としていたが、やがて一番理解の早い宮内が、「それじゃ、お言葉に甘えて」と帰って行った。
「んじゃ、あたし達も帰ろっか」
「そうですね、班長命令ですし」
室長室に消えた先輩に軽く会釈して、僕は本部を後にした。
帰りの車内、ボーっと運転していると、どうしても捜査の事が頭を過ってしまう。突然早く帰れる事になっても、全然休める気がしなかった。僕だけが犯人につながる大事な情報を持っているという引け目やら、罪悪感やらがごちゃ混ぜになって「僕が何とかしなくては」と、身に合わない大きな責任感になっている感じだった。
先輩は「どんな時でも休む時は休むのがプロだ」とは言っていたけど、僕はまだそこまで割り切れる自信が無い。
不意にポケットの中で携帯電話が鳴り、僕は車を路肩に停めた。画面を確認すると、見知らぬ番号が表示されている。
この仕事をしているとアドレスに登録の無い人からかかってくることもあるので、少しだけ警戒しつつ受話ボタンを押すと、妙なテンションの声が耳元で響いた。
『あ、慎ちゃん。久しぶりー』
第一声で分かった。
「……マリアさんですか?」
『リサちゃんに慎ちゃんの番号教えてもらったの。ねぇねぇ、今大丈夫?』
まるで仲の良い友達のような、妙に弾んだテンションに僕は脱力した。
きっと、これが魔女マリアの本来のテンションなんだろうな、と思った。
魔女マリアから普通に電話がかかってくるなんて……これがもし先輩や、室長にばれたら一発でアウトだ。
「あの、なるべく連絡はしないでいただきたいんですけど」
『ねぇねぇそんなことより』
僕の軽い抗議などお構いなしに、魔女マリアは一方通行に話を進めた。
『こないだ慎ちゃんが来てから、私も気になって協会に連絡してみたの。そしたらね、やっぱり無いんだって、マンイーターが』
魔女マリアの言葉に思わず目を見開いた。慌てて上体を起こす。
「本当ですか?」
『うん、その事には長老会の一人が最近気付いたみたい。今協会の方も情報を規制して慌てて調査してる。マンイーターが盗まれたなんて事が世間に洩れたら一大事だもんね』
「やっぱり、盗まれたって事ですか?」
『まだ何とも言えない。盗まれたにしても、あの厳重な警備の中どうやって盗んだのか皆目見当もつかないの。いつ盗まれたのか、誰が犯人なのか、何の目的で盗んだのか、こっちもまだ情報が少なすぎるの。だから今、長老会全員に招集がかかってる。調査するにしても誰が犯人だか分からないから下手に動けないのよ。私も今から行かなきゃいけないの。だからいい? 慎ちゃん。この事は誰にも言っちゃダメよ。トップシークレットだからね? じゃあ、私もこれから忙しくなりそうだから、切るね。慎ちゃん、気をつけてね』
要件だけ一方的に伝えて、魔女マリアの電話は切れた。
僕は静かな車内で、急激に鼓動が速くなるのを感じだ。
――やっぱり、何者かがマンイーターを使って通り魔事件を起こしている。それが魔女なのか、それとも人間なのか。いずれにしてもマンイーターを狙って盗んでいるだけに、人々から精気を集めるのが目的だと考えて良いだろう。……一体何の目的があって人々から精気を集めているんだ?
薄い雲の切れ間から徐々に月が顔を覗かせる。夜空にぽっかりと空洞を開ける月は、ゆっくりと、だが確実に満ちていた。気がつけば満月は目前に迫っていた。
* 魔女フィルター *
「お帰りなさいませ」
家に帰ると、いつものようにリサが料理をしながら出迎えてくれた。早く帰ったからだろうか、少しだけ驚いた表情を見せたものの、すでに部屋中に良い香りが漂っていた。僕は、ただいま、と声をかけ、真っ先にソファに腰を沈めた。
体を伸ばしつつ部屋を見渡すと、室内がいつもよりすっきりしている気がして、いつも口うるさいミサの姿が無い事に気がついた。思わずホッとため息が漏れる。
もともと一人で住んでいた狭いワンルームに三人で住む事自体が問題ありなんだと痛感した。しかも女の子二人と、だ。正直気を使ってしょうがなかった。
――しかし……。
改めて考えるとすごい状況だなとしみじみ思う。
一般的に見て美人と言える女の子二人が一緒の部屋で生活しているなんて、普通に考えれば夢のような生活のはずなのにどうにも喜べない。
なぜなら、彼女らは魔女だから。しかも、ただの魔女ではない、リサはあの「二十一世紀最大の災厄」と称された恐怖の魔女なのだ。
キッチンで楽しそうに料理を作るリサの後姿をチラリと見る。
……やはり、とてもそんな力を持った魔女には到底見えない。あの小さな体のどこにそんな力が眠っているのだろう? っていうか、そんな魔女が僕の為に毎日料理なんかするか、普通?
まじまじと眺めていると急にリサが振り向いたので、僕は慌てて視線をそらした。
「ミサはどこかへ出かけたのか?」と白々しい質問でごまかす。
「ええ、所用がありまして海外の方に」
リサは料理の手を止め、キチンと向き合って質問に答えた。
――このまま帰って来なければいいのに。
不意に浮かんだ考えを、じっと見つめるリサに気付かれないように、笑顔で取りつくろう。「海外ね。そりゃ急な事で」
「ええ。ミサにはこれからの葛城様に絶対必要な物を取りに行ってもらいました」
「俺に必要な物? 何だいそれは」
「ミサが帰ってくるまでヒミツです」
そう言って、リサはにっこりとほほ笑んだ。その笑顔に思わず息をのむ。
――魔女じゃ無ければ、可愛いんだけどな……。
魔女リサが家に来てからと言うモノ、今まで作るのが面倒で抜くことの多かった朝食から、インスタントラーメンばかりだった夕食まで、バランスの良い食事が取れている上に、散らかり放題だった部屋が片付き、冗談のように部屋が明るくなった。
それらは全てリサのおかげであり、その事に助かっている事はまぎれも無い事実だが、彼女が魔女であるという事だけが、どうしようもなく引っ掛かっていた。どんなに可愛くても、いてくれる事でどんなに助かっていても、SCSの隊員である僕は、本来なら絶対に魔女と関わってはいけないのだ。
「どうかしました?」
不意に考え込んだ僕の顔をリサが窺う。
――とにかく、今は隠し通すしかない。僕はリサの騎士である前にSCSの隊員なんだ。
僕はゆっくり首を振った。「何でもないよ」
「今日は早かったですね。捜査の方はいかがですか?」
ミサがいないおかげでいつもよりスムーズに取れた夕食後、リサの淹れてくれたお茶を飲みながらまったりしていると、食器を洗い終えたリサが手を拭きながら横に座った。
「まったく進展なしだ」
思わずため息が漏れた。事件の事を考えると気が重くなる。
「疲れちゃいましたか?」
下から顔を覗きこみ心配そうにリサが訊ねる。僕は一応「いや」とは言ったが、確かに疲れていた。身体的な疲れというよりは、精神的な疲れだった。
犯人の足取りは一向に掴めない。犯人を見つけない事には被害者を助ける事も出来ない。その上、犯行が起こる確率の高い満月は、もうすぐだ。
考えれば考えるほど焦ってしまうような気がした。
「大丈夫ですよ」不意にリサが笑顔を見せる。「今葛城様が考えている全ての事は、近いうちに解決いたします。どうぞご心配なさらずに、その時をお持ちくださいませ」
リサはそう言うと、そっと僕の手に自分の手を重ねた。
「……それは、予言かな?」
「ええ。わたくしの予言は絶対ですよ。葛城様もご存知でしょう?」
「ああ、確かに見事な予言だったよ」
僕がそう言うと、リサは可笑しそうにクスクスと笑った。つられて僕も笑顔になる。
――考えても仕方ないって事か。
少しだけ吹っ切れたような気がした。早く犯人を見つけなければいけないのは変わらないし、手がかりが無いのも変わったわけではないが、当たりもしない予言のおかげで気持ちだけは晴れたようだった。
気持ちを切り替えて、先輩の言った通りしっかりと休んで英気を養おうと、ソファに体を横たえると、すぐに眠気が襲ってきた。自分で自覚しているよりもよっぽど疲れていたらしい。
「葛城様、葛城様?」
そのままの体勢でうとうとしていた僕は、リサの遠慮がちな声で起こされた。どれくらい眠っていたのだろうか、目を覚ますと寝間着に着替えたリサの姿が目に入った。
「ごめんなさい。葛城様があまりに気持ちよさそうに寝ていたので、先にお風呂を頂いてしまいました。わたくしの後で申し訳ないのですが、葛城様もお入りになられた方がよろしいかと思って」
僕はソファから体を起こすと、うんと伸びをした。少し寝たおかげでいくらか疲れが取れたような気がするが、やはり疲れを取るにはゆっくり風呂に入るのが一番いい。
起こしてくれたリサにお礼を言って立ちあがると、石鹸の香りが漂っていてハッとした。
よく見れば、リサはまさに今出てきたばかりといった感じで、さらによくよく考えると、リサの入浴後の姿を見たのはこれが初めてだった。
古風な所があるリサは、僕よりも先に風呂に入った事は無かったし、大体が風呂に入るとすぐに寝てしまう方なので、見る機会がなかったのだ。いや、見たかったわけじゃないけど。
「どうかなさいました?」
不思議そうにリサが首をかしげる。濡れた髪をタオルで巻いている為、細いうなじがあらわになっていた。
――なんか、色っぽいな……。
と、思いかけたところで慌てて頭を振った。寝ぼけているせいか、思考が短絡的になっている。違う違う、ミサがいないせいだ。と、無理矢理責任をミサに押し付けてみる。狭いワンルームに二人きりだと思うからいけないんだ。
気持ちを鎮めるために目を閉じて深呼吸をした。顔が熱い気がする。動悸が激しくなっているような気がしたが、気付かないふりをした。
「大丈夫ですか? どこか具合でも悪いですか?」
と、リサが心配そうに訊ねる。するとすぐに僕の額に暖かい感触を感じた。
目を開けると風呂上がりの少し暖かくなった手が額に触れている。身長差から、リサの体がぐっと近づいていて、さらに鼓動が跳ね上がった。
僕は思わず息を止めた。リサの体から香る石鹸の香りもさることながら、少し上気したような火照った肌の感触が生々しくて、今呼吸をしてしまうと理性を無くしてしまうような気がしたからだ。
見下ろすと、リサの心配そうな顔越しに、寝間着の隙間から胸元がチラリと見えて、とっさに目を閉じる。見てはいけない物を見てしまったような気がした。――意外と胸大きいんだな……なんて思ってない。考えてない。って一体誰に言い訳してるんだ、僕は。
何度も言うが、リサは一般的に見れば可愛いのだ。それもハンパな可愛さではない。魔女というフィルターを通さずに見れば、モデルとか、アイドルと言われても納得できるほどの容姿をしている。寝起きで脳がうまく回転していない今、不用意にこの距離まで近づかれると、僕の限界も近づいてしまうかもしれなかった。
はたして勝手に動いていた自分の両手が、リサの肩に触れる寸前で放り投げておいた携帯電話が鳴り、僕は我に返った。
リサから離れ、止めていた息を大きく吸い込むと、苦しいほどに心臓が早鐘を打っていた。
何度か深呼吸をして気持ちを落ち着けながら携帯を取り、受話ボタンを押す。
「もしもし」
「葛城、急いで本部に戻れ。また被害者が出たぞ」
耳に押し当てた携帯から聴こえたのは先輩の慌てたような声と、思いがけない言葉だった。




