第1話その4
ターゲットを見つけられなければ、一番親しくなった子が研究所の実験材料となってしまう。だから、南織と関わってはならない。南織の存在を、美鈴に知られてはならない。
だが、ターゲットが見つかる気配はまったくなかった。他人と関わらない限り、好きとか嫌いとか憎いとか、そんな感情が湧くわけがない。賢いか否かは判断できても、傍で見ている以上、性格まで判断するのは難しい。みんなから嫌われている子や、いじめられている子がいるのは何となくわかるが、そういうことに関わっている加害者も被害者も、美鈴を納得させられる「優秀な遺伝子」を持っていそうにない。しかし、無理にでも見つけなければならない。セシリアを救うために。そして、南織を実験台に捕られないために。
そんな中、二葉は再び南織と関わることになった。
2月中旬に行われる合唱祭の指揮者とピアノ奏者に選ばれたのだ。
「はい。」
南織が二葉に、楽譜を差し出した。
「え・・・。」
「弾けないと、練習にならないでしょう?伴奏者さん。」
憧れの南織の近くにいられるのは嬉しい。しかし、こういう役割は番狂わせだ。南織の存在を美鈴から隠し、ターゲットを一日も早く見つけ出して、なるべく目立たないように不登校にならねばならないのに。
困惑顔の二葉に、南織は冷たく言い放った。
「先生が個人カード見て決めたことよ。観念して。」
「待って。私、・・・今の家にピアノはないの。」
「学校にはピアノ練習室というのがあるの。そこを予約すればいいのよ。」
次の言葉が思いつかないうちに、南織は踵を返して去っていった。
(半月後の本番に影響が出ないうちに不登校になろう。)
その理由は?
例えば南織と喧嘩すること。学校中に広まれば、二葉は全校を敵に回したも同じだ。
だが、その前に拉致すべき生徒を見つけねばならない。それが一番の問題だ。南織を憎むことが出来れば、簡単なのだが。
ピアノ練習室は、中学棟に隣接する高校棟にあった。音大を受験する高校生のためのものらしいが、1月下旬のこの時期に受験生は登校していないため、練習室はすぐに予約できた。
(練習しないほうが真淵さんを簡単に怒らせられるのに・・・何やってんだろ。)
二葉は3歳から美鈴に引取られるまで、ずっとピアノを習っていた。音楽高校のピアノ教師の家で厳しく指導され、どんな曲でも、大抵は弾くことができる。今回の曲はフランスの作曲家による賛美歌。和声とオルガンの掛け合いが美しい。音楽がもともと好きな二葉は、思わず真剣に練習していた。本番には、パイプオルガンが用意されるという。
美鈴が迎えに来たあの日から、もう、二度とピアノには触ることができないと思っていた。 だから、こんな時間を得られたことは二葉にとって久々の幸せだった。
このまま、使命など忘れてしまいたい。
このまま、時間が止まってくれたら・・・。
それが叶わない願いとわかっていながら、二葉はピアノの音色に身を委ねていた。