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第11話その3

 寒い、曇りがちな昼下がり。

 もといはベランダから下を覗くことはせず、すぐに窓を閉めた。

 次に玄関扉を少しだけ開け、辺りに人影が無いことを素早く確認すると、部屋を出た。

 ここはマンションの6階。

 エレベータを待てず、階段を転げおちるように下った。

 管理人のいるエントランスではなく、南側の庭に直接出られる裏口を選択する。

 ベランダからの眺めを満たすには足りないが、10mほどの奥行きには芝生が敷き詰められ、垣根代わりに高さ5mほどの常緑樹が植えられている。

 うつぶせに倒れている細い身体を見つけて、基はすぐさま抱き上げた。

 マンションを見上げるが、誰も覗き込んだりはしていない。

 人一人が転落した振動と音にも関わらず、誰かが近づいてくる気配もない。

 他人との付き合いや干渉をできるだけ避けられるマンションを探した甲斐があったというものだ。このマンションは独身か共働きの夫婦ばかりが暮らしている。小学生以下の子どもや、専業主婦も存在しないことを確認した。だから、夕方まではほとんど無人状態になる。

 それが、幸いした。

 基は、優三の出血が大したことがなく、芝生に痕跡を残していないことを注意深く点検し、足早に駐車場へと向かった。

 車の後部座席に優三を横たわらせ、そこで初めて脈を確認した。

 骨や内臓、脳の損傷は相当だが、まだ、死んではいない。

 6階からであること。そして、芝生のクッションでダメージが少なくて済んだようだ。

 基は運転席に乗り込むと、携帯電話を手に取った。

「・・美鈴か。緊急事態だ。今から私の言うことを、すべて確実に遂行してくれ。」


 別れは、いつも突然訪れる。

 二葉が目覚めたとき傍にいたのは、美しくて優しい優三ではなく、出っ張った頬骨に氷の眼鏡を乗せている美鈴だった。

 二葉がびくっとして飛び起きると、美鈴は眉ひとつ動かさず言った。

「これから、私とここで暮らすのよ。」

「・・・!?」

 二葉にとって美鈴は、セシリアを奪った敵である。

 美鈴にとって二葉は、真崎潤一を殺した張本人である。

 お互いの最も大事な人を奪ったという事実。

 それを背負って同居していくなんて。

 美鈴自身も、こんなつもりではなかった。

 二葉が高校を卒業するくらいまでは、優三が保護者代わりを務めるのだと思い込んでいた。

 だが基は、優三を実験台として研究所に連れ戻すと言う。

 「ならば、二葉は一人で暮らすことになるのですね?」

 美鈴がそう言うと、基は首を振った。

「いいや、それは駄目だ。二葉を一人にはできない。いつ、どこで狙われるかわからない身だし、逃げ出されたり、自殺されても厄介だ。お前が、きっちり見張っておけ。」

「私は・・・!」

 美鈴は二葉を許してなどいないし、一生憎み続けると宣告したかった。

 だがそれは、潤一をこの上なく愛していたということを兄に告げるのと同じようで、言えなかった。

 兄が自分の気持ちを知っていることは百も承知だ。だが、それを自分の口から告げるのは気恥ずかしい。だから結局、兄の言うとおりにした。

 同居の日は、思いがけなく早く訪れた。

 兄、基からの突然の電話。

 基は優三を連れて研究所へ戻ったが、基の到着の前に美鈴は研究所を出た。

 それは、優三の自殺未遂の後始末をつけるためだった。

 マンションの住人の誰もが、本当に優三の身投げに気付いていなかったか。

 優三と基の言い争いを、近隣の誰しもが聞いていなかったか。

 墜落の形跡が、残ってはいないか。

 そのほかにも、基に指示された無数のチェック項目を一つ一つ確実に潰していかねばならない。それは、2〜3日で片付くことではない。この2月でマンションとの賃貸契約が切れる。別のマンションへ引っ越すまでの約20日間をフルに活用して、調べつくさねばならない。その張り詰めた日々が、二葉への憎しみを考えずに済ませてくれるだろうか。

 大きなため息を何度も吐きながら、美鈴は重苦しい任務に頭を抱えた。

 本当に、これは研究のためになるのか。

 今の自分が耐えることで、人類の発展に繋がるのか。

 わからない。

 しかし、すべて研究の役にたつのだと信じなければ、前へ進むことができない。

 美鈴と二葉は、会話を一切交わさずに日々を過ごしていった。

 美鈴は、優三の消息について一言も二葉に説明はしなかった。

 二葉も、美鈴に訊くことができなかった。

 12歳のあの日も、養父母から突然引き離された。養父母の行方は、全くわからないし、どんなに尋ねても教えてもらえなかった。今回だって、どうせ同じだ。

 優三を恋しがっても、二葉の意思でどうにかなるものではないのだろう。

 

 美鈴は、優三が二葉に与えたものを、すべて捨てた。

 服も、本も、雑貨も、ありとあらゆるものを、処分した。

 「道具には、必要がないものでしょう?」

 唇を噛み締めて怒りに堪えている二葉に、美鈴は言い放った。

「この1年、あんたと優三は人間ごっこをしていたの。満足したでしょう?でも、それは全部幻だったのよ。・・・思い出しなさい、道具であることを。道具としての、使命を。あんたを存在させておく理由は、ただ、研究所の発展に少しは役立つと思っているからだけ。役に立たないと判断したら、私はあんたを・・・壊す。」

 美鈴の三白眼は、眼鏡の奥で二葉を鋭く捕らえている。

 二葉は、恐怖よりも、覚悟をしていた。

 美鈴は本気だ。

 使命を果たさねば、いつでも、容赦なく殺されるだろう。

 美鈴はそれを躊躇わないし、容易くやってのける。

 美鈴と暮らす日々を重ねれば重ねるほど、二葉は冷静に自分を見つめなおしていった。

 そしてその冷静さは、やがて、二葉の心を冷たく凍らせていった。

 

 二葉の瞳から輝きが失せるまでに、そう時間はかからなかった。

 心神喪失。

 記憶喪失。

 錯乱状態。

 そんな過酷な精神状態を乗り越えた二葉が、健やかに安らげるわけがない。

 ただ、かろうじて正常さを保つことができているのは、たった一つの希望があるから。

 セシリアを救い出すために、自分は存在しているということ。

 セシリアを救い出すことができるのは、自分だけであるという自負。

 厳しい状況の数々が、二葉を使命に目覚めさせたといっても過言ではない。

 ばらばらのように見えた出来事すべてが、実は一本の道に結びついていたのだ。


 3月に届いた高校の制服は、ネイビーブルーのセーラー服。

 白いライン、同系色のネクタイ、校章入りのソックス。

 二葉はそれらを見つめながら、思った。

 これは、制服ではない。

 使命を果たすための、戦闘服のようなものだ、と。

(セシリア・・・。必ずいつか、救い出してあげる。あなたを救える手段が実験台を捧げる以外にないというから、私は罪を犯す。あなたを救うためだけに、今私は、この世に存在しているのだから。)


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