第1話その3
南織は次の日、何事もなかったかのように涼しい顔をしていた。二葉を見ても、話しかける素振りもみせない。二葉も極力まわりとの会話を避けているから、それはそれで都合がいいのだが、少し、寂しい気もする。
(バカね。私、友達作るために学校にいるんじゃないのよ。)
英語の授業で、綺麗な発音で教科書を読む南織。優秀で、ヴァイオリンの天才。
しかも美少女。美鈴が泣いて喜びそうな逸材。
いつの間にか、頬杖をついて見とれている。
憧れ、なのだろう。二葉にないものを、沢山持っている。
南織は、いつも一人だった。女子は、とかく群れたがる。なのに、南織は誰に媚びることもへつらうこともなく、常にキッと前を見据えている。
昼休み、トイレの個室に入っていた二葉は、外の洗面台で髪をとかしながら噂話に花を咲かせている同級生の会話を何となしに聞いていた。が、その中に「真淵さん」という名が出たとたん、息をひそめて耳を澄ませた。
「週刊誌に載ってたのよ。門田真治の隠し子だって。」
「あの、渋い二枚目俳優の?」
「そう。独身だって話だったのにね。」
「真淵さんが門田真治の隠し子ねぇ・・・。でも、週刊誌なんてあてになるの?」
「写真が載ってたのよ。顔がモザイクだったけど、制服で写ってるのよ。髪の長さとか、顔の輪郭とか、絶対真淵さんしかありえないもん。」
「へぇ・・。でもさ、」
声はそこで聞こえなくなった。
個室から出た二葉は、南織が孤独でいる理由が何となくわかるような気がした。
週刊誌の話はトイレの中だけに留まるわけもなく、次の日には学校中に広まっていた。友達のいない二葉も、一人で校内を歩けば、あちらこちらで南織の噂を耳にする。ついには、好奇心旺盛で浅はかなクラスメイトが、南織にきいた。
「門田真治の娘って、本当?」
周りが固唾を呑んで見守る中、南織は立ち上がって言い放った。
「私には、父親なんていないわ。父と呼べる人は、この世に一人もいないのよ。」
そのセリフは、二葉の心を疼かせた。二葉も、同じ事を考えていたからだ。育ての父母と別れ、遠野基という男が遺伝子上の父だと教えられた。しかし、父親だとは思えない。養父はあくまで他人で、「父」ではない。だから、自分には父親などいないのだと思っていた。それを、南織も感じていたなんて。
南織は、噂などどこ吹く風といったように、気にする様子も見せなかった。誰が何と言おうと、まっすぐ、前を見据えていた。うつむくことなどなかった。その毅然とした横顔は、一層凛々しくて、美しかった。
二葉にとって、この出来事が南織に勝手な親近感を抱かせるようになったのは事実だった。
南織と会話をする機会がまったくなくても、もう、二葉にとって南織は他人ではない。
だが、南織が「父なんていない」と言った本当の理由など、今の二葉には知る由もなかった。