第1話その7
二葉は美鈴に見つからないよう、家を出た。
こんなことをして、ただで済むとは思っていない。失敗すれば、自分もセシリアも無事ではいられないだろう。何としても今日中にターゲットを探し、無理にでも家に引きずり込み、有無を言わさず美鈴に差し出すのだ。そうすれば、同じ学校から二人も犠牲者を出すという危険を冒すわけのない美鈴は、南織をあきらめざるを得なくなるという算段だ。
二葉は、教室に一番登校した。
誰もいない冬の朝の教室は、温度がなく、冷たい。その空気の感触が、二葉の気持ちを一層ひきしめた。
そこへ、教室の引き戸が音をたてて開かれた。
振り向くと、南織が立っている。二葉は、まっすぐに南織を見た。謝ろうと、ずっと心の準備をしてきた。南織との接触は避けたかったが、これだけは人としてのけじめとして、やっておかねばならないと思うからだ。
「この間は、ごめんなさい。」
だが、南織は二葉を一瞥しただけで踵を返した。身体全体が、二葉を拒絶しているようだった。
二葉は、唇を噛んだ。こうなることを、望んでいたはずだ。こうなって当たり前だ。覚悟していたはずだ。それなのに、やはりつらい。好きな相手に嫌われるというのは、固く眉根を寄せずにはいられない切なさがある。
(これでいいんだ。私が真淵さんを想う気持ちは、別の形で表さなくちゃ。そっちのほうが重大なのだから。)
二葉は、その日一日、教室の片隅でずっと息をひそめて観察を続けた。もう、この際誰でもいい気がしてきた。南織でなければ、誰だっていい。どうせ誰かが生け贄になるのなら、南織を生かして、別の誰かがなればいい。その積み重ねがやがてセシリアを目覚めさせることに繋がるのなら、それでいいではないか。
ところが、その昼休み。二葉は担任に呼び出された。
「今、君の叔母さんから電話があった。お父さんが倒れたそうだ。すぐに帰りなさい。」
「・・・!」
美鈴が、二葉の目論見を見抜いたのだ。「父」が倒れたなど、嘘にきまっている。だが、そんな裏事情を担任に話すわけにはいかない。二葉は、強制的に学校から出されてしまった。
エントランスホールから外へ出ると、あちらこちらからコーラスが響いてきた。
(そうだ、明日が合唱祭なんだ・・・。)
たくさんのハーモニーが重なり合う。その中を、二葉は肩を落として通り過ぎていかねばならなかった。
白い豪奢な門の外には、美鈴が車を横付けにして待っていた。
美鈴は、凍りついた二葉の身体を車の中に強引に押し込み、すぐに発進させた。
何も言わない美鈴の横顔が怖くて、二葉は身体を震わせた。
もう、おしまいだ。
何もかも、おしまいだ。
マンションに連れられ、二葉は自室に押し込められた。
「お前は道具なのよ。せっかくお兄様の遺伝子を継いだのに、IQ130程度の凡人にしかならなかった。だから、こんな使い道しかないのよ。よく覚えておきなさい。生かされているだけ、幸せだと思いなさい!」
美鈴は、黒くて太い棒を取り出した。それが何をするものなのか、二葉の本能が察知し、思わず腰が引けた。
「・・・っ!」
振り下ろされた棒が、二葉の背中に食い込んだ。その次の瞬間、二葉は意識を失った。棒から流れる電流によるショックによるものだ。
その日、初めて二葉の部屋の扉の鍵が閉められた。
次に二葉が目覚めたとき。
それが、罪を負う始まりの朝になる。