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第12話その3

 遅めの梅雨に入った。

 二葉がそろそろ不登校になる季節の訪れだ。

 二葉の中で、生贄となる生徒はすでに決まっていた。鈴木恭二という、学年トップの同級生だ。

 二葉がこんなにも簡単にターゲットを決められたのには理由がある。鈴木は大したルックスでもないのに自分を「王子」と位置づけているいけ好かないヤツで、何かあると弱い望美を貶めるような発言を繰り返した。望美は「本当のことだもん、しょうがないよね。」と言って笑っていたが、二葉には許せない相手だった。

 今は、鈴木がターゲットとして相応しいデータを集めているところだ。それが完了すれば美鈴に提示し、この学校での任務は終わる。

 望美との関係も、終わりになる。

 そんなある日、望美が突然登校しなくなった。

 1日や2日なら「体調を崩したのか。」くらいにしか思わないが、1週間も続くと不安になる。担任に尋ねると、「ああ、ちょっと病気で熱が続いているらしい。」と言われた。

「お家の方から、連絡が入ってるんですか?」

「もちろん。どうして?」

「・・いえ、いいんです。すみません。」

 一瞬、美鈴を疑ったのだ。

 二葉と最も親しい望美を勝手にさらったのではないか・・・、と。

 だが、もしそうなら美鈴は研究所に戻るはずだ。まだマンションにいるということは、拉致は実行していない・・・はず。

 しかし、完全に不安を拭い去れるわけではない。美鈴が、いつ、どういう気を起こして誰を拉致するかなんて二葉にわかるはずがない。そして美鈴は、気まぐれだ。

 二葉は焦った。

 美鈴が変な気を起こさないうちに、さっさとターゲットを差し出したほうが賢明だ。

 次の日も、望美は学校に来なかった。

 盲腸にでもなって、入院しているのだろうか。

 そんなことを考えながら、下校しようと校門まで来たときだった。

 「・・・佐々木さん?」

 そこには、私服を着た望美が立っていたのである。

 望美は、はにかんだ笑顔で軽く会釈をした。

「一体、どうしたの?」

 二葉が駆け寄ると、望美は前髪の奥の瞳で笑った。

「私、転校するの。」

「え・・・。」

 二葉の目の前が、一瞬真っ暗になった。

 晴天の霹靂とは、こういうことか。

 望美はそんな二葉の心境を知ってか知らずか、話を続ける。

「実は私、1年前から漫画家やってるの。」

「・・漫画?」

「うん。それで、今回やっと連載の話をもらえたの。今までは何とか学業と両立してきたつもりだったけど、もう、こんな進学校じゃ絶対やっていけないって決心ついたから・・・通信制の高校に転校するんだ。」

 一体、望美は何を言っているのだ。

 今までの日常とは、まるで別世界の話をしている。

 妄想癖が、ついにここまで来てしまったのか?

 呆然としている二葉に、望美は言った。

「本当は、学校なんていつやめてもいいと思ってたの。でも、遠野さんに会ってからは学校が楽しいって初めて思えたから、結構・・・悩んだ。」

 どうして望美が遅刻ばかりしていたのか。

 どうして宿題忘れが目立って多かったのか。

 どうして中学の頃から落ちこぼれのレッテルを貼られていたのか。

 どうして授業中、居眠りが多かったのか。

 それはすべて、望美が漫画家という多くの人が夢見ても届かない職業を手にしていたからだというのか。

 何の才能も無いような顔をして、その実、宝石を隠していたというのか。

 望美に対して抱いていた優越感など、二葉のとんだ勘違いだったというのか。

 人懐っこい笑顔の裏で、望美は何を考えていたのだろう?

 二葉に近づきながら、何を思っていたのだろう?

 別れを切り出すのは、二葉が先のはずだった。

 もうすぐ、無言のまま学校を去るはずだった。

 それなのに、逆に別れを切り出されるとは!

 二葉の唇が小刻みに震え、何も言葉にならない。

 いや、言うべきセリフが思いつかない。

 二葉の中で、言いようのないドロドロとした感情がゆっくりと渦を巻き始めた。

 二葉の反応が何もないことに諦めの色を見た望美は、最後の別れを切り出した。

「いろいろ、ありがとう。遠野さんは優しいから、嬉しかった。遠野さんは漫画なんて読まないかもしれないけど・・・一度でいいから、見つけてね。」

 校門前の大通りに、紅いスポーツカーが停まった。

 望美はそれを見るや否や、二葉に手を振って車に乗り込んだ。運転席にいたのは、母親だろうか。鮮やかな色は、あっという間に薄ねずみ色の空気に溶けていってしまった。

 まるですべてが、幻だったように。


 家に戻ると、美鈴が待ち構えていた。

「・・・決まったでしょうね?誰をターゲットにするか。」

 二葉は、唇を噛んでうつむいた。

 今は、ターゲットだの生贄だの、どうでもよかった。

 しばらくは、心を空っぽにしたかった。

 だが、美鈴は容赦なかった。

「鈴木恭二っていう子のデータを集めていたわよね?それを見せて頂戴。」

「・・・。」

 二葉はだまって、鞄の中からメモを取り出して美鈴に渡した。「データ」なんて大層なことを言っても、内容はただの手書きメモだ。二葉には、コンピュータの使用が許されていない。学校にコンピュータ室はあるが、こんな「拉致候補者メモ」なんてものを公の場で入力できるわけもない。

 美鈴はメモにざっと目を通すと、二葉に背を向けた。

「これでいいわ。明日は学校に行きなさい。あさってから、行かなくていいわ。」

「・・・はい。」

 二葉は自室に入ると、部屋の隅で膝を抱えた。

 一体、この気持ちは何だろう。

 腹立たしいとか、苛立ちとは違う気がする。

 羨望か、妬みか?

 指の関節を噛みながら、二葉は真っ暗な宙をにらみつけた。

 あの時。

 望美と別れるとき、何も言葉が出なかった。

 本当は、何と言うべきだったろう?

 今でも思いつかない。

 ただ、重苦しい。空気も、気持ちも、何もかも。


 次の日登校すると、教室は望美の話題で持ちきりだった。

 転校したことも、望美が漫画家だったことも、皆知っていた。

「全然気付かなかったよね。」

「絵が得意なんて、言ってた?」

「さあ、あんまり眼中になかったからねぇ。」

「ペンネーム、『のぞみ』って平仮名で書くらしいよ。」

 隣にある、主をなくした空っぽの机。

 だが、そこには寂しさが感じられない。

 「ねぇ!見つけたよ!」

 一人の女子が、携帯を上に掲げた。

「ほら、ネットに出てる!昨日発売の『mC』だって!」

「『mC』!?超メジャーじゃん。」

「初連載って書いてある。今日の帰り、本屋に寄らない?」

「賛成!絶対見つけよう。」

 現金なものだ。

 今まで、散々望美を鼻先であしらってきたくせに。

 だが彼女達は、望美の成功を素直に受け止めている・・と思う。

「あんな人の漫画なんて、くだらないに決まってる。」とか、「あんな人、いてもいなくても変わらない。」とか中傷する声は、意外なほど聞かれない。少なくとも二葉には、彼女達のような明るい感情など、全然湧いてこないというのに。

(そうか。本当は、『おめでとう、絶対読むから雑誌名教えて。』とか言えばよかったのか・・。)

 一人の帰り道、学校の生徒には絶対会いそうもない小さな書店で、二葉は「mC」という雑誌を見つけた。

 艶やかな表紙の見出しの左端に、「のぞみ」というペンネームが踊っている。

 そっと数枚ページをめくると、巻頭のカラーページに望美の写真入りでインタビューが載っていた。

 縦長の楕円に縁取られた写真の中の「のぞみ」は、教室の隣の席にいた望美とは全く違った。薄く化粧をしているからだろうか。モデルのように可愛らしく微笑んでいる。

 棒立ちになって立ち読みをしていると、店の隅に座っている親父の視線をビシビシと感じた。二葉は今の財布の中身を考え、雑誌の裏の値段を見た。買えは、する。

(・・・いいか、どうせ明日から登校しなくていいんだし。)

 二葉は雑誌を買い、人気のない公園のベンチに座った。

 落ち着いて、もう一度雑誌を開く。

 インタビューでは「のぞみ」が、学校生活について語っていた。

−進学で有名な高校に通っているそうですね?−

『はい。でも中学からのエスカレーターですから、油断しちゃってあまり勉強してません。』

−授業は大変ではありませんか?−

『家では漫画を描くので精一杯ですから、勉強時間は授業がすべてなので、大事にしています。どんな教科でも、漫画を描く上でのヒントになりますし。』

−前向きな考えですね。ヒントといえば、お友達との交流もありますよね。−

『そうです。ストーリーを考える上でも人の心理は重要なので、どうしても人間観察してしまうのが悪い癖だと思うんですけど。』

−それは、お友達も怖いですね。いつ深層心理を読み取られているかわからないんですから。−

『もちろん、そんなの表面には出しませんよ。ただ、相手によって自分のキャラクターを変えるんです。相手の反応を予想して、行動します。私が思ったとおりの反応をすれば私の勝ち。なんて、いつも考えてるんですよ。』

−キャラクターを変えるというのは、すごいですね。−

『しばらくはクラス内を観察するんです。その中で、これはという標的を決めるわけです。そして、どう近づけば相手がのってくるか考えて、行動に移します。毎回違った性格の人を標的にしないと意味がありませんし、ドラマになりやすい性格の人かどうかというのも重要なポイントですね。』

 そこまで読み進めて、二葉は胸がつかえる思いに苛まれた。

−友人関係もすべて、漫画の資料なんですね。−

『そうでなければ、プロになれないと思ってます。ですから、本当の意味での友達は作ったことがありません。言い方は悪いですけど、関わった人は、みんな私の漫画作りのための道具ですね。』

(道具・・・。)

 聞きなれた忌わしい言葉が、二葉の胸を突いた。

−でも、相手によってキャラクターを変えていたら、クラスメイトが不審に思いませんか。−

『もちろん、そうならないように気をつけてます。まず、私はクラスメイトとは基本的に親しくなりません。そうすれば、標的に近づくときに出す性格が私の性格だと、皆が錯覚するでしょう?』

−それは、一つのクラスで一度しか有効でないのでは?−

『普通にやれば、そうですね。ですから私は、第一の標的は、大抵クラスで浮いてる人間にします。誰とも関わらない一匹狼みたいな人。そういう人との関わりなら、周りを巻き込まず1対1で観察できますし。で、大体の人間観察が終了したら付き合いをやめて、次の標的に移ります。次は、性格重視で標的にしますから、クラスの人気者の時もあれば、いじめにあっている子の時もあります。1年ごとにクラスがえがあるので、今までに結構な人数の観察ができましたよ。』

−今の標的は、どんな人?−

『校則違反で不良のレッテルを貼られている人。見た目よりプライドが高いから、優越感をくすぐると喜ぶタイプ。あと、孤独が全身からわかりやすく滲み出ているので、無邪気に優しくすると信用してくれちゃうんですよね。割と思ったとおりの反応を示してくれて、意外性がないのが面白くないんですけど。』

 二葉は、雑誌を乱暴に閉じて立ち上がった。

 一瞬、目の前が真っ暗になった。

 怒りで、呼吸が荒くなっている。

 望美は、この雑誌が二葉の目に留まらないとでも思ったのだろうか?

 クラスメイトが読んでも、これが二葉のことだと誰も気付かないとでも思ったのだろうか?

 そんなはずはない。

 読むことを承知で、インタビューに答えているはずだ。

 だから、発売日には転校手続きをとったのだ。

 望美が二葉に近づいたのは、すべて計算の上だったなんて。

 友人関係を結んだのも、優しい誘いも、すべて漫画を描くためだったなんて。

 ミルクティーを溢した事に始まり、放課後の会話も、人懐っこくついて回ったのも、すべて二葉を観察するためだったとは!

 しかも、二葉が見下すように、あのキャラクターを演じていたなんて!

 陰で笑っていたのだろうか。

 二葉が、あまりにも望美の想像通りの行動をとるから。

 昨日別れた時の二葉の表情さえ、望美にはいい材料になったのだろう。

 優越感を抱いていた相手に置いていかれた時の人間の表情、という滑稽な瞬間を、望美は漫画のために、しっかりと瞼の裏に焼き付けたのだろう。

 見下していた相手から、見事に馬鹿にし返されたのだ。

 望美はこのインタビュー記事により、今までのクラスメイトと完全な決別をしたのだろう。 これから生きていく世界は別々であり、もう二度と平凡な高校生には戻らないという決意。 これからは住む世界が違う、と言いたかったのかもしれない。

 二葉は言い知れぬ屈辱に、どうしていいかわからなかった。

 とにかく今は、必死で奥歯を噛み締めることしかできない。

 本能に任せた道順で、家に戻った。

 リビングでコーヒーを飲んでいた美鈴は、二葉を見るなり言った。

「明日から学校に行かなくていい理由は作ってきた?」

 二葉は荒い呼吸を抑えながら、美鈴に雑誌を見せた。

「・・?なんなの、これは。」

 二葉は、望美のインタビュー記事のページをめくってみせた。

 美鈴はしばらく黙って目を通し、やがて言った。

「これ、あんたのことね。なるほど、堂々と馬鹿にされたわけか。これなら明日から不登校になっても仕方ないわね。」

 二葉は、うな垂れたまま動けなかった。

 美鈴は雑誌を閉じると、

「次の転校先は決めてあるから。ただ真崎家のコネが無い今は、あんたにも頑張ってもらわないと。転入試験のために猛勉強してちょうだい。なるべく無駄なお金は積みたくないのよ。」

「・・・わかりました。」

 自室に戻ったが、二葉は勉強する気になど到底なれそうもなかった。

 今は、この沸々と煮えたぎるような感情を抑え込むのに精一杯だ。

 爆発すれば、周りにあるものすべてを傷つけたくなる。それは、できない。

 第一、傷つけられるほどの持ち物を、二葉は持っていない。

 制服を着たまま床にしゃがみ込むと、模様の無い壁を睨み付けた。

 ゆっくりと柔らかな下唇を噛むと、乾いた瞳から涙が溢れた。

 頬を伝う熱い雫を堪えようと、何度も唇を噛みなおす。だが、やがて唇が震えて、噛むことができなくなった。

 わからない。

 どうして、泣いているのだろう。

 泣く理由は、何なのだろう。

 欺かれたことが、悔しいのか。

 馬鹿にされたことが、許せないのか。

 それとも、いいようにあしらわれていた自分が憐れなのか。

 涙を流すなんて、一体いつ以来だろう。

 肉体的な痛みも、気が狂うような出来事も、涙を誘うことはなかった。

 だが、今は止めどなく溢れてくる、痛み。

 その痛みが恨みに変わる頃、次の朝がやってきた。

 グレイがかった空は、明けきらない梅雨を引きずっている。

 腫れた瞼を押し上げて、二葉はゆっくりと立ち上がった。

 

 リビングには、眼鏡を外してニュースを眺めている美鈴がいた。

 二葉は、覚めやらぬ感情を抱えたまま、それを行動に移した。

 いつもは、感情を行動にぶつけた後のことをシミュレーションすることで、怒りを解消していた。だが、今はそんな気にはならないし、そのつもりもなかった。

 「どうしたの?」

 美鈴の問いかけに、二葉ははっきりとした口調で答えた。

 それは、二葉が自らの意思で犯罪に手を染めた瞬間だった。


 「もう一人、実験台は、要りませんか。」



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