プロローグ
指名手配中の魔女に「わたくしを守ってください」と頼まれた。どうしたらいい?
A・ 「ふざけるな!」と突っぱねる。
B・ 「……わかった」と協力するふりをして、逮捕する。
*
「人生は常に二択の連続だ」とはいつだったか、誰かから聞いた言葉だ。何かの本で読んだのかもしれない。
僕はこの言葉が好きだった。
やるか、やらないか。
行くか、行かないか。
陳腐な言い方だがこの一言で人の一生を語れてしまうほどの強さを持った言葉だと思う。
僕は自分の過去を振り返り、自分の選んできた選択を、自信を持って間違いではなかったと言い切れる。常に正しい選択をし、希望の仕事にもつけた。これまでもそうだったんだから、これからも正しい選択ができるはずだと信じている。
その日は退屈な仕事になるはずだった。
超難関といわれる試験を一発で合格し、今年の春に念願のSCS(特殊犯罪対策室)に配属になり、厳しい訓練を半年耐え抜いて、ようやく現場に出られる事になった僕の初任務が、魔女保護団体に対する、抗議活動停止の勧告というつまらない任務だったからだ。
当然、やる気は出なかった。先輩隊員の長沼優二は、これも大事な仕事だと、いつもの聴きとりにくいしゃがれた声で言っていたが、その長沼先輩が明らかにやる気が無いのだから、僕にやる気を出せと言われても無理な話だ。
魔女保護団体の施設がある土浦市には、SCS本部のあるつくば市から車で三十分ほどの距離だ。もちろん運転は新人である僕の仕事で、助手席のシートを倒し、高いびきで眠る先輩に軽い怒りを覚えつつ、眠気と闘いながらようやくたどり着いた施設に、指名手配中の魔女、リサはいた。
建物と同じかそれよりも広い駐車場に車を入れ、僕は先輩を起こした。正面にガラスの自動ドアが見える。中では数人の職員と思われる人間の姿が確認できた。
フロントガラスから差し込む日差しにしかめ面をし、えらく間延びした声を出しながら先輩が目を覚ます。「着いたのか?」と一言発して大きなあくびをした。
先輩が保護団体の代表と話をしている間、僕は施設の中を見て回っていた。広い施設内は僕が想像していたよりも清潔で、近代的だった。魔女を保護している施設なのだから、怪しげな儀式の痕跡や、生贄と称した動物の死骸などがゴロゴロしているものだと思っていた僕は、その時点で拍子抜けしていた。なにせ施設の職員が、SCSの隊員である僕に対して、爽やかに「こんにちは」と挨拶をしてくるのだからこっちが調子を狂わされてしまう。ここは本当に魔女保護団体の施設なのか? と疑問が頭をよぎってしまったのも仕方がない事だったと思う。
そんな気の抜けた施設だったから、「すみません」と声をかけられた時、僕はすでに油断していたのだろう。声をかけてきたのがリサだと全く気付かなかったのだ。
可愛らしい女の子だな、と思った。高校生くらいだろうか? 腰まである長い黒髪に大きい瞳が印象的な顔立ち。背が低く、僕の身長からだと見下ろす位置にあるその顔が少し赤くなっていて、正直目を奪われた。僕の視線に恥じらうような仕草が、一層可愛らしかった。
「あの、ごめんなさい」と彼女は一言謝って、お辞儀をした。上目づかいの女の子と目が合う。
その瞬間、全身の毛と言う毛が逆立つような感覚に襲われ、僕は身動きが出来なくなった。突然の出来事に何が起こっているのか解らなかった。おずおずと伺うような視線の女の子と見つめ合ったまま指一本も動かす事が出来ない。
突然体の自由が利かなくなり、動揺する頭の中に「金縛り」という単語が浮かんだ。
まさかこれが、と思った。
魔女の力の一つに、四肢の自由を奪う「金縛り」があるという事は、SCSの新人講習の時に聞いてはいたが、実際に体験するのは初めてだった。これが金縛りか、と感動と恐怖が同時にこみ上げた。
そして、自分がぶざまに貶められた状態になって初めて目の前にいる女の子が、魔女リサだと気付いたのだ。
「ごめんなさい」
魔女リサはもう一度深々と頭を下げて、僕の腰に手をまわした。何をされるのか解らない恐怖で背中にじっとりと汗が浮かぶ。腰から離したリサの手には、警棒と手錠が握られていた。
「少し、お話がありますのでどうぞ、コチラへ」
魔女リサが近くのドアを指差すと、音も無くひとりでに開く。訳が分からずに茫然と見ていると、今度は僕の足が自分の意志とは関係なく開いたドアへと向かって歩き出した。
あの部屋に行ったら何をされるか分からない。頭では行きたくないのに足は勝手に動いてしまう。まるでロボットにでもなったような気分だった。
必死に抵抗を試みるが、健闘も空しく、どうする事も出来ないまま、ドアのしまる音と共に僕は暗い室内に押し込められてしまった。
「……俺をどうするつもりだ」体の芯から来る震えを必死に押し込めて、魔女リサを睨みつける。
厚手のカーテンのかかった薄暗い部屋だった。カーテンの隙間から漏れ出る光に浮き出された魔女リサが、その可愛らしさとは裏腹にひどく不気味に見えた。
「あなたをどうこうするつもりはありません」と、リサは首をゆっくり横にふる。
「あなたの持っている武器や手錠を一時的に預からせていただく為に体の自由を奪いましたが……」
そう言って、リサはふっと息を吐いた。リサの吐いた息が一陣の風となって僕の体を通り過ぎると、いとも簡単に体の硬直が取れ、僕はひざから床に崩れ落ちた。
「あなたに危害を加えるつもりはありません。むしろ……」
言葉を一旦区切ってリサが近づいてくる。そして僕の目の前に立ち、腰をおろし目線を合わせて大きな瞳で僕を見つめた。
「葛城慎太郎様。むしろあなたに、守ってもらいたいのです」
リサの口から飛び出た信じられない言葉に、僕は目を丸くした。
――今なんて言った? 守ってほしい的な事を言わなかったか?
僕に? 魔女の存在と真っ向から対立するSCSの隊員である、この僕にか?
「信じられない、ですよね。やっぱり」
言葉を失くし、唖然とする僕を見て、リサはほんの少し眉を下げた。
「でもわたくしを守る騎士はあなたでなくてはならないのです」
ここでまた、僕の頭に二択が浮かんだ。指名手配中の魔女リサに、助けを求められた。僕の取るべき行動は、二つに一つだ。
A・ 「ふざけるな!」と突っぱねる。
B・ 「……わかった」と協力するふりをして、逮捕する。
僕は正しい選択ができる自信がある。だからここは迷わずBを選ぶべきだった。
上体を起こし、壁にもたれる様にしてリサと向き合う。
「わ……」わかった、と言うつもりが、「わ」以降の言葉が口から出てこない。
リサの訴えるような眼差しに目を奪われ、物悲しげな表情に胸の奥がざわついた。
――なぜだ?
頭の中の二択の隣に疑問が浮かぶ。なぜ僕なのか?
気がつくと僕は無意識に疑問を口にしていた。「なぜ俺なんだ?」
もしかすると、この時すでに魔女の魅力に取りつかれていたのかもしれない。彼女の訴えかけるような眼差しに魅入られ、彼女の美しさに心を奪われていたのかもしれない。そうでなければ、そんな事を口にしたりはしないはずだった。
ただ、その時の僕は頭で考えた二択よりも体の奥から湧きあがった疑問を素直に解決したいと思っていた。
この質問が今後、僕の人生を大きく変えてしまうことを、この時の僕はまだ知らない。
大体一話5000文字以内、5~7章ペースで完結したいと思っています。