第1話その6
美鈴の細い足は、二葉を身体ごと振り払った。そのつま先が無防備なみぞおちに食い込み、
二葉は一瞬、呼吸を失った。
「バカなことを。いい加減自覚しなさい、人工児が!」
吐き捨てるような言葉を受け、二葉はフローリングの上に倒れたまま、段々冷静になっていった。そしてそれは、冷静から冷ややかなまでの覚悟に変わっていった。
選択権などないのだ。
何か、思い違いをしていたのだ。
その晩、美鈴が用意した食事には強力な睡眠薬が仕込まれていた。二葉は深い眠りにつき、次の日、学校を休んだ。
南織との約束を反故にしたのである。
美鈴は、これが二葉と南織との関係を悪化させる最良の方法と踏んでいた。
合唱祭の伴奏者は、別の生徒に変更された。
三日後に目覚めたとき、二葉はもう、学校へ行って南織と会わせる顔がないと思った。あの冷ややかな眼差しで軽蔑されたら、立ち直れそうになかった。理由はどうあれ、南織を裏切ったのだ。
― 言い訳なんか聞きたくない ―
そう言ったのは、南織だ。もう、二度目はありえない。しかし、南織に嫌われたことなど、本当はどうでもいいことだ。問題は、南織が研究所の実験台として拉致されてしまうこと。
(どうしよう・・・。どうしたらいい・・・?)
二葉は冷たいフローリングの上で膝を抱えながら、一日中考え込んでいた。
ここは、何もない部屋だ。
本棚や机といった家具もなく、病人用のような簡素なベッドがポツンと置いてあるだけだ。 制服以外の私服も、靴も、パジャマもない。
下着が上下3枚ずつ、あとは検査時用の白衣のみ。
教科書以外の本もないし、趣味を楽しむような道具も一切ない。そんなものは、研究所の
「道具」には必要がないからだ。
一つの窓には、備え付けの鍵だけでなく、美鈴がつけた鍵が更に二つもついている。それは、外部からの侵入に備えたものではなく、二葉の脱走を阻止するためのものだ。部屋の扉には中から開けられない鍵がついている。普段、この鍵が閉められることはない。だが、これ見よがしに付けられた重々しい錠が、二葉が「囚われの身」であることを毎日実感させるのだ。
(こんな部屋にいながら、私は、何もわかっていなかったのだ。)
甘かったのだ。セシリアの冷たい顔を再び目覚めさせるということが、どんなに大変なことなのか、気付いていなかった。だから、学校で「憧れ」だの、「時間が止まればいい」だの、悠長なことをやっていられたのだ。初めてのターゲットが南織になってしまうという現実をつきつけられるまで、気付かなかったなんて!
盗聴器と発信機で監視された13歳の二葉にできることなど、無に等しい。
しかし、南織をどうしても助けたい。その強い気持ちが先行する。
まだ、美鈴は家にいる。
南織を拉致すれば、美鈴は研究所に1ヶ月はいりびたるはず。だから、南織はまだ無事なはずである。しかし、美鈴にさからえばセシリアは容赦なく殺されてしまう。セシリアは、二葉を思いのままに操るための人質なのだ。
(探そう。真淵さん以上のターゲットを。そして、先に差し出してしまえばいいんだ。)
そして二葉は、二週間ぶりに制服に腕を通した。