第13話その3
人里はなれた研究所に篭っていると、世間の動きが読めなくなる。そんな危惧から、遠野研究所は代々「報告者」を雇っていた。世間で一般人として生活しながら、常に警察や司法の動きを監視し、常に基に報告する。
現在の「報告者」は、真崎潤一自ら選択したプロ中のプロ。その男が、潤一の死後も忠実に役割を果たしてくれている。優三や美鈴、二葉の生活も、逐一、基の耳に届いていた。
報告者の存在は、基しか知らない。それは、初代所長の父から受け継いだルールだ。
報告者は夜中に基の下を訪れた。そして、隠し部屋に二人きりになるなり、告げた。
「美鈴さんの取引相手が、警察に引っ張られました。」
「・・・それは、取引前か?」
「取引後です。」
「美鈴は?」
「寸でのところで逃げました。ですが、相手が口を割ればおしまいです。」
基は眉根を固く寄せて、唇を噛み締めた。
それは、いつも怖れていた事態。
それだけに、基はいつも覚悟をして、準備をしてきた。それをとうとう、実行せねばならなくなったのだ。
基は報告者に言った。
「引き続き、監視を頼む。すぐに私も行く。」
だが、報告者はきっぱりとそれを拒絶した。
「なりません!絶対に、研究所から出ないで下さい。」
「じゃあ、誰が美鈴を救う?真崎家の後ろ盾をなくした今、私が行くしかないだろう?」
「一緒につかまりますよ!そしたら研究所はどうなります?」
「美鈴を放ってはおけない。・・・私の人脈がどれほど通用するかわからないが、やるだけやってみる。」
「しかし。」
「私だって、研究所を捨てるつもりは毛頭ない。いざとなれば、美鈴を捨てる覚悟はある。」
「所長・・・。」
「先に行ってくれ。くれぐれも、気をつけてな。」
「・・・はい。」
報告者が足早に闇夜に消え、その直後に基は研究員を招集した。
「緊急事態だ。私はこれから出掛ける。いつ帰れるかは、わからない。美鈴も同じだ。君たちには、今から私が言うことを遵守してもらう。」
研究員達の顔が、いつも以上に強張る。
「一つ、私達が帰るまでは決して新しい実験や手術は行わないこと。二つ、現在進行中の実験については、私が帰るまでは全権を君たちに委ねる。三つ、いかなる緊急時にも、私や美鈴に連絡を取らないこと。四つ、・・・・。」
基は次の言葉を言う前に、一度大きく息を吸った。
「四つ、私からの命が下った際には、この研究所を爆破すること。」
全員の息を呑む音が、静まり返った室内に響き渡った。
基は10人の研究員全員の顔を見わたし、
「以上だ。後を頼む。」
そう言い残すと、踵を返した。
振り返る猶予は、ない。
研究所へ戻れないことを覚悟し、身辺整理が済み次第、美鈴を救うために出立しなければ。
身支度を整えていると、研究員の一人から内線電話がかかってきた。
『12号は、どうなさいますか。』
基は、少しだけ口を噤んだ。
研究所の試料でありながら、自分の血をひく娘でもあるという、厄介な存在。
「今までと同様だ。何も、変わらない。」
『その・・・、爆破することになった場合はどうすればいいでしょうか。』
基は、グッと喉を締め付けられたような、そんな感覚に襲われた。
だが、答えは一つ。
「12号を含め、すべての試料を隠滅しろ。・・・すべてだ。」
口にしたことで、基は少しの未練を断ち切れたような気がした。
同じ血をひきながら、試料になりえない失敗作だった美鈴は、救う。二葉は才能や容姿の点では失敗作だが遺伝子操作そのものは成功したため、門外不出の貴重な試料として、研究所と共に消失しなければならない。
いつも、思う。
皮肉だ。
基や美鈴の身に何があったのか、二葉は何も知らなかった。
ただ、いつも通りに赤ん坊の監視をしながら勉強をする。
こんなところに閉じ込められていると、本当に再び高校に通う日が来るのかどうか疑問に思う。
と、そんな時だった。
赤ん坊の様子に、ほんの少しの異変を感じた。
四六時中見張っているのだからこそ、気付いた異常かもしれない。
顔色が少し違う。表情も、強張って見える。
何しろ「泣かない」赤ん坊なのだから、見た目の変化を信じるしかない。二葉は非常用のボタンを押した。
間もなく、白衣姿に白いマスクをした研究員の一人が飛んできた。
「どうしました?」
「赤ん坊の顔色がおかしいんです。表情も、ちょっと。」
研究員はカードキーで扉を開け、ガラス壁の向こう側に入っていった。
研究員は体温を測ったり、聴診器で心音を確認したりしていたが、やがて赤ん坊を抱えて出てきた。
「詳しい診察をするので、連れて行きます。12号はこのまま待っていてください。」
「・・・そんなに悪いんですか?」
「わかりません。」
研究員が足早に部屋を出て行くと、自動的にロックがかけられてしまい、二葉は独り取り残された。
ただ、不安だけが胸をよぎる。
赤ん坊はどうなってしまうのか?
死んでしまうなんてことだけは、絶対に嫌だ。
大好きな優三の忘れ形見。所長だって、24時間の監視付きで大切にしているのだから、どんな手段を使ってでも助けてくれるはずだ。
二葉は、そう信じて疑わない。
しかし、頼みの所長も美鈴も今はいない。
しかも、いつ帰ってくるかわからない。
研究員達は困惑していた。
真崎潤一を死に至らしめたウィルスにより、研究員が全滅した後に招集された研究員の数は、少ない。その上、真崎家からの援助が断ち切られたために資金が不足し、研究員の質も以前ほどには保てなかった。医師免許を持つ者もいるが、遺伝子操作された赤ん坊の治療はおろか、異常の原因をつきとめることもできない。
「所長に、連絡をとるしかないだろう。」
「いや、それは駄目だ。所長が言っただろう?いかなる緊急時にも連絡はとるな、と。」
「じゃあ、どうするんです?全権を委ねられたとはいえ、私達では手の施しようがない。」
「とにかく出来ることをしながら、所長が帰るのを待つしかないだろう。」
「出来ること?そんなの、ほとんど無いじゃない!?」
「他に手段があるか!?・・・大体、所長に連絡って、どう取るんだよ?携帯か?番号もアドレスも知らないのに。」
「・・・。」
皆、唇を噛み締めて俯いた。
どうすればいいのか。
「確かなことは一つ。このままでは、赤ん坊は死んでしまう。」
「でも、こんな状況だもの。所長だって文句は言えないはずよ。」
「そんなに甘いわけないだろう?全部俺たちの責任になる。」
「そんな!手を尽くしても、結果が見えているというのに!」
重苦しい空気が、研究員達の間を漂う。
大事な試料を死なせてしまった責任など、どう取れというのか?
所長が留守にして連絡が取れず、研究員達の手に負えない事態。
それによる失態とは、許されるものなのか?
所長である基の性格。
研究主任である美鈴の性格。
研究至上主義の二人。
無理だ。
絶対に許してくれるわけは、ない。
「・・・このままじゃ、俺たちのほうが研究材料として刻まれるのが落ちだな。」
「冗談じゃない!・・・出来ることと、出来ないことがあるんだ。」
「どうする?逃げるか?」
「まさか!それこそ、地の果てまで追われて殺されるぞ。研究所の秘密を知っている限り、この研究所で死ぬか、記憶をなくした廃人状態で放り出されるかの、どちらかしかない。」
「どうしたらいいんだ!?どうすれば!!」
そのとき、ずっと黙っていた一人の研究員が口を開いた。
「・・・どうせなら、駄目元でやってみるか?」
「何を?」
「この研究所で、研究員以外の者に責任を負ってもらうんだ。」
「研究員以外の者?」
「・・・12号さ。」
「!!!」